竜の棲み処 君が僕の永遠(とわ)なる希望

#28 風纏う竜の番人

「すっかりクーがいじけてるな。……ほら、今日はいつものユーニだから、甘えておいで」
 クアスは朝食の丸パンを千切ってクーに食べさせながら、機嫌をとっているようだ。
「ユーニが眠っている間に僕が構ってたけど、やっぱり代わりにはならないな。……ほら、クー。干しいちじく好きだろ」
 パンをあげたり干した果物をあげたり、クーの好きなナッツをあげたりと、クアスはせっせといじけたクーを構っている。ユーニも申し訳なく思っているが、今は色々複雑な心境で落ち着かない。
 この一週間、ユーニは寝ているか食べているか『番人の三番目の仕事』をしているかのどれかだった。食事の時にクーを構う余裕もなかった。空腹のあまり食べのに必死になっていたし、満たされれば今度はクアスとの『甘く淫らな行為』で頭がいっぱいになる。それくらい『三番目の仕事』に夢中になっていた。
クアスが言っていた『一週間くらい、僕から離れたくなくなると思うよ』は、こういう意味だったのかとユーニがやっと理解したのは、その『一週間』が過ぎてからだった。
 今思い出しても恥ずかしい。
 ひたすらクアスとの、心も身体も甘く幸せに満たされる交尾の事しか、考えられなかった。一週間、ずっとだ。
 起きている間はクアスが欲しくて、他の事がなにひとつ考えられなかった。しようとも思えなかった。食べる事も忘れて、狂ったようにクアスにねだり続けていた。身体の奥、下腹に刻まれた翡翠の花の奥深くが甘く蕩けそうに疼いて、耐えられなかった。食事すら、クアスに言い聞かせられてやっと空腹だと思い出すくらいだった。
 うっすらと覚えている。とんでもなくいやらしい言葉でねだっていた気がする。
 干しいちじくを食べ終えたクーを、クアスはユーニの手元に置く。ユーニも食事で忙しいのだが、クーをこの一週間構えなかった事を申し訳なくも思っているし、クーが可哀想にもなっている。
「ごめんね、クー。……ご飯食べたら一緒に散歩に行こう。今日はたくさん遊ぼう」
 クーを撫でながらも囓りかけのパンは手離せない。いつもならすぐにお腹がいっぱいになるのに、今は幾ら食べても満たされない。考えられないくらいの空腹で、さっきからユーニはひたすら食べ続けていた。
「……ものすごくお腹が空いていて、幾ら食べてもなかなかお腹がいっぱいにならないです……」
 異常な食欲に自分でも不安になる。こんなに食べたらお腹が破裂するのでは、というくらいに食べ続けているのに、まだ食べたいと思っている。クアスは器用にチーズや燻した鶏肉を切り分け、パンに挟んでユーニの皿に載せながら、軽く頷く。
「あれだけ交尾すれば空腹にもなるな。竜との交尾は番人になっても負担が大きい。ひどく消耗するから、たくさん食べておかないと」
 その言葉で、この一週間をまざまざと思い出す。あまりの羞恥に、ユーニは囓りかけのパンを持ったまま固まってしまう。首筋まで真っ赤だ。その真っ赤なユーニに気付いたクアスは唇の端を綻ばせ、優美な笑顔を見せる。
「……竜との交尾の快楽を知った番人は、皆そうなる。中毒状態みたいなもので、この一週間が過ぎればもうここまで耽溺するような事はないから、心配はいらない」
 この気品溢れる美しい唇が、『交尾』と口にするのが本当に不思議に思える。そんな言葉を口にしそうにないように思えるが、この唇が甘く蕩けるように触れ、囁き、時に気が狂いそうなくらいの快楽を紡ぎ出す事も、身をもって知ってしまった。思い出すだけでユーニはクラクラしてくる。
 固まったままのユーニに食べるように促しながら、更にクアスはタルトを切り分ける。どこからこのタルトを入手したのか分からないが、シロップ煮にしたつやつやの桃がバラの花のように飾られた、とても華やかでおいしそうなタルトだ。
 クアスは『そんなの、気にするような事じゃない』と言わんばかりの口ぶりだが、ユーニには羞恥心がある。羞恥のあまりもじもじせずにいられない。
「まあユーニは身体が小さくて未熟だから、大半僕が魔法で眠らせておいたけど。……だからそれほど消耗はしてないはずだ。ユーニが欲しがるままに交尾してたら、ユーニが弱って死ぬかもしれなかったしね」
「……ほ、欲しがる……ま……まに……」
 確かに尋常ではない状態だったと思う。あんな事になるなんて、全く思っていなかったユーニには衝撃が大きすぎた。
 羞恥も忘れて淫らに足を開き、ねだった。下腹の翡翠の花の奥深くが訴えるまま赤裸々に、クアスが欲しいとあられもなく喘ぎ、叫んでいた。気のせいではない、よく覚えている……。
 一週間の『蜜月』が終わって正気になってみれば、本当にいたたまれない。幾らクアスに『これが普通』と言われても、恥じ入らずにいられない。
「だから未熟な人間を番人にしないんだ、本来は。あまりに負担が大きい。仕方ない事だけど、ユーニが大人になるまで待てるなら、僕も待ちたかった」
 あんなほぼ交尾しかしていないようなふしだらな一週間を過ごしても、クアスはいつも通りの、いやらしい事と全く結びつかないような、浮世離れした湖の精霊の如き美しさと冷静さだ。余計にユーニはいたたまれない。
「まあ、そんな恥じ入る事じゃない」
「……ぼ、ぼくばかり、そんないやらしい事になってて、だから、恥ずかしいんです……」
 やっとぼそぼそと小声で言えた。ユーニの羞恥を知ってか知らずか、クアスは相変わらず冷静に見える。
「発情期の僕の方がひどいと思うから、安心するといい。まあ、発情期の間は番人も竜の発情につられるからお互い様かもしれないけど」
 あんな恥ずかしい状態に、またなるというのか。ユーニはもう落ち着いていられない。ぐらぐら目眩がしそうだった。
「……ユーニだけ、そんな事になってると思ってたんだ」
 桃のタルトをユーニの目の前に置き、クアスは片手で頬杖をついて、赤くなったり青くなったり忙しいユーニを眺めている。その口元はちょっぴり、意地悪な笑みを浮かべているように見えなくもない。
 銀細工のフォークで器用にタルトを切り取り、ユーニの口元に運びながら、クアスはあどけなくも見えるけれど、何とも淫靡で色っぽくも感じられる不思議な笑みを見せ、囁く。
「じゃ、もうちょっと太って元気になったら、またしようか。……その時はユーニももっと色々な事が分かるかもね」



