竜の棲み処 焔の魔女の森

#03 竜の番人

 アベルにこんな長い間、嘘をつき続けるのは初めてかもしれない。
 特に嘘をつかなければならないような事が今までなかったのもある。必要がなかった。
 とりあえずは、薬代に値するだけのものをエルーに受け取って貰えるまでは黙っておきたい。
 エルーはもう薬代に相応の報酬を受け取った、と言っているが、それではカインの気が済まなかった。
 あんな、街の雑貨屋で少しお高いくらいの値段のアクセサリーで、アベルを蝕んでいた死の病を治せるような奇跡の薬の対価に値するはずがない。
 いくらエルーがこれで十分だと言っても、カインの気が済むはずがない。
 幸いにもエルーは、薬代には十分だが、まだまだ綺麗で珍しい素敵なものが欲しいと言っている。
 妥当だと思える分くらいは、選んで届けておきたい。
「俺からアドバイスするなら、まず、その女に似合いそうなものを考えるって事かなあ」
 アベルは騎士団の図書室で借りた本をめくりながら、宿舎の自分の寝台に寝転がっていた。
「あとは、女は大抵甘くて綺麗な菓子が好きだ。ごく稀に、菓子より酒がいいという女もいるけど、だいたい見た目華やかでうまい菓子には目がない。綺麗な雑貨やアクセサリーと一緒に、流行りの菓子も持っていけば好感度バッチリだ。菓子をお茶請けに一緒に茶を飲むチャンスもあるかもな」
 誰とも付き合った事がないとかいいながら、アベルは詳しすぎる。
 何故そんなに詳しいのか。今はとても助かっているが、実に不思議だ。
「……よく分からんな。お前が一緒に来て選んでくれた方が楽だ」
 読みさしの本を投げ出して、アベルはがばっと寝台から起き上がる。
「本当に兄さんは分かってないな。兄さんが悩んで悩んで彼女の為に選び抜いたものが、彼女は欲しいんだよ。俺にばっかり構ってるから、そうやって女に縁遠くなるんだよ。もうちょっと必死で、その赤毛の美人をなんとか口説き落として来いよ」
 好きな女にそれくらいの情熱持てなくてどうする、と言わんばかりの口ぶりだ。
「まあそれで、好みを外すと突っ返されるわけだけどさあ。……その赤毛の娘が好きなんだろ? もうちょっと頑張れよ。ダメなら手伝うからさ」
 エルーが好きなのだろうか。
 ふと、考え込む。
 今まで、ただ薬代を払わなければという義務感に駆られて通っていた。
 あの日、もう薬代分は貰ったから、と言われた時に、なんとも言えない気持ちになったのは何故なのか。
 その黙り込んだカインを見て、アベルはますます思い違いをしたようだ。
「……そんなに好きなんだ、その女が」
 ぽつん、と呟く。
 どう返すのが妥当なのか、カインは生真面目すぎて返答に困っていた。
 その口籠もるカインを眺めながら、ふう、とアベルは小さなため息をつく。
「そのうちちゃんと紹介して貰うからな」
 そんなに心配されているのかと思うと、カインも申し訳ない気になってくる。
「そこまで心配されるような事じゃないんだが、アベルは心配性だな。……お前が考えているような悪い事は多分何も起きないだろうから」
 えらく心配性な弟にそう言い残して、カインは首都ランアーク最大の商店街へ向かった。



