竜の棲み処 異聞録

#06 竜もたまにはデートする 前編

「デート?」
 厨房でケーキを作る為に粉をふるっていたルサカは、思わず聞き返す。
「うん。デートしよう、ルサカ」
 タキアはまだ怪我が完治していない。
 表面の皮膚の傷は塞がっているが、骨と筋肉はまだまだ治癒に時間がかかる。
 ルサカは嫌がるタキアを押さえつけて、無理矢理、右腕を三角巾で固定しているが、タキアはこれが気に入らない。外したくて仕方ないようで、時々ぐずる。
 今もそんな話をしながら、『とっちゃだめ?』と目で訴えているが、ルサカは完全に無視していた。
 デート。
 ルサカは手を止めて少し考え込む。
 まず、竜にデートの概念があった事が驚きだ。
 そうか、竜もデートするんだ。
 誰と、と一瞬思ったが、同族も番人もいる。相手は幾らでもいた。
 そしてもうひとつ。
 番人を人の世に連れて行くのは色々問題が多すぎるし、万が一があったら、という事。
「……人間がいる場所はだめだよね。……どこでデートするの?」
 それだ。
 そこがすごく疑問だ。
 タキアは、とても嬉しそうに、にこにこ笑う。
「クアスがグラスノール海に、温泉のある無人島があるって教えてくれたんだ。陸からすごく離れてるから、人間の航路からも遠く外れてるし、人間に会う事はないって」
「え、クアスと連絡取ってるの?」
 そっちも驚きだ。
 あれだけぷりぷり怒っていたのに、これだけ聞くと何だか結構仲が良さそうに聞こえる。
「うん。クアスもこの大陸近辺に営巣したいらしいし、よく情報交換してるよ」
「あれだけ争って大怪我したのに、仲良し……」
 夕日の土手で殴り合って友情深める、みたいな事になっている。
「仲良くしたらダメ? ……もうクアスはルサカに何かしたり出来ないから、安心してよ。それにあいつそんな悪い奴じゃないし。……結構話も合うんだ、歳も近いからかなあ」
 いつの間に連絡を取っていたんだ、とルサカは一瞬思ったが、思えば竜は離れていても意思の疎通が出来る。ルサカが知らないうちに、やりとりしていたのだろう。
 タキアは本当に全く、何の遺恨もなく邪念もなく、親しく思っているようだった。
 あれほどルサカを巡って腹を立てて争っていたのに、そう考えるととても不思議だ。
 もしかしたら、竜は人間なんかより遥かに懐が広いんじゃないだろうか。
 このパターンによく似た人間の事例だと、一人の女性を巡って騎士二人が決闘する事か。
 そんな事になったらまず、どちらかの騎士が死ぬまでやりあうだろうし、万が一、生き残ったとしても、深い禍根が残って、こんな和やかな交流なんて、絶対に生まれない。
 竜にとっては、それはそれ、これはこれ、過去は振り返らない、という事なんだろうか。
「ダメって訳じゃないけど、竜はすごいね」
 思わず素直に感想を漏らす。
「人間だったらこうはいかない。竜のそういうところは、尊敬するよ」
「……よくわからないけど、褒められたのかな」
 タキアはルサカがケーキの飾り用に用意していた、フィノイ・シトラスのピールをつまみ食いする。
「褒めてるよ。すごく」
 ルサカは小さく笑って、爪先にじゃれていたヨルに、ピールのはじっこを食べさせる。
 竜は自分より弱いものをいじめないし、必要以上の争いもしない。
 人のように、息の根を止めるまで追い詰めたりもしない。
 ちょっとモラルがゆるゆるで、ちょっと短絡で、ちょっとわがままだけれど、知れば知るほど、不思議な生き物だ。
 人によく似ているようで、全く似ていないようで、動物のようにも思えるし、人や動物が及ばないくらいの絶対のルールを持っているのに、突然、そのルールを簡単に踏み外す、それくらいに衝動的で刹那的でもある。
 本当に不思議だ。
「ああ、それでね、デート、というか、お泊まりデートっていうか、行こうよ」
 そんな人間みたいな言葉も知っているのか、とルサカは驚愕する。
 そんなお泊まりデートとかの概念もあるのか。
 ルサカは竜を見くびっていた。すごく、見くびっていた。
 そんな文化的なこと、しないと思っていた。
 こんな一緒に暮らしていて『お泊まりデート』というのも何だか違う気がしなくもないが、デートはデートだ。間違いなく、デートだ。それも、初デートだ。
「ルサカと露天の温泉とか、いいなあ。滝が温泉になって滝壺に注ぎ込んでるんだって。竜のままでも浸かれるくらい大きいっていうし、行ってみたい」
 それはすごく行ってみたい。
 そんな壮大な温泉、ルサカだって見た事がない。
 それに久し振りの外だ。本物の草木に大地だ。おまけに、巨大な温泉に海もある。行きたくないはずがない。
「行きたい。すごく行きたい! ……グラスノール海のその島って、遠いの?」
「それなんだよね。長距離を飛ばないとならない。……ちょっと移動するのとはわけが違うから、ルサカを安全に連れて行く方法を考えないとね」
「そこからなのか……。ぼくもう行けるつもりだったんだけど」
 ルサカがしょんぼりと肩を落とす。
 考えてみたら特異な出会い方をして恋愛感情どころか好意も持つ前に関係を持って、ここに至るまでに色々ありすぎて、そんな人間ぽい、デートとかした事なんかなかった。
 それどころか、ルサカは人生で一度もデートすることなく竜の番人になった。一度くらい、してみたい。
 タキアはにこにこと子供のように笑って、ルサカの頬に唇を押し当てる。
「僕も。絶対ルサカと温泉デートしたいから、考えるよ。数日待ってね」


