竜の棲み処

#19 狂乱

 タキアは約束通り三日後の午後に、青い屋根に石造りのライアネルの屋敷にやってきたが、庭仕事をしているはずのルサカどころか、誰もいないように見えた。
 屋敷はしんと静まり返っているし、火の気もない。
 鉄の門扉の前で、タキアは悩む。
 ルサカが嘘をつくはずはないし、誰もいない、というのも何かおかしいような。
 少し空から探してみようか、と考え始める。
 人に変化するのも竜の姿に戻るのも、結構体力を消耗する。
 この後、ルサカを連れて古城の巣まで飛ぶ予定もあるし、あまり何度も変化するのもなあ、とタキアは思い悩む。
 門扉にもたれて暫く悩んでいると、白樺の並木の向こうから、馬に乗った武装した騎士が走ってくる姿が見えた。
 あれはライアネルだ、と気付く。
「ファイアドラゴン! お前、ルサカのファイアドラゴンだろう!」
 意味が分かったような分からないような。よくわからないが事実なので、タキアは馬上のライアネルを見上げて頷く。
「ルサカを連れ帰ったのか!」
「……今迎えに来たところだけれど」
 嫌な予感がする。その次の言葉を聞きたくない。
 全身が総毛立つような。馬上のライアネルを見上げるタキアは、胸騒ぎが収まらなかった。
 ライアネルは蒼白だった。やはり、と小さく呟く。
「……ルサカが、いなくなった。騎士団も総出で捜索しているが……まだ見つからない」



 タキアの咆哮は、リーンにもエルーにも届いた。
 聞いた事もないような、咆哮というよりは、壮絶な悲鳴のようだった。
 遠く離れたリーンにもエルーにも、タキアのその激しい感情が伝わった。
 竜は言葉がなくとも、遠く離れていても、意志の疎通が出来る。
 それは理性のある状態の時で、感情が暴発した時は全ての感情を曝け出し、遠く離れた同胞にまでその混乱が届けられる。
 タキアが異常な狂乱状態に陥ったのは、リーンにもエルーにも痛いほど、伝わる。
 二人はそれぞれの巣にいたが、錯乱状態の弟を探すために、ルトリッツ騎士団国へ向かって飛び立った。

 タキア、落ち着いて、何があったの!
 ルサカの名前を呼んでる。ルサカに何かあったんだ。
 ばかな子、外に出したのね! あれほど言ったのに!
 今はそんな事言ってる場合じゃない。早くタキアを見つけて捕まえないと、大変な事になる。
 ずっとルサカを呼んでる。泣いてる。タキアを早く見つけないと。
 まずタキアだ。それからルサカを探そう。
 ルサカが心配だわ。どこに消えたっていうの。もしも人に捕まったなら、ルサカが。
 やっぱりタキアを独り立ちさせるのも、番人を持たせるのも早すぎたんだ。
 あの子はまだまだ子供なのに、こんな事になるなんて。
 エルー、泣いても何も解決しない。まずタキアの保護だ。
 この状態じゃ街を焼き尽くすだけじゃない、自分の身体も傷付ける事になる。
 早く、タキアを捕まえなきゃ。
 俺が行く。エルー、俺がタキアを捕らえ切れなかったら援護を頼む。

 リーンは巨大な羽を広げ、ルトリッツ騎士団国を目指す。
 エルーは身体が小さい。タキアに当たり負けするかもしれない事を考えれば、リーンが身体を張って止めるしかなかった。
 呼びかけてもタキアは返事をしない。
 ただルサカの名を呼びながら、泣き叫びながら、狂ったように飛び続ける。



 ライアネルは馬から振り落とされたが、なんとか無事だった。
 馬はファイアドラゴンの鼓膜を破りそうな咆哮を聞いて、ライアネルを振り落とし走り去ってしまった。
 ファイアドラゴンが狂ったように吼え猛りながら飛び去っていくのを、ライアネルは呆然と見送るしかなかった。
 ジルドアが以前に言っていた。
 昔この地方にいたアイスドラゴンは、攫ってきた人間を奪い返され怒り狂い、この地方を凍らせて去っていった。
 今のファイアドラゴンは、まさに同じ状態だ。
 ルサカを奪われて、怒り狂っている。
 ルサカを早く見つけ出さなければ、かつてこの地方を破壊して去っていたアイスドラゴンの災厄と同じ事が起こるかもしれない。
 ジルドアにその可能性を示唆されたからこそ、騎士団上層部に届け、捜索をしているが、まだ見つからなかった。
 ライアネルは屋敷の馬小屋に急ぐ。逃げた馬の代わりを調達して、ルサカを探しに戻らなければならない。
 何者かがルサカを連れ去ったのは間違いない。
 まだそう遠くには行っていないはずだ。なんとしてでも見つけ出さなければならない。
 これはもうルサカの命だけの問題ではなくなっていた。ルトリッツ騎士団国の浮沈にまで関る事態になっている。
 一刻も早くルサカを見つけ出して、そしてファイアドラゴンに返さなければ。