『彼女によく似合うもの』を、カインなりに吟味に吟味を重ねて選んだが、これがエルーに喜ばれるかどうか。
 アベルが選んだあのレースの花の髪飾りのような派手なものは、どれがいいのかさっぱり分からなかった。
 みんな同じように見えて、選びかねる。
 悩んだ末に選んだものは、濃い焦げ茶色の天鵞絨に、刺繍とレースを施された大きめのリボンの髪飾りだった。
 アベルが選んだものに比べたら、えらく地味だ。
 しっとりと上品な色合いで、色白なエルーの赤褐色の髪にとても映えると思って選んだが、アベルが選んだあのレースの花飾りのような、華やかな美しさはない。
 カインはこれをとても綺麗だと思っているが、エルーがそう思うかどうか。
 これだけでは突っ返されそうだ、という訳で、更にアベルの意見を生かす。
『女は大抵甘くて綺麗な菓子が好き』とアベルのアドバイスを受けて、街で評判の菓子店にも立ち寄った。
 シロップで煮た桃をたっぷりのせたカスタードのトルテ。
 あまり甘い物が得意ではないカインから見ても、これは華やかでおいしそうな菓子だ。桃は薄く切られ、バラの花のように綺麗に盛られていて、見た目もとても繊細で綺麗だ。
 二つも持っていけば、どちらかくらいは気に入るだろう。菓子なら、多少気に入らなくとも食べるかもしれない。
 まさに恋人を訪ねる男のようだ。
 菓子とリボンの髪飾りを携えたカインが、ルズの蒼い森深くの焔の魔女の店に辿り着くと、珍しく先客がいた。
 カインが店の扉を開けると、先客は慌てたようにエルーからぱっと離れた。
 先客は、少女だった。
 おそらく、まだ十五~十六歳くらいか。
 闇夜のようにつややかな黒髪に、深い青の瞳をした、まだ幼さを残したあどけない少女だった。
 身なりはかなりいい。上流貴族か、王族か。それも、この国の者ではない。
 異国の衣装に身を包んでいた。
 少女は慌ただしく手にしていた濃紺のマントを頭からすっぽりとかぶり、エルーに向き直る。
「エルー。また来るから。……私、来られる限り、必ずここに来るから」
「待ってるから、いつでもおいで。帰り道、気をつけてね」
 少女はちらり、とカインを盗み見るようにして、素早く店の外に出て行く。
 店の外に繋いであった芦毛の馬は彼女のものだったようだ。
「いらっしゃい、カイン。……今の子が気になる?」
 気にならないと言ったら嘘になる。あまりにも色々と気になる点が多すぎた。
 店に入った時のあの、微妙な空気と、あの少女のいでたちは、詮索するつもりはないが、気がかりすぎる。
 この妖しげな魔女の店に出入りするくらいだ、皆、訳ありなのは分かっている。
 エルーは子供のようにあのすみれ色の目を細めて、笑う。
「あの子はね、白砂の国のお姫様だよ。隣の国だけど、あんまり関わりがないし、白砂の国はとっても閉鎖的だから、あの国の人ってこの国じゃ見かけないよね」
 白砂の国との国境からは、かなり離れている。少女一人で容易にここまで来られるものなのか、と考えたが、あの王女も魔術師なのかもしれない。
 魔術師ならば、馬の足に魔法を掛ける事も出来るか。
「あの子のお母さんが重い病気なの。いわゆる不治の病ってやつね。それで、あの子は藁にもすがる思いで、国境を越え、噂で聞いたこの店にやってきたってわけ」
 エルーはさっきばたばたしたせいで、カウンターの品物を荒らしてしまったようだった。綺麗に並べ直しながら、カインを振り返る。
「お姫様が通ってる事は内緒にしてね。……まあ、あなたもランアークの魔法騎士だものね。ここに出入りしてるのが知られるのはまずいだろうから、言わないかな」
 その通りだ。
 こんな妖しげな店を取り締まるのが、ランアークの騎士の役目だ。
 それがこんな風に入り浸っていては、色々と示しがつかない上に問題がありすぎる。
「今日の支払い分はこれだ」
 片付け終えたエルーに、桃のトルテの箱を差し出す。
「……いい匂いがすると思ったら、これ?」
 子供のようにきらきらと目を輝かせて、すぐさま蓋を開ける。
「何、これ。こんなお菓子見た事もない! おいしそう、お花みたい……。それにすごく綺麗!」
 じっとトルテ見つめ、うっとりと目を細める。
「わあ……。食べるのがもったいないくらい、綺麗ね……。これ、桃? つやつや綺麗……。こんな綺麗でおいしそうなもの、ありがとう、カイン」
 女性が綺麗で甘いお菓子に目がないのは、アベルの言うとおり事実だったか。綺麗な雑貨を探すよりは、綺麗で甘いお菓子を探す方が楽そうだ。正直、助かる。
 うっとりしながらケーキの箱をカウンターに置き、エルーは店の奥の扉を開ける。
「待ってて、お茶の用意するから。一緒に食べよう。……おいしいものはね、ひとりで食べたらダメなの。誰かと食べないと、おいしさが減っちゃうんだよ」



