あまりにも理解の範囲を超える話をされて、どうしたらいいのかわからない。
「……ええと…家に帰りたいんですけど……」
おずおずと口を開く。
「もう僕の巣に連れてきちゃったし。君にいてもらわないと、色々困るから、それは出来ないな」
僕の巣。
何の事か分からない。
「ちょっと信じられないかもしれないけど、ここは竜の巣で、僕は竜なんだ。成人したてのファイアドラゴンだよ」
にわかに信じられるはずがない。
タキアもそう思ったのか、古びた鎧戸を開けて、窓の外を見せる。
「……ほら。こんなところに、人間が登れるはずないでしょ」
窓の外は断崖絶壁だった。眩むような高さな上に、霞がかかって地面が見えない。
かろうじて、霞の中に針葉樹っぽい木の天辺が見えるような状態だった。
「……………」
呆然としたまま、ルサカはタキアと窓の外を見比べる。
「うーん……じゃあ、ちょっとまってて。外見ててね」
それだけいうと、タキアは走って部屋を出て行ってしまった。
窓の外を見ていてね。
何かあるのかと、ルサカは窓際にたって外を眺める。
遠く頭上から、何やらタキアの声が聞こえる。
みーてーてーねー! とかそんな事を言っているようだ。
その直後に、ズン、と沈むような激しい振動が伝わる。
何事かと辺りを見渡すと、大きな影が頭上を横切る。
聞いた事もないくらい、低く響く風を切る翼の音。
目の前を、紅く輝く鱗に覆われた巨大な竜が横切り、弧を描いた。
竜は軽く小さな炎を吐いて、ちらりとルサカを見、それから一声小さく鳴いて、再び頭上、古城の上に飛び去った。
目が、すみれ色だった。
タキアの目と同じ、濃いすみれ色。
どうしても信じないというなら、乗せて飛ぶ、と言われたが、ルサカは固くお断りした。
タキアが言うには、この古城は高い山の天辺にあり、大昔は別の竜が住んでいたそうだ。
タキアは成人したので独り立ちして自分の巣を持つために、この国へやってきたと言っている。
そして、財宝目当てで馬車を襲ってこの城に持ち帰ったら、中でルサカが伸びていた。
信じるしかないみたいだ。
ルサカは厨房で、埃の積もった食器を洗い、磨きながら、思い巡らす。
『巣の管理をしてもらうのに、人間て必要なんだよ。君の主な仕事は三つね。家事全般、財産管理、交尾。……簡単でしょ?』
最後のは簡単じゃない。
そもそも男同士なのに?
もしかしたらからかわれてるだけかもしれないし、今は余り深く考えずにいよう。
ルサカは銀のカトラリーを一本ずつ、丁寧に磨く。
この古城は色々な備品が残っていたものの、埃が積もって大変な事になっていた。
それを丁寧にひとつずつ、片付けていく。
タキアは時々、ルサカの様子を見に現れるが、大抵は財宝集めで忙しい。
『大きくて立派な巣にするために、財宝をたくさん集める』のが重要な仕事なんだそうだ。
巣に貯め込むための財宝は、その辺の村や街を襲い、奪う。
やってる事は完全に強奪である。
タキアは成人したてで、初めて巣を持った。
『良い竜の巣』というのは、財宝がたくさん詰まっていて、広くて立派で、掃除が行き届き、宮殿のように豪華なものらしい。
タキアはその立派な巣を持つために、頑張っているそうだ。
それには、人間を巣に迎える事が重要で、人間には巣の中の管理をやって貰って、自分は財宝集めに専念する。
これが竜の正しいライフスタイルなんだとタキアは語る。
と言うわけで、タキアは巣の中の仕事をしてくれる人間として、ルサカを手元に置く事にしたのだ。
そこでさっきの仕事内容、『家事全般、財産管理、交尾』である。
うちに帰りたいが帰れないなら、最後のひとつはさておき、食い扶持分くらいは働く。
