竜の棲み処 君が僕の永遠(とわ)なる希望

#09 分け合うもの、分け合う事

 連日行われていた改装工事も佳境で、クアスも山吹もとても忙しそうだ。邪魔にならないように、ユーニはクーを連れて茨の森での材料集めに勤しんでいるが、これがなかなか楽しかった。
 この切り立った崖に囲まれた浮島は意外と大きい。屋敷をぐるりと包み込み守るように生い茂る茨の森も、意外な広さだった。そんな広い森も、クアスにもらった指輪のおかげで鉈をそれほど使う必要もなく入れるようになった。
 目当てである籠の材料の柳はすぐに集まった。屋敷から見ただけでは分からなかったが、この森の中には柳だけではなく、色々な植物が茂っていた。
 冬間近の今の時期だと、茸類、コケモモ、オニグルミ、林檎や葡萄……。いずれも人の手が入っていない野生のものだ。どの果実も小さいし形も悪いが、摘まんでみたところ、味はなかなか悪くない。ジャムやドライフルーツ、砂糖漬けにすれば十分おいしく食べられる。
 自生している物だ。手入れされているわけではない、自然のままで、豊かに実っているわけではないが、二人で食べるには十分な量だ。
 それにたくさんの種類の樹木がある。食べられる果実のなる木だけではない。ブナ、ヒッコリー、カエデ、ナラ……。よく育っているし、立ち枯れたものもある。端材を採るのに困らない。
 村ではこういう木材の端材や小枝を利用して、肉や魚を燻し、保存食にしていた。これも干した果物と同じく、厳しい冬や作物が不作だった時の為の知恵だ。
 目の前には湖もある。魚を釣って燻しておけば保存も可能だ。釣り道具がこの屋敷にあるかどうか分からないが、頑張れば釣り竿も自作できるかもしれない。籠いっぱいに果実や小枝を拾いながら、ユーニは真剣に考える。
 自分の育った村が貧しかっただけで、この国には豊かな地方もあるのだとユーニは知らない。竜に喜んで作物や財宝を捧げるような、恵まれて富んだ街もある。クアスがいちじくや葡萄を持ち帰って来たが、これが今後も頻繁に続くとはユーニは思っていなかった。だからこんなつましくする必要がないとは、思いもよらない。
 真剣に作業するユーニの肩にしがみついているクーは、とても大人しい。静かにユーニに寄り添うだけで、鳴き声すら上げない。
 本を読み上げる時はあんなに大きな声が出るのに、鳴き声はか細く、そして人の言葉を話す事もない。
 工事の合間の休憩に顔を出した山吹に聞いたところによると『読み聞かせフクロウは自発的に言葉を発する事はない』との事だった。
 本を読み上げられるが、自ら人の言葉で語る事はないそうだ。おしゃべりはできないが、訓練と素質次第では、自発的に喋る可能性もあるかもしれないと言っていた。
 クーと話ができたら嬉しいが、今でも楽しい。クーは鳴き声でユーニを呼び、話しかけてくれて、返事もしてくれる。それで十分だ。
「クー、遊んできても大丈夫だよ。帰る時に声をかけるからね」
 肩の上のクーを掌に降ろして、ユーニは語りかける。
「でも、遠くに行ったらだめだよ。迷子になっちゃうかもしれないからね」
 クーはユーニの話が分かったようだ。ユーニを見上げて小さくくぅ、と鳴いて、それからパタパタと羽ばたく。
 ちょっと頼りない飛び方で少々ユーニは心配だったが、クーは楽しそうだ。傍の大ぶりな枝に止まって湖を眺めたり、木の皮をつついたり、遊び始めたようだ。
 再びユーニは作業に戻る。木立の間のコケモモを摘み始めて少し経った時だ。カエデの枝に止まって遊んでいたクーが、急に慌ただしく鳴き始めた。
「どうしたの? 何か面白いものでも見つかった?」
 クーは鳴きながらユーニの頭に舞い降り、小さなくちばしでユーニの黒髪を摘まみ、軽く引っ張る仕草をみせる。
「……? 何かあった? 湖に何かあるのかな」
 クーに引っ張られるまま、木立の向こうに見える湖の岸へ向かう。岸と言っても崖のように切り立っていて、岸辺とは呼べない雰囲気だ。低めの崖といったところか。
 まだクーはユーニの髪を引っ張っている。
「そんなに慌てて、何があるんだろう……」
 湖に目をこらすと、粗末な小舟に乗った人影が見えた。人影は、小さな花束から一輪ずつ花を採り、湖に流していた。
 ユーニはじっと目を凝らす。人影は、女性のようだった。若草色のスカーフを髪に巻いている。そのスカーフに見覚えがあった。
「……ララさん!」
 咄嗟に名を呼ぶ。
「ララさーん!」
 思わず夢中で小舟の人影に呼びかける。ララはユーニの声に気付いたようだった。小舟はゆっくりと、浮島の崖下へと漕ぎ始める。
「……無事だったのね……! 竜に食べられたとばかり……!」
 人気のない湖は静かで、ララの涙声もよく通った。
「心配かけてごめんなさい、ララさん……!」
 ララは島の傍まで小舟を寄せると、ユーニを見上げる。
