竜の棲み処

#33 約束だけじゃない

「タキアが未熟でうまく番人を扱えていないのが悪いんだが、ルサカにも悪いところはある」
リーンは野いちごのヘタを取って、ナイフで小さく切っては、ルサカの掌に載せる。
 ルサカは大人しく真鍮のベッドの背もたれに枕を置いてもたれ掛かりながら、リーンの話を聞いていた。
「タキアは十日くらい留守にしてて、更に帰ってきてから数日経ってる。……ルサカ、タキアが帰ってきてから、交尾させなかっただろ」
 下心のあるような、いやらしい言い方ではない。
 リーンも真面目な話をする時はする。
 その通り、交尾を拒んでいた。どうしてもそんな気になれなかった。
「ルサカも年頃だからわかるだろうが、若い竜はもっとだ。まあ俺にもそんな時代があった」
 今だってリーンは十分繁殖に意欲を持っていると思えるが、思えばこれが竜のスタンダードだった。
 タキアが何故か竜の常識から少し外れているだけで、リーンがおかしいわけではない。
 これが竜の『普通』だ。
「若い竜なんて、巣を持ったら繁殖期外でも交尾ばかりしたがるもんだ。だから早い段階で番人を作るし。……で、すぐ側に、交尾させてくれないくせに、常にいい匂いをさせて誘う番人がいて、更に、ものすごく綺麗な人間が言い寄っている状態なんて、生殺しもいいところだとわかるか?」
 リーンが切ってくれる野いちごを、ルサカはちまちまと口に運ぶ。
 傷は塞がりかけているが、まだ口を動かすと攣れる。こうして小さく切らないと、口に入れるのも難儀だった。
「ルサカだって、でかい胸揺らしてるエルーを見ていたら、なんだか落ち着かなくなるだろう。それと同じだ。……綺麗な人間に言い寄られて、タキアがどれだけ我慢しているのか、察してやってくれ。……普通の竜なら何も考えずに交尾するよ、こんなの」
 もっと食べろ、と言わんばかりにリーンはルサカの掌に、切った野いちごを載せていく。
 あまり食欲はなかったが、甘酸っぱい野いちごは食べやすかったし、この野いちごをリーンがルサカのために取りにいっていた事も知っている。
 ルサカはせっせと口に運ぶ。
「……それに、繁殖期が近いから情緒不安定で、苛立ってるのもある。タキアを庇うわけじゃないが、タキアの気持ちも分かってやって欲しい。……まあ言っちゃうと、交尾させないのはまずい。余計に不安定になるし、理性も働かなくなる」
 手遅れすぎる。
 こんなケガを負ってしまって、もうしばらくは交尾出来そうにもないし、タキアはルサカにケガを負わせた事を気に病んでいるし、正直交尾どころではない。
「……できればうまく誘って交尾しておいた方がいいんだけど……。でないと、うっかりレシレシェンに手を出しかねない。ルサカも心当たりがあるだろうが、好意なんかなくても幾らでも交尾は出来るし。……人間のモラルでは非常識だろうが、竜は別にそんな常識ないからな。交尾をしちゃいけない理由なんてない」
 心当たりはある。
 タキアに初めて犯されてから暫くの間は、タキアに好意なんて持っていなかった。
 好意もないのに快楽に従って、交尾だけはしていた。
 竜だけじゃない、人間だってそうやって流される。
 ゆるゆるモラルの竜なら、もっと気にしない。
「タキアの気持ちも汲んでやってくれって事だ。竜にとって交尾はものすごく重要な事なんだよ。ただ繁殖や快楽の為だけじゃない、情緒の安定の意味もある。だから番人の重要な仕事に交尾があるんだ。……まあ、お兄ちゃんからアドバイスはそれくらいだ。……ルサカ、ほら、手」
 野いちごの果汁で汚れた掌を濡れタオルで拭き取る。
 リーンは意外なほど面倒見がいい。
 竜の交尾に情緒の安定効果、というのは心当たりがあった。
 タキアがさみしがりやなのではなく、竜が全体的にそういう傾向なのかもしれない。
 だから交尾で愛情を確認して、情緒の安定を図るのか。
 考えてみれば、タキアが通る道はリーンも通った道だ。こんな竜と番人を巡る揉め事も悩み事も、経験済みなのだろう。
 さすがは千年を生きた強き竜だ。
 二十九人の番人を平等に愛して巣を守る、というのは、色々分かってきた今考えたら、本当にすごい事なのだと理解した。
 リーンを軽薄でふしだらなお兄さん、とルサカは認識していたが、これは考えを改めざるを得ない。
「ありがとう……。リーンさんのおかげで、すごく落ち着きました」
 リーンは目を細めて、微笑む。
 その、ふんわりした笑い方は、本当にタキアによく似ていた。