やる事も特にないので、ルサカはせっせと古城の中を磨いてた。
タキアは古城にいる時は、時折ルサカの様子を見にきたり、話しかけたりしてくる。
コミュニケーションをとろう、としてくれるのは分かるけれど、ルサカはとにかく、帰りたかった。
ライアネルが待つ家に。
きっと心配しているだろう。ライアネルの笑顔を思い出すだけで、胸が苦しくなる。
ライアネルと過ごした家を思い出すと、泣きたくなるほど切なくなった。
せめて誕生日のお祝いだけでもしたかった。
よりによってそんな大切な日に連れ去られるとか、ひどい話だ。
七歳の時に悪い疫病が流行り、両親を失った。
その後騎士団の福祉政策でライアネルに引き取られ、七年間幸せに楽しく暮らしてきた。
『俺は一人っ子だったし、独身なもんだから、色々気が利かないかもしれない。けど、ルサカ。楽しく一緒に暮らせるよう努力をするから』
そう言って手を取ってくれたあの日の事を、ルサカは決して忘れない。
多忙にも関らず、ライアネルは本当に、ルサカを可愛がってくれていた。
時には兄のように、父のように。
ルサカはライアネルを心の底から敬愛していた。
帰りたい。
どれだけ心配をかけているだろう。
その時、断崖絶壁のエントランスから、そんな感傷を吹き飛ばすような元気な声と呼び鈴が鳴り響いた。
「こんにちはー、ダーダネルス百貨店外商部の珊瑚でーす」
玄関の重い扉をを開けると、珊瑚色の髪をした、尖った耳のスーツ姿の少年が、巨大なトランクを持って立っていた。
どう見ても人間じゃない。尖った尻尾も生えているし。
「あ、珊瑚さんいらっしゃい。待ってたよ」
タキアは珊瑚を喜んで招き入れる。
二人はルサカが掃除した客間で、カタログを広げ何やらぼそぼそ相談をしている。
「で、掃除が大変そうなんだよね。何かいいものない?」
「掃除ですか。……そうですね、最近のですと……」
黒塗りの巨大なトランクを開き、なにやらごそごそと探っている。
「こちら我がダーダネルス百貨店の上半期人気商品ナンバーワンの、ほうきウサギでございます!」
ピンクのもふっとしたウサギを自信満々に取り出す。
「こちらのウサギ、エサは埃、ゴミ、クモの巣、虫と、非常にお掃除に向いたペットなのでございます。家の中に放り出しておけば、あら不思議! いつでもおうちはピッカピカ!」
三匹ほど立て続けにひっぱりだし、床に並べていく。
「トイレの躾けは出来ていますし、基本放っておくだけで問題ないです。ただ、唯一の難点は、拭き掃除が出来ない事ですね。この子たちはほうきなので、掃くの専門です」
「便利そう。それ貰おう。……この古城だと、何匹くらいで足りる?」
「そうですね……こちらのお城の規模ですと……」
ボソボソと打ち合わせする二人に、ルサカはそっとお茶を出す。
「ありがとうございます。ええと……お名前は?」
「あ、ルサカです」
「ルサカさんですね。……わたくしはダーダネルス百貨店外商部の珊瑚と申します。これからもこちらのお城に出入りさせていただきますので、宜しくお見知りおきを」
丁寧に名刺を渡される。
「それと、お近づきのしるしにこちらも。……わがダーダネルス百貨店のロングセラー商品、『竜と暮らす幸せ読本』でございます。きっとルサカ様のお役に立ちますかと」
ちゃんと人間の言葉で書かれているようだ。
ルサカは名刺と一緒に素直に受け取る。
「ルサカ、欲しいものがあったら、言ってね。好きなものを買ってあげるから。珊瑚さんのとこなら、人間のものも大抵揃うよ」
今のところ、ルサカは欲しいものが浮かばなかった。
「特にはないかな」
「……そう」
タキアは目に見えてしょんぼりとしている。
