竜の棲み処 異聞録

#19 その日はきっと、そう遠くない

※『君が僕の永遠なる希望』とリンクしています。
『竜の棲み処』本編完結後三十年が経過しています。




「やっとクアスが巣を作ったって!」
 それはもう嬉しそうに、タキアはにこにこいい笑顔だ。居間で繕い物をしていたルサカの目の前のテーブルに、大きな地図を広げる。
「やっとか! もうこの三十年、どうなる事かと思ってたよ」
 それを聞いて、ルサカも思わず安堵のため息をついてしまった。
 ルサカを巡ってタキアとクアスが争ってから、実に三十年が経過していた。
 本気の決闘をしたのに友達になれるのは、竜のこの、細かいところは気にしないおおらかな性格の為か。明るく陽気なタキアと物静かで斜に構えたクアスは一見気が合わなそうに見えていたが、何故か意気投合し、よく交流を持ち、この古城の巣にもふらっと遊びに来ていた。
 遊びに来るのは営巣地探しの合間だ。クアスは世界中を旅して飛び回っていたが、なかなか営巣地が決まらずにいた。
『僕は一切の妥協をしたくないんだ。営巣地にしても番人にしても、僕が心から美しいと思えるものでなければダメだ。理想に叶うものに巡り会えるまで、絶対に諦めない』
 タキアに聞かれる度にそう答えるクアスは、意地になっているようにも見えた。
 ルサカに失恋した上、同世代の竜であるタキアに負けて意固地になっていたのはあるだろう。
 更に、能天気なタキアと違って若干神経質そうな彼は、タキア以上に美しい物への深い拘りと、並々ならぬ審美眼を持っているようだった。美しいもの好きの竜から見ても尋常ではない深さの執着で、営巣地も番人も全く決まらなかった。
「どこに作ったの? 世界中飛び回っていたようだけど」
 繕い物を投げ出して、ルサカも地図に見入る。タキアは探していた大陸を見つけ、ルサカに指し示した。
「ジェナ大陸だって。ちびのお父さん、シメオン殿の巣もジェナだけど」
「もうフェイも巣立ちの時期だよ。もう大人の竜だ。いつまでもちびって言わないであげてよ……って、またずいぶん遠いな!」
 ルトリッツ騎士団国があるロスタン大陸とジェナ大陸は、真逆の方角と言っていいくらいの距離だ。クアスの実家があるガルビア半島からでも遙か遠い。
「ジェナ大陸北方の、レダ王国だって。冬には川や湖が凍るくらい寒いところらしい。ええと……ルズベリー地方だって言ってた」
 タキアは地図上のレダ王国を指し、王国を流れる大河を辿り、ルズベリー地方を指す。シメオンの巣はジェナ大陸南方だが、それでも雪の多い地方だった。それが更に北だ。相当冷え込む、雪深い国なのではないだろうか。
「夜明けの湖が幻想的に綺麗で、一目で湖に恋をしたって言ってたよ。寒いのは嫌いだけど、この美しさなら我慢するとも言ってた。真冬は数ヶ月雪に閉ざされるとも言っていたな。……そんなすごい雪見た事ないから、真冬に遊びに行きたいなあ」
 ここルトリッツ騎士団国にも雪は降るが、降っても数日で溶けてしまう。タキアも西の砂漠地方出身で、ふたりともそんな豪雪を見た事がない。
「ぼくも見てみたいなあ。……クアスの営巣が落ち着いたら、遊びに行きたいね」
 タキアはとても嬉しそうだ。これでタキアは、クアスの事をとても心配していた。クアスが意地を張ってむきになっていると感じ取っていたのかもしれない。
「いつなら遊びに行っていいか、聞いてみよう。クアスの独り立ち祝いは何がいいかな。前にものすごくうらやましがってた白水晶の塊にしようかな」
 タキアは満面の笑顔で、自分の事のように嬉しそうだ。なんだかんだで、この三十年で、彼らは友情を育んでいたんだなとルサカも痛感する。
「あの白水晶、大事にしてたじゃないか。いいの?」
 いつか迷子のちび竜フェイが『おとうさんににてる』と言っていた、巨大な白水晶の塊の事だ。思えばあの白水晶を磨きに屋上にあがって、クアスと初めて会った。
 あの白水晶、竜を引きつける魔力でもあるんじゃないかとルサカは思っていた。クアスもフェイもあの白水晶が巡り合わせてくれたような気がする。
「うん。すごく気に入ってたけど、クアスのお祝いにあげるならあれかなって。やっぱり一番喜んでもらえるものを贈りたいよ。独り立ちのお祝いは特別だからね」
 タキアだけがこうなのか、竜が皆そうなのか分からないが、不思議だ。こんなに大事にしていた宝物なのに、友達を祝いたいが為に手放せる。
 いや、人間もそうかもしれない。やはり大切な人には喜んでもらいたいものだ。笑顔を見たいものだ。
「ぼくも何かお祝い考えなきゃ。何がいいだろう」
「何でも喜ぶよ。ルサカが考えて贈ってくれたものなら、なんでも喜んでくれるよ。クアスはそういうやつだ」
 三十年前の決闘前からは、考えられないようなタキアのセリフだ。
 あの時のタキアの怒りようを、ルサカは今でも忘れていない。同じくらいルサカも腹を立てていたが、今となっては笑い話だ。
「早く遊びに行きたいな。どんなところなんだろう。それから、番人はどうなったんだろう。いい人見つけたのかな」
 タキアは気になって仕方ないようだ。もうそわそわして落ち着かない。ルサカはその時、ふと思いついた。
 もう三十年も一緒にいるのに、タキアが何故ルトリッツ騎士団国に営巣したのか、その決め手を聞いた事がなかった。
「そういえば、タキアは営巣地にルトリッツを選んだ決め手は? 今まで聞いた事がなかったよ」
「え? 理由? 理由、うーん……なんだったっけ」
 タキアは地図を眺めながら考え込む。
「ああ、そうだ。夢中で営巣地探しをしていて、夜中にこの国に通りかかったんだ」
 窓の外に視線を移し、タキアは感慨深げに深いため息を洩らす。
「この古城で休憩しようと思って、屋上に降りたんだよ。その時、ちょうど壊れた塔に大きな丸い月がかかっていて」
 振り返り、タキアはルサカに歩み寄る。跪いてルサカの手を取り、その指先に口づける。
「とても綺麗だったんだ。その時に、何故かこの城にとても惹かれた。何かが待っているような、僕はここに呼ばれたような気がしたんだ」
 タキアが言いたい事が、ルサカはなんとなく分かるような気がしていた。
「不思議だ。ここにタキアが巣を作らなかったら、タキアに出会う事もなかったし、こんな波瀾万丈な人生になる事もなかったんだろうな……」
 率直なルサカの気持ちだ。
 悩んだ日もあったが、今はもうこの竜との暮らしが楽しいとも興味深いとも思うし、タキアのいない人生なぞ考えられない。
 番人になったばかりの頃を思い出す。
 こんな人でないものと暮らせるはずがないと、そう思っていた頃もあったのに。
 タキアはルサカを見上げて、出会った頃と変わらない、真っ直ぐな笑顔を見せた。
 この笑顔に、弱い。
 タキアがルサカに見せる笑顔は、あまりにあどけない。無邪気で無防備で、そして何より、ルサカの全てを愛していると、まるで囁いているかのように思える。
「僕と一緒にいてくれてありがとう、ルサカ。今までもこれからも、ルサカをずっと大切にするから。一緒に千年を越えよう」
 三十年経っても、ルサカは何度でも思い知らされる。
 このタキアの笑顔に、ずっと負けっぱなしだ。この笑顔を見てしまうと、タキアが愛しくて愛しくて仕方なくなってしまう。
 一生勝てない。心からそう思う。



