ルサカは泣きながら、閉じ込められた檻の鉄柵を握りしめる。
馬車は山道を走っているのか、ひどく揺れていた。
物音もガタガタとひどい。
幌馬車の中はたくさんの財宝や美術品、織物などがひしめき、時折檻にぶつかっては、ひどい物音を立てていた。
「……ちょうど、こんな感じの男の子が欲しいって注文があったんだよ。これはいい値段で売れそうだ」
ぼそぼそと下卑た男の声が聞こえる。
「またあの変態の旦那だろ。幼い男の子が大好きな。……ちょっと旦那の好みとしたら育ち過ぎかもしれねぇが、これだけ可愛い顔してたら買うだろ。……見たか、あの白い足。そういう趣味じゃなくても味見したくなるようないやらしさがあるよな」
「やっちまったら価値が下がる。あの旦那は初々しいのが大好きだからな……」
とんでもない会話をしていている。
ルサカはただ泣きじゃくるしかなかった。
どうしてこんな事に。
ケーキにのせるハーブが欲しくて、少し横道にそれただけだったのに。
どうしてそこで人攫いなんかに鉢合わせてしまうんだ。
しかも変態に売られる算段までもうついているらしい。
ルサカは自分の不運を呪った。
今日は、ライアネル様の誕生日だったのに。
一緒にお祝いするはずだったのに。
もう二度と、ライアネル様に会う事すら、出来ないかもしれない。
「ライアネル様、お誕生日おめでとうございます! ……今日のお祝いのケーキ、ぼくが作りますから、早く帰ってきてくださいね」
玄関先でクロークを羽織るライアネルを、ルサカは笑顔で見上げる。
ルサカはこの主人が大好きだった。
金色の髪に、みどりの瞳。その大きな背中に、子供の頃はよく飛びついたものだった。
いかつい見た目とは裏腹に、ライアネルはとても優しく、穏やかな気性だった。
主人のライアネル・ヴァンダイクは、今年三十二歳になる。
ルトリッツ騎士団国の騎士で、昨年、第六騎士団の副団長に就任し、順風満帆な出世街道を歩んでいた。
ルサカは七歳の時に、騎士団の福祉政策によって、ライアネルに引き取られた。
ルトリッツ騎士団国では、身寄りのない子供は、騎士団の団員が引き取り、仕事を教え、教育を与え、養う、という決まりがあった。
通常は家庭を持った騎士の家に預けられるが、その年は悪い疫病がはやり、孤児が街に溢れんばかりになってしまった。
そこで急遽、家計に余裕のある騎士でやる気があるならば、独身でも子供を引き取れるという新ルールが適用される事になった。
ライアネルは丁度その頃、両親の遺産を相続し、屋敷を構えたばかりだった。
部屋数もある、使用人もいる。子供ひとりを養う財産も、問題なくある。
ライアネルは迷わず、孤児を引き取る事にした。
そしてやってきた孤児が、ルサカだった。
「それは楽しみだ。できるだけ急いで帰ってこよう」
ライアネルは、ルサカの濃いココア色の髪をくしゃっと撫でる。
「いってらっしゃいませ、ライアネル様」
ルサカは笑顔でライアネルを見送る。
今朝までは幸せな、いつも通りの朝だった。
大好きなライオネルを見送って、いつものように市場へ買い物に出ただけだったのに。
もう二度と、ライアネル様に会えないかもしれない。
そう考えると、ルサカは涙が止まらなかった。
泣き続けて声も嗄れ、疲れ果てていたが、これから先、自分がどうなるか考えると、眠る事すら出来なかった。
行く末を悲観し、絶望しきったその時、聞いた事もない大きな、鼓膜を引き裂きそうな何かの鳴き声を聞いた。
「……なんだって、こんなところに竜が!?」
「逃げろ、殺される! 炎を吐かれでもしたら…!」
そんな悲鳴のような声が聞こえる。
ルサカは混乱していた。
竜? この辺りに竜がいるなんて、聞いた事もない。
逃げるチャンスかもしれないが、この檻の中ではどうにもならない。
ルサカが困惑している間に、幌馬車は激しくゆれ、それからふわりと宙に舞い上がった。
「さっそく人間を捕まえてきたんですか? やっぱり、巣を構えたら入り用ですよね、人間」
