竜の棲み処 君が僕の永遠(とわ)なる希望

#13 何の見返りもなく

 ルズベリー地方は真冬には川が凍り付き、その氷の上で市場を開く事ができるくらいに寒さが厳しいところだ。
 ユーニはこの厳冬に慣れているが、贅沢に過保護に育ったクアスは我慢なんて全くしたくないようで、山吹を呼びつけて徹底的に冬支度をしていた。
「数年前までは火トカゲを壺に閉じ込めたストーブが主流でしたが、『火トカゲが可哀想だ』『火トカゲが逃げ出して大惨事に』『火トカゲの見た目が気持ち悪すぎる』などという苦情が大変多くございまして。今年から販売できない事になりました」
 申し訳なさそうにそんな事を言っていた山吹が、『ですがご安心下さい。ダーダネルス百貨店は決してお客様のご期待を裏切りません! 今年一番のお勧めはこちらです!』と笑顔で勧めていったのが、今、この屋敷を驚くほど暖めてくれている不思議な薪だ。
 屋敷のあちこちにある暖炉や薪ストーブにこの薪がくべられているが、これがとても不思議な薪だった。
 一見普通の薪だが、一度火を付けると決して消える事も燃え尽きる事もない。燃え尽きないので灰が出る事もない。手入れいらずだ。赤々と燃える炎は何の変哲もない普通の炎だが、しいて言えば、爆ぜる火花か。それは不思議に神秘的な七色の火花で、そこがこの薪が何か不思議な力を帯びていると教えてくれている。
 この不思議な薪が常にほどよい加減で屋敷中を暖めてくれるおかげで、薄着でいられるくらいに快適だった。
 とても便利でありがたい事だが、ユーニは手慣れて得意な薪割りが不要になり、ほんの少しそれが残念でもあった。あまり得意な事がないユーニの数少ない『上手にできる仕事』だった。
「いや他にもあるだろ? お茶菓子はまだまだだけど、ユーニの作る塩漬けの肉や魚の燻製はものすごくおいしい。……朝食には結構満足してる」
 薪割りは不要だと告げられてしょんぼりするユーニに、厨房のテーブルで朝食をとっていたクアスが、少々呆れたように口を開く。
 ユーニはクアスがどこかの街の貢物で山ほど貰ってくる家畜や野山の獣の肉や魚を、茨の森で集めた端材で燻して保存できるようにしていた。
 厨房には『これにしまえば絶対に腐らない棚』という便利な保存棚もあったが、そこに詰め込むにしても限界がある。なのでこまめにユーニは燻製にしていたが、これをクアスはいたく気に入って、今では毎食燻した魚や肉を食べたがるくらいだった。
「そんながっかりするような事か? ……この燻した鶏肉なんか、野菜と一緒にパンに挟むとめちゃめちゃうまいし。これも立派にユーニの得意な料理だろ。そういう自信のない卑屈な態度は見ていて気分のいいものじゃない」
 そうクアスに指摘されて、ユーニも反省する。村で失敗して怒鳴られたり叩かれたりする事はあっても、ユーニの仕事ぶりが褒められる事なんてなかった。これが自信のなさに繋がっているが、今はクアスがよくできた仕事は褒めてくれているし、きちんと給金にも反映されている。
「気をつけます……」
「気をつけると言えば、茨の森によく行っているようだけど。冷え込むと湖面が凍って人が歩けるくらいになる事もあるんだろ? そう簡単に茨の森を人間が越えられるとは思わないけど、用心は大事だ。ひどい寒さだし、山吹さんから買えるものは買って済ませればいい。暇ならクーと字の勉強でもしておくんだ」
 食後の果物まで綺麗に朝食を平らげ、お茶を飲み干したクアスは席を立ちながら、テーブルの上でパンの切れ端をつついていたクーの頭を軽く指先で撫でる。
「ユーニはなんだか頼りないし危なっかしいからな。さて、僕は出掛けるけど。……クー、しっかり面倒見てやれよ」
 どちらが面倒を見て貰っているかといえば、もしかしたらユーニかもしれない。本を読んで貰って、仕事の時も傍にいてくれて、クーは大事な友達で、文字の先生だ。確かにクーは頼りになる。思わずユーニは素直に笑ってしまう。



