竜の棲み処

#60 別れの儀式

「……止めないのか」
 夕暮れのヴァンダイク家の庭先のガーデンベンチに、リーンは所在なげに足を組んで座っていた。
 そのリーンにライアネルが声をかける。
「……どうせ止めたってやるんだろうし。……それでお前とタキアが納得するならいいんじゃないか」
「あれだけお前にへこまされたのに、まだ言うかって思わないのか?」
「うーん……」
 リーンは腕を組んで考えるふりをしてみせる。これは明らかに、ふり、だ。
 この狡猾な竜は、どうせ何もかも見透かして気付いている。
「俺は最終的にお前が俺のものになるなら、それでいいんだよ。……結局それが一番、大団円なんじゃないか?」
「それはお前が俺に屈した、という事になるんだが、お前はそれでいいのか?」
 竜が考える事はさっぱりわからん、という顔でライアネルは肩を竦める。
「前にも言ったが、竜は綺麗なものも大好きだが、強い武芸者も大好きなんだよ。……そんな強い騎士に敗北するのは、むしろ喜びだね。……そんな猛者に出会えるなんて、竜にとっては幸運なんだよ」
 その気持ちはうっすらと理解出来る気がする。
 この千年生きた美しくも禍々しい竜は、常に強さを求めている魔物だ。
 気のよさそうな、優しく穏やかな素振りを見せながら、実際は獰猛で、貪欲な生き物だ。
 より己を強く、より高みへと登らせる者を、渇望している。
「俺がお前の弟を下したら、お前の弟の竜騎士になるかもしれんぞ」
 ライアネルの立ち位置からは、リーンの横顔しか見えない。その横顔の、不思議なすみれ色の瞳は、笑っているように見えた。
 本当になにもかも、見透かしている。
 時々本当にこの魔物が小憎らしく思える事がある。
 ライアネルなぞ、リーンにとっては赤子のように分かりやすい生き物なのだろう。
「でもまあ、俺も弟が可愛い。が、お前も欲しい。……そういう訳で、竜との戦い方をレクチャーしておく。……勝負はフェアでないとな」
 リーンは立ち上がって伸びをする。
「竜同士の戦いと違って、魔眼の騎士との対決なら短期決戦だ。最初の一撃を入れた方が勝つようなもんだ。逆に言えばその一撃で戦えなくなるくらいのダメージを与えなければならないってところかな」
 ライアネルはふう、とため息をつく。
「……お前は、弟の味方なのか? 俺の味方なのか?」
 リーンは楽しそうにライアネルを振り返る。
 沈みゆく太陽に照らされた、この人ならざる異形の者は、神々しく、禍々しく、美しかった。
「言っただろ。……俺は最終的にお前が手に入るなら、それでいいんだよ」







