竜の棲み処 君が僕の永遠(とわ)なる希望

#04 綺麗じゃないなら

 このピンクのもふっとしたウサギたちは、埃や蜘蛛の巣、虫やゴミを食べるらしい。普通の兎のように野菜しか食べないというわけではないそうだ。
 一夜明けると、放し飼いにされていたほうきウサギたちはひと働きしていたようで、埃だらけだった客間や廊下には、塵一つ落ちていなかった。
 染みついた汚れは拭き掃除をしないと落ちそうにないが、それでもすごい。天井の蜘蛛の巣までなくなっているが、このウサギたちは一体どうやって天井まで辿り着いたのか。
 不思議に思いながらもユーニは自分にあてがわれた部屋を出て、クアスを探す。今日の仕事内容を聞こうと思ったのだ。
 クアスの部屋にも昨日の客間にも、姿はない。厨房まで探しに来ると、隅の小さなテーブルの上に、文字の書かれた紙と、昨日のバスケットが置かれていた。
 このメモが読めるなら『適当にバスケットの中のものでも棚のものでも食べておけ。食べたら洗濯や掃除を適当に頼んだ』と書いてあると分かったのだが、残念な事にユーニは文字が読めない。
 夕べたくさん食べさせてもらったおかげで、それほど空腹ではなかった。今まで空腹なのが普通だったユーニは、気にせず昨日クアスに使い方を習った『水もお湯も湧く不思議な瓶』から水を汲んで、掃除を始める。
 掃除の道具は厨房傍の廊下の隅に纏めておいてあったし、不便はない。ほうきウサギたちが綺麗にお片付けしてくれた廊下から、丁寧に拭き始め、客間の床をちょうど磨き終わった時に、呼び鈴と山吹の明るい声が玄関から響き渡った。



「……今日はご注文頂いた品物の納品なのですが、クアス様がお留守でしたら、受け取りのサインをユーニさんにお願いできますか」
 磨きたての客間の床に品物の箱や籠をてきぱきと並べ終えると、山吹は笑顔で一枚の紙と羽根ペンをユーニに差し出す。
 ユーニはここで困った。文字も読めないし、書く事もできないユーニに、受け取りのサインが書けるはずがなかった。
「……ごめんなさい、ぼくは字が書けないし、読めないんです……。だから、サインも書けないんです……」
 自分の無知と無教養が恥ずかしい。ユーニは赤面しながら俯く。その様子に、山吹は目に見えて蒼白になる。
「あああ……! 不調法を致しました。文字が分からない竜の巣の番人さんも、結構いらっしゃいますから! 大変失礼致しました、そんなに恥ずかしい事ではないです、ごめんなさい。私こそ失礼を致しました!」
 山吹は大慌てで傍らの大きな黒いトランクを開け、小さな小袋を取り出す。赤いリボンのかかった、綺麗な格子柄の布袋だ。
「私もまだダーダネルス百貨店に就職して一年ほどなんです。営業の人数が足りなくて、それで新人の私も竜の巣へお邪魔する事に……。なので不手際や失礼があるかもしれませんが、誠心誠意お客様のお力になれるよう頑張ろうと考えております。……宜しくお願い致します。」
 ユーニに、その小さな布袋を差し出す。
「……これは飴です。お得意様に小さなお子様がいらっしゃる時などに、時々お配りしているものなんですが、とってもおいしいんですよ。よかったら、ユーニさんに」
 少し躊躇ったものの、ユーニは素直に山吹の気持ちを受け取る。リボンをほどくと、砂糖をまぶされた不思議に綺麗な、色とりどりに鮮やかな飴玉が包まれていた。
「ありがとうございます! ……すごく綺麗ですね、食べるのがもったいないくらい」
 山吹はユーニに喜んで受け取ってもらえてほっとしたのか、再び笑顔を見せる。
「もしお気に召して頂けましたら、またお裾分けを。……ユーニさんも、竜の巣にお勤めを始めたばかりの新人さんですし、私たちは同じ新人仲間ですね」
 ユーニよりはうんと山吹の方がしっかりして見えるが、そう言ってもらえると、ユーニもなんだか嬉しい。
「はい。ぼくも頑張ってお仕えしようと思っています。……そういえば、『番人』って何ですか?」
 クアスも『番人にするわけじゃない』と言っていた。先程山吹も話題にしていたし、何度か耳にした言葉だ。
 山吹は、あっ、という顔を見せる。
「そうでした。……先日お渡しした本に詳しい説明があったのですが、ユーニさんは文字が。……そうですね、かいつまんでご説明致しますと、『竜の巣の管理人』でしょうか。家事、財産管理なんかをなさっていますね」
 山吹は白手袋に包まれた両手を組んで考えながら口を開く。
「竜の生命力を分け与え、巣作りを手伝ってもらう人間の事を、竜の『番人』とお呼びしていますね。どこの竜の巣にも必ずいらっしゃいます」
 よく分からないけれど、ユーニは単なる『下働き』で、『どこかに行きたくなったら出て行ってもいい、いわゆる雇われた使用人』だ。そういう単純な使用人とは違う存在なのが『竜の番人』なのだろう。
 何が違うかと言えば『竜の生命力を分け与えられる』というところか。下働きと決定的に違うのはそこではないだろうか。難しい事は分からないが、単なる下働きのユーニとは関係がなさそうだ。
 山吹はトランクから一枚の紙とカタログのようなものを取り出し、ユーニに手渡す。
「こちら納品書になります。サインは後日、クアス様がいらっしゃる時にでも。それから、こちらの冊子は私のお勧め商品のカタログでございます。クアス様に是非ご検討頂けますようよろしくお伝え下さい」