 リーンもそうそう自分の巣を空けていられない。
 繁殖期も近付いているし、ルサカも傷跡を残すだけになった。リーンは少々、あとの事を気にしながらも帰っていった。
 古城の巣は、またタキアとルサカとレシェの三人だけになった。
 ルサカが寝込んでいる間、レシェが家事をやっていてくれていた。
 さすが番人になる為に育てられただけはあった。楽器だけでなく、家事もソツなくこなす。
 ルサカもレシェの好意に甘えて全てを任せ、ゆっくり治療に専念していた。
 知れば知るほど、レシェは穏やかで優しい、おっとりした少年で、ルサカも嫌いにはなれなかった。
 ルサカに気を使っているので、本当に用事のある時しか、ルサカの部屋にレシェはやってこない。
 レシェにこんなに気を使わせてしまっている事に、申し訳なさを感じているが、今しばらく、時間が必要だとルサカは思う。
 包帯を外し、ケガをしてから初めて鏡を見たが、なかなかひどい傷跡だった。
 左の眉の上辺りから頬骨の下まで、ざっくりと斜めに大きな傷跡がある。
 リーンが『これくらい数日で消える。跡が残る事もないから気にするな』とは言っていたが、こんなひどい傷跡、タキアに見せたくない。
 傷跡をみたらタキアはまた、自分を責めて落ち込むのが分かりきっていた。
 傷付けられた眼は、それほど深い傷ではなかったようで痛みもすぐに治まり、見えるようになったが、顔の傷は深かったせいか、塞がるのも遅かった。
 ルサカは新しいガーゼを当てて、包帯を巻きなおす。
 傷跡が消えるまではこうしているしかない。左の瞼にも傷がついているし、左目ごと包帯で隠す。
 丁度包帯を巻き終わった時に、タキアが遠慮がちに部屋の扉を叩いた。
「……入ってもいい?」
「いいよ。……おはよう、タキア」
 ルサカは椅子に座ったまま、テーブルに散らかしていた包帯やガーゼを片付ける。
 謝るなら部屋に入れない、とルサカに宣言されているので、部屋に入ってきたタキアはごめん、を言いかけては飲み込む。
 タキアに負い目を感じさせてしまっている事が、ルサカの負い目にもなっている。
 大怪我を負っても数日で跡形もなく綺麗に治る番人の身体でも、タキアはルサカにケガをさせた事をひどく悔やんで、後悔していた。
「まだ痛む? 傷は?」
 ルサカに触れるのも、遠慮がちだ。
 いつもならすぐに抱き寄せてルサカの髪に顔を埋めるのに、もうずっとこんな風に、ぎくしゃくしてしまっている。
「もう痛くないし、少し傷跡が残ってるだけ。……膿んだりしないように包帯を巻いてるだけだから、心配はいらないよ」
 片付け終わると、ルサカは椅子から立ち上がり、ベッドに座る。
 空いた椅子をタキアに勧めると、タキアはルサカの側に椅子をひいて、そこに座った。
「触ってもいい?」
「……聞かないでいいよ、いつも通りにしていいのに」
 タキアは少し迷って、それからルサカの隣に座りなおし、両手でルサカを抱き寄せて、包帯の上から傷跡に口付ける。
「……痛まない?」
 幾度も口付けながら、タキアは不安げに尋ねる。
「うん」
 ルサカは素直に目を閉じて、タキアにもたれたまま、頷く。
「そんなに気にするな。……番人がケガしたって、すぐに治るし、痕も残らない」
「僕がルサカにケガをさせたって事実は消えない」
 いい加減な竜のくせに、こんなところだけは、生真面目だ。
 思わずルサカは小さく笑ってしまった。
「……なんで笑うの」
 そのルサカの笑いに、タキアは少し困惑しているようだった。
「……ぼくもタキアを傷付けて泣かせたから、おあいこだよね」
 タキアの唇に甘く噛み付くと、ルサカの頬に触れていたタキアの指が小さく震えた。
「泣いてないよ! ……ルサカ、そんなにすると、ちょっと……」
 タキアはその噛み付いたルサカの唇を、慌てて引き離す。
「……ちょっと、なに?」
「……ケガさせたのに、その……ずっと我慢してたから」
 およそ羞恥心を持っていない、と思われる竜も、こんな時はもじもじするのか、とルサカはちょっとだけ、意地悪く考える。
「……なにを、我慢してたの?」
 これくらいの意地悪はしてもいいはずだ。
 ルサカは引き離された唇を追って、甘く吸い付きながら、囁く。