「見ろ。……竜のしるしだ」
 血に濡れたシャツを捲りあげて、下腹を晒す。
「……紅い花みたいだな。……それより、脇腹の傷がもう塞がってるぞ」
「それが竜の番人の特徴さ。……頭を潰されない限り、こいつらは死なない」
 捲りあげたシャツを離して、再び鉄の檻を閉める。
「不老、長命、頭を潰されない限り、死なないし、どんな大怪我を負っても、数日で治る。……高級なおもちゃなんだよ。ずっと以前に、他の大陸で見つかって、そりゃもう天井知らずの高値で取り引きされた」
 男は檻の中に薬をしみ込ませた布を放り込む。
「森で人を乗せた竜を見た時は、まさかと思ったね。……チャンスを待って良かった」
 檻に目隠しの布をかけて、幌馬車から降りる。
「竜が見初める美貌に、不老、長命、オマケにどんな傷も治る身体か。……番人なんて本当にいたんだなあ。眉唾かと思ってたぜ」
 男は馬と幌馬車を繋ぐ馬具の確認を始める。
「竜を呼ばれるとまずい。目隠しと口枷、手足の拘束を絶対に忘れるなよ。……こんな幼い少年の番人なんてものすごく珍しいんだ。俺が知る限り、他で取り引きされた番人は全員成人だ。……つまり、もっと高く売れる可能性がある」
 もう辺りは薄暗くなっていた。
 馬を乗り潰しながら驚くほどの距離を移動しているが、それだけ馬を潰しても、それを遥かに上回る見返りのある商材に、男たちは興奮していた。
「なあ、どうせすぐ傷は塞がるんだろ。少しくらい味見してもいいんじゃないか」
「あの竜が雄か雌かわからないからな。……雌だったら、こいつは希少な少年の初物だ。うっかり手を出して商品価値を下げるのもなんだな……」
 男は少し考え込んでいた。
「……まあ、どの道、抱いても萎えるぜ。こいつらは人と交わると、悲鳴を上げる。……ただの悲鳴じゃないぜ? 激痛で悲鳴を上げるんだ。……番人はなぜか、人と交わると激痛を感じるんだよ。……だからこいつも、女の客には観賞用にしか売れない。……男の客でも、そういう趣味があるやつじゃなけりゃ、耐えられないような悲鳴を上げるって話だ。……もしくは、舌を切り取って声を潰すか」
 男は馬具の確認を終え、鞍に上がる。
「切り取る?! 咽喉を焼くくらいじゃだめなのか」
 もう一人の男も、鞍に上がる。幌馬車は速度を上げるために、重量のある荷物は大半捨てられた。
「……見ただろ。植木鋏で刺した脇腹の傷が、跡形もなく塞がる位だ。……咽喉なんか焼いたって数日後には戻ってる。こいつらは切り落とさない限り、どんな傷も治しちまうんだよ」
 檻を積んだ幌馬車を引く馬に鞭を当て、走り出す。
 ひどく幌馬車は揺れるだろうが、中の積み荷の番人はどうせ薬で眠っていて、起きる事はまずない。
「金持ちの変態どもに大人気なのさ、番人は。何しろどれだけ痛めつけても、数日で元の綺麗な顔と身体に戻る。おまけに、歳もとらない、長命。……楽しんで弄んで痛めつけて、飽きたらまた高く売れる。最高のおもちゃだろ?」
 薄暗い森の中を、幌馬車を引いた馬はひたすら走る。
「売り飛ばす前に、味見してぇなあ。……番人を犯す機会なんて、もう二度とないだろ、きっと」
 男は諦めきれないのか、まだ言っていた。
「お前も諦めないな。……仕方ない、国境を無事越えたらな。万が一、悲鳴を聞かれて竜に気付かれでもしたら、乗り潰した馬も、捨てた積み荷もムダになる。……騎士団が追っ手をかけてるかもしれないし。第六騎士団の副団長の家から奪ってきたからな。竜に騎士団、どっちも厄介だ」
 国境を越えるまでは、馬を乗り潰しても替えを手に入れられない。
 無理せず国境を越えなければならない。
 今は時間が惜しかった。
「……初物だったら価値が下がる。せいぜい指くらいで楽しんでおけよ」
「あーあ、こんなに綺麗なのに変態のおもちゃか。……かわいそうにねえ。金があったら、俺が買ってやるのになあ」
 下卑た笑い声は、楽しげだった。
「指でも激痛を感じるのかねえ。どこから激痛になるのか気になるところだ」
「もうすぐ国境を越える。騎士団の手配もさすがにここまでは来てないようだな。……国境を越えて、あとは竜に気づかれさえしなければ俺たちの勝ちだ。……さて、どこの奴隷市場に出すかねえ」