 山吹にもらった飴は、とてもおいしかった。爽やかに甘くおいしくて、ユーニは一粒しか食べられなかった。もったいなくて何個も食べようなんて思えなかったからだ。あまりにおいしいので、クアスにも食べさせたかった。こんなにおいしいものを独り占めなんてしたくないし、クアスと一緒に食べたかった。
 飴の小袋を大事に厨房の棚にしまうと、再び掃除を再開する。クアスの寝室の床を磨き終え厨房に戻ると、ちょうどクアスが帰って来たようだった。中庭から竜の羽ばたきの音が聞こえた。
「ユーニ、山吹さんが届けてくれた品物は?」
 厨房に入ってきたクアスは、パンや何かの瓶を詰め込んだ籠を抱えていた。
「客間にあります。掃除も終わってるから、床も綺麗だし、汚れてないはずです」
 クアスは抱えていた籠をテーブルに置こうとして、気付いたようだった。
「なんだ、食べてないのか?」
 今持って来た籠ではなく、朝から置きっぱなしになっていた籠を取り上げる。
「パンもチーズもミルクも減ってない。なんで食べないんだよ。人間は三食食べないとしっかり働けないんだろ」
 クアスはテーブルにやはり置き去りになっていた今朝の置き手紙を拾い上げる。
「ここにメモを置いていったのに、これじゃ不満なのか? 何ならちゃんと食べるんだよ」
 機嫌の悪くなったクアスに、ユーニは慌てる。
「ご、ごめんなさい。食べいいって、分からなくて。……は、恥ずかしいんだけれど、ぼくは、字が読めないし、書けないんです……」
 最後は消え入りそうな声になっていた。こんなに綺麗で、強くて、賢いクアスに、自分の無知を晒すのはとても恥ずかしかった。
 綺麗でもない、頭もよくないし、みすぼらしい姿で、読み書きもできない。なにひとつ、褒められるようなところがない。羞恥に俯いたまま、顔をあげられなかった。
 この時、ユーニがクアスの顔を見ていられたなら、またあの、なんとも言えない微妙な表情を見る事になっていただろう。
「……悪かった。……読み書きできない人間も結構いるって父さんに聞いてたのに、うっかりしていた」
 俯いたままのユーニを促して、椅子に座らせ、初めてこの巣に連れて来た時のように、パンやチーズを切り分け、カップにミルクを注ぐ。
「厨房に置いてあるものは、自由になんでも食べていい。僕にいちいち聞かないでいい。人間はちゃんと食べないと死ぬって知ってる」
「い、一日くらい食べなくても死なないです、大丈夫です。ぼく、ちゃんと働けます……!」
 慌ててユーニは口を開くが、じろっとクアスに睨まれる。
「今までそういう生活してたから、そんな老人みたいなボロボロの身体なんだろ。ちゃんと食べろ。食べて働け」
 クアスは苛立っているのか、乱暴に皿にチーズを挟んだパンを載せてユーニに突き出す。これ以上怒らせないように、ユーニは慌ててパンを口に運ぶ。
「い、いただきます……」
「竜は綺麗なものが好きなんだ。綺麗じゃないものは、巣の中に置きたくないんだ」
 その言葉に、ユーニの心臓が跳ね上がる。
 ユーニの黒炭のような黒髪と鳶色の瞳は暗く重く見えるし、身体はクアスの言う通り、老人のように痩せ衰え爛れ、枯れ枝のようだ。少しも綺麗だと思える要素がない。
 『綺麗じゃないものを置きたくない』と言われたら、ユーニはここにはいられない。思わず泣き出しそうになったユーニの耳に、意外なクアスの言葉が響く。
「いいか、生き物の『綺麗』は『健康』が前提なんだ。お前……ユーニは健康を害している。ちゃんと食べてちゃんと休んでちゃんと寝て、清潔な生活をしていれば、もっとマシになる。だからちゃんと食べろ。ユーニの為だけじゃない、僕の美意識の為にもそうしろ」
 思わずユーニは顔を上げて、ぽかん、とクアスを見上げる。
「……なんだよその顔は。当たり前の事なんだよそれが」
 クアスはポケットを探り、茶色い薬瓶のようなものを取り出す。
「今日はこれをもらいに行ってたんだ。友達の姉さんが人間の薬に詳しいから、症状を言って作ってもらったんだ」
 両手でパンを持ったまま固まっているユーニの目の前に、その薬瓶を置く。
「爛れた皮膚にこの軟膏を塗るといい。効果は保証する。前に火傷した時に分けてもらった薬もものすごく効いたから、お前のその爛れもすぐ治る」
 ユーニは何を言っていいのか分からなかった。何か言おうとすると、泣き出しそうだった。
 「とにかくちゃんと食べろよ。何か食べたいものがあったら言ってくれれば、山吹さんに頼むし。……おい、聞いてるのか」
 ユーニは慌てて頷き、それからパンに齧り付く。
 こんなに優しく、心配してくれる人なんて、いなかった。だからこそ、クアスの為にもっともっと頑張って働かなければとユーニは心の底から思う。
 クアスの言う通りに、ちゃんと食べて、休んで、働いて、恩を返さなければならない。
それから、ちっとも綺麗ではないし読み書きもできないけれど、少しでも綺麗になれるよう努力もするし、文字も勉強して読み書きできるようになろう。
 どうやったら、クアスのこの優しさに感謝を伝えられるのか、ユーニはそればかり考えていた。言葉なんかでは、到底伝えきれなかった。


2017/09/06 up

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