竜の棲み処

#34 中途半端な救いの手

 古い水廻りのはずなのに、温泉が引かれた古城の風呂はとても綺麗だった。
 贅沢好きの竜らしく、大理石張り。
 そういえば、この古城は何百年も空き巣になっていたはずなのに、雨漏りもなく綺麗だった。
 なにより、こんな断崖絶壁にどうやってこんな大きな城を建てたのか。謎は多い。
「……ああ。ダーダネルス百貨店は建築もリフォームもやってるよ。ここに巣を構えてすぐにあちこち修繕したから、新品まではいかないけど、不便はしないし見栄えも悪くないはず」
 ダーダネルス百貨店がどういう商いをしているのか、本当に謎すぎて気になる。
 尖った耳と尻尾の珊瑚を見れば人外ばかりなのは理解出来るが、要するに竜や人外の生き物たちの何でも屋なんだろうか。
 ルサカはタキアに抱きかかえられて湯船に浸かりながら、兼ねてから気になっているダーダネルス百貨店の正体を考える。
「お風呂出たらご飯作ってあげる。……たくさん食べないとね」
 抱きかかえたルサカの髪にキスする。
 確かにタキアは精神的にはっきりと安定した。
 苛立つ様子もないし、強いられていた忍耐からも解放されたタキアは、いつもの穏やかでのんびりやのタキアに戻っている。
 なるほど、竜の交尾は本当に重要だ。
「すごくいい匂い。……ルサカ、大好きだよ……」
 柔らかな髪に、丸い小さな肩に、なめらかな項に、タキアは口付けを繰り返す。
「ルサカ、ね……もう一回だけ」
 タガが外れている。
 いつもなら、これだけルサカがぐったりしていたら絶対に交尾しようとはしないが、今日は本当に、耐えていた上に、ルサカに甘く誘惑されて、理性なんかかけらくらいしか残っていない。
 ルサカも疲労はしていたが、タキアにこれだけ愛され大切にされていると、拒む気にはなれない。
 あと一回くらいなら、きちんと食べて休めば大丈夫かな、とか考える。
 少し甘える仕草を見せる。
 背中からルサカを抱きしめているタキアを、咽喉を反らして見上げ、少し笑って見せた時だった。
 絹を引き裂くような悲鳴が聞こえた。
「……今のなに?」
 思わず固まる。
「レシェの声だ。……すごい悲鳴だったけど一体、何が」
 ルサカを抱えたまま、慌てて風呂から上がったその時、髪を振り乱し、箒を握り締めたレシェが駆け込んできた。
「タキア様、侵入者です……! 恐らく竜だと思われます!」
「え?! 兄さんや姉さんじゃなくて?」
「金髪でした! 竜眼だったので、竜だと思いますが」
 一瞬、タキアは考え込んだ。
「それ、もしかしたら」
「なんとか走ってここまで知らせに参りましたが、すぐに追って来るかと」
「おい! いきなり箒でめった打ちにされたんだけど、お前のところの番人の教育どうなってるんだよ、タキア!」
 少し遅れて風呂場に入ってきたのは、大柄な金髪の男……これはルサカでもわかる、竜だ。
「え、セツ?! なんでここに?」
 これがタキアの、この間言っていた幼馴染みの竜か、とルサカはタキアの背中にしがみつきながら、成り行きを見守っている。
「……驚かそうと思って来て見ればえらい目にあった。……まあタキア、とりあえず服着ろよ。勝手に入っておいてなんだけど、目のやり場に困るから」



