竜の棲み処

#16 この手を離せない

「いざとなったら、倒しちゃえばいいんじゃないですかね。ファイアドラゴンを」
ジルドアは冗談を言っているのか本気なのか、いつもわからない。
 割と真顔でそんな事を言いながら、溜まった書類をばりばりと片付けている。
 第六騎士団の副団長室は、南向きだが、今日はとても冷え込んでいて、薪ストーブを焚いて暖をとっている。
 ライアネルは忙しそうなジルドアを横目に、その薪ストーブの上からカンカンに沸いたやかんをとって、茶を淹れていた。
「……勝てる気がしないんだが」
「大昔はいたらしいですよ。魔法が使える騎士が。そういう魔法騎士は、竜に挑んで勝って、竜騎士になって、竜と生涯を共にする最強の騎士になるとか」
「竜が従うくらい強くかつ、美形でないとならないのではないか?」
 ジルドアの分も茶を淹れてやり、書類に溢したりしないよう、少し遠いサイドテーブルにカップを置いてやる。
「私はライアネル様は美形の部類だと思いますけどねー。ルサカくんのような、エルフみたいな繊細な美しさじゃない、男っぽい美形っていうか。……竜騎士もやっぱり顔なんですかね」
 これだけ喋り捲っていても手は止まっていないし、こうして手元を覗いて確認してみても、ミスがない。
 ジルドアは飄々としてとぼけた青年だが、かなり有能だ。
 この性格のせいで上のウケは悪いが、ライアネルは十分、このジルドアの優秀さを買っている。
「顔じゃないか。何しろ竜は綺麗なものが大好きなんだから、不細工な騎士は選ばんだろ」
「あー。勝っても竜騎士になれない事もあるらしいから、そういうのあるかもしれないですねー」
 手早くまとめた書類を積み上げて、背後の書棚から資料を探し出し、広げる。
 これだけ喋り倒していて作業が滞らないのは素直にすごい、とライアネルは感心していた。
「生涯共にするのに、好みに会わない不細工だったら、美意識高い竜には耐えられないでしょうしね。……大昔の歴史書にありましたよ。竜騎士と竜の話が。どこまで本当かわかりませんけど」
 休暇中、怠惰に酒を飲んでいるだけかと思っていたら、ジルドアは古書店を廻って竜に関する書籍を集めては夜な夜な読みふけっていたようだ。
 ライアネルに仕えて二年だが、彼は本当にライアネルに尽くしてくれている。
 この若さで書記官になるくらいだから有能なのは間違いないが、性格が少々難アリなせいで、間違いなく出世が遅れている。
 慣れると面白くていい奴なんだがな、とかライアネルは内心思う。
「全てを共有するそうです。悲しみ、怒り、安らぎ、喜び、痛み、苦しみ、快楽……。そして、財産も共有します。竜の築いた莫大な資産をも共有出来るし、竜の強靭な生命力と不老、そして長い命も」
 ばりばり資料作りをしていた手を止めて、ジルドアは傍らに立って茶を飲んでいたライアネルを見上げる。
「……だから昔の魔法騎士たちは、こぞって竜に挑んでは、命を散らしていたそうです。ハイリスクハイリターンですね」
 そんな危険な勝負を勧めたのかと、思わずライアネルは笑ってしまった。
「全く勝てる気がしない。……勝てば、ルサカを家に帰してもらえるのかなあ」
「竜が作ったハーレムも共有ですよー。もう昔の騎士たちが血眼で挑んだ理由がよくわかりますね。いつの時代も人間は、色と欲に弱いもんです」
 再び書類に視線を戻して、またジルドアはばりばりと仕事を続ける。
「魔法が廃れた理由はそれか。……次々竜に破れて……」
「ああー! そうかもしれませんね。そりゃ腕に覚えのある優秀な、魔力も高い人たちが挑んだでしょうからねえ。そうして人間は弱体化していった、と……騎士団の魔法学の研究者たちに教えてやりたいですね」
 だとしたら何とも情けない話だ。
 色と欲に駆られて竜に挑み自滅。そうやって強い魔力の遺伝子が淘汰されていった……。
 しかしながら、同じ武芸者として、強いものに挑みたい気持ちは分かる。
 色と欲ではなく、名誉と栄光と誇りを賭けて戦った、と思っておこう。
「……魔法なしでも勝てるんだろうか」
「お。ライアネル様、ルサカくんのために戦いますか。……どうかなあ。昔の魔法騎士は魔力で竜のブレスを防いだっていいますからねえ」
「…………おい、全く勝算がないじゃないか」
「ライアネル様くらい強ければいけるんじゃないですか。ブレスを食らう前にやればいいんですよ」
 ものすごく無茶な事を言っている。
「まあ、現実的に、今はあのファイアドラゴンが、ルサカに伝えてくれるかどうか、の方が問題だ」
 ジルドアは作っていた資料が完成したのか、まとめて束ね始めた。
「あの竜、本当にルサカくんを知っているんですかね。……ライアネル様の勘違いじゃ?」
「いや、あの目は確かに反応していた。竜は人の話を理解しているだろう、人を連れ去って巣で飼うくらいなんだから」
 あの竜は確かに、ルサカの名前に反応した。
 人攫いや盗賊の仕業ではない。あの竜が連れ去った。そうライアネルは確信していた。
 あとは、あの竜の良心を信じるしかない。
 どうか、ルサカに届くように。ライアネルは祈り続ける。



