タキアは露骨にセツを邪魔者扱いしているが、本当のところはセツの存在にかなり助けられている。
セツは日当たりのいい居間の絨毯に転がって、ヨルを撫でながらゴロゴロしつつ本を読んでいた。
「そうだなーそろそろ帰ろうかなあ。……遠いから帰るの面倒くさいんだよね」
「実家に帰省してゴロゴロしてるんじゃないんだから。……まだ居座るなら手伝いもしてもらうからな」
「竜二匹が揃って村や町襲うって、めっちゃ脅威じゃないか」
まさに実家でだらだら寛ぐ息子状態だ。
「宝物庫の整頓だよ。いいから手伝え」
なんだかんだで二人はとても仲がいい。
巣同士が離れている竜の幼馴染みってどんな事だろう、とルサカは思っていたのだが、以前タキアが『少ないながらもそれなりに交流がある』と言っていた通り、行き来は良くあるらしい。
数が少ないからこそ、積極的にコミュニケーションをとって子育てをして、竜同士の付き合いを構築するのが大事なのだとタキアが語っていた。
因みに、番人から生まれて竜の血が出なかった場合、ただの人間として生まれる。
大抵は人の世界で生きていけるように教育されて人間の世界に帰されるが、極稀に、竜に見初められてそのまま番人になる者もいる。
タキアたち兄弟には他に二人ほど兄弟がいたそうだが、タキアが生まれるずっと前に、人として天寿を全うしていた。
聞けば聞くほど不思議な生き物だ。
その生態が複雑すぎて、ちょっと聞いたくらいでは理解が及ばない。
セツが滞在しているおかげで、リーンが帰った後、緊張感があった古城の巣は和やかな雰囲気に変わり、多少の問題はあるものの、過ごしやすくなっていた。
ルサカもレシェとの微妙な距離感と緊張感が解れて、以前より付き合いやすくなっていて、セツにはとても感謝をしていた。
レシェの複雑な胸のうちを考えると、少し申し訳なくも思う。
「お……この壺いいな。ちょっとでかいけど」
華麗な装飾が施された巨大な壺を抱えて、セツが振り返る。
「真面目に片付け手伝ってよ。……普段はルサカにやってもらってるけど、重たいものがどうしてもね。ひとりで片付けてると飽きるしさ」
良い竜の巣は、広くて、豪華で、財宝がいっぱい詰まっていないとならない。
だが、その詰め込む財宝は何でもいいわけではない。
竜の心をくすぐる美しい、綺麗なものであるのが第一条件だ。
好み似合わないものは高価なものでも意味がない。竜にとってはとても重要な事だ。
そういうものは大抵、ダーダネルス百貨店の支払いに使われるか、竜同士での交換にも使われる。
「セツも早く番人を作らないと。……繁殖期も近いし、巣の中だって誰かに片付けてもらわないとどうにもならないだろ」
タキアは休まず財宝の整頓に励む。
セツはといえば、言われるままに運んで並べて、時々こうしてサボっていた。
「どういうのが好みなわけ? そんなに見つからないなんて」
「タキアじゃないけど、運命の恋人を探してるんだよ、きっと。……どうもなあ。ピンとこないんだよね。……だからといって妥協も失礼な話だ」
巨大なツボを名残惜しそうに、タキアに指定された場所に安置する。
「押し付けるわけじゃないけど、レシェみたいなの、好みだと思ってた。……やっぱりだめか」
タキアとセツは好みがよく似ている。
子供の頃からよく見つけた綺麗なものを奪い合っていたものだ。
おそらくセツもルサカのような、目の大きい、綺麗でかつ可愛らしい雰囲気のタイプが最も好みだと思われるが、タキアがレシェを儚げで美しいと思うように、セツも確実にそう思っているのは察していた。
ただ出会いがしらにめった打ちにされて、あまりいい第一印象ではなかった。
「結構好きなタイプだよ。綺麗だしいいなとは思うけど、あの子お前の事が好きだからな。……お前の事を諦められない限り、俺と一緒に行こうなんて、思わないんじゃないか」
実はセツはタキアより年上だ。
五十歳で巣を持つのは、少し早い。タキアのように親を亡くして兄弟の家に居候している竜は早めに巣立つが、両親が健在な竜は、百歳くらいまで実家にいる事が多い。
セツは後者だ。
