竜の棲み処

#52 衝動的で刹那的で、とても無邪気

「……では、設置をはじめます。作業員は十名程度です。少々お邪魔かもしれませんがご容赦下さい」
久々に古城の巣にやってきた珊瑚は、例の大きな黒いトランクを開ける。
 トランクから、木製の、珊瑚の膝くらいの高さの可愛らしい小人さんの人形を取り出し、並べ始める。
 傍で見ていたルサカは、その次々並べられる小人の人形をしみじみと眺める。
 すごく、可愛い。木製の人形で、おそろいの可愛い帽子とスモックを着ている。
 珊瑚はその小人さん人形を十体ほど並べると、パン、と両手を叩く。
 途端に人形はワラワラと動き出し、トランクからツルハシやらトンカチやらを取り出して次々と居間を出て行く。
「……動いた?!」
 思わず叫んでしまう。さすが人外専門のダーダネルス百貨店。作業員も当然人外だった。
「作業員でございますよ。……小さくて可愛らしく見えるかもしれませんが、彼らは熟練の職人ですから、トラップの設置には長けておりますのでご安心下さい」
「……もしかして、城の改築やお風呂場も?」
「それはまた別の作業員ですね。彼らはトラップやセキュリティ専門の職人なんです。小柄なのは狭い設置場所にも入り込めて便利なんですよ」
 彼ら。
 この人形もしかして、人形じゃないのか……。
 ルサカは複雑な気持ちで廊下をうろちょろする小人さん人形を眺める。
 どうみても木で出来た、可愛らしい小人さん人形だけれど、華麗な手さばきでツルハシやトンカチを使っている……。
 この巣に来て半年ちょっとだが、本当にダーダネルス百貨店は不思議すぎる。
 タキアは真剣に巣の見取り図を見ながら、珊瑚や小人さんたちと打ち合わせをしている。
 小人さんたちは喋れないが、タキアの希望を聞いて動いているようだった。
 久し振りに珊瑚を呼んだのは、巣の防衛用品の設置の為なのだが、予想外の作業員だ。
 人外の珊瑚が連れてくる作業員なのだから当然人外ではあるだろう、と予想はしていたが、まさかの小人さん人形。
 そういえば珊瑚は何者なのだろう。
 その尖った耳と尻尾を見れば人外なのは分かっているが、どんな種族なのか聞いた事がなかった。
 そんな事を考えながら、忙しそうなタキアと珊瑚と小人さん人形達の邪魔をしないように、ルサカはそっと居間を出て書庫に向かう。
 ヨルもそのルサカの後に従う。ヨルも邪魔にならないよう気を使っているのかもしれない。
 書庫で見つけたメイフェアの絵について、あれから二人は何も話していない。
 表面上は、いつもの通りに過ごしている。
 タキアもルサカもこのメイフェアの絵と前の主の話には触れない。触れようにも、どう話したらいいのか二人とも分からなかった。
 ルサカはあの日以来、薄氷の屋敷には行っていない。
 行かなければならないが、どんな顔でレオーネに会えばいいのか、それも分からなかった。
 メイフェア、フロラン、レオーネの過去をほんの少し垣間見ただけだ。
 真実なんか何一つ分からない。
 分かっている事は、番人を奪われ、荒れ狂った竜がこの地方を凍りつかせて去っていった、これだけ。
 レオーネの過去に何があったのかは、知りえる僅かな情報からの推測でしか分からない。
 その僅かな情報からですら、悲しみしか予感させない。
 ルサカは変わらず毎日書庫を訪れるが、あれからメイフェアの痕跡を見つける事はなかった。
 薄氷の屋敷に行くには、もう少し気持ちの整理が必要だった。
 どの道、レオーネにメイフェアの事を尋ねるような気にはなれない。
 ルサカは書庫の扉を開け、階段を上り、中二階にある魔法書の棚の前まで歩く。
 何冊か本を選んで床に座り込み、広げる。
 読んだ事がない本を開くたびに、ルサカの指は少し震える。
 メイフェアの痕跡を見つけるかもしれない。それは見てはいけない彼らの秘密を知ってしまうような気持ちにさせた。