 本当に竜の治癒力は高い。
 数日で綺麗に塞がり、時間がかかりそうだと思われていた深い裂傷も、あとは浅い傷跡だけになっていた。
 以前、ルサカがいなくなった時にリーンと争った時の怪我よりは、軽い。
 その分あの時よりは塞がるのが早い。
 むしろ怪我している割に、タキアは元気だった。精神的にも不思議なくらい、安定していた。
 いつも通りのタキアで、ライアネルと戦う事にも迷いがないように見えていた。
 タキアの傷跡に傷薬を塗りながら、ルサカは考える。
 ルサカはいつライアネルとタキアが争うのか、それが気がかりで仕方ないというのに、タキアはいつもと変わらないように見えた。
 出会ったばかりの頃は、どっちが年下なのか分からないくらい、子供っぽく、無邪気だった。
 いつの間にタキアはこんなに変わったのか。
 手当てを終えると、タキアはシャツを羽織ってボタンを留め始める。
「……傷も治ったし、そろそろヴァンダイク卿と連絡を取らないと」
 もう何を言っても止められないのはルサカも分かっていた。
 ライアネルにとってもタキアとっても、これが前に進む為に必要な決着なのだとルサカにも分かっている。
 その結果がどうであっても、ルサカの決意は変わらない。
 彼らが決めたように、ルサカも決めている。それはずっと以前からの約束だ。それをルサカは、何があっても必ず守るとあの時から決めている。
 この勝敗がどうであろうと、ルサカの気持ちは絶対に、変わらない。
「兄さんがまた場所を作ってくれるし、立ち会いもしてくれる。……今度はルサカも行けるよ。竜と魔眼の騎士なら、すぐに決着がつく。……竜同士みたいに長引かないし、魔法も効かないから多分使わないし。兄さんの傍にいれば安全だよ」
 ルサカは頷く。何か言いたくとも、何も言葉が浮かばなかった。ただ頷くしかできなかった。
 両手を伸ばして、タキアのその背中を抱きしめる。
「……何だか、ちょっと育ってるような気がする」
 そのタキアのしなやかな背中をぽんぽんと叩いてみる。最近なんだか両手を回すのがちょっと大変になったような気がしていた。
「まだ成長期だからね。もう少し背も伸びるかな。……体格ももうちょっと良くなると思う。最終的には兄さんくらいにはなるんじゃないかなあ」
 これだけ良く似た兄弟だ、その可能性は十分にあった。
 ルサカも、最近タキアの身体が、じわじわ大きく育っているような気はしていた。
 今はこんな細身だけれど、最終的にはリーンのような、あんな立派な体躯になるというのか。
 そういえば、この今両手で抱いている胸板も背中も、以前はもっと薄かった気がする。
「……ずるいじゃないか。ぼくはもう大きくならないのに。……タキアを見上げてばかりで首が痛くなるし、そんなに大きくなられたら、伸し掛かられた時に重いじゃないか」
 拗ねたように唇を尖らせるルサカに、タキアは笑ってみせる。
 笑って、その尖らせた唇に、指先で触れる。
「ますますルサカを抱っこしやすくなっちゃうな」
「……そんな嬉しそうな顔で、言うな」
「竜はゆっくり成長するからね。兄さんくらいになるには、五百年くらいはかかるかな。尾がふたつになるには、更に五百年くらいかな。……ルサカに、僕の二つ尾を見せたいから頑張らなきゃね」
 五百年、八百年、千年。気が遠くなるくらい、長い長い命を生きていく為に、竜は番人を求める。
 その長い命を生きていく為に、一緒に生きていく為に、決着をつけよう。



