竜の棲み処 君が僕の永遠(とわ)なる希望

#11 番人になれるはずがない

 まだ震えているユーニを振り返り、クアスは右手を差し出す。
「おいで、ユーニ。紹介する」
 ユーニは竦んで動けないでいた。クアスは少し考え、歩み寄ると、ユーニの痩せた肩を宥めるように抱いて開け放たれた窓辺まで連れて行く。
 居間に通じる中庭は広々としていて、向こう側の建物の上には、例の茨の森が生い茂る。改装前は草木がはびこり、倒壊した瓦礫や岩が転がる荒れ果てた庭だったが、今は綺麗に刈り込まれ整えられ、居心地のいい庭園になっている。クアスは荒れたままだった頃からここで竜に変化し、飛び立つ時にも降り立つ時にも使っていた。
 あの恐ろしい咆哮をあげていた竜の姿はどこにもなかった。石造りの池の畔にへたり込む、華奢な娘がひとりいるだけだった。大事そうに大きなバスケットを抱えて、金色に波打つ美しい髪を背中まで垂らした娘は、冷たい石のタイルの上に座り込んだままだ。
「だから言っておいただろ。黙って入ってくるから、茨に絡まれるんだ。……ほら、手を貸すから」
 事態が飲み込めないユーニを離して、クアスは娘に歩み寄る。
「……だって、クアスはいつも来るなって言うじゃない。私だってクアスの事が心配なのに」
 クアスの手を取り立ち上がった娘は、すぐにユーニに向き直り、笑みを見せる。
 クアスと同じ深い森のみどりの虹彩と猫のように細い瞳孔の、竜の目だ。クアスにとてもよく似ていて、なんとも愛らしく少女のようだが、さっき、クアスは『母さん』と呼びかけていた。
 人懐こい笑みを見せながら、娘は呆然としているユーニの手を取る。
「こんにちは、初めまして。……ユーニちゃんよね。クアスから聞いてるから、知ってるわ。私はクアスのお母さんで、メレディアというの。よろしくね」



