竜の棲み処 君が僕の永遠(とわ)なる希望

番外編:#03 クアスとユーニとクーと本と

 フレデリカにもらったたくさんの本の中でも、この本がユーニは大のお気に入りだ。
 数日に一回は開いてしまうその本は、少し古いけれど重厚で繊細な装丁で、ふんだんに美しい景色や草花、子供達や動物の挿絵があるとても分厚い本だ。
 けれど残念な事に、ユーニはこの本が読めない。どこか遠い国の言葉で書かれていて、綺麗な文字だけれどまるで暗号のようだ。何が何だかさっぱり分からない。この文字はクーも読めないようで、読んでもらおうとすると、クーは困ったようにくぅくぅ鳴き出してしまう。
 内容は分からずとも、綺麗で穏やかな挿絵と風変わりな文字に、とても心引かれてしまう。
 今日もユーニは今の絨毯の隅っこの定位置に座って、クーと一緒にまたその本を開いて、楽しく挿絵と文字を眺めていた。
「ああ。それはずいぶん昔の文字だ。彼女が番人になったばかりの頃に書いた本だったと思った。今は使われていない文字で書かれてる」
 いつの間にか書庫から出てきたクアスは、ぺったり座り込んでいたユーニの隣に座る。
「すごく綺麗な挿絵なんです。たくさん子供達と動物が出てきて、どんなお話なんだろう……」
「読めるから読んであげようか。フレデリカは僕の先生だったんだ。色々な言語を教えてくれたから、大抵の文字が読めるし書けるよ」
 クアスはユーニを背中から抱きかかえ、ユーニの肩に顎を乗せて、膝の上に広げられた本を覗き込む。
「これはある日突然、大人達が消えてしまった街の物語。タイトルは『外つ国の物語』、残された子供達は協力しあって大人達を探す旅に出るんだ」
 ユーニの腰を抱くようにして両手を伸ばし、囁く。クアスの吐息は、ほんのりと甘く香るような気がする。竜が皆そうなのかクアスだけなのか分からないが、この吐息を感じると、ユーニはなんだかとてもそわそわと落ち着かなくなってくる。
「……『イリアの街は、銀色の森と薄紅色の湖にぐるりと囲まれている。銀色の森は……』……なんでそんなにガチガチに固まってるんだ、ユーニ」
 首筋に軽く唇を押し当てられて、ユーニは思わずため息のような吐息を洩らしてしまう。
「……か、固まってないです……」
 何度クアスと身体を重ねても、どきどきする。こうして抱きしめられようものなら、もう心臓がどうにかなりそうだった。きゅうっと胸を締め付けられるような、甘く痺れるような、身体のどこかが、騒ぎ出すような。とにかくユーニは落ち着けない。いつまでたっても慣れずにそわそわどきどきしっぱなしだ。
 耳朶に触れるクアスの唇が、小さな笑い声を洩らす。甘く首筋に幾度か口づけられて、ますますユーニは落ち着かなくなっていく。
「じゃ、続き。……『銀の森は、真夏でも銀色に輝く不思議な森で、子供達はこの森に……」
 本を読み続けるクアスの吐息が気になって、ユーニは本に集中できない。クーはページをめくるクアスの邪魔をしないようにしつつ、真剣に本を覗き込んでいるが、ユーニはもう内容なんて頭に入ってこない。
「……『メーアはとてもおてんばな女の子だ。彼女が怒り出したら、男の子達は一目散に逃げ出す。だから女の子達は、男の子達にひどい意地悪をされたら、すぐにメーアに……」
 朗読する合間に、クアスの悪戯な唇は、気まぐれに、それこそ悪戯に、ユーニの細い首筋に触れる。時折甘く食まれて、ユーニの吐息はじわじわと熱く乱れ始めていた。
「ユーニ、いい匂いがする。……何かに似ていると思ったら、カミツレだ。……カミツレの匂い」
 片手で本を広げたまま、あいた片手でクアスはユーニの腰を抱きしめ、首筋に唇を押しつけている。
「……に、匂いなんて、気にした事が」
 もう心臓が激しく脈打っていて、ユーニはなかなか言葉が出てこない。クアスは首筋に顔を埋めたまま、くすくす笑う。
「純潔の人間は、だいたいいい香りがする。……番人になるとその匂いが更に強くなる。……何かに似てると思ってたんだ。……そうだ、カミツレだ」
 ユーニの華奢な首筋に頬をすり寄せながら、囁く。
 カミツレはクアスの好きなお茶に入っている。ガルビア半島でよく飲まれている、菩提樹とカミツレのお茶。クアスはこのお茶と、例の甘い蜜をかけたパイでお茶の時間を楽しむのが大好きだ。
「か、カミツレは、ぼくも好きな匂いです……」
 クアスの唇を素肌に感じると、そこが甘く痺れ始める。それがじわじわと熱を帯び、身体にじわじわと広がっていく。それはたまらない高揚だった。
「決して華やかじゃないけれど、落ち着く香りだ。……癒やしの匂い」
 触れ、時々食むだけだった唇が、不意にきつく吸い付いてきた。たまらずに、ユーニは高く甘い声を漏らしてしまう。
「あ、あっ……!」
 クアスにとって、カミツレは故郷の香りで、癒やしの香りだ。そのカミツレとユーニの香りが似ているというのは、不思議な縁を感じる。
「……いつもはほんのりだけれど、時々この匂いは強く香る事がある」
 ユーニの腰を抱いていた手は、いつの間にか、ユーニの纏っていた木綿の縁飾りがついたシャツの中に滑り込んでいた。素肌を優しく撫でながら、しなやかなで優美な手は這い上がっていく。
「クアスさ、ま……、本、が」
「本なんて後でいいよ。……匂いは」
 優しく撫で辿っていた指先が、不意にユーニの胸の小さな突起に触れ、ユーニの背中がひくん、と震える。
「こうして、ユーニを抱いている時に強くなる」
 触れた小さな突起を、その指先がやんわりと摘み、撫でる。
「あ、あ……や、は……」
 震えるユーニの唇から、甘く蕩けた声が零れ落ちた。硬くなり始めた小さな赤い実を、クアスの指先はやんわりと撫で、擦り、ユーニを淫らに追い詰める。
「……ユーニ……」
 囁きながらクアスが本を放り出そうとした時だった。
 閉じかけた本に挟まれながら、クーがじはばたともがく。
 くぅ!! と大声で鳴き、本を持つクアスの指にくちばしを押しつけ、クアスとユーニを見上げている。
「…………クー……」
 どうやら、『お話は? 続きは? 何で本を閉じちゃうの?』とクーは言いたいらしい。
「……ああ……続き。続きね……」
 まだ子供で小さいクーに、『空気を読め』というのも無理な話ではある。あるが、クアスはなんとも言えない顔でユーニの頬に口づけて、はだけた服を直しつつ、諦めたようなため息をもうひとつついて、本を再び広げる。



