竜の棲み処 君が僕の永遠(とわ)なる希望

#07 竜とパンケーキと

「……あれだけ悩んで、無難な名前だな。まあ名前なんてシンプルが一番だけどさ」
 今日もクアスは果物を持ち帰ってきていた。厨房に入るなり、両手いっぱいに抱えたいちじくをテーブルに置く。これは強奪したものではなく、竜への貢物として捧げられたものだそうだ。ユーニもそう聞くと、食べるのに躊躇せず、おいしく食べられる気がする。
「……おいで、クー。今日のお土産も早く食べないと痛みそうなものだから、お前も手伝え」
 クアスはそう言いながら、皮を引き剥がしたいちじくを、呼び寄せたクーの前に置く。
 白フクロウの子の名前は決まった。『クー』だ。悩み倒した結果、鳴き声から決めた。
「あの、クアス様」
 クアスの機嫌を損ねると分かっていても、やはりユーニは様を付けずに呼べない。ユーニにとってクアスは良くも悪くも、特別な存在すぎた。
「だから呼び捨てでいいって言ってるだろ。何度も言わせるな。敬語もやめろ」
 ごめんなさい、とユーニは小さな声で詫びる。
「竜が棲み着いたら、作物がたくさん実るようになったりするんですか?」
 詫びながらも頑なに変わらないユーニの言葉使いに、クアスは小さくため息を洩らす。半ば諦めたようにいちじくをつつくクーの頭を指先で撫でながら、うん、と頷く。
「割とそれは僕の得意な分野だな。……僕は風竜だからね。風を呼ぶのも起こすのも得意。風は雨を呼び、雲を退け太陽を晒し、種子を、花粉を運ぶ。そうなると当然、作物はよくできるようになる」
 やっぱり、クアスは神様なんだ。ユーニは心の中で思う。綺麗で、強くて、豊かな実りももたらす、恵みの竜だ。
「豊かになればなるほど、財宝も人も国に集まるし、増えていく。そうなると僕の巣作りも順調になる。まあ持ちつ持たれつだよ。だから竜が略奪をしてもある程度は歓迎してくれるんだろうな。……たまにやりすぎて討伐隊や賞金稼ぎがやって来たりするけどね」
 無知なユーニは竜について知っている事なんて、ほとんどない。だからこそ助けてくれたクアスを神のように崇拝してしまうのだが、世間一般では『なんとも悩ましい魔物』という認識だ。
 街や村を襲い、美しい娘や財宝を奪い去るが、長雨を止めたり、雨雲を呼んだりと、天候を操り、国土に豊かな恵みを齎す。更に、人々と竜の関係が良好ならば、災害救助までするのだ。竜が棲みつくと国が栄えるというのは本当だ。
 だが竜には厄介な習性がある。
 竜は美しいものを好む。そして生涯かけてその美しいものを集め、巣を作り続ける。竜が美しいと思ったものは、人だろうと物だろうと何でも奪い去る、なんとも困った習性だ。
 だから人間の美しい娘や財宝を奪うのだが、たちが悪い事に『欲しい』と思ったなら絶対に諦めないのだ。だから時に『討伐隊』や『賞金稼ぎ』が現れる。
 人間だって何でも『はいどうぞ』と竜に差し出すわけにいかない。どうしても失えない大切な人や物があるのだ。そうなると、当然人間も竜へ反旗を翻す。
「僕もやっと満足のいく営巣地を見つけたからな。ここには長く棲みたい。なにしろここを見つけ出すまで三十年はかかった」
「……三十年!?」
 ユーニは手にしていたフライパンを落としそうになる。
 ユーニから見たら、クアスはどうみても二十歳ちょっとくらいの青年だ。それが三十年も営巣地を探していたというのか。
 いや、クアスは竜だ。人間ではない。だから若く見えているだけで、ユーニよりものすごく年上でも不思議はない。
「五十歳から営巣地探しをしていた。僕はどうでもいいところで巣作りなんてしたくなかったからな。誰がなんと言おうと、僕が心の底から美しいと思えるものでなければ納得できない。妥協なんか絶対したくないからな」