 リーンが作った嵐をはらんだ雷雲の『竜の巣』の中に、ルサカは初めて降り立った。
 そこは緑豊かな、風渡る草原だった。
 本物の緑の草原となんら変わりない。本物の草原のように頬を撫で、吹き抜ける風まである。
 思えばルサカは、こんな自然豊かな草原に、もう半年以上、触れる事はなかった。
 恐らくは一生、こんな場所に立つ事はもうないかもしれない、とも思っていた。
 これがリーンの作ったまやかしの、偽物の草の野でも、たまらなく愛しく、美しく思えていた。
 けれどこの美しい架空の草原でこれから起こる事を、ルサカは見届けなければならない。
「……さて、俺も騎士と竜の正式な決闘の立ち会いをするのは初めてだ。かいつまんで説明すると、死ぬまで戦う必要はない。戦闘の継続が不可能なケガを負った時点で双方、収めるように」
 リーンは冷静に説明する。
 そのリーンの傍らに立ったまま、ルサカは何も言葉が出てこない。
 銀色の鎧を纏ったライアネルは、いつもと変わらない穏やかな横顔を見せていた。ルサカもこの鎧姿を何度か見た事がある。
 年に数回、ルトリッツで開催される騎士団の武術大会にライアネルが出場する時や、盗賊の討伐作戦がある時に、武装したライアネルを見送る事があった。
 一度もライアネルは騎士団の武術大会にルサカを連れて行く事はなかった。
 負傷者も出る荒っぽい催し物だ。子供が見るようなものではない。そのうちルサカが大人になったら連れて行こう、とあの時、ライアネルは言っていた。
 盾にはヴァンダイク家の紋章と、ライアネル個人の紋章が刻まれている。
 左上に獅子のクレストとアザミ。アザミは厳格と独立、高潔を現す。ヴァンダイク家の象徴だ。
 右下には、柊。ライアネルが生まれた時に、彼の両親から贈られたこの印は、『保護』と『剛直』を意味する。
 この魔を払う植物は、ルサカがよく知る、ルサカを守り育ててくれたライアネルそのもので、相応しすぎるとルサカには思えていた。
 そして草地に静かに佇むタキアは、古城の巣を飛び立った時から、竜の姿のままだった。
 まだ若く未熟さを残すタキアの体躯は、リーンに比べれば小さい。それでもその青白い焔を纏う鮮やかな紅い鱗に覆われた身体は、やはり巨大な竜だ。爪も牙も鋭利で、強靭な肉体を持つ。
 リーンの身体は禍々しささえ感じる美しさだったが、タキアはその未熟さのせいか、幼さのせいか、とても無垢にルサカの瞳に映っていた。
 竜のタキアも人のタキアも、心の底から、愛しく、美しく、切なく思える。
「……ルサカ、こっちに」
 リーンはルサカの手を取り引き寄せ、竜の言葉を呟く。
 リーンの祈りを聞き届け、草原から無数の茨の蔓が瞬時に這い上がる。
 その太く禍々しい棘を纏った茨は、一瞬で巨大な檻を作り上げ、リーンとルサカをその檻の中に封じ込めた。
「……なっ……!」
 思わずリーンを振り仰ぐと、リーンは笑みを浮かべる。
「……こうでもしておかないと危ないだろ。……ルサカは飛び出しかねない」
 その通りだ。
 ライアネルとタキアのどちらが傷を負っても、冷静でいられる自信は全く無かった。
「何が飛んでくるか分からないしな。檻の中から観戦した方が安全だ」
 ルサカは何か言おうと口を開いて、諦める。
 もうルサカの手は震えていた。不安を隠しきれない。
「……ほら、はじまった」
 金属と硬い鱗が激しくぶつかる音が響いた。
 ライアネルの盾が、タキアの焔に覆われた尾を振り払うのが視界の隅に見えた。
 恐れか、不安か、ルサカは正気でいられないような気がして、思わず震える指でリーンの腕にすがる。
 ルサカの怯えに気づいたリーンは、その震える指先に視線を落とす。
「ルサカ、どっちに勝って欲しい? どっちにも怪我をして欲しくないんだろ?」
 ルサカにそんな事を尋ねるなんて、本当にリーンは残酷だ。ルサカが答えられるはずがない。
 タキアの勝利は、ライアネルの負傷を意味する。生身の人間であるライアネルの敗北は、死に繋がるかもしれない。
 ライアネルの勝利は、タキアの負傷と離別を意味する。
 ルサカはリーンのすみれ色の瞳を見上げ、思わず睨み付ける。
「そんな怖い顔すると、その綺麗で可愛い顔が台無しだよ」
 リーンのこの不気味な余裕の意味が分からなかった。
 ルサカを見おろしながら、そのすみれ色の目を細めて、リーンは笑う。
「……俺は、タキアも可愛いし、ライアネルを諦めるつもりもないんだよ」
 ルサカはこの笑みを見て、思い出す。
 レオーネもこんな風に笑う事があった。
 あの、何か一癖も二癖もある竜騎士は、何か考えがある時に、こんな風に笑う。
「ライアネルは俺に勝ってるよ。決闘の日取りが決まった日に挑んだ。案の定、竜騎士になる事は断られたけど、それくらいの強さなんだよ。……だから俺もちょっと策を弄した」
 ライアネルの剣がタキアの右の爪を払った瞬間、その爪は鈍い音を立てて砕けた。
 砕けた大きな破片は、ルサカの目の前の草地に鈍い音と共に突き刺さった。
「……タキア!」
 耐え切れずに、ルサカは叫ぶ。
「よく見てみろ、ルサカ。……ライアネルの足取りは鈍くなりはじめていないか?」
 確かにそうだった。疲労するには早すぎる。
 ライアネルは、千年を生きたこの二つ尾のリーンに勝てるほどの強さを誇るはずだ。そのライアネルの呼吸が乱れ始めているのは、遠目からも分かる。肩が荒く息を付き始めていた。