「……こういう時に、クーも誰か他に遊び相手が必要かもしれないなとも思う」
 クアスは大きくため息をついて、裸のまま寝台から降り、床に脱ぎ散らかした服を拾いあげる。
「……そ、そうですね……」
 交尾の後はだいたい、ユーニは起き上がれない。クアスも無理はさせたくないようで、よくユーニを寝かせたまま、軽い食事を作ってくれたりしていた。
 思えば、ユーニがクアスに拾われた時も、パンやチーズを切ったり、林檎の皮をむいてくれたり、簡単な食事の用意してくれていた。何もやらなそうでいて、意外とクアスはこういう事をきちんとしてくれている。
「ほうきウサギは愛玩用のペットじゃないから、愛想は悪い。あまりクーと遊んでくれそうじゃない。……友達が真っ黒い犬を飼ってたな。飼いやすいか聞いてみよう」
 身支度を調えてから、クアスは再び寝台に近づき、ピローに埋まるようにぐったりと横たわるユーニの頬に、軽く口づける。
「何か用意しよう。……食べたいものはある?」
 ユーニはクアスのほんのり甘い吐息を感じながら、思い出した。
 クアスのこの吐息は、ほんのちょっと、桃の香りに似ている。クールで斜に構えたようなクアスから、ほんのりと甘い香りがするなんて、なんだか不思議な気もするが。
「……桃…」
 ユーニはもうひとつ、思い出していた。
 竜のしるしを刻まれてから、一週間過ぎた頃だ。クアスが銀細工のフォークで食べさせてくれた、桃のタルト。薄く切られたシロップ煮の桃がバラの花のように飾られたあのタルトは、とてもおいしかった。ほんのり上品に甘い桃と、軽やかな味わいのカスタードと、さくさくのタルト生地。おいしくて綺麗で、ユーニは一口でとりこになるくらい、大好きだった。
「あの、前に食べさせてもらった、桃のタルトが食べたいです……。すごく綺麗でおいしくて、また食べたいなって思ってました……」
 クアスはああ、と小さく声に出し、頷く。
「分かった。あのシロップ煮の桃とカスタードのタルトね。……保存庫にまだ桃があったかな。ユーニ、使ってないよな? ならあるかな」
「つ、使ってないです。まだあります」
「分かった。……そうだな、タルトを焼いて桃を煮て冷まさなきゃならない。結構時間かかるな。……タルトの下拵えしながら、軽く食べられるものも作ってくるから、他に何が食べたい?」
 ユーニはうんうん頷きながら、やっと気付いた。
『タルトの下拵えをしながら』確かに、クアスはそう言った。
「……もしかして、あの桃のタルトはクアス様が作ったんですか?」
「そうだよ。……なんでそんな不思議そうな顔してるんだ、ユーニ」
「料理、できるんですか!?」
 思わず驚きのあまり、ユーニにしては珍しく大声を出してしまった。
 この、甘やかされてわがままに贅沢に大事に育てられた、王子様みたいなクアスが、料理をする。
 驚かずにいられなかったが、思えばクアスは、ユーニが来る前は自分で掃除もしていたようだった。
「少しなら。子供の頃は父さんとよく一緒にお菓子を作ってたな。……まあやれと言われれば多少できるけど、やっぱり誰かに作ってもらった方がおいしいから、あまり自分では作らないな」
 いや、十分にあの桃のタルトはおいしかった。てっきりルドガーが作ったか、ダーダネルス百貨店から買ったものだとばかり、ユーニは思っていた。ユーニは呆然とクアスを見上げる。その、見上げるユーニと目が合うと、クアスはいつもの、なんだかあどけないような、無邪気な笑顔を見せる。
「そうか、ユーニの好物は、桃のタルト。覚えておこう」 ------- カミツレ(カモミール)の花言葉を是非検索してみて下さい。


2018/01/12 up

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