王子様とぼく

#02 誤解に誤解を重ねる

「やー悪かったなあ、勘違いしててさ。はははっ」
 親しみやすい雰囲気を持ったおおらかな赤毛の軍人は、レトナ家のささやかな居間に居座って、豪快に笑う。
「てっきりそうだと思ったんだよ。暫くルーヴ様も女遊びしてないようだったしさあ。お前みたいな子供を軍人として召抱えるなんて、思いつかなかったんだよなー」
 セニがお茶請けに出した、よくいえば素朴な、悪く言うと倹約おやつなビスケットを、遠慮なくバリバリと齧る。
 そば粉のビスケットなんて、王都の騎士様は食べないんじゃないかと思ったけど、気に入ったのかな。すごくよく食べてる。
 セニはそんな事を考えながら、この夜伽騒ぎを引き起こしたジェイラスが今日持ってきた礼法の本を読んでいる。
「何だか人手が足りなくてさぁ。北の国境の小競り合いが最近ひどくて、そっちに手を取られてんだよなあ」
 多分この男、教える気が全くない。本を与えたっきり、お茶飲みながら世間話しかしてない。
「見ればわかるだろうけど、俺も平民出身の叩き上げなんだよな。なもんで武芸以外はさっぱり」
 なるほど、平民出だからそば粉のビスケットなんて庶民派なおやつも好きなのか。なぜそんな叩き上げの軍人を礼法の先生として遣したのか、誰の采配なんだろう。
 セニは一抹の不安を覚える。
「でも、良かった~……。セニがひどい目にあってたらどうしようって不安だったから」
 セニと同じようにミステル・レトナに拾われた姉、ニノンはジェイラスのカップにお茶を注ぎ足しながら、ため息を漏らした。
「もし帰ってこなかったら、私ひとりででも王子様の別荘に乗り込もうって思ってたよ!」
「お。セニの姉ちゃんおとなしそうな顔して意外とやるな。いいねえ、そういう気性」
「当たり前よ! 私はセニのお姉ちゃんなんだもん。セニをいじめる人は絶対許さないっ」
 二つに結んで下ろした黒い巻き毛を揺らしながら、胸をはって言い切る。
 養父の死以来、ひどく塞ぎ込んでいたニノンが久々に笑顔を見せている。考えてみたら夜伽騒動なんぞばかばかしい話で、今ではこうして笑い話になっているし、ニノンがこうして久々に楽しそうに笑っている姿を見れたし、結果的には良かったのか。
 最初は驚いたけれど。
 セニは四日前のジェイラスの来訪を振り返る。



「何かうちの王子様が、お前の事気に入ったみたいだから。まあ目ぇ瞑って足開いておけば、すぐ終わる。あんま深く考えないで、気楽にしてていいから」
 王家からの使いの赤毛の騎士、ジェイラスは気安くセニの肩を叩く。
いきなり家まで押しかけてきた玄関先で、子供に向かって前置きなくあけすけに何言ってるんだろうこの人。
 例の妖しい花言葉の白い花束を渡されてそんな事を言われた日には、開いた口が塞がらない。
 まあ多少はオトナの愛の営みを知ってはいる。具体的にどんな事をするのかはよく知らないが、こんなもんだろうという大体の概要はわかる。
「昨日、ルシル北街道の森の辺りで、盗賊と追いかけっこしてただろ? あの時ちょうど王子と俺たちが通りかかって、その時に見初めたみたいだな」
 見られていたか、全く気付かなかった。
 それにしても、何故男の自分に?
 姉のニノンだとしても、まだ15歳と幼すぎてちょっと疑問を感じるが(そういう趣味の人もいるけれど)、美形でもなんでもない、平凡でどちらかというと貧相な自分が何故?
 腑に落ちない気がしないでもないけれど、世の中には同性が好き、同性も好き、子供が好き、という変わった趣味の人もいるらしいし。ありといえばありなのだろうか。
「向こうもお前みたいなガキに高度なテクニックとか駆け引きとか期待してないから。ま、返ってその初々しさと物珍しさが気に入られるかもしれないが、すぐに飽きるって。頑張る必要もないし、頑張らない方が、お前もすぐ家に帰れて、いいんじゃねぇか」
 ジェイラスの話を適当に頷きつつ聞き流して、セニは考える。


