王子様とぼく

#01 王子様、庶民に出会う

 部屋に入るなり、すたすたと寝台の方へ歩いていく。いぶかしむルーヴの視線も気にせずに、セニはさっさと服を脱ぎ始めた。
「……何をしている」
 その声で、セニは服の合わせに掛けていた手を止める。
「……ああ。乱暴にされて、服を破られると困るから」
 事も無げに言う。
「何故、お前の服を破らなくてはならない」
 話が全く見えない。ルーヴはますますセニの行動をいぶかしんでいる。
「迎えの人が言っていた。『王子がお召しだ。お前の体で王子をお慰めしろ。』、そう言われたから」
 迎えに行ったのは、近衛騎士のジェイラスのはずだ。

 ……何を勘違いしている、ジェイラス。
 心の中で舌打ちする。
「誰もお前の体なぞ、所望しておらん。迎えの者が何か履き違えたのだろう。……さっさと服を着ろ」
「そうなの? ……そう、よかった」
 良かったと言う割に、どうでも良さそうな顔をしている。不思議なほど落ち着いていて、返ってルーヴの方が怯む。
 身支度を整えたセニを、テーブルに招くと、大人しくセニは席につき、勧められるまま、用意されていた茶に手を伸ばす。笑えない行き違いがあったようだが、セニは話を聞く姿勢はあるようだ。
 ルーヴはこの摩訶不思議な少年を、興味深く見つめる。
 セニに出会ったのは、三日前に遡る。

 夏の休暇の数日間を過ごす為に、ノイマールの王子、ニーヴェオ・ルヴトー・プラテリは、国境の田舎町、ルシルに向かっていた。
 なぜか王子は『ルヴトー』と誰にも呼ばせない。恐らく公式文書でくらいしか、本人もルヴトーと綴っていないのではないだろうか。なので、周りの者はルーヴ様、と呼んでいる。
 王子というと貴族的で優美で雅びなイメージがあるかもしれない。だがこの王子、そういったノーブルなイメージからかなり遠い。
 確かに王子としての気品がある事はある。が、近隣諸国では『ノイマールの大狼』と恐れられるほど獰猛で凶暴な王子として知られていた。 見た目も、黒髪に長身、恵まれた体格に、慢心せず日々修練を怠らないものだから、王侯貴族というより完全に軍人。
 ここ何十年か、ノイマール王国と近隣諸国はずっと国境争いを続けており、ルーヴも成人の儀を終えてから、二十七歳になる今日まで、戦場に立ち続けていた。
 ルーヴの余りにも情け容赦のない残酷な戦場での所業に、ついたあだ名が『ノイマールの血に飢えた大狼』 自国でも、評価は真っ二つに割れている。血も涙もない無慈悲な王子と陰口を叩く者もいれば、勇猛さを讃える者もいる。 が、そんな凶暴で獰猛な王子もやはり人の子。
 当たり前だが疲労はたまる。時折こうして戦況か落ち着いている時に、国境の視察を兼ねて国境周辺の町に休暇を過ごしにやってくる事がある。
 この日もいつものように、プラテリ王家の別荘があるルシルの街に、数人の供の者を連れ、騎馬で向かっていた。

 退屈な道中に飽き飽きしながらルシルの街へ向かう街道の側、小さな森に差し掛かった時だった。
 森の中から子供が弾丸のように飛び出し、更にそれを数人の盗賊が追いかけている。盗賊が子供を攫って売り飛ばそうとでもしているところか。
 ルーヴたち一行から少し距離があるのと、木立のせいかまだこちらには気付かれていない。
 暇を持て余していたところにちょうどいい、盗賊退治でもするか。
 同行の騎士達に目配せして馬の手綱をひいたその時、盗賊と子供は驚くべき展開を見せた。
 追いつかれた子供が盗賊に腕を掴まれた瞬間、丸腰とみせかけて腰の辺りから一瞬で何かを引き抜き、一撃で男を倒してしまった。何が起きたかはわからないが、子供は手にした何かを男のみぞおち辺りを狙って振り下ろしたようだ。
 ルーヴたちが追いついた時には、追いついた盗賊をなぎ払いながら、子供は風のように駆け、見事に逃げ切って走り去った後だった。
 あっけにとられながらも、気を失ったのか、骨を折られたのか、蹲ったままの盗賊共を部下たちに捕らえさせる。

 驚きである。見たところ、十三、四歳くらいか。
 遠目だが、特に大柄というわけでもなく、どちらかといえば小柄な、どうみても平凡な、その辺にいそうな平民の子供だった。それがこの腕だ。
 子供とは思えない冷静な戦略だ。
 恐らく森の中から追われていただろう。その場で戦わずに走ったのは、逃げるためだけではない。盗賊たちをばらけさせるのも目的か。複数相手に勝機は薄いが、一対一か二くらいならば可能性があると踏んだのであろう。逃げ切れない時は倒す、恐らくそう考えながら走ったのではないだろうか。そうでなければ追いつかれた瞬間の判断が早すぎる。
 腕だけではなく、判断力もいい。あの若さ、むしろ幼さでそのセンスは、見事だと言える。軍人としての才能を感じさせる。
 軍人に必要なのは、高い戦闘能力、統率力、どんな非常時にも冷静さを失わない精神力と、高い知能、それらに裏づけされた判断力だ。あのくらい年若いうちから、才能ある子供に英才教育を施せば、将来は国の宝にもなるような将軍を作り出せるのではないか。
 格好からみても、そう豊かな子供ではなさそうだ。家庭で十分な教育を施せるとは思えない。ならば、手元に置いて将来軍人として国に仕えるように教育してみるのもいい。

