竜の棲み処 異聞録

#14 レタスサラダの誘惑 前編

 タキアはあまり生野菜を食べない。
 タキアが生まれた西の砂漠の国は生で野菜を食べる習慣がなかったそうで、ルサカと暮らすようになっても好んで食べる事がなかった。
 そもそも竜のタキアにとって、人間の食べ物はそれほど必要なものではない。おやつ扱いのようなものだ。主食は彼の言うところの『人間の目には見えないけどその辺にあるもの。人間で言うところの霞というやつかもしれない』なので、ルサカも無理に好きではないものを食べさせようとは思っていなかったが、そうも言っていられない事態になった。
 タキアが貢ぎ物で貰ってきた野菜の中に、大量のリーフレタスがあった。
 くしゃくしゃっと縮れた柔らかな黄緑色の葉を持つこのレタスは、ルサカの大好物だ。が、水分たっぷりなせいで、日持ちしない。とても傷みやすいデリケートな野菜だ。
 今まで貢ぎ物にこの手の腐りやすい野菜が入っていた事はなかった。多分、捧げる側も配慮してくれていたのだろう。今回はもしかしたら豊作で持て余したのかもしれない。何にせよ、ルサカはこれが大好きなので嬉しいが、量が量だ。
 珊瑚から買った『そこにしまえば腐らない棚』という便利なものもあるが、しまうには少し多すぎるし、幾ら好物でもルサカ一人で食べるのは厳しい量だ。
 こうなったら、タキアにも食べて貰うしかない。ルサカは大量のリーフレタスをちぎり、水に晒しながら思案する。
 以前、カインに聞いた彼の故郷の料理を思い出す。『羊飼いのサラダ』というサラダだ。
 トマトやきゅうり、青唐辛子や玉ねぎを角切りにして、塩とハーブやパセリ、ひまわり油やオリーブ油で和えて、たっぷりとレモン汁を絞って食べるサラダだ。
 簡単でおいしいし、これだけはタキアも結構食べていたとカインが言っていた。
 材料はある。ルサカは棚を開けて確認する。
 リーフレタスにこの羊飼いのサラダを和えれば、タキアも食べる気になるのではないだろうか。
 好きではないものを無理に食べさせようとは思わないが、このままではせっかく貰ったリーフレタスを腐らせて無駄にしてしまう。少しはタキアにも協力して貰わないと。食べ物を無駄にするのは心苦しい。
 そう算段を付けて、ルサカは調理に取りかかる。



「あー『羊飼いのサラダ』だ。久し振りだ!」
 大皿にたっぷり盛られたサラダを見て、タキアは少し驚いているようだった。
「ルサカ、知ってたんだこのサラダ」
「ああ、前にカインさんに習ったんだ。カインさんの故郷の料理だって」
 綺麗に取り分けてタキアの目の前に置く。この夏野菜の鮮やかな彩りはとてもおいしそうだ。
「これを食べると夏だなーって感じる。夏の野菜ばかりだものね。……これ、貰ってきた野菜?」
 タキアはリーフレタスに気付いたようだ。フォークで軽く柔らかな葉をつついている。
「そうそう。リーフレタスっていうんだよ。ぼくはこれ大好きだけど、タキアはどうかなあ。たくさんあるから、できれば食べて欲しいんだけど」
「初めて見た野菜だよ。姉さんとこにはあったのかなあ……?」
 そんな事を言いながら、タキアはぽつぽつとリーフレタスを口に運ぶ。
「無理にとは言わないよ。嫌いなものを無理に食べたって、楽しくない食事になっちゃうしね。ヨルも食べる?」
 ルサカは足下のヨルに摘まんだリーフレタスを食べさせてみる。
 ヨルはヘルハウンドだが、だいたい普通の犬と同じような物を食べている。珊瑚からも特に注意しなければならないような食べ物はありません、と言われていたので、ルサカも気楽に色々な物を与えていた。
 ヨルもいたくお気に召したようだ。もっと、と屈み込んだルサカの膝に前脚をかける。
「ヨルはこれ、好きみたいだね。ヨルも食べてくれるなら、腐る前に食べきるかなあ……」
 ふとテーブルをみると、タキアは一心不乱に食べていた。それも、大皿からリーフレタスだけをとって、驚く事に夢中になって食べていた。
 確かにタキアは人間の食べ物も好きだ。けれどこんな食いつきがよかった事なんて、かつてなかった。
「そんなにおいしい? もっと持ってこようか?」
 厨房にはまだたっぷり刻んだレタスのボウルが置いてある。
「……おいしい! なにこれ、こんなの初めて食べた! ほんのり甘くて、しゃくしゃくしてて、おいしい!」
 もう肝心の『羊飼いのサラダ』のトマトやきゅうり、青唐辛子部分はどうでもいいようだ。リーフレタスのみをばりばり食べている。
「気に入ったならよかった。もっとあるよ、食べる?」
「食べる! この世にこんなおいしいものがあったなんて……知らなかった」
 タキアはもうフォークと皿を離さない。かつてみた事が無いほど、夢中で食べている。
 そんなに感動するほどのものだろうか。生野菜をほとんど食べないタキアから見たら珍しいかもしれないけれど、夢中になるほどだろうか……? まあ、竜と人とは嗜好が違うのかもしれない。
 ルサカは厨房に戻って、ヨルの分のリーフレタスを丸のままざっくりすすいでヨルのご飯皿に載せ、空いたもう片方の手でリーフレタスの詰まったボウルを持つ。
「まだ食べられそう? 意外とタキアは食べないからなあ。ぼくの方が食べる量は多いよ……」
 開け放ったままだった居間の扉をくぐって、ルサカはいいかけた言葉を飲み込む。
「タキア……? タキア、どうしたの!」
 ルサカはボウルとご飯皿を放り出し、テーブルに突っ伏すタキアに駆け寄る。
「具合が悪いの? 一体何が……」
「ああ……ルサカ、うん……」
 ぷん、と何か酒のような、アルコールのような匂いがする。
 酒なんて、出していない。今日はこの羊飼いのサラダとリーフレタスと、果物と焼いた鶏肉くらいだ。何故こんな、酒の匂いがしているのか。
「どうしたんだよ、大丈夫?」
 ふらふらのタキアを抱き起こして、顔を覗き込むと、真っ赤な頬に、とろんとした目をしている。そして、ほんのりと匂う、酒の匂い。
「え なんでお酒の匂いしてるの、お酒なんか出してないよ。……どこから持ち出して飲んだの」
 いや、冷静に考えてみれば、タキアは酒には酔わない。
 いつだったか、エルーと二人でルサカが作った林檎酒を浴びるほどというか溺れるほどというか飲んでいたが、けろっとしていた。全く酔わなかったのに、今何故?
「飲んでな……。サラダ食べただけ……」
 酔っ払ったタキアなんて、初めてだ。なんだか甘えたような舌っ足らずな、呂律が回っていない喋り方だ。そして何故か、酒臭い。
「まさか、レタスで酔うの? ちょっと、タキア……べろべろに酔ってるじゃないかこれ……」
 タキアは頬を染めてふにゃふにゃ笑っていて、まさにこれは酩酊状態というやつだ。
 林檎酒では酔わないのにレタスで酔う? 分からないが、この酒の匂いは間違いなくタキアからだ。竜はレタスをアルコールにしてしまうのか? よく分からないが、多分、竜はレタスで酔うのだ……。驚く事に。



