竜の棲み処 君が僕の永遠(とわ)なる希望

#12 ひとりぼっちじゃない

 メレディアは余計な事を言ってクアスもユーニも不快にさせてしまったと思っているのか、ユーニに客間に案内されても、しょんぼりと俯いたままだった。
「メレディア様、ぼくの部屋は厨房の向かいなので、何かあったら呼んで下さい。寝る前に、暖かいミルクでも……」
 ユーニは努めて明るく振る舞う。そのユーニの気遣いに、メレディアはますます申し訳なさそうだ。
「……ユーニちゃん、いやな思いさせて、ごめんなさい……。私が余計な事を言ったから」
 花と蔓草の豪華な刺繍を施された絹のカバーを掛けられた寝台に腰掛けて、メレディアはやっと顔を上げる。
「あの子はね、ずーっと前に失恋してから、意地になってるの。手に入らなかった綺麗なものより、もっと綺麗なものをって、こだわらずにいられないのかもしれないわね」
 あんなに綺麗で賢くて、強いクアスを好きにならない人がいるなんて、ユーニには信じられない。誰だって好きになると思い込んでいる。ユーニは良くも悪くも、クアスを盲信し崇拝しすぎていた。
「竜は綺麗なものが大好きで、綺麗なものをたくさん集めるが大好きな生き物なんだけれど……本当はね、綺麗かどうかなんて、自分の気持ちに比べたら大した事じゃないのにね。……そんな事に惑わされてたら、本当に大事なものをなくしてしまうわ。自分の気持ちを見失ってしまうなんて、とっても悲しい事だわ」
 メレディアが何を言いたいのか、ユーニには抽象的過ぎて理解できなかったが、彼女がとてもクアスを心配している事は伝わる。
「クアスは良くも悪くも、とっても竜らしい竜だわ。まだまだ子供だから、意地を張ってしまう。それがわがままで勝手に見えてしまうんだと思うの。……そう思うのは私が甘いだけかもしれないけれど、ばかな子だと分かっていても、やっぱり可愛くて大事な息子なの」
 ユーニはかける言葉が浮かばなくて、もどかしかった。こんな悲しそうなメレディアを励ます言葉も慰める言葉も思いつかないけれど、なんとか元気づけたくて、膝の上に重ねられていたメレディアの手をとり、ぎゅっと握る。それくらいしか、メレディアを慰める方法を思いつかなかった。これくらいしか、できる事が思い浮かばなかった。
「……慰めてくれるの? ユーニちゃんは優しいいい子ね。クアスが言ってた通りだわ」
 微笑むメレディアはクアスの笑顔にとてもよく似ていて、胸がきゅうっと痛む。クアスもメレディアも、とても優しいとユーニは思う。
「……傍にいてあげて。本当はさみしがりやで、とても不器用な子なの」
「クアス様は、優しいです。……見ず知らずの、みすぼらしいぼくを助けてくれて、食べる物も仕事も与えてくれました。どこの誰かも分からないのに、お屋敷に置いてくれました。……ぼくは、出て行けって言われるまで、ここにいるつもりです」
 メレディアはユーニの手を両手で包んで、頷く。その手はとても優しく柔らかで、ユーニこそ、励まされているような気がしていた。


 客間を後にして自分の部屋に戻ると、クーは枕元の小さなサイドテーブルの上の籠で眠っていた。
 ユーニが煮柳で編んだ小さな籠に、クアスがクーの為に綺麗な焦げ茶色のベロアの端切れを敷き詰めてくれた。が、クーはそのベロアのベッドで眠らずに、いつも籠の縁に掴まって眠っていて、時々ちょこんと座るくらいだった。
 起こさないように静かにベッドに入ろうしたが、すぐクーは目が覚めてしまったようで、着替えるユーニを見上げて、小さく鳴いていた。
「ごめんね、起こしちゃったね。……すぐベッドに入るから」
 手早く着替えてクーを両手で包み、一緒にベッドに入る。枕元を歩き回っていい場所を見つけたのか、クーはぽてっと座り込んだ。
 片手でクーの柔らかな羽毛を撫でながら、ユーニは静かに目を閉じる。
 この茨の屋敷に来るまでは、いつもお腹を空かしていて、隙間風の吹き込む傾いだ床の小さな小屋で、ひとりぼっちで眠っていた。
 寒くて真っ暗な小屋で、ささくれ立ちゴツゴツした床に、すり切れてボロボロの毛布に包まって、空腹をごまかしながら眠るのは、とても寂しく孤独だった。
 世界中の誰からも顧みられていないと思い知らされているようだった。誰も自分を必要としていない。きっと、明日の朝冷たくなっていても、悲しむ人も困る人も、いない。
 ララが折に触れ気にかけ、優しくしてくれなかったら、あまりの寂しさに、生きていられなかったかもしれない。どんなつらい仕事よりも、ひとりぼっちだと思い知らされる方が遥かに辛く悲しかった。
 クアスは温かくて居心地のいい棲み処と食べ物を与えてくれただけではなかった。例え憐れみでも、同情でも、クアスはユーニに生きていく希望を与えてくれた。
 毎日がこんなに楽しくて、幸せだなんて、ユーニは今まで知らずに生きていた。ひとりではない。それがたまらなく嬉しかった。
 『番人』になれなくとも、傍にはいられる。いられる限りは、クアスの為に働きたかった。『番人』がやって来て、ユーニの仕事がなくなったなら、この屋敷を出て行けばいい。
 それまでは、一生懸命働こう。ユーニがクアスの為にできる事は、彼の為に働く事だけだ。
 眠りに落ちそうなユーニの耳の辺りに、ふわふわの羽毛が触れる。クーの穏やかな温もりを感じながら、ひとりぼっちではなくなった夜の幸せを噛み締める。