竜の寿命から考えたら、五十年くらいの歳の差は誤差にしかすぎないが、まだ若い成長期の竜の場合は、結構な成長の差を生んでいる。
現にタキアはまだまだ子供っぽい。
タキアはこの、しっかりしていて、どこか達観したようなところがあるセツを密かに尊敬しているが、それは本人には内緒だ。
「まあ俺はお前みたいに、番人を一人だけ、なんてナンセンスで非合理な事はしない。……うちは兄弟もいないし、繁殖は本気で励まないとならないし。……そろそろ真面目に探すけどさ」
「僕もレシェの事を考えなきゃ……」
確かにタキアは後先を考えない。
だから今、こうして困り果てるはめになっている。
「まあ繁殖期までに決まらなかったら預かってもいいよ、繁殖期の間だけでも。……レシレシェンを俺の巣に置いて、俺は実家に帰ればいいし」
ふと、タキアは黙り込んだ。
何かを考え込んでいるようで、セツはタキアを振り返る。
「……セツ、もし、レシェが連れて行って欲しい、といったらどうする?」
タキアを見つめたまま、セツは微かな笑みを見せる。答える気はなさそうだった。
もし、タキアに出会ったのがレシェよりも後だったら、どうなっていたのだろう。
異国の弦楽器を奏でるレシェを眺めながら、ルサカはぼんやりと考える。
もしそうなら、泣いて頼んでライアネルの元に返して貰っただろうか。
タキアはレシェがいても、ルサカを引き止めて番人にしただろうか。
それとも、レシェだけを愛して、ルサカに興味を持たなかっただろうか。
泣いて懇願して帰してもらって、今でもライアネルと幸せに暮らせていたのだろうか。
考え始めると、思わずため息が漏れる。
今、タキアとこうしている事に不満はない。幸せでもあるけれど、人の世に未練が全くないかと問われたら、言葉に詰まるかもしれない。
そしてそう考える反面、タキアがレシェを愛したかもしれない、と思うと、無性に悲しくもなる。
人の心はとても複雑で、自分でもつかめないものなんだと、ルサカは十四歳にして思い知った。
いくら『もしも』を考えても、何も変わらない。
現実は現実だ。
「……ルサカ、疲れていない? 無理させたから……休んでいていいんだよ」
タキアは隣でため息をついたルサカを抱いて、髪を撫でる。
一瞬、レシェの奏でる弦楽器の音が外れたような気がしたが、タキアは気付かないふりをしているようだった。
「お前ら番人も持たない、巣作りを始めたばかりの可哀想な竜の前でイチャつくなよ」
タキアが愛用している寝椅子に我が物顔で転がっているセツが冷やかす。
もう数日いついているが、順調に馴染んでいる。
ヨルに至ってはまるでタキアにするように、セツにじゃれて足元によじのぼったりしている。
「羨ましかったら、早く番人作ればいいじゃないか。……さて、僕らはもう寝る。ルサカが疲れてるし。……レシェも、セツに付き合わないでいいからね。ほっといてさっさと寝ちゃっていいから」
タキアは気だるげなルサカを抱き上げて、さっさと部屋を出て行く。
タキアたちの後ろ姿を見送り、一曲弾き終えたレシェは、弦楽器を持って立ち上がる。
「セツ様も、おやすみになりますか。……まだお休みにならないなら、もう一曲、お弾き致しますよ」
レシェのこの綺麗に整った顔は、無理に微笑みを作っているようにしか、セツには見えなかった。
レシェの今のこの、どうしようもない立場もよくわかる。
タキアに叶わない恋をし、そして行くあても、帰る家も、国もない。
どうしようもないこの状態で一番苦しんでいるのは、間違いなくレシェ自身だ。
「レシェ。俺は明日、自分の巣に帰るよ」
寝転がったまま、セツは頬杖をつく。
「西の砂漠のある国の、もっと向こう。まだ巣を作り始めたばかりだから、質素だけど、結構いいところだよ。……まあ、うちは俺だけだし、よかったら一緒に来る?」
レシェはどういう顔をしていいのか、どう答えたらいいのかわからないのか、俯く。
「……でも、私は……」
「タキアの事が好きだから、俺の番人にはなれないんだろう? ……別にいいよ。うちで家事やってくれるなら。居候って事で」