「さっきも言ったが、俺もタキアが可愛い。……ライアネルを諦めるつもりもない。……だから、仕掛けておいた」
 ルサカはリーンを振り仰ぐ。
 リーンが何を言いたいのか、分からなかった。
「あばらにひびが入ってると思うよ。……二本か三本くらいはいってるんじゃないかな。ライアネルもひびに気づいているだろうが、延期は奴のプライドが許さないだろうしな。……ライアネルは誇り高いな」
 だから苦労する、そう呟いて小さく笑うリーンを、ルサカは呆然と見上げる。
 タキアと戦う前に負傷させておくために、ライアネルと戦っていたのだと理解した。
 リーンはライアネルを勝たせるつもりが、最初からなかった。
 タキアの為ではない。これは、自分の為だ。リーン自身のために、そう仕組んだ。
 この千年生きた竜は、常に強さを渇望している。この優しげな、ともすれば軽薄そうにもみえる顔からは想像出来ないくらいの野心家なのは、ルサカも気付いていた。
「思ったよりライアネルは動けてるなあ。……へし折っておけば良かったかな」
 リーンもやはり貪欲な竜なのだ。ルサカは改めてはっきりと、思い知らされる。
 そうだ。竜はみんなこうだ。
 強い執着があるのは、タキアだけではないと思い知らされる。
 強い執着と無邪気さゆえの残酷さ。そして、彼らは欲望に忠実だ。欲しいと思った物を、諦めるはずがない。今のこのリーンの言葉と笑みは、竜の激しさそのものだった。
「……ライアネル様! タキア!」
 ルサカは茨の檻にしがみつく。茨の太い蔓に張り巡らされる棘はルサカの掌を傷つけたが、その痛みにも気づかずにルサカは叫ぶ。
 息が続かなくなったライアネルは盾を投げ捨てる。投げ捨て、剣を両手で握りなおす。
 振り上げたタキアの爪がライアネルの銀の肩当てに突き刺さった瞬間に、ライアネルの剣はタキアの右の前足を大きく切り裂いた。
 紅い鱗が砕け、飛び散った。前脚を切断しそうなほどに深く切り裂いた傷口からは鮮血が溢れ、ライアネルの鈍く光る銀色の鎧を赤く染め上げた。
「タキア、ライアネル! そこまでだ!」
 リーンの静止を聞くまでもない。
 勝敗はあっけなくついた。
 タキアの敗北だ。もうこの千切れかけた前脚では戦えない。
 ルサカは小さく竜の言葉を唱え、目の前の茨の檻を風の刃で切り裂き、砕く。
「……タキア…! タキア!」
 夢中だった。何も考えられなかった。
 血に塗れたタキアに真っ直ぐに駆け寄り、しがみつく。
 草原に伏したタキアの身体から、あの青白い焔が立ち昇り、ライアネルへと伸びる。焔は肩口を血に染めたライアネルの身体を柔らかく包み込んだ。
「……タキア。……お前もやっぱり、ライアネルを選ぶのか」
 そうリーンは小さく呟くと、伏したタキアに歩み寄り、傷口に手を添え、止血を始める。
 ルサカは溢れそうな涙をぐっと堪えると、抱いていたタキアから離れ、タキアの青白い焔に包まれたままのライアネルに歩み寄る。
「……ライアネル様、タキアの負けです。……でも、でも。ぼくは行きません。……ごめんなさい。二人の決意を、ぼくが穢してしまう事は分かっています」
 声が震える。
 それでもルサカは拳を握り締め、続ける。
「でも、ぼくは……約束したんです。タキアを絶対に一人にしないって。……ずっと一緒にいるって、約束したんです。……ごめんなさい。ぼくは恩知らずな子供です。……二人の決意も穢す不義だと分かっています。……でも、ぼくはタキアから、絶対に離れない! 一人にしないって約束したんだ!」
 ライアネルは無言だった。
 青白い焔を纏ったライアネルは暫くの間、目を閉じ、それから口を開く。
「……俺は誰の竜騎士にもならない。……人として、一人の騎士として、生きていく」
 ライアネルを包んでいた青白い焔は、その言葉を聞き届けたのか、静かに燃え落ちるように、消えていった。
 ライアネルは肩を押さえていた右手を離して、血に濡れた籠手を外す。
「……ルサカ、強くなったな」
 その無骨で大きな右手を、ルサカに差し出す。
「お前はもう、俺が守らなければならないような子供じゃない」
 ルサカは少しためらって、それからその差し出されたライアネルの右手に触れる。
「……お前を連れ帰る為に戦ったんじゃない。……これは俺の、お前との別れの儀式だ。俺の身勝手な、けじめのようなものだ。勝敗なんか、無意味だ」
 耐えきれなかった。
 ルサカの新緑色の瞳から、涙が溢れ、零れ落ちる。
「……ライアネル様……」
 子供の頃のように、ライアネルの胸に飛び込んで、声をあげて泣き出す。
「もう会えないわけじゃない。……お前が望むなら、また会える」
 ライアネルに何も返していない。この気持ちを、感謝を、口にしたいけれど、何をどう伝えたらいいだろう。
 どんな言葉でも、言い尽くせない。
 それくらいに、ライアネルと過ごした七年間は、ルサカにとっても、ライアネルにとっても、大切な日々だった。
「……ライアネル様と過ごした七年間を、ぼくは絶対に忘れません。……ライアネル様は、ぼくの誇りで、ぼくの大切な人です」
 伝えたい気持ちを、言葉になんて出来なかった。
 ライアネルはそのルサカの髪を撫でる。
 ルサカが眦を拭い、見上げると、ライアネルを見送った、あの朝と同じ笑顔があった。
 この笑顔だけが、かつては世界の全てだった。