 メイフェアの絵は、どれもこれも優しく穏やかで、彼らへの愛情に満ち溢れていた。メイフェアの残した痕跡が幸せに満ちているからこそ、その後に起きた事を思うと、胸が痛まずにいられなかった。
 本当は、知りたいのかもしれない。
 レオーネに、メイフェアに、フロランに、何が起きたのか。
 メイフェアもフロランも、恐らくはもう、この世にはいない。
 レオーネは竜を失った竜騎士だ。もう、フロランが亡くなっている事だけは、間違いない。悲しいけれど、生きているはずがなかった。
 この古城の巣で何があったのか。
 メイフェアがどこに消えたのか、なぜフロランが亡くなったのか、何故、レオーネが人の世に置き去りにされた番人を救い続けるのか。
 ただ、知るのが怖いだけだ。
 そこには想像を超える苦痛の歴史があると、それが分かっているからこそ、知るのが怖いだけだ。
 魔術書のページを捲るだけで、何一つ、内容は頭の中に入ってこなかった。
 ルサカはそっと本を閉じる。



 なかなか気持ちの整理がつけられなかった。
 レオーネにどんな顔で会えばいいのか、ルサカは分からなかった。
 ただ知らないふりを続ければいいのに、それがとても勇気がいる事のように思えた。
 レオーネのあの穏やかな蒼の竜眼は、そんな浅はかなルサカの思惑を全て見透かすような気さえする。
 防衛用品の設置が終わって珊瑚が帰った日から、更に数日が経ってしまっていた。
 あまり間を空けるのも、不自然すぎる。
 そろそろ一度は薄氷の屋敷に行かなければならないのに、なかなか思い切れなかった。
 ただ自習と家事とで、日々が過ぎてしまう。
 自分でも情けない、と少しルサカは思っている。
 出かけているタキアの為にお茶の用意をしながら、ルサカは小さくため息をつく。
 お茶の準備を終え、相変わらずタキアが置き去りにしている白水晶を磨くついでに、そろそろ帰って来るであろうタキアを出迎えに、ルサカは古城の巣の天辺に向かう。
 階段を登り切り、古城の天辺に出ると、気持ちのいい初夏の風が吹きぬけていた。
 遮るもののない古城の空は、高く広い。
 気持ちよく風に吹かれながら、ルサカは軽く伸びをする。
 その時、やっとルサカは気付いた。
 あの白水晶の前に、背中を向けて立っている人影があった。
 一瞬、セツと見間違える。
 セツより少し細身だった。綺麗にまっすぐに伸びた背中と、風になびく金色の髪。その雰囲気はセツにとてもよく似ていた。
 その金色の髪の人物はルサカに気付いたのか、ゆっくりと振り返る。
 深い森の色の虹彩の、竜の瞳だった。
 年頃はタキアとそう変わらないくらいに見える。体格も同じくらい。
 セツに似た雰囲気なのは、その髪色のせいか。
 リーンのところに、営巣地探しで付近を探索するために若い竜が挨拶に来た、という話をルサカは思い出す。
 この見た事のない、綺麗な緑の瞳の若い竜も、タキアに挨拶しに来たのだろう。
 この若い竜も、とても美しい顔立ちをしていた。タキアのように、少し女性的な、端整な面差し。
 竜はみんな美貌なんだな、とルサカはぼんやりと考える。
「……こんにちは、小さい番人さん。……ここの主は留守かな」
 とても綺麗な声だった。耳障りのいい、静かな声音だった。
「こんにちは。……主は留守です。でもそろそろ帰って来る時間ですから、少しお待ちいただければ」
 幼さを残した少年の番人が珍しいのだろう、若い竜は少しの間、黙ってルサカを眺めていた。
 ふと、ルサカはタキアの言葉を思い出す。
『万が一、あの天辺で他の竜や人に襲われそうになったら、すぐに巣の中に逃げ込むようにね。中までは追ってこれないはずだから』
 初対面の人…竜を疑うわけではないが、間合いはとっておいた方がいい。
 身体に触れられさえしなければ操られないし、何かあっても逃げ切れる。