 姉だったら考えるまでもなく断るけれど、うちの財政は正直逼迫している。
 養父母が生きてた頃から豊かではなかったけど、二人が亡くなって自分たち兄弟だけになってからは、さらに苦しい。兄のリュカルドが隣町で建築学校に通いながら働いて時折給金を持って返ってくるけれど、それだってそんなに多くはないし、できれば兄の授業料や本、食費の足しにしてほしい。
 男の自分なら、別に孕む訳でも傷物になる訳でもない。ジェイラスの話によれば、ちょっと痛い事とかされるかもしれないけど、寝転んでいればすぐ終わりそうだ。
 雑貨屋のツケも払いたいし、家の雨漏りも直したい。それに、姉のニノンにもっとかわいい服や、流行のドレスを買ってあげたい。
 おしゃれな靴や、他の女の子たちがつけているような、華やかなアクセサリーも買ってあげたい。
 いつも質素な手製の服や小物で、年頃の女の子なのに申し訳なく、ふがいない気持ちで一杯だった。稼ごうにも、この街で自分たち一家はあまりいい目で見られていないから、手伝い程度の仕事ですら、雇ってもらえない。軍に入ろうにも、まだ十三歳で志願兵として入る事も出来ない。
 どんな事をされるのかわからないが、そう悪くない話かもしれない。一晩か二晩我慢すればいいようだし、行ってみようか。
 白い花束に顔を埋めながら、セニは逡巡する。


「まあ休暇でルシルに来てるだけだし、滞在するといっても数日だし。何日か我慢すればルーヴ様も飽きるだろうから。すぐ家に帰れるって」
 ……このジェイラスって人、いい人かもしれない。
 花束の隙間から、冷静に観察する。
 嘘を言わずに、正直に、どういう理由なのか、何をされるのか話してくれている。怖がる必要はそれほどないかもしれない。この人は、断る事によって、王子の不興を買って処罰されるのを何とか避けようとしてくれているのではないだろうか。


 断ったら死(死なないとしても厳罰が下されるかもしれない)
 話を受ければまとまった金。


 家族を置き去りにして死ねる訳がない。そうなればとるべき道はひとつ。
 別に大した事じゃない。
 セニは自分に言い聞かせる。
 ジェイラスの言う通り、王子がルシルに滞在する間の数日間、裸で寝転がっていればいいわけだ。恥ずかしかったり痛かったりするかもしれないが、命をとられるよりマシだ。

 そういう訳で、セニの決意は固まった。



 今考えてみれば、あんな決意は全く無用で、余計な心配をしてしまったな、とセニは思う。
「怖がらせたかもしれないけどな、俺も妙な勘違いしたせいで、降格に減棒だよ。この調子でいけば、来年あたり爵位もらえて士爵になれたりするのかなーとか、期待してたのになー」
 セニもいらぬ心労を負ったが、ジェイラスもそれなりの処罰を受けたようだ。
 確かにちょっとあれすぎる失敗だ。
「新しい馬欲しかったなー。ちょうど、今年二歳になる芦毛が売り出されてて、あれ欲しかったなあ……と、もうこんな時間か」
 暮れ始めた窓の外を見て、ジェイラスは慌てて席を立つ。
「じゃ、その本良く読んでおけよ。たまにルーヴ様がお前の教育の仕上がり具合を確認するって言ってたから。明後日あたりに、俺よりもっと先生らしいヤツが来るから、覚悟しておけよ」
 じゃあな、と軽く手を振って足取り軽く出て行く。

