「なにこれすごい。しゅわしゅわする。おいしーい!」
エルーはグラスに注がれた琥珀色の林檎酒をぐいぐいと飲み干す。
「これめちゃめちゃおいしいよね。初めて飲んだ時は感動した」
タキアもグラスをぐっと飲み干す。
さすが人の姿とはいえ竜。
ルサカが大量に仕込んでおいた林檎酒はがんがん減っていっている。
そもそもはタキアが貢ぎ物の林檎を大量に持ち帰ってくるものだから、ルサカはせっせと加工していた。
この番人の強靭な体力に物を言わせて、林檎を大量のジュースにし、林檎の酵母を作り、林檎酒を作りまくっていた。
これはライアネルの好物で、ルサカはそれで作り慣れていたのもある。
この番人の恵まれた体力のおかげで、林檎絞りも捗るというもの。
かつてないほどの量を仕込んだが、この二人、飲みつくそうな勢いでガブ飲みしている。
パン作りにも使っている林檎の酵母を林檎ジュースに添加して、緩く蓋をして瓶や甕に詰め、待つ事二週間。ぶわぶわと出ていた泡が収まり、一次発酵終了。その後、糖分を更に追加して瓶につめなおして密閉し、更に二次発酵。
そうして出来たのが、このしゅわしゅわと発泡する林檎のお酒だ。
大量に仕込んだので、先日、タキアの独り立ち祝いを持ってきてくれたエルーを招待して、お礼に振る舞っている。
リーンもタキアに独立祝いにお祝いを持って来てくれていたが、タキアが呼ぶのを断固拒否して、あとでタキアが届けに行く事になっている。
リーンはすっかりタキアに警戒されていて、今のところ出禁のようなものだ。
今のところ、大人しく弟のいう事を聞いてはいるが、油断は出来ないとタキアは言っている。
「すっごくおいしい。……ルサカ、作り方教えてよ。うちのカインとアベルに作ってもらうから」
「あ。お土産用に何本か用意してあるし、飲み終わったら、瓶の底に澱がたまっているから、林檎のジュースを追加して数日置けば、また林檎酒になりますよ。酵母も数回は生きてるはずだから。作り方はあとでメモしておきますね」
「ほんと? わー嬉しい……。うちの巣の子たちとたくさん飲むわー」
ものすごい勢いでガブ飲みしているが、エルーもタキアも顔色が全く変わっていない。
人の姿になっても内臓は竜の強靭さのままという事か。
糖度の高い甘い林檎で作ると、強い酒になる。この林檎もかなりの甘さだったので強烈に強いはずだが、そんなもの全く気にしないかのように、水の如く飲み干している。
「カインとアベルは姉さんの番人ね。兄弟なんだ」
「あんまり兄弟で番人に、ってないんだけど、どっちも綺麗だったし好きだったから、聞いたら二人ともついて来るっていうから」
「姉さんは人の振りして二人をたぶらかしたもんね」
「たぶらかすって人聞き悪い。これを人間風に言うと、『恋に落ちた』っていうのよ」
ルサカはこのエルーの恋の話に興味を持った。
竜も人間と恋に落ちるのかと、興味津々なのだ。
「すっごく興味あります! どんな風に恋に?」
思わずかぶりつく。
「んー。そんなすごい話じゃないわよ。……人の姿になって森で遊んでたら、人間の騎士が通りかかったの。それがこの兄弟。色々あって二人に求婚されて、どっちか選んでくれって言われたから」
ぐーっと林檎酒を飲み干す。
「まあ正直に正体を話して、二人に覚悟があるなら、一緒に長い命を生きてくれと頼んだのよ。……それで二人は私の番人になりました」
ちゃんと段取りを踏んで番人になってもらっている。
こんな正当というか、きちんと相互理解の上で手順を踏んで番人になる人もいるのかと、ルサカは感心していた。
「まあ、彼らが兄弟じゃなくて、一人だったら竜騎士になれる可能性もあったんだけどね。二人いたし。二人とも求婚してきたし。どっちも好きだったし」
そういえば初めてエルーと会った時に、『一人だけなんて、竜と竜騎士みたいじゃない』と言われた事をルサカは思い出した。
竜と竜騎士。
実に少年の心をくすぐる、ロマンに満ちた魅惑的な響きだ。
「竜と竜騎士って、以前もその話を聞いたような」
「僕は竜騎士を持った竜を見た事がない。話に聞くくらいだなあ。姉さんは?」
「私も見た事ないわ。リーンは友達にいるって言ってたような。……今時、竜に勝てる人間なんていないでしょ。昔はそれなりにいたらしいけど」
竜に勝てる人間。
そんな人間がいるのかとルサカは衝撃を受けている。
「ルサカ、竜騎士はね、竜が選んで、かつ、竜と戦って勝った人間だけがなれるんだよ。そして竜は、生涯ただ一人の竜騎士しか持てない」
タキアはもう勝手に瓶から林檎酒を注いでがぶがぶ飲んでいる。
恐ろしい事に本当にエルーもタキアも全く酔っていない。顔色すら変わらない。
ルサカが用意したお酒のアテにはほとんど手をつけず、林檎酒のみをぐいぐいやっている。
主食は例の『人間でいうところの霞』だけれど酒は別腹という事か。
そういえばおとぎ話の竜も、甕いっぱいの酒を次々と飲み干していた事を、ルサカは思い出した。
「昔はねー、いたらしいのよ。竜に勝てる人間。信じられないかもしれないけど、魔法を使える騎士とか昔は存在したの。今はもう失われてしまって、魔法を使える人自体が少ないけど」
