そうルサカが言うと、タキアは手に持っていた金の延べ棒をころっと取り落とした。
「え……。本気なの?」
何ともいえない顔をしている。
「姉さんとこはまだしも……兄さんとこになんか行ったら、ルサカなんか、輪姦されるよ」
どんな巣でどんな番人なんだ。
「何そんなに危険? タキアが一緒なら大丈夫なんじゃ?」
「むしろ僕だってやばい。それくらいあそこの番人たちはアグレッシブなんだよ」
どんな番人だ。
むしろ今のでルサカは怖いもの見たさ的な好奇心が芽生えた。
「僕だって何度半裸で逃げ出した事か……。兄さんとこの番人はやばい。主人に似てめちゃめちゃ積極的なんだよ……」
ルサカから見たら、タキアだってかなりの交尾好きで淫蕩な竜だ。
標準的な竜を知っている訳ではないが、竜が概ね繁殖行為が大好きで人間の言うところのモラルというものを持ちあせていないのは、『竜と暮らす幸せ読本』とタキアの兄姉を見ていればよくわかる。
その大らかな竜も怯むレベルとかどんな番人なのか。
「兄さんとこの番人は、女の子だけで十五人くらいいるよ。男も四人くらいいたと思った。どいつもこいつもめちゃめちゃ接待好きだから、ホントやばい。ルサカとかもう一晩中犯されるよ。多分小さい子が珍しいからって、群がられるよ」
千年生きて番人が二十人弱、というのは多いのか少ないのか。
ルサカは足元でくるくるじゃれつくヨルを見つめながら考える。
千年で二十人。五十年に一人ずつの計算か。それなら普通にペットを飼う感覚なのかもしれない。
落とした金の延べ棒を拾って、タキアは軽く指先で拭う。
それはダーダネルス百貨店への支払いに使うために、先ほど宝物庫から引っ張り出してきたものだ。
「十九人に輪姦されたらルサカが死んじゃう。……いや兄さんもいるから二十人か。どの道死んじゃうから絶対連れて行かないし、そもそも触らせたくない」
この古城の竜の巣に来てから、交尾だの輪姦だの、そんな言葉ばかり聞いている気がする。
ルサカは竜の業の深さをしみじみと感じていた。
「……じゃあ、エルーさんのところは?」
「姉さんか……。姉さんも信用出来ないけど、姉さんのところの番人はまともだからなあ」
金の延べ棒を掌でぴたぴた叩きながら、タキアは考え込んでいる。
ふと、ルサカは気付いた。
そういえば、配偶者というものをリーンもエルーも持っていないのではないか。
「タキア。竜って結婚しないの? ……人間は基本、一夫一妻制なんだけど、竜同士ってどうなの?」
タキアは少し考え込んでいる。
「んー……。人間みたいな結婚て概念はないな。基本、巣を持って番人と暮らしてるし。勿論、竜同士で交尾する事もあるけど、そもそも竜は数が少ないからなあ。それなりには交流もあるけどね。まあ、僕も初めては竜だったし……」
そういえば、タキアは『人間とするのはルサカが初めて』だと言っていた。
経験があるだろうとルサカも察していたし、人間が初めてなら、タキアの初めては竜だろうとは思っていた。
「竜は数が少なすぎて、気が合う相手を見つけられないんだよね。そもそも選べるほどいない。それなのに更に繁殖力も弱いし。だから、たくさんいて繁殖力も強い人間を攫ってくるんじゃないかな」
そこまで喋ってから、タキアははっとしたような顔をする。
「……今はルサカだけだよ。人間だけじゃなく、竜とももうしないよ……!」
ルサカは別に何も言っていないが、タキアはなんだか必死だ。
「もうそういう事しない。……しないから!」
何故そんなに必死なのか。
あまりに必死だと色々詮索したくなるじゃないか、とかルサカはひどい事を考えている。
「……いや別にぼくは何も言ってないじゃないか」
「なんだか目が冷たかった!」
言いがかりだ。ルサカは足元に寄って来たヨルを抱き上げる。
「何か後ろめたい事でもあるの?」
「ないけど、ルサカに変に誤解されたくないんだ」
ぷいっと顔を背けて、眦を赤くしている。
「出会う前の事まで文句つけたりしないよ。……過去は過去だ」
ヨルの片方の前足を持ってぺちん、とタキアの頬に肉球を押し付ける。
「でも……正直気になるな。で、その相手って、雄なの? 雌なの?」
にやにやしながらルサカが意地悪く尋ねる。
どっちにしてもタキアは気まずいだろうと踏んでの意地悪だ。
「……ナイショだよ。でも誰より一番、ルサカが好きでルサカとしたいと思ってるよ」