 竜がレタスで酔っ払う、とは知らなかったが、自分がタキアをお姫様抱っこして歩けるというも知らなかった。
 ルサカは軽々とへべれけのタキアをお姫様抱っこして、廊下を歩いている。自分でも驚いていた。泥酔したタキアをどうやって運ぼうか考えて、試してみたら出来てしまった。
 竜の魔法すごい。身体強化は体力だけではなかった。腕力も底上げしている。
「ヨル、手が塞がってるからタキアの部屋のドアを開けてね」
 すぐ後について歩いていたヨルは、わん、と返事をする。
 タキアはルサカより頭一つ分くらい大きいし、最近なんだかジワジワと胸板の辺りなんかが育っていて重くなったが、それでもルサカは余裕で抱き上げられた。ただ、もう育つ事もない少年の姿のまま小柄なルサカにしてみればタキアは大きすぎて、抱えにくいくらいか。
 なるほど、タキアが『竜の魔法を使える騎士なら、どんなに弱くてもそこそこの魔法騎士になれた』と言っていたが、納得だ。
 こんなに身体能力も底上げされるとは、知らなかった。
 ヨルは器用にドアノブに飛び付いて、タキアの部屋の扉を開けてくれた。
「タキア、ちょっと……気分が悪いとかない? 大丈夫?」
 べろんべろんに酔っ払っているタキアは、多分ルサカにお姫様抱っこされているなんて、気付いていないようだった。
 気付いたらどんな顔をするのか。全く予想がつかない。無邪気にすごいすごいと褒めそうでもある。
 天蓋付きの寝台にタキアを降ろすと、タキアは甘えるように両手でルサカを抱き寄せ、頬を擦り寄せてくる。
 タキアのこういう素直な甘え方は本当に可愛く思えて、ルサカはなかなか逆らえない。
「……具合が悪くなったらすぐ言うんだよ」
 赤い髪に指を梳き入れ、生え際に軽く口づける。
「うん。……なんだかすごくフワフワして気持ちいいなあ……」
 恐らくタキアも初めて酔っ払ったのではないだろうか。ご機嫌で抱いたルサカに頬を寄せながらもぞもぞしている。
 ルサカも素直にタキアを抱いて寄り添い、横たわる。
 酔っ払ったタキアは眠たげに見える。眦と頬をほんのりと染めて、伏し目がちに瞬いているのはなかなかに色っぽい。
 このむやみに無防備なお色気は正直、むらむらする。ルサカは正直にそう思う。
 だいたい、番人は竜に惹かれるようになっている。だから何かとすぐそういう雰囲気や気持ちになるのは仕方ないのだとルサカは自分に言い訳する。
 ルサカだってたまにはタキアに色々したいのに、大抵タキアに邪魔される。
 いいよーなんて言って好きに触らせてくれるように見せかけて、すぐにルサカの身体に触り初めて邪魔をする。
 邪魔するな! とルサカも何度か抗議したが、タキアは聞いちゃいない。やっぱり好きにされてしまうのはいつでもルサカの方だ。
 今にも眠りに落ちそうなタキアの幸せそうな顔を眺めながら、ルサカは思う。
 これはチャンスじゃないか?
 思えばいつだったか林檎酒で酔っ払った時に、タキアに好き勝手にえっちな事をされた記憶がある。めっちゃめちゃ揺さぶられて悪酔いしたのは忘れていない。
 タキアだって酔っ払ったぼくを好きにしたんだから、ぼくがタキアを好きにしてもいいはずじゃないか?



2017/07/26 up

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