 クアスの実家であるメレディアの巣は、この茨の湖がある大陸から遠く離れたカファ大陸のガルビア半島というところにあると、メレディアが地図を広げてユーニに教えてくれた。
 そして茨の湖は、ジェナ大陸という大きな大陸の北の果て、レダ王国ルズベリー地方にあるという。ユーニは地図の見方がよく分からないが、それでもとても離れた場所にあるという事は分かった。
 ユーニは自分が住んでいる国の名前すら、知らなかった。それでもメレディアは笑ったり馬鹿にしたりしない。丁寧に分かりやすく教えてくれた。
 レダ王国の近隣には、幾つかの国がある。そのどれもが王制、王様が収める国だそうだ。レダ、シーダー、クラジェ、マデリン……。大きい国もあれば、小さな国もある。そして大抵の国の王が男性だが、稀に女性だけが王位に就ける国もある。クラジェ君主国は代々女性が王位を継ぐ。この大陸にはないが、他の大陸には、国民の代表が国を治める珍しい国もある。
 メレディアの話はとても面白かった。ユーニが知らない色々な話をしてくれて、時にはこうして地図や本の挿絵を見せてくれた。
 メレディアの滞在中、気まずいのか巣作りと称して出歩いてばかりのクアスの代わりに、クーと一緒に簡単な読み書きと勉強の仕方も教えてくれた。
 メレディアはとても優しくて温かくて、きっとユーニにも母親がいたなら、こんな風に色々な話をしてくれただろう。ララやメレディアの優しさに触れる度に、ユーニは自分もこんな風に優しい人になりたいと思わせてくれる。
 なので、メレディアがもう帰らなければならないと言い出した時は、とても寂しく思えた。
「竜が長く巣を空けるのはいい事ではないのよ。……ここから私の巣は遠いし、そろそろ帰らなくちゃならないけれど……ユーニちゃん、そんな寂しそうな顔しないで。また暖かくなった頃に、遊びに来るから」
 メレディアはユーニを名残惜しそうに抱きしめる。それを横目で見ながら、色々小言を言われ過ぎてすっかり拗ねているクアスは、ありありと『清々した』という顔をしている。
「……クアス、ユーニちゃんは人間なんだから、体調には気をつけてあげるのよ。番人と違って、病気になると大変なんだから。……たくさん栄養とって、休ませて、それから、欲しいからと言って奪うばかりではだめよ。やり過ぎたら人間は怒り出すから……」
「分かってるよ! 母さんも、いつまでも僕を子供扱いするな。……父さんと皆にも、元気でって言っておいて。春には一度帰るから」
 口では母親の愛情を鬱陶しがっていても、やはり大切に思っているのだろう。ユーニから離れ、やはり名残惜しそうにクアスを抱きしめるメレディアを抱き返しながら、クアスは大人しく目を伏せている。
 可憐な娘から翠玉の鱗に覆われた巨大な竜に変化したメレディアを、クアスと二人見送る。そのエメラルドの影が空に消えるのと引き換えに、真っ白な雪の花びらが地上に舞い降りはじめた。  厳しく長い冬が、この茨の湖にもやって来る。


2017/11/14 up

-- ムーンライトノベルズに掲載中です --

clap.gif clapres.gif