竜の棲み処 君が僕の永遠(とわ)なる希望

#18 雪の来訪者・前編

 空は重く分厚い雲に覆われるようになった。その凍てついた空から毎日、花びらのように大きな雪片が降り注ぐ。
 小雪がちらつくくらいですむのは初冬だけだ。日増しに雪は容赦なく降り積もるようになる。木々も屋敷も大地も真っ白に覆い尽くされ、凍り付いていく。
「これなら川や湖が凍るっていうのも納得だ。綺麗だなんてのんきな事言ってられるのも、粉雪までだな。雪も雨も好きだけど、寒いのは大嫌いだ」
 そんなわがままな事を言いながらも、クアスは毎日のように、この凍えるような寒さの冬天に飛び立つ。多少吹雪いても必ずだ。
 レダ王国全土に吹き荒れた風疫の猛威も今は沈静化したようだが、それでもクアスは国中の見回りも例の『飲み薬』の材料になる砂糖と塩の木箱の備蓄も怠らない。
『竜は国を護る』という言葉通りに、クアスはこの国と共に生きていこうとしているのだとユーニは思う。
 貢物らしきものもぐっと増えた。クアスが持ち帰る様々な食べ物や上質の絹や木綿、織物、財宝は以前より遙かに多い。人々は風疫から救ってくれた竜に感謝をしているのだろう。まあ、時々クアスが持ち帰るものの中には、貢物ではなくどこかで強奪してきたものでは……と思われる出所があやしい品々もあるけれど。それは美しいものの虜にならずにいられない竜のさがであり業でもあると、ユーニもなんとなく分かってきた。
 そんな竜の習性に慣れると同時に、家事にも慣れてきたおかけで、ユーニは以前ほど家事に時間がかからなくなっていた。それに今は茨の森も眠りについて、外でできる仕事もない。
 余った時間にどんな仕事をすればいいのか。そうクアスに尋ねると、クアスは少しの間、沈黙していた。また久々に見る、あのなんとも言えない不思議な表情のまま、口を開いた。
「余った時間は好きに遊べばいいよ。一日中働き続ける必要は全くない。……まあ、遊ぶっていう発想がなさそうだけど」
 実際、ユーニは村にいた頃は働きづめだった。少し休める時間があれば、座ってぼんやりするのが一番の楽しみだったかもしれない。起きてから眠るまでの間、手が空いているようなら誰かしらに仕事を言いつけられていた。
『好きに遊べ』と言われても、どう遊んだらいいのかすら、ユーニは分からない。そのユーニの戸惑いにクアスも気付いているようだった。
「勉強兼ねて読書かな。読み書きできるようになって来たし、本を読むのは気晴らしにも娯楽にもなる。余暇を楽しむのにも文字は必要なんじゃないかな」
『余暇』とは何かとユーニが聞き返す前に、玄関の呼び鈴が鳴り響いた。誰かと思うまでもない、ダーダネルス百貨店の山吹だ。



 ユーニの部屋の隅に新しく置かれた本棚には、ぎっしりと絵本や童話の本が詰め込まれた。いいタイミングで現れた山吹に、クアスが『適当に良さそうなの、この本棚いっぱいに頼む』と頼んでいた。山吹はそれはもう嬉しそうに例のトランクから次々と本を取り出してぐいぐい並べていた。
「これは給金とは別。文字を覚えるのも仕事の一環だし、僕はユーニの働きぶりを評価してる。だからこれはご褒美みたいなものだ。クーと一緒に読めば勉強にも娯楽にもなるし」
 そうクアスは言っていた。どれもこれも真新しい、ぴかぴか新品の本だ。綺麗な装丁と綺麗な挿絵で、見るからに高価そうで、ユーニは触るのにも躊躇した。汚してしまわないかとびくびくせずにいられない。
 あまりに緊張感しこわばった手で本をめくるユーニに、クアスは呆れたようだった。
「これはユーニのものだ。だから好きにすればいい。本は読めば読むほど汚れるしボロボロになる。むしろそれでこそ本も僕も喜ぶから、そんなビクビクするな。堂々と読め。これはユーニのものなんだ」
 そう言われても最初はやっぱり、恐る恐るだった。けれどそんな恐れも、すぐに忘れ去った。
 村の人々が子供達に語り聞かせるおとぎ話を耳にするだけでも、とても楽しかった。絵本や童話の本には、それよりももっと不思議で綺麗で、時に残酷で時に悲しく、そして時に楽しい、魅力溢れる幻想の世界が広がっていた。初めて手にした本の世界に、ユーニは一瞬で夢中になった。
 読めないところはクーに読んでもらい、分からない言葉は貯めた給金で山吹から買った辞書を引く。驚くほど読める文字が増えたし、書けるようにもなった。山吹がくれたカタログを見ながら、勉強に必要なものを買う事もできるようになった。
 これだけ読めるようになると、料理の本ももっともっと、理解できるようになった。
 一番最初にもらった料理の本の最後の方の、綺麗に果物やクリームで飾られた豪華なケーキやパイの作り方は、何度クーに読んでもらっても作業の手順がなかなか理解できなかったが、本棚に収められた本の半分以上を読破した今読むと、驚くほど内容が分かるようになった。
 余った時間を楽しみながら勉強できる。クアスの言ったとおりだった。
 この日も、ユーニは居間の暖炉の前で本を読んでいた。最近はクアスの帰りをここで本を読みながら待っている。ここなら、寒い中帰って来たクアスが中庭に降りるのがすぐ分かる。クアスが人の姿になって居間に入ってくるのと同時に、暖炉にかけられたやかんからあつあつのお茶を淹れる事ができる。
 クーも傍にいるが、以前ほど貼り付いて読み上げずともユーニは本が読めるようになっている。なのでクーものんきに、その辺をふんふん歩き回るほうきウサギの背中に乗って毛繕いをしてみたり、窓辺で雪を眺めたりと、気ままに遊ぶようになった。
 クーは耳がとてもいいようで、クアスが帰ってくるとすぐ気付く。遠い竜の羽ばたきが聞こえているようで、すぐにユーニに知らせにくる。今もほうきウサギの背中にとまって毛繕いのお手伝いをしていたが、急に飛び立ち、窓辺に舞い降りた。少しの間外を見つめ、それから羽根ペンを握るユーニの手元まで、慌てて飛んでくる。
「どうしたの、クー。何か外いた? この間みたいに、吹雪で迷った小鳥かな?」
 クーは何かを訴えるように、ユーニの袖口をくちばしで摘まみ、ぐいぐい引っ張る。ユーニはクーをそっと掌に載せて、窓辺へ歩み寄る。
 外の吹雪は止んでいたが、真っ白な雪は変わらず、降り続いている。白く凍った中庭も茨の森もいつも通りで、特に何か変わった様子はないが、まだクーはユーニを見上げてくぅくぅと鳴いて訴えている。
 これだけクーが鳴くのだ。何かあるのだろう。ユーニは分厚いコートを羽織って、クーを懐に入れ、降り積もった雪を踏みしめながら、中庭を歩き出す。



2017/12/01 up

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