ルサカが抱いていたヨルを取り上げて足元に放すと、ちゅっと口付ける。
キスしただけでルサカの頬が見る間に赤く染まる。
変われば変わるもので、これだけでルサカは羞恥を覚えるようになってしまった。
もっとすごい事を散々しているのに、と思いながら、ルサカは耐え切れずに思わず目を逸らす。
「……まだ恥ずかしい?」
首まで赤くして目を逸らすルサカの頬を両手で触れて、もう一度、口付ける。
「……余計に恥ずかしい」
この羞恥心をタキアに理解させるのがなかなか大変だった。
好き、と意識する前は、タキアとの交尾なんて単なるコミュニケーションかスキンシップかスポーツくらいの気持ちだったルサカだが、タキアを意識し始めたら途端に羞恥を覚えてしまった。
今までのように、あっさりと『いいよ』とか言えない。
『これは人間には普通の心理。好きだと思うと急に恥ずかしくなるもの』という単純な仕組みを、噛んで含めるように延々と説明した結果、それなりに理解はしてもらえた。
説明が足りない間は、羞恥に耐えかねて顔を背ければ、ルサカが怒り出した、と誤解してややこしい事になっていた。
竜が番人をコントロールするのは、この感情や考え方の違いがややこしいのもあるのかもしれない。
無駄に行き違いが多すぎる。
「……そういえばヨルはなかなか大きくならないね。人間の犬だったら、もうちょっと育って大きくなってるんだけど。ヘルハウンドは何か違うの?」
床に降ろされたヨルは相変わらずの考えられない足の速さでほうきウサギを追って部屋から出て行ってしまった。
安否が心配されていたほうきウサギは、意外な事に一匹も減らずに、ヨルと共存出来ていた。
「今、雰囲気変えようとしてない?」
逃げ腰のルサカを、素早く抱いて捕まえる。
「……珊瑚さん呼んだんでしょ。もうすぐ来るってさっき言ってたじゃないか」
タキアの吐息はもうほんのり熱い。
「ちょっとだけ」
言いながら素早くルサカのシャツの中に手を滑り込ませる。その素早い手を掴んで、ルサカは身体を引き離そうと必死だ。
「だめ! 絶対ちょっとじゃすまないから! そういう事してる時に珊瑚さんが来ちゃったら気まずいだろ!」
「すぐ済ますから!」
「なんだよそのすぐって! もっと悪い!」
「いっぱいして欲しいの? それならそれで」
「違う! ホントやめろってば……!」
わん、とヨルが一声吼えた。
「……すいませんお取り込みのところ」
本当にすまなそうに、開け放たれたドアのところ、ヨルの後ろに珊瑚が立っていた。
「ああ。ほんっとうにヘルハウンドって頭いいんだ……」
子犬のままあまり大きくなっていないので、まだまだヨルは子供だとタキアは舐めていた。
ヨルはほうきウサギを追いかけていたのではなく、珊瑚の気配を察して、エントランスまで迎えに行っていた。
珊瑚も、タキアがヨルをお出迎えに寄越したとばかり思って、気軽にヨルに案内されてきてしまっていたわけだ。
ちょうどあれなところを見られて、さすがのタキアも少々気まずいそうな素振りを見せる。
竜にもそういう羞恥心くらいはあるのか、とルサカも少し感心していた。
「ヨル、おりこうだね、いい子いい子。ご褒美あげようね」
ルサカは素直にヨルの成長を喜んで、撫でまくりつつご褒美に鹿の干し肉を千切って与えている。
「ヘルハウンドは子犬に見せかけて、実際は成犬て事が多いですね。普段は子犬のふりをしていて、有事には本性の獰猛な大型犬になります。子犬のふりをしない子もいるんですけどね。この子ももう結構な大きさに育っていると思いますよ」
「実際の大きさってどれくらいなんですか?」
この愛くるしい子犬ぶりは、擬態だということか。ルサカは好奇心を抑えきれずに思わず尋ねる。
「そうですね……。この子の両親はチャンピオン犬なので、余裕で子牛くらいになりますよ、最終的には。今ですとそうですね……羊くらいですかね」
納品書を書きながら、さらりと言う。
子牛サイズ。
普段子犬に擬態してくれて助かった、とルサカは心底思った。そんなでかい犬にじゃれられたら、ルサカなんかなぎ倒されてしまう。
手早く納品を終えて、珊瑚はタキアから金の延べ棒を受け取り、トランクにしまう。
「そうだ、珊瑚さん」
ルサカは思い出して、『竜と暮らす幸せ読本』に挟んでおいたメモを取り出す。