 タキアが帰ってきてから巣の中に案内すればいい、ここで一緒にタキアを待とう。
 そう算段をつけて、ルサカは来客に笑顔を見せる。
「ぼくはここの番人で、ルサカといいます。……営巣地探しですか?」
「うん。……それでこの辺りの竜に挨拶をしようと思って」
 話が続かない。
 思えばルサカは市場とライアネルの屋敷を往復するだけの、半引き篭もり生活だった。マギーやジルドア、ライアネル以外の人と会話なんて、市場のお店の人と少し、程度。
 タキアの巣に来てからの方が、色々な人……竜や番人と話すようになったくらいだ。
 正直知らない竜との世間話は、そんな引き篭もり気質のルサカにはハードルが高すぎる。
 ルサカは必死に話題を探す。
「……どこからいらしたんですか?」
 話題に詰まったら、出身地の話題がいい、と何かの本で読んだ気がする。
「グラスノール海の向こう、カファ大陸のガルビア半島から。この大陸か、その向こうくらいで巣を構えようと思って。……多分、何度か通過するだろうから挨拶したかったんだ」
 喋り方もどことなく幼く、タキアに少し似ているかもしれない。そのせいか、ルサカはなんとなく親近感を抱いていた。
 グラスノール海は随分南の方にある。結構な距離がある気がするが、竜にとってはちょっと遠い、くらいの感覚かもしれない。
 頭の中に地図を思い浮かべながら、ルサカはガルビア半島がどこなのか考える。
「名前は?」
 会話を持たせようとルサカも必死だ。出身地、名前……他に話題になりそうなものはないか。
「クアスだよ。……こちらの主は?」
「タキアです」
 そうだ、タキア早く帰って来い! ルサカは心の中で叫ぶ。
 クアスはあの綺麗な深い緑の瞳でじっとルサカを見つめている。
 ああこれはものすごく物珍しがられてる……。それはルサカにも分かった。
 珊瑚の顧客の巣でも、こんな少年の番人なんて見た事がないと言っていた。
 それも納得だ、こんな貧弱では番人として勤まらない。そうルサカも思っていた。
「……きみ、随分小さいけど、番人になってどれくらいなの?」
 好奇心を抑えきれないのか、クアスはじっとルサカを見つめたまま質問してくる。
 小さいとか遠慮なく言ってくれるじゃないか、とルサカも内心思っている。小さいのは確かだ。
 言われ慣れているが、気にしていないわけじゃない。
「半年ちょっとかな……。最近はちょっと慣れてきました」
 色んな意味で慣れた。
 こうして段々竜と竜騎士の区別もつくようになった。
 クアスはルサカを見つめたまま、柔らかな微笑みを見せる。とても優しげで綺麗で、うっかりルサカも見とれてしまった。
 番人は竜に弱い。それだけではない、こんな綺麗な顔で笑いかけられたら、誰だって見とれてしまうのではないか。
 竜がみんな美しいのは、人の心を奪って番人にするためなのではないか、とすらルサカには思える。
「……ルサカはとても綺麗だね。すごく可愛い」
 面と向かって褒められると言葉に詰まる。
 タキアはもう毎日のようにルサカを愛でて褒めてチヤホヤしているから、タキアに言われる分には麻痺しているが、全く知らない竜に言われるのは本当に困る。受け答えに悩む。
 この場合はありがとうございます、とか恐れ入ります、とか、そんな事ないです、とでも謙遜するべきなのか。
 ルサカは真剣に悩む。
「僕と一緒に行かない? ……ここの主より、もっと大事にするよ。……好きなだけ、贅沢もさせてあげる。だから行こうよ」
 思いも寄らない事を唐突に言われると、人間、思考が麻痺するものだ。
 ルサカの耳にクアスの言葉は綺麗に届いたが、理解するのに数秒かかった。
「………え?」
「僕の番人になって、て事だよ」
 笑顔でさも当然のようにさらりと言う。
 タキアの言葉が頭の中で響く。
『ただし、他の竜が持っている財宝や番人を巡って争いになる事は稀にある』
 そんなによくある事じゃないって言ってたのに!