「おい、起きろ」
 揺さぶられて、ルサカはゆるゆると目を開ける。
 両手足には鉄の枷がつけられているし、口枷までつけられていた。
 鉄の枷は鎖で繋がれて、番人の体力を持ってしても、重く、手足が痛んでいた。
 薄く目を開くと、下卑た笑いを浮かべる中年の男に顔を覗き込まれる。
「起きたか? ……声も聞けねぇんだ、せめて表情くらい、楽しませてもらわねぇとな」
 ここまで来ればこれから何をされるのか、誰だって分かる。
 ルサカは震え上がっていた。
 何の薬を嗅がされたのか、頭は重く霞がかかったようだし、身体もだるく、重かった。
 番人の常人離れした体力でも、薬には弱いのか、とぼんやりと考える。
 逃げ出したくともこの状況では、全く活路が見出せなかった。
 口枷は食い込んで、うめき声すら消された。
 男の手がもどかしげに、血に濡れたシャツを剥いでいく。
 ルサカはひたすら叫び続けるが、声は口枷に阻まれ、微かに呻くだけに終わった。
 男の荒々しい手が、ルサカの白い肌を乱暴に撫で回す。そのおぞましい感触に、ルサカの素肌は粟立った。
「おい、すげえぞ。女みたいに真っ白で吸い付くような肌だ」
 背後を振り返って、誰かに呼びかけている。
 そのおぞましい手に、ルサカは吐き気がこみ上げてくる。
 どうしたら逃げられるか、必死で考え続ける。身体をよじって逃れようとすると、容赦なく殴りつけられた。
「大人しくしてろよ。……どうせすぐ傷が塞がるんだろ? さっきみたいに刺されたくなければ、大人しくしとけ。どうせ逃げられやしねぇんだから」
 男は笑いながら足枷の鎖を引き、ルサカを抱き寄せると、晒された胸元に乱暴に吸い付いた。
 無遠慮な舌と唇が、晒されたルサカの素肌を這い回る。
 男の息は荒く、興奮が伝わる。恐怖と嫌悪のあまりルサカは硬く目を閉じ、身体を竦ませる。
 男の乱暴な手は、ルサカの抵抗を物ともせずに服を剥ぎ取っていく。
 下着ごとズボンをひき下ろされそうになったその時、ルサカは異変に気付いた。
 何か、物音がする。
 ぴしっ、という家鳴りのような、薄氷を割り踏む音のような。
 硬く閉じていた目を開けると、幌馬車の天井に、薄く氷が張っている事に気付いた。
 何故幌が凍っているのか。
 ルサカがいぶかしみ始めた時、ルサカを抱き寄せ素肌を楽しんでいた男に異変が起きた。
「……あ?」
 見る間に足元から、白い霧のような冷気が立ち昇り、男の身体が凍り始めていた。
「な、なんだこれは…あ、あ……」
 男が混乱しているうちに、氷は足元から這い上がり、一瞬で男を凍らた。
 何が起きたのか、ルサカには分からなかった。
 足枷に冷気が忍び寄ってきていたが、それ以上凍る気配はなかった。
 凍った男から、恐る恐る身体を引き離す。
 その時、幌馬車を覆った薄氷を踏む音が響いた。
「……間に合ったかな」
 長い銀色の髪と、白いクロークを纏ったシルエットが見えた。
「無事だったみたいだね。……おいで、逃げるよ」
 男の声だった。
 男は屈みこんで、ルサカの鉄の手枷に触れる。
 触れた側から手枷は凍りつき、砕け散った。同じように、足枷にも触れ、凍らせて砕く。
「口枷まで。……今外すから」
 ここでルサカは、男の顔をはっきりと見る事になる。
 長い銀色の髪に、整った端正な顔。見た目は二十歳半ばを過ぎたくらいに見えた。
 虹彩は美しい蒼だった。この目をよく知っている。
 竜の眼だ。
「君の声を、うちの子たちが聞いていた。間に合ってよかったよ」
 口枷を外して、それから男は着ていたクロークを脱いで、ルサカに羽織らせる。
 タキアやリーン、エルーとは雰囲気が違う。
 けれどこの、猫のような瞳孔と濃い虹彩は、竜だ。
「さあ行こう」
 男はクロークに包まれたルサカを抱き上げ、歩き出す。


2016/02/14 up

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