 確かに、これはものすごく我慢していたんだ、とルサカも良く分かった。
 もう指一本動かせないくらい疲弊しているし、タキアを今、迎え入れている両足の間からは、考えられないくらいの精液が溢れ、シーツを汚していた。
 そういえば、初めて交尾した時も、これくらいしていた、と朦朧と思い返す。
「ルサカ、大好きだよ……。好きだよ」
 包帯の上から、ルサカの頬に何度も口付ける。
 タキアはまだ交尾を続ける気らしい。ルサカの下腹の紅い花の奥深くで、タキアは熱を帯び硬く膨れ上がったままだった。
 そういえば、最近は三日空けずに交尾していた。それが二週間ちょっとしていなかったし、タキアの繁殖期も近かった。
 少しタキアが腰を揺すり上げただけで、ぐちゅっ、と淫らな音が響く。
「あ、あ……う、んっ……」
 ルサカはからからに乾いた咽喉から、掠れた声を漏らす。
 タキアに求められるままに、高く甘い声をあげ続けたせいで、もう掠れた声しか出ていない。
 その乾いた唇に、タキアは唇を寄せて舌先を差し入れながら、再び腰を揺すり始める。
 たまに忘れてしまうが、タキアは竜だ。
 だから人間とは比べようがないくらいに、体力もあれば、耐久力もある。
 更に、淫蕩だ。
 これもうっかり忘れてしまっていたが、人間とは比べ物にならないくらい、竜は性欲の強い生き物だ。
 それがこんなに誘惑の多い環境で耐えていた、というのは、ものすごい苦行だったはず。
 そう思うと、ルサカも付き合うしかない。
 タキアも交尾に夢中なあまり、ルサカの身体を気遣う余裕はなさそうだった。
 真鍮のベッドはタキアが動くたびに激しく軋み、ぎいぎいと音を立てて揺れた。
「タキア、あ、あっ、んくぅっ…!」
 もう何度目か分からない。子猫のように咽喉を鳴らして、ルサカは達した。
 そのきつい締め付けに促されて、タキアも蕩けたルサカの奥深くに、吐精する。
 やっと落ち着いたのか、タキアはゆっくりとルサカの中からそれを抜き出した。
 途端に、繋がっていたそこから、大量の精液が溢れ、零れ落ちる。
「……ルサカ……ごめん、大丈夫かな。……無茶しすぎた」
 荒い息のまま身体を投げ出しているルサカに覆いかぶさって、その頬や唇や瞼に、何度も口付ける。
 ルサカの息が整うまで、いつもこうしてタキアは何度も口付けながら、髪を撫でたりしてくれる。
「……ああ、本当にごめん……。身体中べとべとだ」
 タキアは身体を起こして、床に脱ぎ散らかしていたシャツを拾い上げ、羽織る。
「お風呂行こうか。……シーツも替えないと」
 シーツごとルサカを包んで抱き上げる。
 もう言葉も出てこないくらい、ルサカは消耗していたが、確かに風呂にはいらなければ、レシェの前には出られない。
 くったりしたまま、大人しくタキアに身体を預けている。
 前の住人の竜は、タキア以上に贅沢者だったようで、古城の巣には、温泉が引かれていた。
 もしかしたら、この古城で一番、豪華なのは風呂かもしれない。温泉のおかげで、いつでも温かい風呂に入れた。
 風呂のある回廊の東に向かうその途中で、レシェに鉢合わせた。
 レシェは書庫から部屋に戻る途中だったようで、数冊の本を抱えていた。
 さすがに二人が何をしていたのか、レシェも恐らく知っていただろう。
 まさか鉢合わせするとは思っていなかったのか、一瞬でレシェは蒼白になった。それから俯いて、逃げるように走り去る。
 レシェがタキアに好意を持っている事は、ルサカも気付いていた。
 気付いていたからこそ、目を逸らしていた。
「……ルサカが気にする事はないよ」
 ルサカの狼狽に気付いたのか、タキアは足早に歩きながら言う。
「ルサカとの約束だけじゃない。……レシェを番人にしても、ルサカと同じように愛せないのはわかってる。だから絶対に番人には出来ないんだ。……ルサカのせいじゃない」
 タキアも、レシェが思いを寄せている事に気付いていただろう。
 それでも、決して流される事なく、突き放していた。
 それは優しいタキアにとって、つらい事だったはずだ。
 ルサカは両手を伸ばして、タキアの背中を抱きしめる。
「僕はひどい事をレシェにしていると思う? ……でも、こうするしかない。中途半端に希望を持たせる方が、余程残酷だ」
 足を止め、抱いていたルサカの髪に頬を押し当てる。
「……ルサカは優しいから……思い悩ませて、ごめん。……たくさん傷付けたね」
 違う、それはタキアのほうだ、と言いたかったのに、言葉は声にならなかった。


2016/03/05 up

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