「こういう農機具とか野菜の種とか、扱ってる?」
メモを受け取り、珊瑚は神妙な顔で読む。
「ちょっと扱っていませんね……。こんなものをどうなさるんですか?」
「一日巣にいて暇だから、中庭で家庭菜園でもしようかと思って。標高高いから育てられるものが限られそうだけど」
そう、こんな人目を引くエルフの末裔かというような美貌を持つルサカの趣味は、家庭菜園や料理、家事全般、読書という完全なインドア趣味だった。
特に庭仕事や家庭菜園が大好き。
「そうか、珊瑚さんのところは何でもあるから、もしかしたらと思ったんだけれど……」
強奪生活をしている上に、買い物はダーダネルス百貨店で全て済ます、というおセレブな生活をしている竜やその番人が、畑作を好んでするかというと微妙だ。
いいところガーデニングくらいではないだろうか。
「さすがに扱っていないですねえ……。申し訳ありません。一応、上にかけあってはみますが」
速やかに納品と決済を終えて、珊瑚はトランクから、珊瑚の髪色と同じ、珊瑚色の小さなメモ用紙のようなものを取り出して、タキアに手渡す。
「そろそろ残り少ないでしょうし、新しい呼び出し紙を置いていきますね」
「ありがとう、すっかり忘れてたよ」
にこやかに珊瑚がまた煙のように消え、去っていくと、タキアはその受け取った珊瑚色の紙を数枚、ルサカに手渡す。
「……ルサカにも、僕に内緒で欲しいものとか、急に必要になったものとかあった時のために、これを渡しておくよ」
ただの珊瑚色の小さなメモ用紙に見える。これを珊瑚は呼び出し紙と言っていたが、一体どうやって使うのか。
「珊瑚さんは人間の言葉もわかるから。これに珊瑚さんの名前を書いて、いつ来て欲しいか、と欲しいものが決まっていれば書き込んで、こうして」
タキアが何も書かれていない紙を掌にのせ、軽くふっ、と息を吹きかけると、珊瑚色の紙はふわっと舞い上がり、花びらのように四散して消えた。
「……こうして送る。まあ手紙みたいなものだよ」
どうやって珊瑚を呼びつけてるんだろう、と常日頃思っていたルサカだが、納得した。
こんな不思議な手紙のようなものがあったのか。
「そういえば、リーンさんが来る、とかもこういう紙でやりとりしてるの?」
タキアはうーん、と考える素振りを見せる。
「何て言えばいいのかな……うーん。人間と違って、離れていても意思の疎通が出来るんだ。なんていえばいいんだろうなあ。……言葉じゃないもので連絡出来る」
わからないが、特に何かしなくとも連絡がとれるという事だけは、理解出来た。
「人間は言葉がないと通じないみたいだけど、竜は離れてる時は言葉なしで連絡を取れるんだよ。それをどう説明したら人間が理解出来るかわからないけど、まあ、そういうものだと思って」
思えば竜という不思議な生き物なんだから、そういう人智を超えた能力を持っていても不思議はない。
ありがたくその珊瑚色の紙を受け取り、『竜と暮らす幸せ読本』に挟んでから、ふとルサカは思いついた。
「タキア。……市場行ってきたらだめかな。たまには、人間の街で買い物とか……。家に帰せ、とはいわないよ。どこか遠い街でもいいから、買い物したい」
タキアがルサカに里心が付く事を恐れているのはよくわかっている。
それでも、このうつし世から隔絶された巣の中での生活がたまらなく苦痛な時があった。
ルサカがいくら引き篭もり気質でも、この巣の中だけでの生活に慣れるはずがない。
せめて時々でもいいから、市場での買い物を許して欲しかった。
少しでも、外の世界の空気を味わいたい。
タキアは何とも言えない表情で、黙り込んでいた。
「……絶対に帰ってくるよ。タキアを一人にしたりしない。……心配なら、一緒に市場を巡ればいい」
タキアはまだ考え込んでいえる。
「……ルサカ。これはルサカを引き止めたいからじゃなくて……一度番人になったら、人間の世界に行かせてはいけないって言われてるんだ」
嘘を言っている訳ではなさそうなのは、ルサカにも分かった。
ただタキアも困惑しているようで、説明に困っているように見えた。
「……僕も正確な理由は分からないけど……。よくない事になるって言われているんだ」
本当に言葉通りに、一生をこの巣の中だけで過ごさなければならないのか。
タキアの言葉に、ルサカは絶望せずにいられなかった。