 ルサカは心の中で叫ぶ。
 何て断ればいいんだ、タキアが好きだから絶対行かない、そう言ったら激昂するだろうか。
 いや冗談じゃないだろうか、小さい番人だからって、からかわれてるだけじゃないか。
 そう思いたい、そうあって欲しい。
 思わず祈る。
「からかわれてるのかな、なんて答えればいいか悩むじゃないですか。……ぼくはタキア…ここの主が大好きだから、一緒にはいけませんよ。番人はきっと、みんな自分の主が一番ですよね」
 冗談だと思えばいい。
 冗談だろう。そうやって返すのが一番だ。
 ものすごく嫌な予感がしている。背後の巣への階段まで、走って逃げ込めるかルサカは逡巡する。
 番人なんて、竜なら簡単に奪える。
 身体に触れさえすれば、幾らでも操れる。番人の意思なんて全く無関係だ。
 そうなったらもう逃げられない。絶対に身体にだけは触らせないようにしなければ。
 クアスは答えない。
 答えずに、笑顔を浮かべたまま、手を伸ばす。その伸ばされた指の先に、小さな風の渦が生まれる。
 背中を向けたら逃げ切れないかもしれない。それなら、どうしたら?
「ごめんね、ケガはさせたくないんだけど……。きみは多分、素直に来てくれないと思うから」
 竜は衝動的で刹那的で、とても無邪気だ。
 欲しいもののために、無邪気に躊躇わずに、その力を使う。
 クアスの掌で生まれた小さな風の渦は一瞬で膨れ上がり、小さな風の刃を無数に生み出す。その小さな風の刃は迷わずルサカに襲い掛かった。
「少し痛いかもしれないけど、眠ってもらえると助かる」
 そんな何度も易々と攫われてたまるか、とルサカは内心で毒づく。
 この無数の小さな風の刃は、多分、眠りを運ぶ風だ。触れすぎると、きっと有無を言わさず眠らされる。
 素早く躊躇いなく、ルサカは竜の言葉を呟く。
 ルサカの願いを聞き届けたのか、足元から茨の蔓が一瞬で這い上がり、ルサカを包む茨の檻を作り上げる。
 これだけは最初にレオーネが教えてくれた。最も簡単な自分を守る魔法だった。
 竜の魔法で呼び出した茨の蔓は、魔力を秘めた強靭な盾になる。
「すごいね。魔法を使える人間なんて、もう絶滅したと思ってた。……しかも竜言語を使えるんだ」
 クアスは笑顔のまま、素直に無邪気に、ルサカを褒める。
「顔も身体も綺麗で、竜の魔法も使えるとか。そんな番人滅多にいないよ。……これは絶対連れ帰らなきゃね」
 ルサカごときが竜に勝てるはずがない。幾ら人化していても、竜は竜だ。その魔力の高さに、ルサカのような未熟な番人が太刀打ちできるはずがなかった。
 茨の檻の中で、ルサカは右手を握り締める。
 どうか間に合って。
 右手の小指の白金の指輪に祈りを捧げる。
 数秒で小指の指輪に、亀裂が生まれる。ピシッ、と小さな金属音を響かせ、指輪が崩れ始めていた。
 背中に嫌な汗が流れる。
 今こんな時に、指輪が壊れそうだとか、悪夢だ。
 パラパラと崩れ落ちる金属片を片手で押さえつけながら、ルサカは祈り続ける。
「……ごめんね、ちょっと…というか結構なケガしちゃうかもね」
 クアスの綺麗に伸びたしなやかな指先から生まれた風が、クアスの身体を包み始める。
 竜化が始まった、とルサカにも分かる。
 クアスが竜化したら、もうルサカに逃げ場なんかない。
 どうか間に合って。小指の指輪を握り締めながら、ルサカは祈り続ける。


2016/04/08 up

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