竜の棲み処

#42 人の姿でも竜の姿でも

 どうしよう。
 どうしようっていうか、何だかすごく混乱していて、考えがちっともまとまらない。
 この、真っ白なさらさらおかっぱの、真っ赤な目をした可愛い男の子がフェイなのは、本人に確かめるまでもなくわかる。
 タキアが悩みながら『人間にしたら十歳くらいかなあ』と言っていたが、確かにそれくらいに見える。
 フェイはルサカの困惑も全く気にせず、無邪気にじゃれついていた。
 さすがに全裸ではまずい。
 けれど小さな子供が着るような衣類が、この巣にあるはずがない。
 ルサカの普段着ているシャツを着せるしかなかった。当たり前だけれどぶかぶか。
 珊瑚に子供服を頼むしかないが、繁殖期に珊瑚と言えども他人を巣にいれるのはあまりいい事ではない。
 ただでさえ苛立っているタキアが更にピリピリしそうだ。
 まだ残高があったはずだし、珊瑚に見繕ってもらって、古城の巣の天辺にでも配達してもらうしかない。
「フェイ、ちょっと待っててね。……今、手紙書いてるから」
 ライディングデスクに向かって珊瑚色の紙にペンを走らせるルサカの足元に、フェイはぺったり座り込んでヨルを膝に乗せて遊んでいる。
 人間の子供で十歳くらいだったら、もう結構分別がついていて、悪戯はするもののこんなに幼くはない。
 さすが緩やかに成長する竜、やはりタキアのように、見た目より遥かに幼い。
「ルサカ、抱っこしてよ」
 書き終わって送り終えると、フェイがルサカの膝にちょこんと頭を乗せてねだる。
 ……抱っこ。
 ちび竜の時は何も考えずに抱っこしていたが、この大きさを抱っこするのは、どうなんだろう。
 番人の身体能力なら、これくらいの子供、抱いて歩ける。
 歩けるだろうが、これはどうなんだ。色々まずくはないか。
「……ルサカ」
 黙り込んで考え込むルサカの膝を、フェイがぺちぺち叩く。
「……ああ、ごめん。……ちょっと無理だなあ。フェイが大きくなりすぎちゃったからね。ぼくはあまり力がないから、ごめんね」
 嘘も方便だ。
 もうそうやって『抱っこするにはフェイは大きすぎる』を押し通すしかない。
 フェイはみるみるうちにしおれたように、しょんぼりする。
「ルサカが……お話し出来たらいいのにっていうから、人になったのに」
 そんな悲しそうな顔をされると、ルサカだってほだされてしまいそうになる。
 だがこんな大きさの子を抱っこしたりしていたら、絶対にタキアが激怒する。
 今度こそフェイを巣から叩き出すかもしれない。
 これは絶対抱っこしたらだめだ。ほだされてもだめだ。
 ルサカは自分に言い聞かせる。
「……がんばって人になったのに」
 頼む。それ以上、悲しそうな顔するな。
 ルサカは心の中で叫ぶ。こんな顔されたら、拒めなくなる。
「竜のままの方がよかった? ……ぼくは、ルサカとお話し出来るようになって、すごく嬉しいのに……。ルサカはいやだった?」
 ルビーのような赤い綺麗な竜眼から、大粒の涙が零れ落ちた。
 なんて卑怯な。
 ルサカは陥落した。フェイの涙を拭ってやりながら、膝に抱き上げる。
「……ごめんね、嫌じゃないよ。……ぼくの為に頑張ってくれたのに、ひどい事言ってごめんね。もう泣かないで」
 涙を拭ってやると、フェイは少し恥ずかしそうに顔をあげて、微笑んだ。
 これは可愛い。
 子供と動物は本当に卑怯だ、とルサカは心の底から思う。
 逆らえるはずがないじゃないか。
 これはきっと生き物としての戦略なんだ。
 可愛くて守ってあげたい、と思わせる戦略なんだ。だからこんなにむやみやたらに、可愛いんだ。
「……ルサカ、大好き」
 微笑んで、またキスしようと唇を寄せてくる。
 慌ててルサカは唇を片手で塞ぐ。
「それはダメ。……さっき教えたよね? ……そういう唇にするキスは、恋人とかにするものなの。だからダメ」
 もうさっきキスされまくったが、これ以上は絶対にダメだ。これだけはどんなにねだられても流されちゃいけない。
「……ルサカはぼくが好きじゃない?」
 子供はなんて執拗なんだ。
 さっきもこの事を何度も説明したのにまた同じ事を言い出す。
「好きだよ。……だけど、ぼくはタキアの番人なんだ。だから、タキアとしか出来ないの」
「ぼくも好きなのに」
「……さっきキスしたのは、誰にも言っちゃダメだよ。いい? 絶対言っちゃダメ。……あとでフェイが困る事になっちゃうからね」
 硬く口止めしておかなければ。
 なんだかルサカが悪い事を教えたような、悪い事を子供にしたような錯覚をしそうだが、こんな事タキアに知られたら大変な事になる。
 キスしただなんて知ったら、タキアがどれだけ怒り出すか想像もつかない。フェイを叩き出すと言い出すかもしれない。
「なんで困るの?」
 この重大さを全くフェイは理解していない。本当に危なっかしいし恐ろしい。
「……きみ意外と諦めないね」
 子供は本当に手ごわい。侮れなくしつこく、素直で、無邪気で、わからずやで、気分屋すぎる。
 フェイを膝から降ろして、手を繋いでルサカの部屋を後にする。
「……あっ! ほうきウサギ!」
 ほうきウサギを見つけた途端に、フェイは手を振りほどいて走っていく。
 子供が苦手なのかほうきウサギは蜘蛛の子を散らすが如く逃げ惑うが、小さくてもフェイは竜だ。
 足も速いし力も強い。
 逃げ遅れたほうきウサギはさっくり捕まって揉まれまくっている。