あまりにしょんぼりとした顔をされて、なんだかルサカは申し訳ないような気がしてきて、焦り始めた。
けれど急に言われても、欲しいものなんか浮かばない。
おろおろするルサカを察した珊瑚が、自然に割って入る。
「きっとルサカさんも急には思いつかないのでしょう。……ご安心下さい、竜の巣専門の外商としての営業歴二百年のこのわたくしにお任せ下さい。当座入り用になりそうなもの、流行の衣類などお選びしておきましょう」
いそいそとトランクを開けて、選び始める。
「……ルサカ、そんなに悲しそうな顔しないで」
タキアの両手が頬に触れ、顔をあげさせられる。
あの不思議なすみれ色の目でじっと見つめられ、なんだかルサカは落ち着かなくなってくる。
「せっかく一緒に暮らすんだから、ルサカにも楽しく暮らして欲しい」
そうは言われても、好きでこの巣にいるわけではない。
断崖すぎて逃げようがないだけだ。
空気を察したのか、デキるダーダネルス百貨店外商部、竜の巣専門の珊瑚は、ささっと納品書を書き上げる。
「……では、わたくしはお暇致しますね。お支払いは今回の商品が全て納品完了した時に頂きましょう。ではまたお邪魔致しますね。ごきげんよう!」
それだけ言い残すと、珊瑚はふ、っと煙のように姿を消した。
さすが人外。入ってくる時は玄関でも、帰る時は消えるんだ。
思わずルサカは感心する。
それにしても、困った。
この微妙な雰囲気の中、二人きりは気まずい。
「ぼくも……銀器磨きの途中だったから」
口実をつけて逃げようとしても、タキアにがっちり抱きしめられて逃げられない。
「急ぐわけじゃないし、もう少し、こうしていようよ」
さすが人外、見た目の華奢さからは考えられない位、力がある。
本当にがっちりと抱きしめられ、逃げられそうにない。
「ええと……」
こんな風に誰かに抱きしめられるとか、子供の時に夜中に怖い夢を見て、泣いてライアネルに抱っこしてもらった時くらいだ、とかそんな事をルサカは考える。
「……ルサカ…」
ちゅっ、と音を立てて口付けられて、ルサカは固まった。
固まっている間に、何度も角度を変えながら、啄ばまれる。
「本当に可愛い……。大事にするから、僕の事も好きになってよ」
やっとルサカは我に返った。
「ま、まって、まって……」
かあっと頬を染めて、慌てて自分の口を両手で塞ぐ。
「どうして? もっとキスしたい」
子供のように無邪気にねだる。
「だって……男同士だよ? なんかおかしいんじゃ」
タキアは、不思議そうに首を傾げる。
「そうだけど……人間はそういう事気にするの?」
「え。竜は気にしないの……?」
思わず聞き返してしまう。
「うん。僕たちは綺麗なものが好きなんだ。財宝でも建物でも美術品でも、人でも、竜でも。だから性別はどうでもいい」
何という事だ。
ルサカはさあっと真っ青になる。
『家事、財産管理、交尾』の『交尾』はシャレでも冗談でもなく、本気なのか。
「多少好みで同性とか異性に偏るのもいるけど、基本、綺麗なものや可愛いものが好きだから、そんなに気にしてないよ、皆」
ルサカの口を覆っていた両手を外して、再び口付ける。
「でも、人の雌の方が人気があるかな。子供が産めるから。……竜は繁殖力が弱いから、人に産んでもらうとすごく助かるんだよね。生まれた子に竜の血が強く出れば、跡継ぎにもなれるし」
言いながら、ルサカの唇に甘く吸い付く。
「ルサカ、いい匂いがするね。……君に会えてよかった。こんな可愛くて綺麗で働き者な人なんて、なかなかいないよね。……大事にするよ」
もう思考が追いつかない。
ルサカはただされるがままに、呆然と立ち竦んでいた。