「……大変、申し訳ございません……。タキア様のお友達だとは思わず、つい」
 レシェはうなだれて、セツに詫びる。
「本当にひどいよ。……めった打ちだぞ」
「人間に殴られたからって、ちょっと痛かったくらいで大した事ないだろ。……レシェ、気にしないでいいよ。いきなり巣に入り込んできたセツも悪いんだから」
 ルサカが少し離れたティテーブルについて、もりもり食事をとりながら三人を眺めている。
 とりあえず食べない事には死ぬし頭も働かない。
「声かけても誰も出てこないんだもん」
 セツは口を尖らせて文句を言う。
 細身のタキアとは対照的に、セツはリーンほどではないが、割とがっしりとしている。
 見た目的にはタキアより少し上に見えた。金色の髪に、深い青の竜眼は、竜よりも人間に近く見える。
 竜の巣立ちは五十歳か百歳と言っていたが、このセツも、タキアのように、うっすら子供っぽい雰囲気があった。
「予告なしで押しかけるからだろ。本当に気にしないでいいから、レシェ。どう考えてもセツが悪いだけだから」
 レシェは可哀想なくらい、落ち込んでいる。
 レシェは竜の番人になる為に育てられた。当然、縄張り争いの激しい巣や人間の侵入者を想定しての、巣の防衛も教育されていたのだろう。
 なので予告も無く侵入したセツに容赦なく攻撃を加えてしまった。
 こんな穏やかで優しげなのに、自分より大きな人、というか竜に殴りかかれるのかと、ルサカも感心していた。
 ぼくも何か武術を習っておいた方が、先々いいかもしれない、とか純粋にレシェを見習いたいと思っている。
「せっかくタキアの自慢の番人を見に来たのに」
「落ち着くまで見せるつもりないって言っておいたのに……」
 タキアはぶつぶつと文句を言っている。
「やっぱり新しい番人作るつもりなんじゃないか。ひとりだけとか言ってたけど、この凶暴な子も番人候補なんだろ」
 凶暴、と言われてレシェは更に恥じ入る。
 いつもは穏やかでおっとりした、王子様らしい王子様なのだが、出会いが悪すぎた。
「この子はちょっと事情があって、番人にするわけじゃないんだ。行くところがないから、置いてるだけ」
 ルサカはやっと食べ終わって、片付け始める。
 レシェはしょんぼりとタキアの隣に座っているが、ルサカはこの場からレシェを連れ出すべきか置いておくべきか、迷っていた。
「そういえば、セツは番人作ったの? ……もうすぐ繁殖期じゃないか」
「まだ。……まあ、これはというのがいないかな、と思ってうろついてたら結構遠くまで来ちゃって。そういえばタキアの巣が近くだなって思って寄った」
「ああ……無計画にうろついててたまたま寄っただけなのか。……連絡くらい、してくれよ。こっちにも都合が」
「大事な自慢の番人隠すつもりだったんだろ。……あの子すごく可愛いね。ちょっと小さすぎる気がしなくもないけど。いいなあ。……タキア、こういうお宝を拾うのうまいよな。いつもいいもの見つけてくる」
 いきなり値踏みされる。思えばリーンやエルーのときも、そんな感じだった。
 セツは遠慮なく、ルサカの頭の天辺から爪先まで眺める。
 もうこうして眺められる事にも慣れた。
 人の世にいる頃は、子供の頃から知らない人にまで、じろじろ見られていた。そのせいで引き篭もり気質になったといっても過言ではない。
 自分が何故、そんなに他人から見られるのか分からなかった頃は、人の目が怖くて仕方なかった事を思い出す。
「なんか顔にケガしてるみたいだけど、そこは触れない方がいい話題?」
「出来れば触れないでいて欲しい話題だけどもう触れてるよね、力いっぱい」
 タキアも友達と話す時は、こんな感じなんだな、とかルサカは新鮮な気持ちで見ていた。
 リーンやエルー、ルサカに対する態度、どれとも違う。
 話題がそれている間に、ルサカはレシェに片づけを手伝ってもらうふりをして、さりげなく連れ出す。
 正直、セツの来訪はいいタイミングだった。
 あんなところを見られて、レシェに会うのが気まずかったが、セツのおかげでそれも吹き飛んだ。
 厨房まで歩きながら、ルサカはレシェをなんとか励まそうとする。
「……レシェ、強いんだね。それにすごく勇気がある。竜と戦おうなんて、ぼくだったら思わなかった」
 レシェはかあっと頬を染めた。
「巣の防衛も出来た方が良いとの事で、子供の頃から武術は嗜んでいました。……でも、お客様を殴ってしまっては……」
「でも黙って入り込む方も悪いし。レシェは巣を守ろうとしただけだ、ちっとも悪くないよ」
 そういえば、リーンやエルーが巣に入っても、ルサカは全く気付かない事が多い。
 ヨルが教えてくれればわかるが、ヨルが危険がないと判断したりすると、教えない事もある。
 そういえば、セツが侵入してもヨルは教えなかった、と思ったが、思えば風呂場にいた。
 ヘルハウンドは水辺が好きではないし、危機というほどでもなかったので、教えに来なかったのだろう。
「子供の頃から、そそっかしいと言われていて……。ダメですね、もっとよく考えて行動しなければ」
 ルサカから見たら、レシェは大人びて落ち着いて見える。
 何でもソツなくこなすし、才色兼備とは女性に使う言葉だけれど、レシェに最もふさわしい言葉にも思えた。
 もしも、白の国が滅ぼされなければ、レシェはもっと平穏で穏やかな人生があったはずだ。
 タキアと出会わなければ、こんな風にこじれて戸惑う事も、なかった……。