 家柄なぞどうでもいい。そんな下らぬものに拘るのは馬鹿で愚かな事だ。
 軍人に必要なものは血ではない。高い能力、それだけだ。剣は銘などなくとも、切れれば良い。
 そこでルーヴは、その時同行していたジェイラスに、子供の素性を調べ、連れて来るように命じておいた。


 それがこの奇妙な子供、セニだ。


 本人にやる気があるならば、このまま王都に連れ帰り、軍人として教育を始めようとルーヴは考えていた。 ところがジェイラスは何か妙な勘違いをしたようだ。

「……一晩王子様の夜伽をすれば、お金をくれるっていうから」
 勧められた焼き菓子を齧りながら、セニは冷静に話す。
「お前はそれでいいのか?」
 ルーヴは片手で頬杖をつきながら足を組んで、セニを観察している。
「一晩か二晩くらいなら。何をすればいいかわからない、と言ったら、迎えの人が、裸で寝転がっていれば済むと言っていた」
 不思議なほど落ち着いていて、別に大した事じゃない、とでも言いたげだ。
「子供が出来る訳でもないし。これが姉だったら断ったけれど、ぼくなら別に構わない」
 口の利き方はなってないが、平民の、あまり豊かではない家の子供ならこの程度のものだろう。
 ルーヴも多くは期待していない。これからの教育次第で、幾らでも礼法も武術も兵法も仕込める。今あるこの素質だけで十分だ。
 近くで見れば、本当に幼い。栗色の髪に、榛色の目をした、本当に平凡な子供。しいて言えば子供らしい、可愛らしい顔立ちをしているか。とりたてて美形というわけでもないし、その辺によくいる普通の子供だ。のんびりとマイペースそうに見えるが、盗賊相手の立ち回りはまさに電光石火だった。

「うちは見ての通り、豊かじゃない。こうでもしないと姉に新しい服を買ってあげる事も出来ないし。それに、王子様のご不興を買ってぼくが処刑されるような事にでもなれば、残った家族は悲しむし、生活にも困る。……まあ一晩か二晩我慢すればいいと思った」
 今時の子供は、こうもドライで逞しいのか。さすがのルーヴも言葉がない。だが、セニの気質はこれでそれなりに把握出来た。

 ドライで逞しい。合理主義。肝は据わりすぎるほどに据わっている。王子を目の前にしても、ぼりぼり菓子を齧れる上に、臆する事もなく話す。
 これはかなり期待できるのではないか。
「お前を召したのは、夜伽をさせる為ではない。お前に軍人になる気があるかどうか、それを問うつもりだった」
 遠慮なく菓子を齧っていたセニも、さすがに手が止まる。
「……軍人?」
「そうだ」
 ルーヴは頷く。
「三日ほど前に、街道で盗賊と一戦交えていただろう。あの戦いぶりをみていた。お前にやる気があるなら、将来、将軍にもなれるような教育を施してやる。……ようは召抱えだ」
 想像もしなかったであろう突然の話に、セニは無言で考え込む。
「………………」
 暫く押し黙って考え込んでから、口を開く。
「今は……困る」
 いい家柄でもない平民の自分には、勿体ないほどの話だ。
 混乱しながら、セニは事情をぽつりぽつりと語る。
 ルーヴもある程度、セニの事情は知っていた。
 ジェイラスの調査によれば、この子供はルシルの街のとある寂れた剣術指南所の養子で、その指南所の主 ミステル・レトナは、王家と浅からぬ因縁があるのだが、一年ほど前に亡くなっている。恐らくその深い因縁を、子供たちは知らされていない。
 今はミステル・レトナの三人の養子だけで生活していて、その暮らしぶりは当然ながら豊かではない。 兄は今、隣街の学校に下宿しながら通っていて、現在は姉と弟の二人で暮らしている。

 姉を置いてすぐにこの街を離れるわけにいかないのだろう。

 王族の召抱えをそんな下らない理由で断るのか、と、いつものルーヴなら癇癪を起こしたかもしれない。気の長い方ではないルーヴだが、レトナ家との因縁を知らない訳ではなかった。王の時代の因縁ではあるが、少なからずその因縁に負い目……いや、反発であろうか。思うところがあるのだ。
 それに、年齢に見合わないこの才知も、ミステル・レトナが育てたのなら、納得がいく。
 これはますますこの手で育てたい。
「出来るだけ早い方がいいに越した事はないが、姉を重んじるなら暫くは待とう」
 幸いここは国境の街、国境付近には警備のために常に軍を配備している。
 赴任中の軍関係者にこの街まで出張させて、家庭教師をさせてもいい。
 それだけの価値が、この子供にはあるかもしれない。
「暫くの間は、教育係に誰か適当なものを差し向けよう。頃合をみて、王都で仕官してもいいだろう」
 話はまとまった。
 セニは席を立ち、今日の礼を述べて、立ち去ろうとする。
 部屋のドアを開けて、それから少し考えて振り返ると、今座っていたテーブルの花瓶の花を指す。
「……その花、迎えの人がうちに持ってきた」
 この花が何だと言うのだろう。ルーヴは指し示されるまま、花を眺める。ルシルに咲く花で、別に珍しいわけでもない、白い花だ。
「この街では婚礼の時に使われる花だよ。花言葉は……『足を開け』。迎えの人も持ってきたし、この部屋にも飾ってあるから、王子様は本気なんだとばかり思ってた」
 それだけ言い残して、さっさとセニは出て行く。
 ルーヴは呆然と白い花を見つめる。
 この花を飾って行ったのも、ジェイラスだ。
 ……降格に減棒だな。
 頬杖を付いたまま、ルーヴは白い花弁を毟り取る。



2015/12/30 up

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