 散々飲み食いして(そば粉のビスケットと安物のお茶だけれど)授業はなしか。
 セニは礼法の本を閉じて、片付け始める。
 でも、ニノンと気が合うようだったから、良かった。
 久し振りに姉の楽しそうな笑顔を見れて、セニも気分が晴れ晴れとしていた。
 その時だった。
「セニ、ニノン!!」
 ジェイラスと入れ違いに、鬼のような形相の兄・リュカルドが駆け込んできた。
「リュカルド、どうしたの? 学校は? 仕事は?」
 自慢の金色の髪を振り乱して、ぜいぜいと今にも死にそうなすごい呼吸をしている。
「一体、何があった! 隣町まで伝わってきたよ、もう街中大騒ぎだ!」
 リュカルドは掴みかからんばかりの勢いでセニにつめよると、心配そうに頭のてっぺんからつま先まで確認している。
「……何が?」
「え」
 言葉に詰まる。
「え……と」
 ちらり、とニノンの方を見ている。
「ええと……き、君が、滞在中の王子に召し上げられた、と……」
「…………………………」
 セニは無言でニノンと顔を見合わせる。
「……ひどい事をされなかったかい? こんな子供に、なんて惨い事を……。ひどい怪我とかはしていないかい?」
 セニの手を取って、丹念にその素肌を確認している。
「……リュカルド……」
 そうか。噂になっているのか。
 それも、もう隣町まで伝わって大事になってるのか……。
「ああ……確かに王子様に声をかけられたけど、違うよ。……軍人としてスカウトされただけ」
 リュカルドは疑いの目でセニを見据えている。
「……僕に心配かけまいと、嘘言ってるんじゃないかい?」
「……嘘いってどうするの。……違うよ。さっき赤い髪の、背の高い軍人さんとすれ違わなかった? あの人は、勉強を教えにきてくれる人」
 教えてくれないけどね。本を持ってきてお茶飲んで帰るだけで。
 心の中で付け足す。
「……本当に?」
 思えば子供の頃からリュカルドは疑り深かった。
「ニノンに聞いてよ。……本当だから」
 ニノンはこくこくと頷いている。
「……そうだったのか……」
 心底安堵したように、リュカルドは大きく息を吐く。
「……君があの凶暴な王子に見初められて深い寵愛を受けているって、隣町でまで噂になってて。一週間帰らないうちに、一体君に何が起きたのかと……」
 そんな噂が立っているのか。
 まあ恥ずかしいけれど、そう悪い噂でもないかもしれない。
 王子の寵愛を受けているとなれば、ニノンやリュカルドに嫌がらせをするような者もいなくなるかもしれない。爵位を剥奪された追放騎士の養子たちという立場上、街での扱いは決していいものではない。
 レトナ夫妻の子である事を誇りに思いこそすれ、恥じる気持ちはない。
 けれど自分はさておき、兄や姉に嫌がらせをする者には我慢ならなかった。
 この噂のおかげで嫌がらせをするものもいなくなっていいだろう。
 ジェイラスの勘違いは、意外な効果があったかもしれない。
 セニは冷静に考える。
 やっと心労が晴れて心穏やかになったのか、リュカルドはいつもの温厚な兄に戻ったようだ。
「良かった、取り越し苦労で。安心したら喉が渇いちゃったな。……これ、セニのお茶かな。飲んでいいかい?」
 テーブルの上の飲みさしのカップに手を伸ばした瞬間、リュカルドが固まる。
「……どうしたの?」
 リュカルドの剣幕に呆然としていたニノンがやっと正気に戻って、固まったリュカルドに声をかける。
「セニ、ニノン……、これ……」
 テーブルの上の花瓶には、ジェイラスがあの日持ち込んだ例の白い花が生けられていた。
「この花の花言葉、知ってるよね? 本当に何もなかったのかい? 本当だね? 嘘を言ってるんじゃないかい? ……正直に話してごらん」
 ……ああ、飾っておいたのは失敗だったかな。
 セニは詰め寄られながら白い花を眺める。
 花には何の罪もないから、生けておこうと思ったんだけれど。
 こうなるとリュカルドはしつこい。
 困ったな、とセニは小さなため息をついた。



2015/12/30 up

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