「……タキアは昔からそういう奴だよな。……言っちゃなんだけど、浅慮なんだよ。あの小さい番人……あの子も小さすぎだし、レシレシェンの事だって。中途半端な救いの手って最悪じゃないか」
 一通り、タキアの話を聞いてから、セツは口を開く。
「すごく反省してるし、後悔もしてる……。でも、レシェの事は放っておけなかったんだよ」
 レシェをあのまま放っておいたら、どうなっていたか。
 ルサカが人間に連れ去れた時も、同じ事を考えていた。
 人間は同族を痛めつける事も殺す事も、平気で行う。
 中途半端な優しさだと詰られようと、不幸が待ち構えているのが見えているのに、捨て置く事は出来なかった。
 少なくとも、あのまま連れて行かれるよりは、生きている事を喜べる道を用意出来る。
 あの時、助けて欲しいと叫んだレシェの手を突き放す事は、タキアには出来なかった。
「飼う気もないのに巣に連れてきちゃうとか、もうそれが既に中途半端な期待を与えてるんだよ」
 幼馴染だけあって、セツはタキアのいいところも悪いところも熟知している。
 だからこそ心配をしていた。
「あの小さい番人、交尾に耐えられないんだろ。今日だって青い顔してたじゃないか。……あの子ひとりで繁殖期とか無理だろ。……理想ばかり語ってないで、現実見てレシレシェンを番人にした方がいいのに。でもタキアはそれが出来ないんだよな。……そういう奴だよな」
 セツはふう、とため息をつく。
 確かにそれは竜らしくない選択だし、竜の生態から考えたら、全く現実的じゃない。
 タキアも、それは分かっていた。
 それでもルサカと同じく平等に愛せないなら、番人にしたところでレシェを不幸にするだけだ。
「……自分でも、この後先考えない性格は本当にだめだなって思ってる」
 その刹那的、衝動的な行動は竜らしいといえば竜らしい。
 けれどそう生きるには、タキアは少し不器用すぎた。
 ルサカとレシェがお茶のお替わりとお茶請けを持って部屋に戻ってきたところで、二人はこの話を止める。
 セツが言う通り、ルサカはひどく顔色が悪かった。
 無理をさせてしまった事は、タキアも今になって少し後悔していた。
「レシェ、お茶は任せていいかな。……ルサカを休ませてくる」
「……はい。そうですね、大分具合が悪そうですから……」
 レシェは勤めて平静を装う。
 お茶請けのケーキを取り分ける手は、少しだけ、震えていた。
 セツは黙ったまま、そのレシェの手元を見つめる。
「ルサカ、おいで。……身体を休めないとね」
 ルサカを軽々と抱き上げる。
 ルサカも身体が限界だった。交尾の後はだいたいいつも寝て過ごしていて、こんな風に動き回る事はなかった。
 レシェの気持ちを考えると胸が痛んだが、大人しく抱き上げられて、タキアにしがみつく。
「……すぐ戻るから」
 タキアが故意にレシェにこんなところを見せているのは、ルサカも分かっていた。
 ひどい事をしている、とタキアを責められない。
 タキアが今どんな気持ちでこうしているのか、それが分からないはずがなかった。
 セツとレシェは無言のまま、部屋を後にする二人を見送る。
 レシェは平静を装ったまま、部屋の隅に置かれていた、例の異国の弦楽器を手に取る。
「……余興とお詫びを兼ねて、一曲お弾き致しましょう」
 綺麗に足を組んで座り、レシェは弦楽器を抱き、ひとつ深いため息のような息をついて、弾き始める。
 大人しげだけれど、意外と芯は強いのかもしれない、とレシェの奏でる異国の歌を聴きながら、セツは思う。
 その気丈さが、今はとても切なく、悲しく思える。


2016/03/06 up

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