 タキアの右前脚の怪我は、治るまで長い月日を要すると思われる。
 容赦なく切り落とされそうな勢いだった。切り裂かれただけですむはずがなく、見事に骨まで砕かれていた。
「……しかしライアネルはすごいな。……あばらがいっててこれか。本当に、へし折っておけば良かったなあ」
 リーンは時折、古城の巣へ見舞いにやってくる。なんだかんだいって弟が可愛いし、心配なのだろう。
「俺の尾もやばかった。切り落とされそうなくらい、やられたからな。魔眼の騎士の強さがあそこまでだとは、思いもしなかった。想像以上だ」
「僕も前脚を切り落とされたか思った。そうなったら完全に再生するまで百年近くかかるし……」
 切り落とされてもまた生えてくるというのか。さすが強靭で長命な竜だ。ルサカは思わず感心してしまう。
「リーンさんも、策を弄していたのにライアネル様を逃してしまって、残念でしたね」
 タキアの寝台の横で、タキアの固定された右手をさすっていたルサカがリーンを見上げると、リーンはまたあのすみれ色の目を細めて笑う。
 ああ。本当にこの笑い方は、何かを企んでいる時のレオーネによく似ている。
 ルサカはそんな事を考えながら、見上げる。
「ライアネルがこれから先の人生で、力が欲しいと思う事があるのかないのか。……その時に、俺を選んでくれるといいな」
 意味が分からなかった。
 ライアネルは竜騎士になる事を拒否して、それで終わったとばかり、思っていた。
 まさか違うのか。
 はっとしてタキアを見ると、タキアがほんの少し、困ったような顔をしていた。
「……ヴァンダイク卿が、力が欲しいと願った時に……僕か兄さんの竜騎士になってしまうね。……もう、そういう竜の誓約を結んでる状態だから……」
「……え」
「だから……ごめん。僕もヴァンダイク卿を選んでしまったから……将来、ヴァンダイク卿が僕の竜騎士になる可能性が全くないわけじゃなくなった……」
 ライアネルに負けたタキアは、確かにライアネルを選んで、認めてしまっていた。そして、それは一度断られても、誓約としてまだ竜騎士になる可能性が残るという事か。
 万が一、ライアネルが今後タキアを選ぶような事が起これば、ライアネルはタキアの竜騎士になり、三人で暮らさなければならなくなる。
 タキアとのあんな事やそんな事を、ライアネルに知られながらする、という事か。いやそんな事絶対出来ない。無理だ。
 ルサカは頭が真っ白になる。
「こればっかりはライアネル次第だからな。……俺も諦めるつもりはないけど」
 本当に、竜はひどい。
 衝動的で刹那的で、後先考えない。無邪気で無垢で、欲望に忠実すぎる。
 人間の都合なんか全く考えないし、欲しいものは絶対に諦めない。
 それでもルサカは、この不思議でさみしがりやの生き物を、愛さずにいられない。
 ルサカはタキアの手を握り締めて、小さくため息をつく。
 この手をもう離せない。
 覗き込むタキアの、あの不思議なすみれ色の瞳を見つめながら、ルサカは笑い、唇を寄せて、小さな声で囁く。



【竜の棲み処・完】


2016/04/18 up

-- ムーンライトノベルズにも掲載中です --

clap.gif clapres.gif