竜の棲み処 君が僕の永遠(とわ)なる希望

番外編:#06 君が教えてくれた事・後編

「なんで怒らせちゃったかな。うーん」
 ルサカはくし切りにした林檎を瓶にぐいぐい詰めながら、小さくうなる。
「ぼくにもさっぱり……。クーはいつもはおとなしくて、ほとんど鳴かないくらいなのに。あんなに怒りだしたのなんて、見た事なかった……」
 せっせと手順のメモを取りながら、ユーニもその事をずっと考えていた。
 番人ふたりは揃って厨房にこもり、林檎酒を作っていた。酵母作りから始めると時間が足りないので、酵母はあらかじめルサカが作って持参していたが、今はユーニがひとりで林檎の酵母を作れるように、レクチャーしているところだ。
「クーちゃんもダーダネルス百貨店の魔法生物だっていうし、だからヨルが普通の犬じゃなくても大丈夫かと思ってたんだけど」
「普通の犬じゃないんですか?」
 クアスは『友達が真っ黒な犬を飼っていた』としか言わなかった。思えばルサカは『子犬に見えるけど、もう三十年生きてて大人だ』とも言っていた。
「簡単に説明すると、ヘルハウンドといって、やっぱりダーダネルス百貨店が扱ってる動物なんだ。……普段は子犬の姿をしてるけど、何か飼い主に危険が迫ると本来の大型犬の姿に戻る」
 小さくて可愛いヨルから、大型犬に……なるほど、クーも普通のフクロウに見えて、あんなに難しい本を読める不思議なフクロウだ。そんな不思議な犬がいても別におかしくないのかもしれない。むしろダーダネルス百貨店では普通の動物なんて扱っていなさそうだ。
 林檎を詰め込んだ瓶に水をなみなみと注ぎ込むと、ルサカはてきぱきと蓋をし、次の支度に取りかかる。考えつつ喋りつつ、でも手元はしっかり働き続けていて、ユーニは密かに感心していた。おっとりのユーニには真似できない手早さだ。
「ちょっと大きい姿になると怖いかもしれないなあ。……そういえば、クーちゃんは?」
「あ。クーは昨日、ぼくとクアス様に叱られすぎて、すっかり落ち込んでしまって。さっきクアス様が連れて行ったけど、慰めてくれてるのかな」
「可哀想な事しちゃったな……。怖かったのかもしれない。ヨルは真っ黒で目が赤いから、クーちゃんから見たら大きい魔物に見えたのかもなあ。……あ、で、この林檎と水が詰まった瓶は、保存庫で三日くらいおいて、それから……」
 怖かった割に、クーは果敢にもヨルに飛びかかってあんなハゲができるくらい、むしっていた。本当に怖かったんだろうか……。思わずユーニは考え込む。
 林檎の酵母の作り方の説明を終えると、ルサカは持参した木箱から、綺麗な金色の液体を満たした瓶を取り出した。
「林檎の酵母ができあがると、パンの他に、この林檎酒も作れます! ……これ、もう三十年も前からクアスに作り方を聞かれてたんだけど、教えなかったんだ。 ぼくの秘蔵のレシピだからね、特別なの。そう気安く教えられない」
 そう言いながら、ルサカはとてもにこにこ嬉しそうな笑顔だ。瓶に詰め込まれた金色の林檎酒の中に、小さな泡が見える。とても綺麗で、なんだかわくわくするような。この琥珀色のお酒は見ているだけで幸せな気持ちになるくらい、とてもおいしそうだ。
「そんな大事な作り方を、ぼくが教えてもらって……いいのかな……?」
 見とれていた林檎酒の瓶からやっと顔を上げると、もうルサカは厨房の隅の林檎樽から林檎を山ほど取り出して運び始めていた。
「もちろん。やっとこうしてユーニに作り方を教えられる。……さて、これからが体力勝負だよ。この樽の林檎を全部、絞るからね」
 テーブルにごろごろと大きな林檎を転がしながら、ルサカはシャツの袖をまくり上げる。
「えっ! こんなに? すごくいっぱいになっちゃいませんか?」
 この樽いっぱいの林檎なんて、ものすごい量だ。けれど番人ふたりで絞るなら、それほど大変ではないのだろうか。
「そう、でも絞るとちょっとになっちゃうんだよね。……あ、むいた皮でお茶を淹れよう。林檎茶になるんだよ。あとは芯と皮を煮て、ジェリーを作ってもおいしいし。……更に余った芯と皮は、干してお風呂に入れるといいよ。すごくいい香りがするから」
 こんなに綺麗なのに、なんだかものすごく、家事に慣れている。ルサカに手渡された林檎の皮を剥きながら、もう何度目が分からない感心をしていた。
「すごいなあ……。ルサカはなんでも知ってるんだね」
 働き者で頭もよくて物知りで、その上とても綺麗なのに、ちっとも気取っていない。ユーニはもうルサカを尊敬せずにいられなかった。
 褒められて恥ずかしいのか、ルサカはほんのちょっぴり、照れくさそうな顔をしていたけれど、とても人懐こい笑顔を見せる。
「もう三十年も竜の巣を守ってるからなあ。……まあ、色々料理したり作ったりが好きなのもある。昔はぼくも、他の番人を見ては、すごいな、ぼくもああなれるのかな、って思ってたよ。……誰でもちょっとずつ覚えていくんだよ。こうして誰かに教えてもらったりしながら、ね」