「……暫くお邪魔しないうちに、色々大変な事になっていたんですね」
 久々に古城の巣の客間に現れた珊瑚は、いつもの黒いトランクから新製品のカタログを取り出しては、並べる。
「ここ暫く、竜が騎士と戦うなんてお話は、耳にする事もなかったんですが。いるところにはいるのですねえ、魔眼の騎士や魔法騎士が」
 竜の巣専門の外商として長い珊瑚がそういうのだから、本当にレアなケースなのだろう。
「もう、とうの昔に絶滅したものだとばかり思っていましたよ」
「ルサカにも、古い竜の血が残っていたくらいだからね。……誰にも気付かれずに、ひっそりと静かに受け継がれているんだと思うよ」
 昔のように強く濃く残されてはいなくとも、細々と受け継がれていくのだろう。
 その方が、いいのかもしれない。
 過ぎた力は、人の世では争いの種になりやすい。
「ああ、で、ちょっと呼び出し紙に書いたけど、頼んでおいたものは……」
「ええ、何点かご用意致しました」
 珊瑚はいつもの黒いトランクからごそごそと大きなものを取り出す。
「よく考えてみたのですが、これが一番でしょうか」
 多分、これは鞍だ。
 繊細な模様を刻み込まれた、革の鞍。
 馬の鞍によく似ているけれど、それよりも大きいし、謎のパーツもついている。
 鞍、鐙革、鐙。その辺りは馬と一緒。
 作りはあまり馬と変わらないが、鞍自体がかなりの大きさで、微妙にやはり、馬のものとは違う。
「数は少ないですが、竜騎士を持っていらっしゃる竜のお客様も、少数ですがいらっしゃいます。それから、元騎士や魔術師の番人をお持ちのお客様も。そういったお客様から、少なからず鞍のご注文がございます」
 珊瑚は説明しながら二つ目の鞍を取り出す。
 この黒いトランクの中は一体、どうなっているのか。どうみてもこの鞍よりトランクは小さい。
 そういえば、ケルベロスやヘルハウンドの子犬も、このトランクから当然のように取り出されていた事を、ルサカは思い出していた。
「竜に騎乗するための鞍です。やはり鞍がないと安定して人を乗せられませんね」
「確かに前にタキアの背中に乗った事があるけど、あれを長時間乗れっていわれたら転げ落ちそうな感じだった。安定感があまりない」
 ライアネルの屋敷に帰る時に乗ったが、高いところがあまり好きではないルサカには、なかなかの苦行だった。
 鞍があればもっと安定して、不安にならずに乗っていられるだろうか。ルサカは真剣に考える。
「ああ、こんなのがあった。……ルサカをそのまま乗せちゃったよ。怖い思いさせちゃったな……」
 タキアは珊瑚が床に並べた鞍をひとつ持ち上げて、しげしげと眺めていた。
「ルサカは高いところがあまり得意じゃないんだよね。まあこの巣で暮らして慣れてきたとは思うけど……」
「竜のお子様用のキャリーバッグならあるんですが……。番人サイズのものはありませんね。稀にお引っ越しをなさる方は、大抵ご自分で、鞍を使って背に乗せて移動なさってますし」
 三つ目の鞍を床に置いてから、珊瑚はうーん、と考え込む。
 確かにルサカは高いところが苦手だ。苦手だが、耐えられないほどではない。
 それにこの断崖絶壁の古城の巣で暮らすおかげで、それなりの耐性はついた。
 なにより、どうしても、ルサカはそのグラスノール海の島に行きたい。
 土と緑の大地になんて、もう触れられないものだとばかり思っていた。
 海もある、温泉もある、豊かな自然もある。
 なんとしてでも、行きたい。
「多分大丈夫、高いところにも慣れたし、鞍があるならもっと安定して乗っていられるだろうし」
 多分、大丈夫。ルサカは自分に言い聞かせる。
「……じゃ、ひとつ買って試してみようか。これで移動に問題がなくなれば、一緒に出かけやすくなるし。……珊瑚さん、旅行に使いたいんだけど、荷物も積める感じのとかある?」
「それでしたら、こちらの鞍が。荷物を積む事を前提に作られているので大きめですが、良い革を使っていて……」
 真剣にふたりは鞍を並べて吟味を始める。
 タキアとどこかに出かける。それは少し考えた事はあった。
 いつかルサカを生まれ故郷の、西の砂漠のある国に連れて行きたいとよくタキアが言っていた。
 そして本物の、砂棗の花を見せたいとも、言っていた。
 けれど、番人が人の世に降り立つのは、リスクが高すぎるが、ルサカも多少なりとも竜の魔力と言葉を行使して、身を守る術を身につけた。
 以前よりは格段に、安全でもあるし、タキアも色々な危険を避ける知識と警戒を覚えた。
 あとは、それに驕ることなく、可能な限りの自由を味わえばいいだけだ。
 竜の番人が人の世で生きられないのは、竜の加護を受けたこの人ならざる身のせいなのか、人の欲望のせいなのか、そのどちらもなのか。
 それを恨もうとは、もうルサカも思っていない。
 あるがままに受け入れ、生きていく。あるがままに、流れるままに。時に抗い、従い、生きていく。
 タキアと共に、百年を、千年を。



