竜の棲み処 異聞録

#03 いつか、伝えられたら

「……騎士団のえらい人たちにも、第六騎士団の団長にも、うまく言っておきましたよ」
 ジルドアは、騎士団からの見舞品だという花と、なにやら色々詰まったバスケットを持って、ライアネルの部屋を訪れた。
 ライアネルは例の竜二頭との決闘で負った傷の療養をしていた。
 肋骨に三箇所のひび、鎖骨骨折、肩に裂傷と、全身細かい傷。まさに満身創痍だ。
 さすがにもう無理は出来ない。テラス側にベッドを移動して、そこで大人しく寝て過ごしていた。
「世話をかけるな、ジルドア。……お前には迷惑をかけてばかりだ」
「迷惑だなんて思っていませんよ。仕事ならそれなりになんとかなってますが、ライアネル様でないと出来ないものはバッチリ積んであります」
 そんな事を言っているが、ジルドアが普段以上に頑張ってこなしている事は目に見えている。
 本当にジルドアには感謝しかない、とライアネルは思う。
「……ライアネル様のおかげで、普通なら経験出来ないような事を目一杯させてもらってますからね。まさか竜とお茶が飲めるとは思っても見ませんでした」
 バスケットの中から色々取り出しては並べながら、ジルドアは目をキラキラさせている。
 まさに好奇心は猫を殺す、を地でいく男だ。
 この非日常の竜との交流を、ものすごく彼が楽しんでいる事はライアネルもよく知っている。
 思えばルサカが攫われてから、ものすごい量の古今東西の竜に関する書物を買い漁り読み漁っていた。ジルドアのこの探究心は激しすぎるが、いいところにはまればものすごく頼りになる。
「そうそう、ライアネル様の怪我は、うまくごまかしておきました。ライアネル様は少女と少女の猫の為に名誉の負傷をした事になっています。……私が日頃、懇意にしている少年の妹がちょうど猫を飼ってまして」
 この怪我の理由を騎士団にどう報告するか、ライアネルは迷っていた。
 竜と戦った事を知れば、騎士団は何かと探りを入れてきて面倒な事になる。ジルドアが、お任せ下さい、と二つ返事で言っていたので、彼に丸投げしていた。
「銀の森の野うさぎ亭の焼き菓子セットで買収に成功しました。口裏もバッチリです。少女の猫が木から下りられなくなっているのを通りかかったライアネル様が助けようとして、暴れる猫もろとも落ちた事になっています。……偉い人たちは非常にライアネル様らしい、と納得していましたよ」
 ベタな気がしなくもないが、それで上の人々を騙せるならそれでいい。
 竜と戦って負けた事にしてもやいやい言われるのは間違いないし、勝った事を知られればもっと厄介な事になる。
 嘘でもなんでもいいから、今はそっとしておいて欲しかった。
「……私はてっきり、ルサカくんの為に、竜騎士になるとばかり思っていましたよ。おかげで私の無職コースは回避出来ましたが、ライアネル様は本当にそれで良かったんですか」
 ライアネルはバスケットから、銀の森の野うさぎ亭のお菓子の箱やら、果実酒の詰まった瓶やらを取り出し次々とテーブルに並べる。
 瓶には小さな札がかけられていたりしている。恐らくこれは騎士団の団員からの個別の見舞品だろう。
「……ルサカの為にも、人であり続けなければならないんだよ」
 それがどういう意味なのか、ジルドアには分からなかった。
 分からなかったが、聞き返そう、とは思わない。
「そういえばまだリーン殿は足繁く通って来ているそうですね。マギーさんに聞きましたよ。余程ライアネル様の事が諦め切れないんでしょうね」
 ジルドアはバスケットの中から最後に、大きめの箱を取り出す。
「これ、私からルサカくんに。ルサカくんの好きな、銀の森の野うさぎ亭のキルシュトルテです。……あの日も結局ルサカくんはこれを食べられなかったので、もしリーン殿が今日来るようなら、届けてもらえるかなと思って」
 あの日。
 ルサカがこの屋敷に戻ってきて、庭先から攫われた日の事だ。
 あの日、ジルドアは無事に帰ってきたルサカの為に、このケーキを買って来たが、ルサカは食べる事が出来なかった。
「リーン殿がいつ来るのか、ライアネル様も分からないと言っていたので、私もルサカくんに届けてもらえたらいいな、くらいの気持ちで買ってきました。なので来なかったら来なかったで、食べちゃってください。その時はライアネル様への私のお見舞品て事で」
 ジルドアもとてもルサカを可愛がっていた。
 二人は手先が器用なので、よく仲良く居間に転がってああでもないこうでもない、と図面を引いていた。
 そうやって図面が完成すると、今度は庭先でなにやら作り始める。
 船やら凧やら犬やひよこのプルトイやら、色々なものを作っては遊んでいた。
 今もこうして窓際から庭を眺めると、そんな二人の姿が見えるような気がしていた。
 もうルサカがここに帰ってくる事はない、そう分かっていても、そんな夢を見たくなる。