 タキアはルサカに隠し事や嘘を、恐らく、した事がない。
 この大らかな性格なので、特に隠そうともしないし、嘘をつく必要も特にない。
 だからタキアが嘘や隠し事をする事は今までなかったと思われる。
 ここ数日、タキアの様子がおかしい。
 何かルサカに言いたくても言えない、そんな風情で、不自然にそわそわと落ち着かない感じだ。
 なんだか物思いに耽ったり、ため息をついたり、ルサカにいつも以上にしつこくベタベタしたり。
 こんなに様子がおかしいタキアなんて、初めて見る。
 ルサカも不審には思っているが、何て聞けばいいのか、悩んでいる。
 普段大らかな人が悩んでいるなんて、多分、とても重大な事だろうし、踏み込んで聞いていいものなのか、迷う。
 タキアが自分から話したいと思うまで待った方がいいのか、それとも、聞きだした方がいいのか。
 あまりにもずっと様子がおかしいようなら、無理にでも聞いた方がいいのか、とルサカも迷っているのだ。
 今もなんだかいつも以上にタキアはしつこくなっている。
 いつもの寝椅子にルサカを抱えて寝転んで、ひたすら髪を撫でたり、時々頬や唇や額に吸い付いたり、といつか交尾の準備と称して濃厚にスキンシップをしていた時のようになっている。
 あの時と違うのは、タキアがなんだか落ち着かない感じなところか。
 これでタキアの気が済むなら、いくらでもしてくれて構わない。だが逆に、ますます落ち着かなくなっているような気がする。
「……タキア、何だか様子がおかしいけど大丈夫?」
 思い切って尋ねる。
「どこかおかしい?」
「なんだかおとなしい」
 そう言われて、タキアは黙り込む。こんなタキアなんて、ルサカは初めて見る。
 本当に嘘がつけない性格なんだ、と思わずルサカは笑ってしまった。
「いいよ。……言いたくない事は無理に言わないでいいんだ。……聞いて欲しくなったら、ぼくに話せばいよ」
 タキアを抱き返して、タキアがしたように、瞼や頬、唇に口付けを繰り返す。
 こんな時にこんな風に優しくされると、ますますタキアは罪悪感で胸が潰れそうになる。
 だから、皆、番人を操るのか。
 やっとタキアは理解した。
 家を恋しがる番人の苦痛を取り除くために、連れ去った罪悪感を消すために、だから、番人を操るんだ。
 タキアもそういうものだと思っていた。
 ルサカをこの古城の巣に迎えた時も、もし手に負えなければ操ろうと思っていたのだ。
 それは竜にとって番人を扱う常識でもあった。
 けれど、ルサカにそれは必要なかった。
 奇妙に歪んだ形ではあったけれど、不思議な事にルサカとそれなりにコミュニケーションがとれていた。
 幾度が操ろうと思った事はあるし、一度だけ、リーンにルサカが操られて悪戯された時に、竜の魔法で眠らせた事はある。
 それ以外で操ろうと思った事はなかった。
 それが正しい事なのか、もうタキアにはわからない。
 ただ、タキアがルサカを好きなように、ルサカにもタキアを好きになって欲しいとずっと思っていた。
 幾らでも操れたのに、それでは意味がない気がしていた。
 エルーとカイン、アベルの兄弟騎士のように、本当の信頼関係が欲しかったのかもしれない。
 エルーの言葉を思い出す。


 これを人間風に言うと、『恋に落ちた』っていうのよ。


 やっとタキアは理解した。遅すぎるけれど、今やっと、わかった。
 これが恋なのか。
 タキアは、ルサカに恋をしたんだと、やっと理解した。
 番人は竜の持ち物で財産だ。
 でも、ルサカは違うとずっと思っていた。それが何故なのかなんて、考えた事もなかった。
 だから今、こんなにも苦しいのか。
 やっと笑ってくれたルサカを失う事が、こんなにも怖いのか。
 ルサカは黙り込んだままのタキアに、優しく何度もキスを繰り返す。
 時折その燃えるように赤い髪を撫で、指を梳き入れる。
 目があうと、ルサカは微笑む。
 胸の痛みに耐えられなかった。
 ルサカを失うかもしれない事も、ルサカに秘密を持ち続ける事も、どちらもタキアには耐えられないと思えた。
「どうしたんだよ、タキア。……なんでそんな、泣きそうな顔してるの」
 ルサカはタキアの泣き出しそうな顔を覗き込んで、宥めるように抱きしめる。
「辛かったら、泣いちゃえばいいんだよ。……タキアは本当に子供みたいだ」
「ルサカ」
 思わず言葉が飛び出した。
 黙っている事が出来なかった。これ以上、胸の痛みに耐えられなかった。
「ルサカ。……僕は君に、伝えなきゃならない事がある」
 掴んだルサカの指先は、暖かかった。この優しい手を失うかもしれない、そうタキアは思いながらも、もう、止める事が出来なかった。


2016/02/11 up

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