竜の棲み処

#51 忘れられた記憶

「一応、巣の防衛も考えないといけないかな」
 そろそろ初夏の気配が漂うこの時期、タキアは帰ってくるなり例のお気に入りの寝椅子に座って、真剣にダーダネルス百貨店のカタログを見ている。
 ここ数日熱心に見ているそのカタログは、巣の防衛用品のカタログだった。
「そんな頻繁に縄張り争いがあるものなの?」
 ルサカは居間のテーブルにお茶の用意をしていた。
 タキアは帰って来たらまず、ルサカとお茶を飲むのが習慣だ。
「そんなにはないよ。……基本、竜は話し合いで解決するし。ただし、他の竜が持っている財宝や番人を巡って争いになる事は稀にある」
 そういえばそんな話を聞いた事があった。
 綺麗なものが大好きな竜だけに、そこは譲り合えずに争いに発展する事はありえそうだ。
「綺麗なものは本当に譲り合う気がないからね。……僕も子供の頃はセツとよくつかみ合いのケンカしてた」
「えっ、そんなに?! 仲良さそうなのにそんな本気のケンカを?」
「割と下らない事でケンカになってたよ。セツとは好みが良く似てるんだ。だからお互いが見つけてきた綺麗で素敵なものが欲しくなってケンカになる。……そんなだから、ルサカの事も会わせたくなかったんだよ。幸い、羨ましがってはいたけど奪うほどじゃなかったようで安心したけど」
 そんな争い合った歴史があるのか。
 思わずちび竜の頃の二人がつかみ合いしている姿を想像して、可愛いじゃないか、と和んでしまう。
「春から夏にかけては竜の巣立ちの時期だからね。理想の営巣地探しでこの辺りを通過する竜もいるし、用心に越した事はないから、少し防衛関係のものを揃えようかなと思ってる。……人間はここまで早々来れないだろうし、人間にはそれほど注意を払ってないんだけどね」
 確かにこの断崖絶壁を登りきれる人間はあまりいなさそうだ。まず武器や防具をつけた状態なら、絶対途中で力尽きて落ちるだろう。
 そして、竜の生態はやはり完全に動物寄りだ。
 親元から巣立って営巣地を探したり、繁殖期があったり、見た目こそ人に化けるが、生態は動物だと思った方が分かりやすい。
 動物行動学関連の本をたくさん読んでおくと理解が行き届きそうだ。
「……ごめん、防衛に関してはぼくはあんまり役に立ちそうにないね。……もうちょっと頑張る」
 今のところレオーネのスパルタな教育方針のおかげで、かなりいい感じに覚えては来ている。
 ただ、魔力不足は否めない。大規模な術式のものは一切使えないし、連戦も不可能だ。ルサカの魔法はおよそ防衛に役立つとは言い難い。
「ルサカは他の仕事で頑張ってるからいいんだよ。防衛は本当は番人の仕事じゃないしね。……ただ、騎士や魔術師の番人がいれば楽だって話だから」
 とりあえず、何かあった時に攫われそうになったら逃げ切れるだけの能力は欲しい。
 もうこりごりだ。そんな何度も攫われてたまるもんか、とルサカも思っている。
「そういう軍人寄りの番人がいない巣も普通にあるからね。……そういう巣の主の為に、こういう防衛用品のカタログがあるわけだよ」
 タキアは読んでいたカタログを寝椅子に放り出し、テーブルにつく。
「帰ってくるなり飛びついて読んでるから、何かあったのかと思った」
「ああ。兄さんのところに巣立ったばかりの竜が、付近を探索するからって挨拶に来て」
「ええ?! まさかリーンさんにケンカ売ったの?!」
「……いや、兄さんのところの番人の犠牲に……」
「それは……ああ、聞かないでいいや……」
 例の接待大好きな十九人の番人の犠牲になったという事か。聞かずにいた方が絶対良さそうだ。
「うちも一応、知り合い以外通さないようあちこち仕掛けてあるんだけど、この間セツが来た時、余裕で突破してきたからな……。もっと厳しい判定するものを設置しようと思ってる」
 そういえばエルーもリーンも、いつの間にか巣に入り込んでいるけれど、これは何とかならないのかといつも思っていた。
 いきなり頭上から声をかけられたりで、ルサカはいつも驚かされている。
「リーンさんたちが来ても、慣れちゃったせいでヨルは吼えないし、ぼくも声かけられるまで気付かないんだけど、あれは何とかならないのかな……。本当にいつの間にか側にいていつも驚くんだけど」
「兄さんたちは本当に気配がないからなあ……。僕もたまに気付かない。あれはわざとやってるんだと思うけど、あれくらい竜なら出来る。気配なんか消せるんだよ。……竜や人が通ったら何か音が鳴るような鳴り物とかないかな……」
 タキアは放り出していたカタログを取って戻ってくると、お茶を飲みながらページを捲る。
「ルサカ、巣の中と中庭は知り合い以外通れないようにトラップをかけておくけど、巣の天辺は来客用にかけないから。……万が一、あの天辺で他の竜や人に襲われそうになったら、すぐに巣の中に逃げ込むようにね。中までは追ってこれないはずだから」
「うん。……でも、そうそうない事なんでしょ?」
 タキアは腕を組んで少し考え込んでいた。
「……そうだね。僕が実家にいた頃も、姉さんのところにいた時も、稀に営巣地探しでうろつくからって挨拶にくる竜はいたけど、揉め事は見た事ないな……。そんなに頻繁にある事じゃないよ」
 五十年生きたタキアが一度も見た事がないなら、確かにそう頻繁に起こる事ではなさそうだ。
「白水晶磨きに上がらない方がいいか考えちゃったよ。……気に入ってるんだよね。天気のいい日にあそこで本読むの、すごく気持ちいいし」
「頻繁にある事じゃないけど、不穏な空気だったらすぐに逃げるっていうのだけ覚えておけば大丈夫じゃないかな……。挨拶に来る竜もいるから、全部の竜が危険ともいえないんだよ。……むしろ、危険な竜の方が稀。何か揉め事があったとしても基本、話し合いで解決、解決出来なかったら争いに、って感じだよ」
 タキアはせっせとカタログにしるしをつけている。
 おおらか大雑把な竜も、巣作りに関しては真剣に真面目になる。
 そういえば財宝がたくさん詰まった大きくて立派な巣を作るのが夢だとタキアが言っていた事をルサカは思い出す。
 綺麗なものをたくさん集める。
 考えてみたら、本当におとぎ話の竜そのものだ。
 絵本の中の竜は、たくさんの金銀財宝やクリスタルが詰まった洞窟に住んでいた。
 まさかこんな人間ぽい巣を持っているとは思いも寄らなかったし、こんなに人間みたいにお茶を飲む事も知らなかった。
 竜に見初められるなんて、それも思いも寄らなかったけれど。