 ルサカを引き取った時、ライアネルはまだ二十五歳だった。
 一人っ子で育ち、子供の扱いにも慣れていない。両親も既に他界しており、通いの使用人が数人いるだけの、静かな男の一人暮らしだ。
 騎士団側もそこを配慮して、あまりにも小さい子では無理であろうと判断し、七歳とある程度分別がついて育っているルサカを選んだのであろう。
 そして、ルサカは大人しい子供だった。
 独身で子供に慣れていない、まだ若いライアネルでも、なんとか面倒を見れそうな、大人しい、物静かな扱いやすい子を、あえて選んで寄越したのだと、それはライアネルにも分かっていた。
 第六騎士団の団長と福祉担当の者に連れられてやって来たのは、雨上がりの午後の事だった。
 ルサカを初めて見た時、ライアネルは本当に驚いた。
 見た事もないくらい、綺麗な子供だった。
 大昔にいたと言われているエルフの末裔ではないか、というくらいに、この世のものとは思えない、浮き世離れした美しい子供だった。
「だからお前みたいな堅物に預けるんだよ」
 第六騎士団の団長はそう言っていた。
 これだけの美しさだったら、守り育てなければならないのに過ちを犯す養い親もいるかもしれない、とライアネルも唸る。
 団長がこの子の養い親の選定に悩み倒したであろうことは察した。
 そのいかつい団長の隣で、俯いてただ立ち竦むだけのルサカに右手を差し出すと、ルサカはおずおずと手を出す。その小さな手を取って、ライアネルはルサカの目の高さに屈みこんで話しかける。
「俺は一人っ子だったし、独身なもんだから、色々気が利かないかもしれない。けど、ルサカ。楽しく一緒に暮らせるよう努力をするから」
 ルサカは人の視線を恐れる子供だった。
 多分、自分の容姿が人目を惹かずにいられないものだと、ルサカは知らない。
 小さな頃から、どこに行ってもじろじろと見つめられるせいで、俯く事が癖になっていた。
 この時もライアネルに話しかけられるまで、顔を上げる事が出来ずにいた。
 この、大きな無骨な手は、とても温かく、優しかった。
 ルサカが顔をあげ、ライアネルを見上げながら、少し恥ずかしそうにおずおずと微笑んだのを、ライアネルはきっと、一生忘れない。



