竜の棲み処 君が僕の永遠(とわ)なる希望

#06 パンケーキとフクロウと

「まだ決まらないのか」
 翌朝になっても厨房のテーブルにフクロウを置いてうんうん唸っているユーニを見て、クアスは呆れたように声をかける。
「迷わずさっさとユーニの名前を決めた僕が薄情みたいじゃないか」
「そ、そんな事はないです! クアス様がつけてくれて、ぼくはすごく嬉しかったし、すごく大事な名前です!」
「だから敬語も様付けもはやめろって言っただろ。本当にそれ居心地悪いんだよ」
 途端に不機嫌になったクアスに、慌ててユーニは口を閉じる。
 だからこそ、ユーニにとっても一大事なのだ。
『夜明け』なんて、とても綺麗な名前をクアスはつけてくれた。こんな素敵で嬉しくて、ドキドキするような名前を、自分もこの小さなフクロウに与えなければならないのだ。
 責任重大だ。
「悩みながらでいいから、お茶淹れてよ。お茶飲んだら出掛ける」
 ユーニは慌ててキッチンストーブに飛び付き、お湯を沸かし始める。このキッチンストーブは、薪もないのに燃え続ける不思議なストーブだ。薪いらずなので、当然、灰も出ない。この屋敷にあるものは、ほうきウサギといい、このキッチンストーブといい、お湯も水も湧く瓶といい、不思議な物ばかりだ。
「そうそう、これ料理本。……初心者向けの料理の作り方が載ってる。これをそのフクロウに読んでもらって頑張れ」
 お茶の用意をするユーニの後でテーブルについて、クアスはフクロウの前に一冊の本を置く。それほど分厚くはない。
 ユーニはテーブルに茶器を並べ終え、本を手に取る。パラパラめくると、美味しそうな料理の絵と、手順らしき絵と文字が書かれている。
「つ、作った事ないです……」
 村での調理場の仕事は、野菜の皮むきや掃除、粉ひきくらいの下働きで、調理はした事がなかった。薄汚れている上にろくに食べていないユーニに、貴重な食料品を扱わせるはずがなかった。
「失敗しても構わないから、練習しておいてよ。ユーニにやってもらいたい仕事は、家事全般だ。まあ竜の主食は人間が食べるようなものじゃないんだけどさ」
「な、なななな何を食べるんですか……!」
 動揺して噛んでしまった。思えばユーニは竜に食べられるはずだった。やっぱり竜は人を食べるのかと、忘れていた恐怖を思い出す。思い出しながら、こんな湖の精霊みたいに、この世のものとは思えないくらい美しいクアスが人を食べるのか、と不思議な気持ちにもなっていた。結びつかない。
「何と聞かれると困るな」
 クアスは片手で頬杖をついて、空いた手でフクロウの小さなくちばしをつつきながら考え込む。
「人の目には見えないけどその辺にある物だよ。それが何なのか、僕らですら分からないかもしれない。……ま、人間の言うところの霞ってやつかな。人間が食べるようなものじゃないのが主食」
 テーブルの籠に入っていた、あの色鮮やかな緑の葡萄をもいで、クアスはフクロウに食べさせ、ついでに自分の口にも放り込む。
「人間の食べ物はおやつみたいなものかな。絶対必要だってわけじゃないけど、食べるし好きだよ。だから、ユーニにやって欲しい仕事は家事全般、料理もね」
 ユーニはカンカンに沸いたやかんを取って、ティーポットに注ぎ込む。お茶の淹れ方は最初にクアスに習った通りだ。このやり方しか、ユーニは知らない。真剣に慎重に茶を淹れる事に集中するあまり、ユーニは口を開く余裕がなかった。
「できれば毎日朝食、午後の帰宅後のお茶の用意、夕食の用意をできるようになってもらいたい。まあそんなに期待してないから、ゆっくりでいいよ。まずは簡単なお茶請けと朝食かな。どんどん練習しろ。頑張れ」
 真剣な表情でティーカップにお茶を注ぐという大仕事を終えたユーニは、やっと口を開く。
「で、でも、失敗したら大切な食料が」
「その時はほうきウサギの餌になるから問題ない。あいつらは何でも食べるし何食べても腹も壊さないし病気にもならない。ま、食べ過ぎると肥えるだろうけど。……空腹にしないと仕事しないかもしれないな……」
 材料は無駄にならなくとも、ほうきウサギの労働意欲に影響があるとなると、そうそう失敗ばかりしていられない。フクロウにしっかり読んでもらって、間違えないように作らなければ。ユーニは真剣に考え込む。
「竜は皆お茶が好きなんだよ。だから家に帰ったらまずお茶を飲んでゆっくりしたいんだ。他の料理はさておき、お茶の用意は頼んだ」
 クアスはフクロウの頭を軽く撫でて、立ち上がる。
「じゃあ僕は出掛けてくる。帰るのは夕方かな。お茶の用意だけ頼むよ。それじゃ」
 クアスはさっさと厨房を出て行ってしまう。いつも忙しそうだ。今は『巣作りが最優先』だと言っていた通り、とにかく外に行く。
 ユーニはティーポットに残ったお茶を自分のカップに注ぎ、テーブルの上の料理本を開く。
 手順の挿絵と、完成した料理の絵をじっと見つめる。ふわふわのパンケーキの作り方だが、これが何か、ユーニはそれすらも分からない。食べた事どころか、見た事もないものだ。
 ユーニが今まで食べた事があるものなんて、少しの野菜と少しの果物と、パンくずか。本当に粗末なものばかりだった。こんな綺麗で豪華に盛り付けられた料理なんて、見た事もない。
 ユーニは記憶を辿りながら、思い返す。ユーニに村の中でたったひとり、優しくしてくれる人がいた。
 宿屋の若女将のララだ。彼女だけは、時々こっそりと、食べ物を分けてくれた。
 ララにも子供がいた。その子供に少しでも多く食べさせたいだろうに、彼女はユーニをとても心配してくれて、誰にも見られないように食べ物を分けてくれていた。
 もしかしたら、自分の食べる分を削って分けてくれていたのかもしれない。パンの切れ端の他に、ごくたまに、ほんの少しだけれど、とても甘くておいしいお菓子を分けてくれる事があった。
 子供の誕生日のお祝いのお裾分けだと言っていた。ユーニはそれを聞いて、自分にも母や父がいたなら、こんな風に甘いお菓子を作ってもらえて、誕生日を祝ってもらえたのだろうと、羨ましく思えたものだ。そもそも孤児のユーニは自分の誕生日も、自分の両親がどんな人だったのかさえ、知らない。
 ある雪深い冬の夜に、突然村に現れた若い男が抱いていた赤子がユーニで、その男は怪我を負っていて、そのまま亡くなってしまったという話だけを聞かされていた。村の人たちも、その男が何者なのか、どこから来たのか知らないと言っていた。
 他の村の子供たちを羨む事なんて、何度もあった。けれどどんなに羨んでも、何も変わらない。ひとりぼっちだと思い知らされるだけだ。
 ユーニは保存棚の扉を開けて、中を確認する。
 小麦粉、バター、白砂糖、ライ麦粉、干し肉や、チーズの塊、ミルクの詰まった瓶。文字は読めなくとも、中身を見ればこれが何なのかは分かる。
 こんなにたくさんの食べ物を見た事がなかった。これを皆に分けられたら、と一瞬考える。村人皆に分け与えられるほどの量はない。それに食べてしまえば、あっと言う間になくなってしまう。
 『竜は棲みついた国を、天災や戦争から守る』
 クアスはそう言っていた。
 それなら、国を豊かにもできるのではないだろうか。作物が豊かに実るような、富んだ国になれるのではないだろうか。
 誰もが飢える事なく、危険な仕事をする必要もなくなるなら、どんなに幸せな事だろう。