 寒さには元々よく慣れ、今は立派なコートや防寒具を着せて貰っているユーニは、当然ながら寒さなんて全く気にならない。
 もっと寒さが厳しくなり茨の森の木々が白く凍り付く前に、木切れや小枝を拾い集めておきたい。クアスにも注意をされていたが、湖が凍る前の今ならば、とユーニはクーを連れて、また森に入り込んでいた。
 それに、ユーニはこの森が好きだった。色々な木々と茨が絡み合う森の中は静かで穏やかで、そして色々な恵みを与えてくれて、宝箱のように思えていた。クーと一緒にここで過ごしていると、時間を忘れてしまう。
 今は草も木々も眠りにつき、木の実や果実、茸も実らない。また冬が終わり目覚めるのを楽しみにしながら、のんびりと小枝を集めつつ、小雪のちらつく梢の間を頼りなくふらふら飛ぶクーを見守っていると、ふいにクーが慌てたように舞い戻ってきた。
 いつかのように、ユーニの頭の上に降り、髪を摘まんで引っ張って、くぅくぅ鳴いて何かを訴えている。
「どうしたの? また誰か、湖にいるの?」
 もしかしたらララがやって来たのかもしれない。ユーニは慌てて木立と茂みをかき分け、小さな崖に向かう。
 やはりクーはあの時のように、ララの来訪を教えてくれていた。浮島の傍を巡るように小舟を漕ぐ小さな人影は、見覚えのある若草色のスカーフを頭に巻いている。
「……ララさん!」
 呼びかけると、気付いたのか小舟はユーニの立つ崖に向かって漕ぎ出す。
「……ずっと探してたの! もう何日も通ってたけど、あんたに会えなくて……もう、会えないかと思ってた」
 そう呼びかけるララの声は震えていた。もしかしたら、泣いているのかもしれない。尋常ではないララの雰囲気に、ユーニは胸騒ぎを感じていた。
「あまり外に出ていなかったから、気付かなくてごめんなさい」
 ララはやっと崖下まで辿りつくと、ユーニを見上げ、叫ぶ。
「こんな事、頼めた義理じゃないって分かってる。村の皆が、あんたにひどい事したのもよく分かってるし、だけど、このままじゃ……!」
 ララはこみ上げる嗚咽を堪えられないのか、途中から涙声になっていた。村で何か大変な事が起こったのかもしれない。
「ララさん、何があったんですか? 村に何か悪い事が?」
「……村で、悪い病気がはやってるの。最初はいつもの風邪だと思ってた。でも、大人も子供も、ひどい高熱が何日も続いて何も食べられなくなって、死んでしまった人が何人もいて」
 嗚咽を堪えながら涙を拭い、ララは必死で訴える。
「このままじゃ、小さい子供達も死んでしまうわ。……竜は、国を護ってくれるんでしょう? 不思議な力があるんでしょう? お願い、竜に、助けてくれるように、お願いしてちょうだい……。きっと、あんたは村の皆なんて大嫌いだと思うわ。いい気味だって思われたって仕方ないような事を、たくさんしたもの。あんたに頼むなんて、図々しいって分かってる。けど、このままじゃ、皆も、小さい子供たちも」
 冬場に村に風邪が流行る事はよくあった。亡くなる人もいたが、それは稀だった。ララのこの様子からも、普通ではない事が村に起こっているとよく伝わる。
 「……お願い……。このままじゃ、あたしの子供達も……」
 ララは両手で顔を覆い、声を上げて泣きだした。震えるララの痩せた肩に粉雪がしっとりと降り積もるのを、ユーニは言葉もなくただ見つめるだけだった。
『財宝を貰う代わりに、天災や戦争から守る』
 以前、クアスはそう言っていた。
 何も竜に捧げる物がなくて、身寄りのないユーニを生贄として差し出そうとしていたくらいだ。村にクアスに捧げられるような、価値のある物なんて、何もない。それでも力を貸してくれるだろうか。
 クアスは優しい。ぶっきらぼうだけれど、決して人の心が分からないような、冷たい魔物などではない。
 けれどこんな、死にゆく人々を救えるような、そんな力があるのだろうか。
 何の見返りもなく、ララの、ユーニのそんな願いを、頼みを、叶えてくれるのだろうか。
 ユーニは呆然と立ち竦むだけだった。
 どんな言葉をララに言えばいいのか、それすらも分からなかった。 



2017/11/14 up

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