 まず、滋養飴の効果が切れていた事に感謝しなければならない。
 もしまだ効果が残っていたら、フェイのあの拙いキスでもあんなにされまくっていたら、発情したようになっていたかもしれない。
 さすがに子供の前であんなふしだらな状態になる訳にはいかない。
 フェイが人の姿の間は、絶対にもう滋養飴を使えない。色々な意味で何かあったら本当に困る事になる。
 そんな不測の事態を引き起こしそうな真似はしたくない。
 それにしても不思議だ。
 タキアの話だと、大人になるまで変化はしないはずだった。
 まあ、タキアの話はいつでもざっくり大雑把だ。
 タキアの言う『大人』は、どの程度の年齢の事を指しているのか、冷静に考えたら、ルサカとタキアの認識は、大きく違う可能性があった。
 タキアは竜。ルサカは人間。
 そもそも、竜と人では歳のとり方も成長の仕方も違う。
 だいたいタキアだってもう五十歳で、人間ならいい年のおっさんだけれど、竜としてはまだ子供同然の若造だ。
 それから考えたら、彼らのいう『大人』が人間の言う『大人』とものすごい隔たりがあっても全く不思議じゃない。
 フェイだって、考えてみたら年齢だけなら遥かにルサカより年上だ。
 ややこしいけど、ルサカの方が年下なのだ。
「フェイ、しつこくしたらダメだよ。……優しくね」
 しつこくされすぎてぷすぷす鳴き出したほうきウサギをかばって、フェイを諌める。
「……うん。ごめんなさい」
 素直な事は素直だ。
 ただこの、竜によくある衝動的、刹那的な行動力が怖い。
 子供でもそんな片鱗を既に見せている。しかも、子供だけに加減を知らない。
「ずっと眠っててお腹空いてない? ……何か食べようね」
 ほうきウサギを離すように促して、再び手を取る。
「……うん。……ルサカ、大好き」
 フェイはルサカを見上げて、嬉しそうに微笑む。
 この、むき出しの素直な好意と笑顔は、タキアを思い出させる。可愛らしくて本当に拒めなくなるから、そんな無邪気に笑顔を見せないで欲しい、と心の底からルサカは思う。