 五十歳から営巣地を探し始めて三十年かけてこの茨の湖を見出したというなら、クアスは八十歳という事か。人間ならおじいちゃんだが、竜はこんなに若く美しいのかと、ユーニは不思議な気持ちになっていた。思わず粉を混ぜる手が止まる。
 以前に『美しくないものは巣に置きたくない』ともクアスが言っていた事をユーニは思い出す。
 クアスが言葉通りに美しいものへの深いこだわりがあるのは、ユーニも理解した。ますますユーニは身ぎれいにしつつこの古びた屋敷も磨き上げなければならない。地味で平凡な見た目のユーニだが、頑張れば身ぎれいにはしていられる。決意も新たにユーニはフライパンに生地を流し込む。
「で、さっきからユーニは何してるんだ」
 いちじくを食べ終わったクーを両手で包んでもみもみしていたクアスは、キッチンストーブの前でごそごそしているユーニを振り返る。
「ごごごごめんなさい、今はお話してる余裕が」
 ユーニが必死でフライパンの中を凝視している。真剣に何か作っているようだ。クアスも察した。邪魔をしないよう、更に両手でクーをもふもふ揉む。
「……できました!」
 構われすぎてクーがくぅくぅ鳴き出したと同時に、ユーニは真っ白な皿をクアスの前に差し出す。
 こんがり綺麗なきつね色の、ふわふわパンケーキだ。素っ気ないくらい飾り気はない。パンケーキに、バターが添えられているだけだ。果物やクリームを飾る、などという気の利いたおしゃれな発想はユーニにはなかった。上手に綺麗に焼く、それだけでいっぱいいっぱいだった。
「……へー。パンケーキなんて久し振りだ。小さい頃はよく父さんが作ってくれたな」
 クアスはやっとクーをテーブルの上に離して、添えられたフォークを手に取る。
 焼き立てのパンケーキはほこほこと湯気をあげていてとてもおいしそうに見える。きちんと焼けていると思うけれど、万が一生焼けだったらどうしよう、とユーニはドキドキしながら、器用にパンケーキをフォーク切り分けて口に運ぶクアスを見つめる。
「……ああ、うまいな。父さんのパンケーキもこんな味だった。懐かしいな」
 思わずユーニは盛大に大きく息をついてしまう。
「なんだよ、何そんな緊張してるんだよ。……これはクリームが欲しくなるな。あとで山吹さんに頼もう」
 ユーニはうまく言葉が出てこない。クアスが褒めてくれた事が嬉しくて、何をどういったらいいのか、分からなかった。
「果物を混ぜて焼いたり添えてもおいしいよ。……砂糖を入れずに焼いて目玉焼きやベーコンを添えれば朝食にもなるし。まあ甘いのを朝食にする事もあるだろうけど僕は反対派だ。この調子で頑張れ。午後のお茶にはケーキがつきものだ、目標はそこだ。……クー、しっかり読んでやれよ」
 パンケーキを小さく切ってクーに食べさせながら、クアスは言い聞かせている。
「……聞いてるのか、ユーニ」
「ご、ごめんなさい聞いてます! 頑張ります!」
 ケーキ。ケーキなんて食べた事もないけれど、パンケーキの作り方が載っていた料理本に挿絵があった。見るからにおいしそうで、綺麗で、素敵なお菓子だった。あんなすごく難しそうなものを、作れるのかとユーニは不安になるが、やらなければならない。
 ふと、ユーニは思った。
 人間と変わらないような気がする。
 竜だけれど、こうして人の姿にもなる。人間のように、パンケーキを父親に作ってもらったり、午後のお茶にケーキを欲しがったり。
 そう考えると、今まで神様みたいに特別な存在だったクアスが、身近に感じられるような気がしていた。



2017/09/26 up

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