「……すごい林檎の匂いだな。ふたりとも、今ちょっと中庭に来られる?」
 クアスがふらっと厨房にやって来た時には、もう林檎酒作りの作業は終わっていた。林檎の酵母と果汁を瓶に詰め終えて、ユーニとルサカは後片付けをしているところだった。
「はい。もうあとは片付けだけなので。……もう少しなので、ぼくはここを片付けたら行きます。ふたりは先に行ってて下さい」
 そう勧められて、ルサカは素直に頷く。
「ありがとう、お願いします。じゃあ先に行って、待ってるからね」
 ルサカは厨房を後にして、クアスについて中庭へ向かう。クアスはなんだかとても不思議そうな顔をしていた。
「すごく可愛くて素直な子だね。クアスがこういう子選ぶなんて、ちょっと見直した。……ひねててワガママで偏屈だからどうなるかとこの三十年、タキアがものすごく心配してたけど、そうかあ。幸せそうでよかった。ユーニ、すごくクアスの事好きなんだろうなあ。……クアス様、っていう呼び方がもう可愛い。大好きってにじみ出てるよね!」
 ずいぶんひどい事を軽く言っているが、クアスはそこは全く気にならないのか、違う事に食いついてきた。
「あれ、林檎酒? ユーニと一緒に作ってたのか」
「そうだよ。ユーニに作り方を教えたんだ。林檎の酵母の作り方もね。今年から林檎酒飲み放題だよ、よかったね、クアス」
「僕には絶対教えないって言ったくせに!」
 ルサカはそれを聞いて、にやにやとちょっぴり意地の悪い笑顔を見せた。
「僕から散々レシピせしめたくせに、林檎酒だけは絶対に教えてくれなかったよな! あれが僕の大好物だって知ってて! なんなんだ一体!」
 ルサカのにやにや笑顔で、ますますクアスは不機嫌だ。おとなげなく、ちょっとむきになっている。
「桃のタルト、めっちゃめちゃおいしかったよ。今じゃぼくの得意料理になったよ、ありがとう。もらったレシピは有効に使ってます! それに……どうせクアスは作ろうと思えば、なんでも作れるんだろ」
 ルサカは気分も良さそうにさっさとクアスの前を歩いて行く。足取りは踊るように軽い。
「タキアは全くダメだけどね。相変わらず料理は本当、ひどいよ。……なんでクアスはそんなに器用なんだろ。……だから、ねえ」
 振り返ったルサカは、にこにことても嬉しそうな笑顔だった。
「一番好きなものを、一番好きな人が作ってくれるって、すごくいいじゃないか。だからクアスには教えなかったんだよ。……クアスの一番大事な人に教える為に、この日を三十年も待ってたんだ」