「……なんでそんな、朝からいじけてるんだよ……」
 タキアは居間の隅っこに、ヨルを抱きかかえて座り込んでいるが、これが実に湿っぽい。後ろ姿だけでいじけているとよく分かる。
 振り返りもせず、ヨルの耳と耳の間に顔を押しつけて、タキアはぐずぐず返す。
「クアスが、忙しいから話しかけるなって」
 そんな事でいじけていたのか。いい年してタキアは子供っぽい。
 離れている時、竜達は言葉でないものでやりとりできるが、それもよしあしだ。忙しい時は放っておいて欲しいだろう。
「営巣始めたばかりなんでしょ。仕方ないよ。タキアだって、巣作り始めてぼくを番人にしたばかりの頃は、忙しかっただろ」
「そうだけど……」
 いじけたタキアを慰めるように、ヨルは両方の前脚でぽんぽんしつつ、きゅんきゅん鳴いている。ヨルだけに任せておけない。ルサカはタキアの隣にしゃがみ込んだ。
「どうしても様子を知りたいなら、メレディアさんに聞けばいいじゃないか。たまにメレディアさんちにお茶飲みに行ってるんだろ」
 ヨルの耳の間からがばっとタキアは顔を上げた。
「そうだった! ちょっとメレディアさんのところに行くついでに聞いてこよう!」
 ヨルを抱えたままタキアはさっさと居間から出て行ったが、残されたルサカはちょっぴりクアスに申し訳ない事をしたと思っていた。
 思えばタキアも巣作りをし始めたばかりの頃、リーンやエルーに何かと世話を焼かれて鬱陶しがっていた。
 竜にとって巣作りも番人も、人生の一大イベントだからこそ、こうして周りがやきもきして世話を焼いたりちょっかいを出したりするのだと、ルサカも最近分かってきた。
 そして本当の事を言えば、ルサカも気になっていた。
 あの、何かと拘りの強い、ひねたクアスが選ぶ番人はどんな人なのか。
 この三十年、ルサカはクアスにも一番大切な宝物ができるように祈らずにいられなかった。
 ルサカのクアスへのお祝いは、『クアスの一番大切な宝物』に伝えたいものだ。いつか来るその日をずっと楽しみにしていたが、今、タキアの話を聞いて、予感していた。
 その日はきっと、そう遠くない。


2019/03/31 up

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