魔法を使える人間が今もいるという事も知らなかった。
かつていた、という話は聞いた事があった。もうとっくの昔に失われた技術としては伝わっているのだ。
「竜と竜騎士は特別なの。彼らは二人で一人なの。一心同体っていうか。……全てのものを共有するわ。喜びも、悲しみも、苦しみも、痛みも。もちろん、番人も共有する。……番人を手放す竜もいるわね。全てを竜騎士に捧げる竜は少なくないわ」
想像以上に竜と竜騎士は重い関係だ。
番人は竜の持ち物だけれど、竜と竜騎士は対等以上の存在だという事か。
「そうやって手放す番人は、だいたい親兄弟の竜のところに引き取られる。人の世界には帰せないから、誰かに引き取ってもらわないとならないのよね」
「人の世界に帰せないのは、不老と長寿のせい?」
ルサカは思わず食いつく。
なぜ、番人を外に出してはいけないのか、タキアの説明では要領を得なかった。
エルーはグラスを持ったまま、うーん、と唸る。
「それもあるけど……。人間に番人を与えたらろくな事にならないからかな。人間も番人も不幸になるだけだから」
寿命も身体能力も違うから共存出来ない、という意味ならば理解出来る。
ろくな事にならない、というのはどういった意味なのか。
「人間に番人を与えたら、番人に地獄の苦しみを与える事になるからね。だから竜は人を番人にしたら、最後まで責任もたなきゃならない」
地獄の苦しみ。一体何がどうなってそうなるのか。
ルサカには思いつかない。
考え込むルサカを見て、不安になっていると思ったのか、エルーはよしよし、とルサカの頭を撫でる。
「タキアが竜騎士を持ったら、お姉ちゃんがルサカを貰ってあげる。……安心していいよ。リーンのところになんかやらないから大丈夫」
「絶対それはないから!」
すかさずルサカを奪い返して抱きかかえる。
「万が一、人間に負けても選ばないからね!」
負けてもその人間を選ばなければ、竜騎士にはなれないのか。
なかなかに条件が厳しいなあ、とかルサカはのんびり考えていた。
竜と竜騎士。なんともロマン溢れる響き。読書好きのルサカには、まるで幻想のおとぎ話か神話の世界の物語のように、たまらなく魅力的に思える話だ。
タキアが竜騎士を持つ可能性がないわけでもない、と考えると今後の身の振り方に若干の不安は覚えるが、この竜と竜騎士というロマン溢れる言葉に、ルサカはついつい興奮してしまう。
「……そういえば、ルサカは林檎酒飲まないの? せっかく自分で作ったのに」
エルーはタキアに羽交い絞めにされているルサカの前に、なみなみと林檎酒が注がれたグラスを置く。
「飲んでみたいんだけれど、タキアがダメだっていう」
「ルサカはまだ子供だから。……まあもう育たないけど、もうちょっと大人になったらね」
何を規準に大人とみなすのか。ルサカは考える。
タキアの言う『大人』の規準がわからない。
身体はもうこのまま成長しないので、見た目は一生少年のままだけれど、ある意味この身体が一番大人になっているのは、タキアが一番良く知っているのではないか。
そもそも番人になってこれだけ身体能力が強化されているなら、多少のアルコールなぞ何でもないのではないか。
当然、ライアネルも飲ませてはくれなかった。というか当時は飲もう、という発想がなかった。
林檎を絞ったジュースの味見はしたけれど、完成品の味見は家政婦のマギーかライアネルだった、とルサカは懐かしく振り返る。
林檎がたくさん採れる時期は、仕込みで忙しかった。
その苦労して作った林檎酒を、ライアネルがとても喜んで飲んでくれていた。それがもう遥か遠い昔の出来事のような気がしている。
まさか竜に飲ませるために作るようになるとは、夢にも思っていなかった。
「自分で作ったのに、味見出来ないとかかわいそう。こんなにおいしいのに。……タキア、意地悪しないで少しくらい飲ませてあげたっていいじゃない。ねえ、ルサカ。……飲んでみたいよね」
エルーはルサカに甘い。
下心を感じさせるリーンとはまた違う甘さだ。これは母性なのかもしれない。
エルーのルサカが可愛い、は、性的な意味だけでなく、純粋な母性の愛情もあるようだった。まあ絶対性的な意味もある。それは竜の業か。
「姉さんはルサカを猫かわいがりしすぎだよ。だめな事はだめって言わなきゃ」
どの口がそれを言うのか、一番猫かわいがりしているのは間違いなくタキアだ。
「いいじゃない。ちょっとだけ味見するくらい。……タキアは本当に意地悪ね。ルサカがかわいそう」
そういわれるとタキアも詰まる。
しぶしぶと羽交い絞めにしていたルサカを離して、林檎酒で満たされたグラスをルサカの手に持たせる。
「…………いいの?」
タキアの顔を見上げて尋ねると、タキアがしぶしぶ、といった風情で頷く。
「少しだけだよ。……たくさんはだめ」
ルサカはグラスに唇を寄せる。
しゅわしゅわと泡の音をさせる、琥珀色の林檎酒は、甘くいい香りをさせている。
これはすごくおいしそう。こんなしゅわしゅわしている飲み物なんて、初めて飲む。
ルサカはその琥珀色の林檎酒をぐっと飲み下した。