図星をさされ、俯いていたレシェの肩が小さく震える。
もしかしたら、泣いているのかもしれない。
セツは気付かないふりをしながら、続ける。
「繁殖期の間は俺が実家に帰ればいいし。……叶わない恋には理解があるよ」
セツは怠惰に転がっていた寝椅子から起き上がる。
レシェは俯いたまま、動けないでいた。
「……先に出会えてたら、もしかしたら、俺を選んでくれたかもしれない。今からでも、もしかしたら。いつもそんな事を考える。……多分、先に出会えていても、叶わなかったんだろうなってわかってるのにな」
セツが一体、誰に、いつからそんな叶わない恋をしているのか、レシェには知る由もない。
ただ、セツが語る言葉はどれも真実だと、レシェにはよくわかった。
悲しいほど、よく伝わった。
「……諦めたらいいのに、諦められない。それはきっと、人も竜も同じだよ。……誰かを好きになる気持ちなんか、きっと、かわらない」
セツははじめて、レシェの右手に触れ、手に取る。
「レシレシェン、一緒に行こうか。……俺の番人にならなくてもいいよ。どこかに行きたくなったら、行けばいい。束縛もしない。……一緒に諦められないまま、生きていこうか」
耐え切れなかった。
レシェはこの竜の巣にやってきてから、初めて、声をあげて泣いた。
国が滅び、帰る場所を失い、何もかも諦め、絶望して連行されていくあの時、まさか救いの手が差し伸べられるとは思ってもいなかった。
もうとっくの昔に去った竜のために、王宮から遠く離れた砦で世捨て人のように暮らし、育てられ、竜の番人になる事もなく、敵国で辱められ、死んでいくだけだと諦めていた。
あの時、タキアの手にすがった事に後悔はない。
ただ、愛されなかっただけだ。
それがこんなに苦しい事だなんて、レシェは知らずに生きてきた。
涙を止める事が出来なかった。
レシェは声をあげ、泣き続ける。
「……なんか気が合うから、連れて帰るわ。そのうちお前らも俺の巣に遊びに来るといいよ。レシレシェンと一緒に出迎えてやろう」
そう笑顔で言うセツの背中にレシェは隠れるように寄り添っていて、表情は分からなかった。
「レシェ。本当にいいの? ……無理をしてない?」
タキアも急すぎて不審に思っている。
けれど、レシェの決意は固そうだ。
「はい。……今までありがとうございました。助けて頂いた事、感謝しております。絶対に、忘れません」
「レシレシェンもいいって言ってるし。……これが一生の別れってわけでもないんだし、そんな深刻な顔するなよ、タキア」
タキアも色々な事を察しているのだろう、複雑な表情のままだった。
「……うん……。じゃあ、セツ、レシェの事頼むよ。……どうか、大切にしてあげてくれ」
それまで黙って話を聞いていたルサカが、ぱっと離れて部屋の隅に行き、あの異国の弦楽器を持って戻ってきた。
「これ……タキア」
タキアに弦楽器を押し付け、持たせる。
それでルサカが何を言いたいのか、タキアは察したようだった。
「……レシェ。……今までたくさん、弾いてくれてありがとう。……これ、良かったら」
レシェの手に、その弦楽器を握らせる。
「またいつか、聴かせて。……今度は僕らが、セツとレシェを訪ねるから」
タキアの優しさは、残酷かもしれない。
けれどこれが、レシェに返せる、タキアの精一杯の気持ちだった。
レシェは少し泣きそうな顔で、頷く。
「……じゃあ、そろそろ行こうか」
レシェを促して、例の『本物の竜の巣』に向かう、狭い階段を上り始める。
数段登って、セツは足を止める。
少し躊躇うように、タキアを振り返り、口を開いた。
「タキア、そういえばエルーとリーンは? 最近行き来してるのか」
「よく来てるよ。兄さんは相変わらずだし、姉さんは三年前にやっとひとり、子供が出来たよ。……巣作りで忙しいから、子育てはカインとアベルに丸投げだけど」
セツは頷いて、微笑む。
「そうか、元気で幸せそうなら何よりだ。……じゃあ、またな」
レシェは階段の一番上から、一度だけ、振り返った。
振り返り、セツの手を取り、そして、歩き出す。