 どう見ても、うら若い乙女だ。少女の面差しだ。クアスとそう歳が変わらないというか、むしろ妹かもしれないという雰囲気だ。それくらい、可愛らしく幼げにみえる。
 なんとも不思議な気持ちになりながら、ユーニは居間のテーブルにつくこの若すぎる母と息子にお茶を淹れる。
「こっちはとっても寒いのね。もうそろそろ雪が降るのかしら。……ありがとう。ユーニちゃんも一緒にお茶にしましょ」
 むっつりと不機嫌に黙り込んだクアスとは対照的に、渋るクアスをせっついて屋敷中を見て歩いたメレディアは、満足げににこにこしていて、とても嬉しそうだ。ユーニの淹れたお茶をおいしそうに飲んでいる。
 「クアスはちょっぴりわがままだけれど、本当は優しいいい子なのよ。ユーニちゃんに迷惑をかけるかもしれないけど、仲良くしてあげてね」
「……わがままで悪かったな。母さんは本当に余計な事ばかり言って、だから来るなって僕に言われるんだよ」
 不機嫌な理由はこれか。この若く可憐な母親は八十年生きている息子をまだまだ子供扱いするから、クアスは居心地が悪いのだろう。
 では、このとても可愛らしい母親は何歳なのだろうか。若く愛らしく見えるだけで、何百年も生きるという竜の事だ、もしかしたらものすごく長く生きているのかもしれない。ユーニは二人のやり取りを眺めながら考える。
 テーブルの上には、メレディアが大事に抱えていたバスケットが置かれているが、溢れんばかりにお菓子や瓶詰めが詰め込まれて、これが甘くおいしそうな匂いを漂わせていた。メレディアはうきうきと中のクッキーやケーキを取り出して並べる。
 「このバスケットは、ルディから。……ユーニちゃん、ルディはクアスのお父さんなんだけれど、とっても料理が上手なのよ。特にお菓子が得意なの。いつかユーニちゃんにも紹介しましょうね」
 見た目は少女だけれど、確かに母親だ。とても優しくて穏やかで、ユーニまでなんだか気持ちがほこほこ温かくなってくる。が、クアスは相変わらず子供のように膨れている。
「クアス、いつまでも拗ねないの。……ほら、あなたの好きなレモンとメレンゲのパイ。ルディが一生懸命作ってくれたのよ。あなたが家を出てしまって、とっても寂しがっているから、たまには会いに来てあげてね。……でないと、また内緒で連れて来ちゃうからね」
「……分かったよ! たまには帰る!」
 世話を焼かれるのが気恥ずかしいのかもしれない。そんなぶっきらぼうなクアスの態度にも気にせず、メレディアはべったりだ。
「ルディがクアスやユーニちゃんに食べさせたくて、張り切ってたくさんお菓子を作って持たせてくれたのよ。……ユーニちゃんも、いっぱい食べてね」
 せっせと皿に取り分けながら、メレディアはじっとユーニを見つめ、それからクアスに向かって口を開く。
「ねえクアス、ちゃんとユーニちゃんに食べさせてるの? こんなに痩せてるじゃない。人間はちゃんと食べて休まないと、死んじゃうって教えたでしょう」
「これでも太ったんだよ。拾った時はもっと骨と皮だった。ちゃんと食べさせてるし休ませてる。やっと顔色も悪くなくなったんだ」
 不機嫌に拗ねていても好物には逆らえないのか、クアスはレモンメレンゲのパイをつつきながら返す。
「……ユーニちゃん、竜はとっても丈夫だから、人間が疲れるのが分からなかったりするの。だから、疲れたらちゃんとクアスに言わないとだめよ。……クアス、よく注意しておくのよ。人間はね、番人と違ってとっても弱いの。忘れちゃだめよ」
 ここでもまだ番人だ。相変わらずユーニは番人が何なのか分かったような分からないようなままだが、忘れた頃にこの言葉は登場する。
「番人といえば、クアスも早く探さないとね。……冬なんてすぐ終わってしまうわ。春が来る前に一人くらい、見つけないと」
「もう子供じゃないし、自分でなんとかする。母さんは心配しないでいいから。……大事な事だから適当に決めたくないんだ」
 お小言を聞きながら、クアスはさっさと二切れ目のパイを自分の皿に取る。母親に対して乱暴な態度のクアスに、ユーニは気が気ではなかった。メレディアは気にしていないようだが、傍から見ているユーニは、はらはらしっぱなしだ。
「……ユーニちゃんじゃだめなの? 可愛いじゃない。ちょっと小さいけれど、もうちょっと育てば」
 クアスは食べかけのまま、手にしていたフォークを皿に投げ出す。
「……母さん。大事な事だって言っただろ。自分の事は自分で決める。余計な事は言わないでくれ」
 そうきつく言い返されて、メレディアはしょんぼりと俯く。
 クアスは、ユーニを番人にするつもりはないと山吹に言っていた事を、ユーニは思い出す。
 番人というものが竜にとってとても大事だというのは分かった。そして本来、竜の巣に住み、家事や財産管理を行うのは『番人』なのだと以前、山吹が説明してくれた。
「ユーニを番人にするつもりはない。営巣地と同じだ。番人も妥協するつもりはない。心から綺麗だと思えた人間でなければ、番人にする意味がない」
 綺麗な人間だけが『番人』になれるなら、ユーニがなれるはずがない。自分でもよく分かっている。痩せこけてみすぼらしくて、真っ黒な髪も鳶色の瞳も平凡で地味で、少しも綺麗ではない。頭もよくない。
 綺麗でないものを巣に置きたくない事も、この茨の湖を見つけるまで三十年も営巣地を探し続けるくらいに美しいものへ深いこだわりがクアスにある事も、よく知っている。
 もしも、その竜の巣の管理を行う『番人』がいるなら、ユーニは不要な存在だ。今、『番人』がいないからこそ、代わりにユーニが働いているのだ。
 むしろここに置いて貰えているのは、クアスがユーニを憐れんでいるからだ。村から逃げ出し、行くところのないユーニを不憫に思い、仕事を与えてくれただけなのだと、ユーニもよく分かっていたはずだ。
 クアスは優しい。どこの誰かも分からないみすぼらしいユーニを助けてくれて、きっと『番人』が来ても、ユーニを置いてくれるだろう。
 ただ憐れまれているだけだと、同情されているだけだと分かっていたはずなのに、こんなに胸が痛むのは、何故なのだろう。


2017/11/09 up

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