 予想外の反応だった。
 人の姿のフェイを見たタキアは、黙り込んだまま、暫くじっとフェイを見つめているだけで、ルサカは固唾を呑んで見守るしかなかった。
 てっきり、『もう巣から叩き出す!』と怒り出すと思っていた。
 これも怒っているのだとは思うが、あまりに静かで、これからどうなるのかルサカには全く予想が出来なかった。
 ルサカも何を言っていいのかわからない。
 一方、当事者のフェイはのん気なもので、このピリピリと緊張感が高まった空気を全く気にしない。
 ルサカの足元で、ヨルを抱っこしたり撫でたりと楽しそうだ。
 タキアも何も言葉が浮かばないのか、そのまま黙って居間のテーブルにつく。
 こうなるとルサカも何も言えない。
 黙ってお茶を淹れてタキアに出すが、そのお茶にもタキアは手をつけなかった。
「……ヨル、フェイと中庭で遊んでおいで」
「……ルサカは?」
 フェイはまたルサカが来ない事を知って、ルサカの手をきゅっと握り締める。
「タキアにお茶をいれてあげないとなんだよ。……用事がすんだら行くから。……ヨル、頼んだよ」
「ホント? ……ぼく待ってるからね」
 本当に、こういう可愛い事を言うの止めてほしい。
 タキアがいるのにぎゅっと抱きしめてやりたくなるじゃないか。心底困る。
 ヨルにフェイを任せて見送ってから、居間の扉をしっかり閉める。
 タキアが何かフェイの事を言うのを、フェイに聞かせるわけには行かない。
 まあ竜の時に散々言っていたけれど、出来ればあまり聞かせたくはないものだ。
「……ませてるとは思ってたけど……ここまでませてるとは思ってなかった……」
 ませてる。
 人化とおませな事が何か関わりがあるのか。
 フェイの『ルサカ大好き』なんて子供がお母さんに言うような素朴なものじゃないか。
 ルサカもタキアの側に座る。
 もう繁殖期どころの騒ぎではない。
「多分、これが初めての人化だと思う。……ルサカ、もうちびと一緒に寝たり、風呂に入ったりは絶対ダメだ。絶対にしちゃダメだから」
「……竜の時は何とも思わなかったけど、人の姿だと何だか勝手が違うよね」
 正直、竜の時はまだまだ小さい子供だと思えた。実際、大きさ的には人間の四、五歳くらいではないかと思えていた。
 ところがこうして十歳くらいの姿になると、ものすごく色々まずいような気がしてくる。
「……それもあるけど、もっと結構深刻というか重要っていうか……。前に、竜が最初の人化をするのは大人になった時だと言ったけど、あれはちょっとぼかして言った」
 いつも大雑把な説明だから、また雑に説明しているのだとばかり、ルサカは思っていた。
「あんまり言いたくなかった。……人とは常識も生態も違うから、言うと気味悪がられたり軽蔑されたりするかなと思って……。もう隠していてもしょうがないから、はっきり言うけど、最初の人化の引き金は、全部が全部そうだって訳じゃないけど、まあ、そういう強い欲求なんだよ。……自分のものにしたいとか、性を意識した時とか、人と交尾したいって思ったりとか」
 うんうん、と適当に頷いてしまってから、ルサカもはっとした。
 いやこんな小さい子が?
 いや小さいと言っても、もう二十年くらい生きているけれど、見た目は十歳くらいだ。
 でも街のませた子はそれくらいで恋人ごっこっぽい事をしていると聞いた事はある。
「……単純に、人の姿にならないと困る、とかそんな切迫した理由の時もあるよ。……僕なんか子供っぽかったから、なかなか人にならなくて、母さんや姉さんを心配させてたけど……」
「そっちじゃないかなあ。ぼくがフェイと話せたらよかった、って言ってたから、がんばって人になったとか言ってたから」
 こんな無邪気そうな子が、もう既にゆるゆるモラルで交尾が大好きな竜の本性をみせるとかないだろう、と思いたい。
 そんなのん気な事を言うと、タキアにきっと睨まれる。
「ルサカは竜を甘く見すぎだ。……人間とは違うって分かってるだろう」
 半年前に番人になったルサカなんか、確かに竜に対してろくな知識はない。
 多分タキアが言っている事は本当で、フェイが何を思って人になったかは分からないのだから、従っておいたほうが無難ではある。
 それでもそうは思いたくないものだ。
「……ルサカにも心当たりがあるんじゃないの」
「心当たりって何」
 一瞬、ドキッとする。
 キスの事がばれたのかと思ったが、口を割らない限りばれないはずだ。
「……その匂いの事だよ。……その匂いは竜を誘う匂いだからね。繁殖期だから、僕に釣られてぷんぷん匂ってる」
 砂棗の花の匂いか。そういえばすっかり忘れていた。
 番人の匂いなんて、成人した竜が好むものだとばかり、何の疑いもなく思い込んでいた。
「……ルサカ、その匂いは他の竜も誘うって言っただろう」
 タキアの唇が唇に触れる。触れたその吐息は熱い。
「……待ってよ、いつフェイが顔出すかわからないのに」
 慌てて押しのけようとするが、タキアは全く気にしない。抱いて膝に引き寄せようとする。
「……そんなの、竜の時だって同じなのに。……人の姿だと気になるの?」
 そういえばそうだ。
 人の姿でも竜の姿でも、フェイはフェイだ。
 中身はなにひとつ、変わっていない。
「……そうだね、なんでだろうね。……やっぱり人の姿だと、人の子供みたいに思えちゃうからかなあ……。人のモラルだと、子供に交尾なんか絶対見せるものじゃないんだよ。……だからすごく抵抗感がある」
「……人間て、面倒くさいね。なんだかよくわからない事言い出すし、変なルール持ってるし。……ホントよくわからない」
 竜にだけは言われたくないセリフだ。
「……どうしても、というなら、鍵のかかる部屋にしてよ。……ぼくの、というか、人の倫理観では無理だから」
 ルサカの話を聞いているのかいないのか、タキアは気にせずルサカの服のボタンを外し始めている。
「竜のちびも人のちびも同じなのに。……本当にわけわかんないよ」
「……だから、しない、とは言わないけど、鍵のかかる部屋に……、んんっ……」
 タキアは晒されたルサカの素肌に軽く歯を立てる。
「もうそんな余裕ないよ。……ここでま」
 バタン、と乱暴に扉が開かれる。
「ルサカ、遅い。まだ?」
 慌ててタキアの膝から降りて服を整える。
 一応は、ヨルは止めようとしてくれたようだった。
 部屋に飛び込んできたフェイのぶかぶかシャツの裾を、ヨルが噛み付いて引っ張っていた。
「……ごめんね、今行くから」
 背後でタキアの、深い深いため息が聞こえた。


2016/03/22 up

-- ムーンライトノベルズにも掲載中です --

clap.gif clapres.gif