 手早く片付けを終えて、クアスとルサカの後を追って居間に入ったユーニは、部屋の真ん中で固まっていた。
 ものすごく大きい、真っ黒な犬が、中庭にいる。
 村では大型の猟犬もいた。それだってこんなに大きくはない。例えるなら、畑を耕す時に使われていた牛だろうか。あれよりももしかしたら大きいかもしれない。しかも、鋭い牙が生えた大きな口から、ちらちらと赤い炎が吹き出しているし、太くて大きい前脚の、鋭い巨大な爪から炎が吹き出している。
「……あ。ユーニが固まってるよ。さすがにこんなの予告もなく見せられたら怖いよね」
 真っ先にユーニに気付いたのはタキアだった。そうタキアに言われて、クアスは慌てて中庭のポーチを駆け上がり、ユーニの手を取る。
「驚かせた。あのでかい魔物みたいなの、あれはヨルだ。ちょっと信じられないかもしれないけど、普段は子犬の振りをしているだけで、本来はあの大きさなんだ。ヘルハウンドっていう、まあ魔犬だ。番犬用の」
 言われてみれば、子犬のヨルの面影はある。あのふさふさの尻尾と、つやつやでふわふわな真っ黒な被毛は、確かにヨルだ。けれどそれ以外に類似点が見つからない。ユーニは呆然とするしかなかった。
「ルサカ、見せてやってよ。……ほら、ユーニ」
 クアスに手を引かれながら中庭に出ると、ルサカが頷いて、巨大なヨルの首の辺りを撫でる。
「ヨル、ユーニに見せてあげて。……ほら」
 ルサカに促されて、ヨルはゆっくりと石のタイルの上に伏せる。この間クーにむしられたハゲがちゃんとある。そしてそのハゲの隣で、クーが丸くなってすやすや眠っていた。
「え。あ、いつの間に! いつの間にこんな仲良く?」
 昨日あんな大げんかをしたヨルの頭の上で、クーはぐっすり安心しきった姿で寝入っている。一体何があったというのか。
「クーが叱られていじけてただろ。……クーにしてみれば、姿を偽る魔物をユーニに近付けるわけにはいかなかったんだよ」
 クアスは眠るクーの小さな頭をそっと撫でる。
「覚えているんだろうな。見知らぬ人間が掌を返してユーニを傷つけた事を。クーにはヨルのこの姿が見えていたんだ。それで、子犬のふりしてユーニに近付こうとする、悪い犬だと勘違いしたようだよ」
 ユーニが偽物の『母親の使い』に騙された時の事か。あの時クーは、すぐに異変を察知していた。この小さな身体で、ユーニを守る為に男達に掴みかかっていた。
「ヨルのこの姿を見せて、これはヨルが大切な主人を守る為の姿なんだとちゃんと説明した。クーにとってユーニが大切なように、ヨルにとってルサカが大切で、クーがユーニを守るように、ヨルもルサカを守る為にこの姿になるんだ。……そう説明したら、ちゃんとヨルに謝ってたよ。くぅくぅ鳴いて」
 あんなにクーを叱ってしまった。クーの気持ちも考えずに、頭ごなしに意地悪をしたと叱ってしまった。クアスの言葉に、ユーニは泣き出したくなる。クーがどんなにあの時怖かったか。それでもユーニを守ろうと戦って、そしてユーニを助けたいが為に、クアスの目の前でユーニの名前を叫んだ。
 クーにとって、ユーニはそれほどに大切な友達なのだ。何があっても守りたい、大事な友達。だから姿を偽る、火を吐く巨大な魔犬を近付けたくなかった。
「クー……。ごめんね。クーはぼくの事が心配なだけだったんだね。たくさん叱ってごめんね……」
 クーが目覚めたなら、たくさん撫でて、たくさん褒めてあげなければ。滲む眦を擦りながら、ユーニは寝入ったクーに囁く。
「ぼくも不用意だった。ちゃんとユーニにヨルの……ヘルハウンドをよく説明しておけば……。いやむしろクアスがちゃんと説明しとくべきだったんじゃないか?」
 タキアはそう神妙に後悔してから気付いたようだ。クアスは昔から付き合いがあって、ヨルの事もよく知っていたのだろう。
「そうだよ、昔クアスはこの姿のヨルに吠えられた事あるだろ。あの時はぼくもヨルも怪我したんだぞ、あの風の刃のせいで。クアスが悪い、ちゃんと前もってヘルハウンドはこういう生き物だってユーニとクーに説明しておかないから」
「なんだよ、みんな僕のせいか。ルサカが安易に子犬のヨルを見せたのは悪くないっていうのか」
 三人の責任のなすりあいに、思わずユーニは笑ってしまう。いつもすましているクアスも、友達とはこんなに本音で楽しそうに話している。いつもと違うクアスの姿が見られて、これはこれでユーニは嬉しいし、なんだか仲のいいじゃれあいが見られて、楽しい。
「ああ、そうだ。さっきルサカに教えてもらった、林檎のお茶を用意したんです。クアス様が作った、ナッツがいっぱいの甘いパイもあるし、お茶にしませんか」
「あー、クアスの故郷のパイだよね。あれ大好きなんだ。久しぶりに食べるよ、あのパイすごく作るの大変そうだよね」
「僕が作ったってばらさないでいい! 今日はユーニもなんだか意地悪だな」
「なんだかんだでクアスはタキアが大好きだよね。そうやってタキアの好きな物作って待ってるし。もっと素直になればいいのに。……あ、ユーニ、お茶のテーブルの用意、手伝うよ」
 四人が楽しそうに賑やかに去って行った中庭で、ヨルは頭の上のクーをそっと前脚の間に下ろし、まだぐっすり寝入ったままのクーを軽く舐めて、優しく毛繕いする。
 目が覚めたら、お茶を終えた竜と番人たちと、この小さいフクロウと、皆で遊ぼう。
 前脚の間にクーを抱えて、ヨルはゆっくりと目を閉じる。


2018/01/22 up

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