 真夏になっても、湖に囲まれたこの茨の森の屋敷は過ごしやすい。湖を渡り茨の森を抜ける爽やかな風のおかげで、ほどほどの暑さで夏を楽しめる。
 いつものようにユーニはクーを連れて家事をこなし、茨の森へ入って材料集めをし、中庭の手入れをして、余った時間で本を読み、文字の勉強をする。
 相変わらずクアスは国中を飛び回って、竜の理想の巣である『財宝がたくさん詰まった豪華で立派な巣』を作る為に、彼の心を満たす美しいもの探し集め、時折あちこちの村や街から捧げられた貢物を持ち帰る。
 そんな穏やかな日々が静かに流れていたが、クアスは『ユーニを捜す何者か』を全く諦めていなかった。ユーニの為にも、クアス自身の為にも、十五年前に何があったのか調べたいようだった。
「ユーニを捜す『母親』が何者か、安全な相手なのかよく調べる」と言って、頻繁に周辺国にも足を運んでいる。
 その結果が、真実がどうであろうと、ユーニの気持ちはもう決まっている。
 母親が何者でも、自分が誰なのか分かっても、ユーニは『夜明け』だ。他の誰でもなく、茨の湖に棲む風纏う翠玉の竜の『夜明け』だ。
 そう分かっていれば、何も怖くない。もしも真実がどんなに残酷だったとしても、何も揺るがないと信じられた。
 もうすぐ帰ってくるであろう主の為に、ユーニは中庭のポーチにティーテーブルを運んで、お茶の用意を始める。夏の木陰は過ごしやすい。今日はここでクアスの為にお茶を淹れようと思っていた。
 小さかったクーも少しずつ育っていて、ちょっぴり立派になった。真っ白な翼を広げ、よく茨の森や湖上を飛び回っているけれど、以前の頼りなさは全く感じられなくらい、力強く逞しくなった。
 空を駆け巡っていたクーが、すっかりお茶の用意がすんだティーテーブルの椅子の背に舞い降り、クアスが帰って来た事をくぅくぅ鳴いて告げる。
「ありがとう。クアス様が帰ってきたんだね。……そういえば、クーがぼくの名前を言ったってクアス様が言ってたな」
 あれから二度とクーは自分から言葉を発する事も、ユーニの名前を呼ぶ事もなかった。あの一回限りだったようだ。クーもあまりに必死で、自分がユーニの名前を呼んだなんて、覚えていないのかもしれない。
「クーがクアス様を連れて来てくれなかったら、ぼくはここにいなかったよ。それから、こんな幸せにもなれなかったよ。……ありがとう、クー。やっぱりクーはぼくの一番の友達だ」
 クーは差し出されたユーニの指先にくちばしを軽く寄せ、それから身体を擦り寄せる。少しずつ大人になってきたが、まだまだ甘えたい盛りの子供だ。くぅくぅといつものように鳴いて、甘える仕草を見せる。
 不意に、大きな影が中庭に差す。抜けるような青空を見上げると、翠玉の鱗に包まれた風竜が、静かに音もなく中庭に舞い降りようとしていた。夏の日差しを受け煌めく鱗を、足下から這い上がる風が包む。穏やかな風が暴風に育ち、それが溶けるように消え失せると、いつものように、蜂蜜色の髪の青年が降り立った。
「おかえりなさい、クアス様」
 笑顔で駆け寄るユーニを両手で抱きしめて、クアスはその黒髪に頬を埋める。
「……ユーニ」
 静かな声だった。何か悲しげにも聞こえる、そんな声音だった。
「君に説明している時間すら、もうないんだ。……何があっても君を護ると約束する。だから僕を信じて欲しい。……一緒に、君の母親に会いに行こう」


2017/12/25 up

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