 そんな防衛の話をした数日後、ルサカは書庫で本を探していた。
 レオーネにスパルタされすぎて少々うつになってきたが、ここでレオーネをギャフンと言わせたい。言わせたいがために、予習を徹底的にやりこもうと、参考になりそうな文献を探していた。
 もう本当にレオーネは容赦なさ過ぎる。
 確かに必死さがあれば上達は早くなるが本当に容赦なくスパルタで、そのおかげでめきめきルサカも上達してはいた。
 それに防衛の問題もある。出来れば多少はタキアの役に立ちたい。
 それにはやはりもっと勉強しなければならない。
 そう思うものの、ルサカは引っ張り出した文献を真剣に読みながら絶望する。なかなかこれだ、というものを見つけられない。
 どれもこれも難易度が高すぎる。ひとりでどうこう出来そうになかった。
 レオーネをギャフンと言わせたいが、とても難しそうだ。
 あまりに真剣に読みすぎて、頭痛がする。こういう時は何か軽めの本を読みながら、日光浴でもするのが一番だ。
 早々に諦めて、気晴らしの本を探し始める。
 そういえば、何か動物行動学っぽい本とかないだろうか。ルサカは書棚を漁り始める。
 竜の生態の本が竜の書庫にあるとは思えないが、動物の生態の本くらいはあるかもしれない。
 中二階の階段側の棚に移動すると、そんな雑学っぽいようなものの書棚を発見する。無造作にそのうちの一冊の本を引っ張り出す。表紙は緻密で華やかなデザインのうさぎの絵だった。
 とても綺麗な絵で、思わずルサカは本を開く。
 その本の中に、古びた紙が数枚挟まれていた。
 古すぎて変色している。その数枚の紙は重ねて折られ、本に挟まれていた。
 ルサカは何気なくその紙を取り出し、開く。
 気をつけないとすぐに破れてしまいそうなほど、劣化していた。破らないように慎重に広げる。
 この本の挿絵を参考にしたのか、兎と、そして犬。とても緻密に書かれた動物の絵だった。
 紙の隅には、メイフェア、と綺麗な文字でサインが綴られている。
 メイフェア。
 どくん、と心臓が大きく脈打つ。
 この絵を描いた人物の名前がメイフェアなのだろう。
 竜が絵を描くだろうか。分からない。けれどこれは、人間の描いたもののような気がする。
 まさか。
 背中にいやな汗をかき始めていた。
 見てはいけない。
 頭の中で誰がが叫んでいる。
 それ以上、見てはいけない。
 それでもルサカの震える指は止まらなかった。重なった数枚を、捲る。
 竜の絵だった。
 メイフェアは画家志望だったのかもしれない。これもとても繊細で綺麗な絵だった。この竜に対しての愛情すら感じられる。とても暖かな、優しい絵だった。
 メイフェアのサインの上に、『フロラン』と書き込んであった。この竜の名前がフロランか。
 古城の前の主が、この絵の竜なんだ。
 震える指が冷たくなっていくのが、ルサカも良く分かっていた。
 きっともう、止められない。
 見てはいけない。何かが頭の中で叫んでいるのに、きっともう、止められない。
 震える手で、更に紙を捲る。
 よく知っている横顔だった。
 とても穏やかで、綺麗で、少し物悲しい。もう、メイフェアのサインの上の文字を読むまでもない。
 耐え切れなかった。
 涙が溢れ出す。嗚咽を堪える事が出来なかった。
 レオーネがルサカに告げたのは、隠し切れないと悟ったからだ。
 いつかルサカがこの書庫から、メイフェアの記憶を見つけ出すと、分かっていたからだ。
 竜の言葉を覚え、竜の魔法を学ぼうとするなら、いつかこの書庫を読破するかもしれない。
 そう遠くない未来に、この書庫のどこかに置き去りにされていたメイフェアの記憶を、思い出を、ルサカが見つけ出すと分かっていたから、隠す事が出来ないと悟っていたから、告げたのか。
 ルサカの震える指から、古びたその紙の束が滑り落ちる。
 書庫の床に散らばったメイフェアの記憶。
 一枚の絵がルサカの足元に舞い落ちた。
 並んで本を読む二人の男性の絵だった。片方は、言うまでもない。よく知った横顔だ。
『フロラン、レオーネ 羨ましいくらいに、仲がいい』メイフェアのサインの上の文字が、ルサカの胸に硝子の破片のように突き刺さる。
 ルサカは崩れ落ちるように、書庫の床に座り込む。
 座り込み、その散らばった絵を震える指で拾い集め、抱きしめる。
 堪えきれずに、ルサカは声をあげて、子供のように泣きだす。
 メイフェアは、どんなに彼らを愛していただろう。
 この絵だけで、それが伝わる。
 彼らを深く愛していたんだと、この絵だけで、痛いほど、伝わる。
 奪い返された番人、荒れ狂い、全てを凍りつかせて去った竜、そして、人の世に置き去りにされた番人を救い続ける竜騎士。
 何が彼らに起こったのか、考える事すら、出来なかった。
 出来なかったんじゃない。
 考えたくなかった。
 この、メイフェアの幸せな記憶を塗り替えてしまうような恐ろしい出来事を、考えたくなかった。
 想像もしたくなかった。
 知りたくなかった。
 レオーネの傷跡を暴く事なんて、望んでいなかった。
 レオーネはルサカがこの古城の番人だと気付いた時、何を思っただろう。
 もう知らなかった頃に戻れない。
 知らないままで良かった。気付かないままで良かった。



