竜の棲み処 (ほむら)の魔女の森

#01 命の対価

「お代は『美しい物』でお願い。……美しいなら値段や価値なんてどうでもいいよ。綺麗な事が大事なの。私が見た事がないような、綺麗なもので対価を支払ってね」
 薄暗い店のテーブルに置かれた小さなオイルランプに照らされながら、彼女は微笑む。
 幼くあどけなくも見えるのに、百年生きた魔女のような不気味さもあった。
 燃えるような紅い巻き毛は、彼女を包む(ほむら)のようにも見える。その幻想の焔を纏いながら、妖しき生き物ような紅い唇が動く。
「払えないなら、あなた自身でもいいよ。その、お日様みたいな金色の髪と、冬の湖みたいな青い目はとても素敵だから。あなたがだめなら、これからあなたがいつか作る、美しいものでもいいよ」
 それは俺か、俺が将来持つであろう子を寄越せという意味か。
 やはり魔女だ。
 どんなに美しく優しそうに見えても、少女のようにあどけなく見えても、やはり魔女なんだ。
 仄明かりに照らされた妖しい魔女を睨み付けながら、カインは小さな薬瓶を握り締める。
 そんな異形の生き物と取り引きをしてでも、この薬が欲しかった。
「……必ず、対価は払う。二言はない」
 焔の魔女は、うん、と子供のように無邪気に頷く。
「あなたは約束を破るような人じゃないよね……。だから、薬はあげる」
 魔女は座っていた椅子から立ち上がり、背後の薬棚から、更に大きめの瓶を取り上げる。
「これもあげる。実とつけ汁を小匙一杯、朝夕食べさせて。……栄養剤のようなものかな。これとその薬があれば、あなたの大事な弟の命が救えるよ」
 瓶にはぎっしりと、何かの花と木の実のようなものが詰められ、ハチミツのような液体で満たされていた。
 カインは素直に、その妖しげな瓶も受け取る。
 こんな妖しい魔女と真面目に取り引きするなんて、馬鹿げている。それもカインはよく分かっていた。
 それでももう他に手段がない。
 この女の薬が無ければ、アベルが死んでしまうのは明白だった。
「時間が掛かるかもしれないが、必ず、対価になりそうなものを探してくる」
 店の重い樫の扉を開け、魔女を振り返ると、魔女はそれはそれは楽しげに、無邪気に、笑っていた。
「楽しみにしてるね、カイン。……時間は幾らでもあるから。楽しみに、待ってるよ」





 焔の魔女の薬は、よく効いた。
 病に冒され死を待つだけだった弟のアベルは、今ではすっかり健康を取り戻し、騎士団の入団試験にも合格した。以前のように元気に、駆け出しの魔法騎士として忙しい日々を送っている。
 こんな以前のような健康を取り戻せるなんて、カインもアベルも思っていなかった。
 まさか騎士になれるほど回復するなんて、思ってもみなかった。生きられさえすればいい、とまで思っていたのに、焔の魔女の薬は、恐ろしいほどよく効いた。
 喀血し意識を失ったアベルを抱えて、ルズの蒼い森をさまよったあの日を、カインは絶対に忘れない。
『ルズの蒼い森には、魂と引き替えに願いを叶えてくれる焔の魔女がいる』という噂は、首都ランアークにも伝わってきていた。
 むしろカインは、そんな妖しげな魔女を取り締まる側の、騎士団の魔法騎士だ。
 そんな怪しげな噂でもいい、藁にもすがる思いだった。
 アベルを助けられるなら、魔女に魂を引き渡しても構わないと思っていた。
 早くに両親を亡くし、兄弟二人で支え合い、必死に生きてきた。
 幸い、カインは両親が健在だった頃から魔法と騎士の才能を見出され、惜しみなく教育を与えられていた。
 そのおかげで早くに騎士団へ入る事が出来、アベルを育てる資金も生活出来るだけの糧も得られた。
 陽気で明るいアベルと、堅物でいささか気むずかしすぎるカインは、正反対な性格ではあったが、仲のいい兄弟だった。
 助け合い、支え合い、生きてきた。
 その、この世にたった一人の大切な弟を見殺しには出来なかった。
 アベルの命を繋ぎ止められるなら、自分の魂なんか魔女にくれてやってもいいと思えた。
 悪魔にでも魂を売りそうなくらいに思い詰めたカインが、青ざめたアベルを馬の背に乗せてルズの蒼い森をさまよっている時に、彼女は現れた。

 それはそれは、美しい娘だった。
 見た事も無いくらいに紅く、燃えるような髪をし、不思議なすみれ色の瞳をしたその娘は、夜明けの泉の前に立ち、不思議な声で、朗々と歌っていた。
 その歌声に惹かれたのか、森の木立の間には、様々な動物の姿が見える。
 鹿、うさぎ、狼、野鼠、猪、いたち……どの生き物も、争う事を忘れたように、その娘の歌声に聞き入っているようだった。
 それは不思議な声だった。美しく、儚く、それなのに、力強い。
 聞いた事もない、どこか知らない異国の言葉の歌だった。
 人ではないんだ。
 この娘は、人ではない。
 カインは直感的に感じ取った。
 この神々しくも禍々しい、紅い花のように可憐な娘は、人の形をした、異形の者だ。
 娘が歌い終わっても、森の獣たちは微動だにしなかった。明け方の空を見上げたまま、ぴくりともしない。
 娘は最初からそこにカインとアベルがいた事を知っているかのように、振り返る。
「死にゆく人の匂いがする。……お客さんかな。……ルズの蒼い森へ、ようこそ」
 聞かずとも分かっていた。
 この異形の娘が、魂と引き替えに願いを叶えてくれる焔の魔女だ。