「何もできなくて、助けてあげられなくて、ごめんね……! あたし、あんたが死んでしまったんだと思ってた! だから、せめて花だけでもと思って、時々ここに花をあげにきてたの!」
 ララは頭に巻いていたスカーフをもぎ取って、顔を埋める。肩が震えて、きっと泣いているいる。声は嗚咽混じりだった。
「無事です。……ここで働かせてもらってるんです。竜は、皆が言うような怖い魔物じゃあありませんでした。……ぼくに仕事をくれて、置いてくれてるんです」
 ララはスカーフから顔をあげ、崖上のユーニを見上げる。
「……みどりの竜なら、時々村でも見掛けるわ。よく村の上を飛んでいくけど、あんな大きくて、すごい爪で。……ねえ、怖くないの? 優しくしてくれるの? 大事にしてくれてる? 村よりも、幸せに暮らせてる? 怖い目にあったり、してない?」
「はい。……ララさん、心配してくれて、ありがとう。大丈夫です。……ララさんが励ましてくれたから、村でもぼく、頑張れてました」
 見上げるララは、その言葉を聞いて目を細める。
「ううん。私は……」
 言いかけてララは俯き、それから再びユーニを見上げる。
「ずっと前の事だけど……弟が病気で死んで、暫くしたら、あんたを抱いた若い男が村に現れて」
 ララはスカーフで眦を拭う。
「あたしはあの時まだ小さかったんだけれど、なんだか、赤ちゃんのあんたを見て、弟が帰ってきたような気がしてたの。……それで、なんだかあんたの事がほっとけなくて」
 ララは言葉を詰まらせる。
「……それに、皆、あんたがよそ者だからって、ひどい事ばかりしてた……。あたし何もできないけど、少しくらい、あんたを励ましたかったの……」
 ララの言葉に、ユーニは涙がこみ上げる。
 いつもララがユーニを気にかけ、心にとめてくれていた事は、ユーニのつらい毎日の慰めになっていた。素っ気ない村の人達の中で、ララだけが、ユーニにいつも声をかけてくれていた。
「……ララさん、ありがとう。ぼくはつらい時もララさんが優しくしてくれて、十分幸せでした。……ララさんがいなかったら、きっと……」
 きっと、生きていられなかった。
 誰にも顧みられず、ずっと孤独だっただろう。ララの小さな優しさだけが、毎日ユーニを元気づけ、励ましてくれていた。生きていられたのは、ララの優しい気持ちのおかげだ。
「……あたし、あんたが生きてるって、誰にも言わないから」
 ララは再びユーニを見上げ、きっぱりと言い切る。
「村の皆はあんたが竜に食べられたって思ってる。……そのままの方がいいよね。村に帰ったって……。……本当に竜はあんたを食べたりしない?」
 ユーニは笑って頷く。
「……怖い竜じゃないです。優しいです。……ちゃんと、働いた分お金もくれるって。……だから、大丈夫です」
 ララは少し安心したのか、笑みを見せる。
「うん。顔色もいいし、元気そうだし、きっと、村より幸せに暮らせてるんだよね。……今日、花を持ってきてよかった。……無事だって分かって、よかった」
 ララはスカーフでもう一度、眦を拭い、ユーニを見上げる。
「……もう帰らなきゃ。内緒でこっそり出て来たから」
 ユーニはふと、ポケットに入れてきた飴を思い出す。以前山吹にもらった、不思議に綺麗な飴玉だ。
 クアスと食べようと思っていたが、クアスがしょっちゅう果物や食べ物を持ち帰ってきて、この飴を食べる暇もクアスに出す暇もなかった。材料集めの時に喉が渇いたらクーと一緒に食べようと、半分持ってきていた。
 ララはいつも、食べ物を分けてくれていた。貴重な甘いお菓子も、恐らくは自分の分を削って、ユーニに食べさせてくれていた。ユーニはポケットを探り、小舟のララに呼びかける。
「ララさん、これ。少しだけど」
 これだけが、ユーニの財産だ。他の物はクアスの持ち物だけれど、この飴だけは、山吹にもらった、ユーニのものだ。これなら、ララに分けてもいいはずだ。
「……なあに?」
 小舟の上のララに、そっと飴玉の袋を投げ落とす。うまく小舟に座ったララのスカートに包まれた膝に、飴の小袋はぽとん、と落ちた。
「少しだけど、飴です。……ぼくがここでもらった飴なんです。すごくおいしいから、ララさんと、ララさんちの小さい子たちにも」
 ララはユーニを見上げ、微笑む。
「……いいの? あたしにも分けてくれるんだ。……ありがとう。あんたは、やっぱり……優しいいい子だね」
 分け合う事を教えてくれたのは、ララだ。ユーニは遠ざかる小舟を見送りながら、考える。
 ララが分け与えてくれたのは食べ物だけではなかった。その優しい気持ちも分け与えてもらっていたと、ユーニはよく知っている。



2017/10/19 up

-- ムーンライトノベルズに掲載中です --

clap.gif clapres.gif