 誰かの指に触れられて、ルサカは目が覚めた。
 この優しい指はタキアの手だ。その頬に触れる指に手を伸ばして、握り締める。
「……ルサカ……」
 泣き疲れたルサカは、書庫の床で眠ってしまっていた。
 ルサカが抱いて眠っていたはずのメイフェアの絵は、綺麗に揃えられ、床の本の上に置かれていた。
 タキアもこれを見てしまったんだ、とぼんやりと思う。
 タキアに隠し続ける事が出来ただろうか。隠し続けた方が良かったんだろうか。
 ルサカひとりで抱えるには、あまりにも重く、悲しすぎる事実だった。
 知りたくなかった。
 抱き起こしたルサカを、タキアは無言で抱きしめる。
 あれほど泣いたのに、また涙が溢れる。
 タキアにしがみついたまま、ルサカは声をあげて泣く。
 どうしようもなく、悲しく、切なく、苦しかった。
 このメイフェアの優しい、幸福な思い出が、とうの昔に失われ、レオーネの傷跡になっている。
 そんな悲しい事実を、知りたくなかった。気付きたくなかった。
 もう何も知らなかった頃に戻れなくなってしまった。
「タキア、ごめん。……ごめんなさい」
 震える声で詫びると、タキアはルサカの髪に、いつものように頬を押し当てる。
「何を謝るの。……何も謝る事はないよ」
 タキアの声はいつものように、ルサカの耳に優しく響く。
 そのタキアの背中に両手でしがみついたまま、ルサカは泣き続ける。



2016/04/06 up

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