少し子供っぽい、しかし実に歯切れのよいしゃべり方だった。
珊瑚色の髪に尖った耳の、露骨に人間ではなさそうな姿をしたスーツの少年は、カタログを並べながら言った。
「これは可愛い子ですね。人間にも色々ランクがありますが、これはすごく良さそうです。眠っていても可愛い」
「捕まえたっていうか、奪った馬車の中にいたんだ。ね、すごく可愛いよね。だから、このままうちにいてもらおうと思って」
こちらはおっとりしたお坊ちゃん風の喋り方。燃えるような赤毛に、不思議なすみれ色の目をした、とても綺麗な顔立ちの少年だ。
少年と言っても、前者よりは年が上な雰囲気。少年とも青年ともつかない。二十歳くらいだろうか。
「なるほど~。まだ巣を構えたばかりなのに素早いと思ったらそういう事ですか」
納得したように頷きながら、カタログをぱらぱらめくり、おすすめ商品に印をつけ始める。
「ダーダネルス百貨店は人間とか扱ってないだろう? 買えたら楽なのに」
赤毛はなにやら物騒な事を言っている。
「人間なんて商品価値ないですからね。その辺にゴロゴロいますし、必要なら幾らでも取って来れますし。……しかしご安心下さい。我がダーダネルス百貨店ならば、『初めてでも安心セット』こちらをご用意しております!」
素早くトランクから大きな箱を取り出す。
「すごいなあ珊瑚さん。こんなの持ち歩いてるの?」
珊瑚と呼ばれた少年は、得意げに胸を張る。
「竜のお客様が独り立ちなさったといえば、まず人間でしょう。なんにしても巣には人間が必要ですしね。そんな訳で、いつでもお客様がご不自由なさらないよう、こうして初めて人間を買う竜向けのセットをですね……」
更にトランクから、『初級 人間の飼い方』と書かれた本を取り出す。
赤毛はそれを受け取って、パラパラとページをめくる。
「うわー結構人間って、飼うの難しいんだね……」
「そうですね。この子はちょっと小さいので、育てるのが大変かもしれません。人間はとっても弱い生き物で、小さければ小さいほど、弱いし、寂しがり屋なんですよ。……なもんで、すぐ死にます」
「えええ本当に?!」
「ただ、小さいほど、よくなつきます。だからあえて小さいのを攫ってくるんだというお客様もいらっしゃるくらいです。……小さい方が躾けもしやすいと聞きますね」
「そうなのかあ。……仲良くできるといいなあ。あ、珊瑚さん、当座、人間が必要そうなもの、置いていってくれる?」
「ダーダネルス百貨店勤続三百年のこの珊瑚にお任せ下さい。タキア様をうならせるラインナップをご用意しましょう」
ぱちっと音がしそうなくらい、はっきりとルサカは目を開けた。
見慣れない古ぼけた、クモの巣の張った天井が目に映る。
ここはどこだろう。
起き上がって辺りを見渡すと、側の椅子に座って本を読んでいた赤毛の男が顔をあげた。
「……目が覚めた? ……こんにちは、はじめまして」
燃えるような赤毛に、見た事もないすみれ色の瞳。
ルサカが見た事もないほど、整った綺麗な顔をした男だった。
年齢は何歳くらいだろう。少年とも、青年ともどちらとも言えない感じだ。
「僕はタキア。……君の名前は?」
悪い人には見えない。
馬車の中で聞いた『変態の旦那』じゃないかと一瞬疑ったルサカだったが、まだ若いし、何よりとても爽やかな雰囲気だったので、思わず気を許す。
「ぼくはルサカ……。あなたが助けてくれたんですか?」
「うーん。助けたっていうのかなぁ……?」
タキアは眉根を寄せて考え込む。
「まあそんな感じかな? ……これからよろしくね」
右手を差し出される。
わけが分からないまま、素直にルサカはその右手と握手をする。
「ルサカ、掃除とか洗濯とか、料理とか出来る?」
何故今そんな事を聞かれるのか。
「えと……ライアネル様のお屋敷で働いてたから、一通りは出来ます……」
「良かった」
タキアはその整った綺麗な顔に、微笑を浮かべる。 「ルサカ、君にやってもらいたい仕事は、掃除、洗濯、料理の家事全般と、財産管理、あと、交尾だからね。じゃあ、これからよろしくね」