 まずは、言いつけられた仕事を完遂できるようにならなければならない。
 フクロウに何度も読み上げてもらいながら、しっかりと材料を用意し、準備を整える。
 フクロウと一緒に本を覗き込んで真剣に手順を確認しているのは、『パンケーキの作り方』だ。
 この本を読み上げてもらった結果、これが一番、分かりやすかった。
 フクロウも心配なのか、ユーニの肩にしがみつくように止まって、一緒にフライパンを覗き込んでいる。
「何度も読んでもらったし、きっと大丈夫。ちゃんとできてるはず……」
 自分に言い聞かせるように、火からフライパンを下ろし、慎重に、皿に焼き上がったパンケーキを移す。こんがりおいしそうなきつね色に焼き色がついていて、思わずユーニはほう、とため息をついてしまう。完全に安堵のため息だ。
「どうだろう、ちゃんとできたかなあ。……一緒に食べようね」
 肩の上で丸まっているフクロウに話し掛けながら、ふっくらと膨らんだパンケーキをフォークで割り開く。しっかりと、中まで火が通っているようにみえる。
 だが食べてみるまで安心できない。
「ぼくが食べてみて、おかしくなかったら、あげるからね……」
 フクロウに言い聞かせながら、ほかほかのパンケーキを口に運ぶ。
 生まれて初めて食べる、生まれて初めて作ったパンケーキは、とろけるようにふわふわ甘くて、おいしかった。
 こんな温かくて甘くておいしいものを、食べた事がなかった。ユーニはあまりのおいしさに、言葉が出てこない。そのおいしいふわふわを飲み下して、フクロウを肩から降ろし皿の傍に置く。
「すっごく! おいしいよ! でも熱いから、気をつけてね。今小さく切って、冷ますからね!」
 フクロウは甘い匂いに釣られたのか、はしゃぐユーニに釣られて嬉しくなったのか、可愛らしい小さな鳴き声をあげ、ユーニを見上げている。
「きみが手伝ってくれたから、こんなにおいしくできたんだよ。ありがとう! いっぱい読んでくれて、手伝ってくれてありがとう!」
 フクロウは一緒に喜んでくれているのか、くぅくぅ鳴きながらフォークを持つユーニにすり寄る。とても可愛らしい鳴き声で、ユーニはこのフクロウの鳴き声が大好きだった。これはユーニに話し掛けてくれている。だからきっと、ユーニはこの声が大好きなのだ。



2017/09/23 up

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