 第六騎士団の団長と福祉担当者の計らいと、ライアネルが今まで溜め込んでいた休暇を全部あわせると、二ヶ月ほどの休暇を取れる計算になった。
 生真面目なライアネルは、既に孤児を引き取り養育している先輩保護者の騎士団員達に話を聞いて歩き、育児書を読み、家政婦のマギーに相談し、真剣に育児に取り組もうとしていた。
 まず、この二ヶ月の休暇を、ルサカと親しむ事に使う。
 ライアネルも自分の、威圧感のある大柄な体格といかつい風貌には気付いていた。
 これは子供に脅威を与えそうだ、とも思っていた。
 まずはこの小さな子供がライアネルに慣れ、親しみを覚えるまでは、むやみに抱き上げたり撫でたりしないよう、それでいて、素っ気無くよそよそしくしないように、とそれはもう、心を砕いた。
 ルサカは大人しい子供で、遠慮がちだった。
 進んでマギーの手伝いもするし、ライアネルが何か言う前に、自分で本を広げて勉強していた。
 時折ライアネルが声をかけると、おずおずとわからないところを質問してくる。
 本当に手がかからない、『いい子』だった。
 となれば、ライアネルが教えるべき事はひとつしかない。
 遊びだ。
 ライアネルは毎日のように、ルサカを連れて釣りやピクニックや、市場めぐり、時には首都から少し離れた領地への日帰り旅行にも連れて行った。
 そのかいあってか、物静かで口数の少なかったルサカも、少しずつライアネルに心からの笑顔を見せるようになった。
 休暇が終わる頃には随分慣れたようで、俯く事も無くなっていた。ライアネルはそれがとても嬉しく思えていた。
 ライアネルが仕事に復帰すると、ルサカは毎日、朝は門まで見送りに来て、夕方帰宅すると出迎えに飛んでくるようになった。
 誰に言われるでもなく、ルサカは自分からそうしていた。
 マギーは、『ライアネル様がそろそろお帰りになる時間になると、ルサカちゃんはそわそわし始めるんですよ』と笑って言っていた。
 父を亡くし、五年前には母も亡くしていたライアネルは、ルサカを迎えて、家族を再び得た。
 家で帰りを待っていてくれる家族がいると思うと、毎日がとても楽しく感じられて、騎士団のこの福祉政策に自分こそが救われているのだと感謝していた。
 ある雨の日に、ルサカは怖い夢を見たのか、朝から瞼を赤くしていた。
 ライアネルが色々声をかけても、口ごもって首を振るだけで、ルサカはずいぶんと沈んで見えた。
 仕事に出掛ける間際まで、ルサカの沈んだ様子が気になってはいたが、抱き上げたりするのはどうか、とライアネルは迷っていた。
 子供にスキンシップは重要な事だ、と騎士団の先輩方も言ってはいたが、まだルサカがそこまで心を許してくれているのか、ライアネルは判断がつかなかった。
 悩みながら玄関先でクロークを羽織ると、その時はじめて、ルサカがそのライアネルのクロークを掴んで、引き止める仕草を見せた。
「……ルサカ、どうした? やっぱり怖い夢を見たのか?」
 ルサカの目の高さにしゃがんで声をかけるが、ルサカは少し涙目で口ごもるだけだ。
 天候もあいにくの雨で、時間も押していた。急いで騎士団の詰め所に向かわねばならない時間だった。
 少し迷って、ルサカの柔らかなココア色の髪に軽く触れる。
「すまないな、どうしても仕事に行かなければならないんだ。……帰って来たら、話を聞くから。寂しい思いをさせて、すまない……。許してくれ」
 そう言い聞かせると、ルサカはぎゅっと握っていたクロークの端から手を離した。
「……ごめんなさい、ライアネル様。なんでもないです。……いってらっしゃいませ」
 ルサカの幼い声は震えていた。
 それは泣き出したいのを堪えている声そのもので、ライアネルは初めて、心の底から、ルサカを抱きしめて慰めたい衝動に駆られた。
 ライアネルが迷っている間に、ルサカはそっと離れ、マギーのスカートの影に隠れてしまった。
 ルサカがライアネルの後追いをしたのは、あとにも先にもこの一回きりだった。
 あの時、ルサカを抱きしめてやらなかった事を、ライアネルはずっと後悔していた。
 ルサカを聞き分けのいい、『いい子』にしてしまったのは、これが原因だと思えて仕方なかった。
 あの時ルサカに必要だったのは、子供らしく大声で泣いて、それを慰め、抱きしめる大人の手だったのだと、今になって思う。



「……で、これが第三騎士団の団長と副団長からの見舞金で、これが第六騎士団詰め所の食堂のおかみさんからのお見舞いの果実酒です」
 お見舞いの品々を並べてジルドアは説明しているが、ライアネルは上の空だった。
「一応、全てに贈り主の名前の札をつけておきましたから。……無理せず養生なさって下さい。私はそろそろお暇させて頂きますね」
 上の空なライアネルを見て、ジルドアは無理をさせてしまったと思ったのだろう、素早く帰り支度をする。
「それではライアネル様、失礼致します。……どうか、早くお元気になられますように」
 ジルドアを見送って、ライアネルは庭先のバラの茂みに視線を移す。
 あの日のルサカを思い返す。
『……でも、ぼくはタキアから、絶対に離れない! 一人にしないって約束したんだ!』
 ルサカがそう叫んだ事を、ライアネルが嬉しく思っている事を、ルサカに伝えていない事を思いだす。
 いつでもルサカは『聞き分けのいい子』だった。
 それがライアネルの後悔でもあった。
 ライアネルのそばにいたら、ルサカはずっと『いい子』でいようとしていただろう。
 その『いい子』のルサカが、何もかもかなぐり捨てて、自分の望みを貫き通そうとした事が、何よりも嬉しかった。
 いつかそれを伝えられたらいい。
 いい子でなくなったルサカでいいんだと、いつか、伝えられたら。
 そんな事を考えながら、ライアネルはゆっくりと目を閉じ、眠りへと落ちていった。



2016/04/28 up

-- ムーンライトノベルズにも掲載中です --

clap.gif clapres.gif