「鞍の試乗も出来たし、無事に選べたし。……これでグラスノール海に行けるね」
 タキアはピクニック前の子供か、と言うくらいに嬉しそうだ。
 だがルサカだって、同じくらい楽しみにしていた。
 ヨルも連れて行くために、竜の子供用のキャリーバッグも買ったし、あとは旅行に何を持っていくか、リストを作って準備をするだけだ。
「楽しみすぎて心臓がばくばくする」
 そんな子供っぽい事をルサカが口にするのは、珍しい。
 これだけ喜んで楽しみにしてもらえると、タキアも嬉しくて仕方がない。
 ルサカが幸せそうで嬉しそうで、楽しそうなのが、タキアにとって一番嬉しい事だ。
「……そういえば鞍とか。馬みたい! 動物みたいで嫌! とか、思わない? 本当は嫌じゃないの?」
 ちょっぴりそこは心配していた。
 人間の感覚では、鞍なんて完全に動物扱いじゃないかと思える。
「うーん。特には。思えば竜騎士を持ったら、もっと戦闘用の本格的な鞍とか必要になるくらいだしね。割と竜にとって鞍は普通。元騎士や魔術師の番人を持ってたら、たまに財宝集めを手伝わせる竜もいるって聞いた事あったよ」
 人を乗せるための鞍は、割と竜の間では常識だった。
 本当は嫌じゃないのか、とルサカは心配していた。それを聞いて安心する。
 安心したが、もっと大事な事を思い出した。
 無視出来ないだいじな事。
「……そもそも、怪我が完治してないじゃないか。それで長距離移動とか大丈夫なの? 治ってからの方がいいんじゃないの?」
 一応は傷は塞がっているが、骨も筋もまだ繋がりきっていない。そんな状態で旅行とか。
 タキアはまた、嬉しそうにふふっ、と小さく笑う。
「ルサカとデートしたいのもあるけど、もうひとつ、行きたい理由があるんだよ」
 タキアが寝そべっている寝椅子の足元に、ルサカはヨルを抱いて座っていた。タキアは起き上がって寝椅子から降りて、ルサカの隣に座る。
「言ったじゃないか。温泉が滝壺に注ぎ込んでいて、竜のままでも浸かれるくらい、広いって。……竜の姿のまま浸かれるから、湯治も兼ねるんだよ」
 思えば、こんな巨大な身体で浸かれる温泉なんて、滅多にない。
「竜のまま、ルサカと温泉に入れるとか、夢みたいだ。……嬉しい」
 左手でルサカを抱いて、ルサカの頬に頬を摺り寄せる。
 なるほど、そういう事か、とルサカも納得する。
 人の姿なら一緒に入れるけれど、竜のままなんて、確かに無理だと思っていた。
「……疲れたり痛んだりしたら、休憩するんだよ。無理しないなら、行こうか」
「ルサカは心配性だ。竜はそんなやわじゃないよ」
「無理したら、一緒に温泉に入らないからね」
「それじゃ絶対無理出来ないな。……ルサカと一緒に入りたいから行くのに」
 とうとう、初デートだ。
 今まで一回もなかった事だけに、ふたりとも、わくわくしすぎるくらい、わくわくしていた。



2016/05/21 up

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