 初めて、店の奥に通された。
 この妖しげな小さな店の奥には、一応、小ぶりながら住居が用意されていた。考えてみればエルーはここで寝起きをしているだろうし、当然か。
 小さなキッチンと居間を兼ねた部屋には、可愛らしいティーテーブルと椅子が置かれているだけで、それ以外の家具は、食器棚と調理用のストーブくらいだった。
 綺麗なものが大好きな割に、とても質素だ。
「お茶だけはいいもの用意してるの。……お茶は大好きなんだ」
 それもエルーへの返済を考えるのに非常に参考になる。今度はお茶の問屋も回ろう、とカインは考える。
 エルーが華奢で繊細なティーカップに注いだ茶は、確かに香り高かった。
「さっきのお姫様は、成人したら竜の番人になるために、捧げられるんだって。そのために育てられたのに、お母さんの為にこんなところにまで薬を買いに来るなんて、健気だよね」
 竜の番人。
 そういえば白砂の国を含む、あの辺り一帯の地方を根城にする焔の竜がいるという話を聞いた事があった。
「竜の番人? ……生贄になると言う事か?」
 エルーは丁寧に桃のトルテを切り分けて、皿に載せ、カインに勧める。
「この国は竜の縄張りから外れてるもんね。……竜の番人は、生贄じゃないよ。竜と一緒に生きていく人の事を言うの。白砂の国は、竜の番人になるための王女や王子を育ててるんだよ」
「……よく意味が分からないんだが、竜の妻や夫になるため、というようなものか?」
 差し出された桃のトルテをフォークでつつきながら、つい質問してしまう。
「まあ、そんな感じかな。……何十年かに一回、捧げられるんだけど、それがあのお姫様」
 そんなひどい話があるのか。
 いや、冷静に考えたら、王族なんてそんなものかもしれない。
 国の為に見ず知らずの隣国に嫁いだり、有力者との縁組みに利用されたり。
 国の為に犠牲になる。その相手が人間か竜かの違いくらいだが、竜の妻になるのは幸せな事なのだろうか。
 さっぱり想像がつかない。
 だいたい、竜自体が馴染みのない生き物だ。
 白砂の国があるあの辺りには、大きな砂漠地帯が各国にまたがって存在している。その砂漠に、何百年も前から焔の竜が住み着いているという話を噂に聞くくらいだ。
 物語や伝承で伝え聞く竜と人の恋の話は聞いた事が無い事も無いが、そんなもの、ただのおとぎ話だ。
「わあ……。おいしい。……桃もクリームも、とろけるみたい。おいしい……」
 エルーはトルテを頬張りながら、恍惚とため息をつく。
「すごいなあ。街にはこんな素敵なものがあるのかあ。……いいなあ」
 そういえば、エルーは何故、薬と引き換えに、『綺麗なもの』を要求するのか。
 ここで金銭で薬を商えば、自分で街に出向いて好きなものが買えるだろうに。あえて客に持ってこさせるのは、非合理的な方法ではないか。
「何故、街に出向かないんだ? ……そういえば、この店に籠もりきりじゃないか?」
 思えばいつ来ても、エルーは店にいた。
 どこかに外出している素振りは全くなかったが、たまたま、カインがやってくる時にいただけかもしれないとも思っていた。
 エルーは、声に出して小さく唸る。
「うーん……。色々あって、街には行きたくないんだ。……魔女はやっぱり、こんな風に森の奥に籠もってるべきじゃない?」
「食料とか困らないのか? ……客からの差し入れでもあるのか」
 エルーはぱくぱく桃のトルテを平らげて、更に、もう一切れ、自分の皿に載せる。
「まあね。森の中には色々食べ物もあるし、結構間に合うの。……いつか街にも行ってみたいけど、そのうちにね。今は魔女らしく、お店に籠もってるからいいの」
 知れば知るほど、不思議な娘だ。
 人ではない、異形の生き物だと思っていたが、こうして話していると、ちょっと変わっているだけの娘に思える。
 甘いお菓子が好きで、お茶が好きで、綺麗な装身具が好き。
 風変わりだけれど、こうして見れば、普通の若い娘のようにも思える。
 この禍々しさを感じさせるほどの美貌と、魔女という先入観だけで誤解をしていたのかもしれないとも、カインは思い始めていた。
「……ああそうだ、忘れていた」
 懐を探り、包みを取り出す。
 あの、天鵞絨のリボンの髪飾りだ。
 これがエルーのお気に召すかどうかは分からないが、今日はトルテを喜んで貰えた。今まで突っ返され続けた事を考えれば、それだけでも十分だ。
「ええっ。このお菓子だけじゃないの? まだあるの?」
 ぱあっとエルーは笑顔になる。
 こんな時のエルーの笑顔は、焔の魔女だと言う事を忘れるくらいに、あどけなく、可愛らしかった。
『……そんなに好きなんだ、その女が』
 アベルの言葉が、ふと耳元で蘇る。
 そうかもしれない。
 あの、夜明けの泉で出会ったあの時から既に、この焔の魔女に、心を絡め取られていたのかもしれない。



2016/08/03 up

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