「失礼しちゃうよねー。『魂と引き替えに願いを叶えてくれる魔女』なんて。……魂なんてそんな見た事もないもの貰っても困るわ」
 その異形の娘は、よく知り合ってみれば、普通の町娘のように気さくで陽気で、のんきだった。
 カウンターに座って、乳鉢と乳棒でなにやら甘苦い匂いのする実をすり潰している。また妖しげな薬を作っているのだろう。
「私は綺麗なものが欲しいだけなのに。綺麗なものを貰って、その代わりに、欲しい薬をあげるだけなのにね。……魂を奪う魔女だなんてひどいな。そんなもの貰っても嬉しくないのに」
 その、『欲しい綺麗なもの』の基準が分からないから困る。
 カインはガラス細工の高価なランプをカウンターに置いたまま、深い深いため息をつく。
 この異形のお姫様は、これもお気に召さないらしい。
「……これも気に入らないのか。高価な異国のランプなんだぞ」
 今まで色々なものを持ち込んだ。
 珍しい絹や、名工が作った人形や、絵画、宝石、鉱石類。どれもこれも、この魔女はたいして美しくない、と言い放つ。
「お金じゃないって言ってるじゃない。私がこんな森でお店やってるのはね、すごく珍しい、見た事もないような素敵なものが欲しいからなの。珍しい綺麗なものを持ってきてくれるのを待ってるの」
 カインからしたら、この異国のガラスランプだって、ものすごく珍しいものだ。
 細工も細かく、何よりこのガラスは、まだまだ高価で、貴重なものだった。
 それなのに、文句ばかりだ。この魔女は一体、何を持ってきたら満足するというのか。
 カインもさすがに最近、イライラし始めた。この異形の娘はわがまますぎじゃないか。
 結局、カイン本人か、カインが将来恵まれる子を寄越せと言いたいんじゃないのか?
 自分にそれほどの価値があるとは思えないが、魔女が考える事は分からない。何かの材料に使いたいのかもしれない。
「……焔の魔女よ。俺もそんなに財力があるわけじゃない。多少気に入らなくとも、少しずつ受け取って対価の足しにして貰わねば困る」
 魔女はすり潰し終えたのか、乳鉢をテーブルの隅に追いやって空き瓶の用意を始める。
「焔の魔女とか、なにその変な名前。……エルーだよ。エルーって呼んで」
 異形の娘は意外と普通の名前だった。これが本名という訳ではないかもしれないが。もっと物々しい、異形らしい名前かと思っていた。
「幾らでも待つって言ったじゃない。……時間ならあるから」
 すり潰したその甘苦い匂いの実を瓶に詰めるその手は、とても慣れた感じだ。
「いつが返済の猶予なんだ?」
 いつまでも支払いが済まないのは、落ち着かない。
 さっさと対価を払い終えてすっきりしたい。猶予までに支払いが出来なければ、もう自分の身体を捧げる覚悟は出来ていたが、出来ればそれは避けたい。
 せめてアベルが家庭を持つまでは、見届けたかった。その後なら、この身体くらい、魔女にくれてやってもいいと思える。
「そうね、うん。……五年後くらいかな」
 瓶詰めを終えたエルーは立ち上がり、カインが持ち込んだ異国のガラスのランプを手に取る。
「五年経ったら、この森を出るから。……その時まで、カイン。あなたが誰も愛さなかったら、あなたを貰っていこう。もしも誰かを愛したなら、あなたがその人と作った美しい子を貰おうかな」
 ふっ、とエルーがランプに小さく吐息を吹きかけると、静かに炎が灯る。
 やっぱり魔女は魔法を使うんだな、と思いながら、その仄明かりに照らされるエルーの横顔を眺める。
 やっぱり、この血肉が欲しいのか、とカインは納得した。
 エルーは何を持ち込んでも、対価として受け取らないかもしれない。
 アベルの、死を待つしか無かった恐ろしい業病を治せるような薬だ。その対価は、こんなガラスのランプごときでは支払いきれないのは、分かりきっていた事だ。
 カインの魔力に満ちたこの血肉を、何の材料に使いたいのか。
 更なる秘薬の材料にでもするのかもしれない。魔力を持つ人間の血肉はそんな魔女のまじないに使われたとか、そんな言い伝えは昔からあった。
 魂の代わりに願いを叶える、というのはあながち嘘ではないのではないか。
 カインの視線に気付いたのか、エルーは顔を上げ、カインの冬の湖のような瞳を見上げる。
 その微笑みは、子供のように無邪気で、焔の魔女らしからぬ、愛らしさだった。
「……五年後までに、もっと綺麗で素敵なものを持ってきてね。カイン。……見た事もないような、綺麗な、夢のようなものをちょうだい」


2016/07/31 up

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