いつもは多分、客間であろう、広いサロンのような場所に通されるが、今日は初めて会った日と同じ、ルーヴの私室に通される。
ルーヴはテーブルの上の花瓶の花を見つめるだけで、セニが通されても、何も喋らない。
セニも差し向かいに座ったまま、口を閉ざしている。
どのくらいの時間が過ぎたのか。
相変わらず視線は花瓶の花のままで、ルーヴはやっと口を開く。
「……お前は俺をどう思っている」
いきなり予想外の質問で、セニも困惑する。
「……貧しく身分も低いぼくに、教育を与えてくれる王子様」
セニもえらく機嫌が悪い。
あまり感情を表に出さないセニが、ここまであからさまに機嫌が悪いと分かる口調で話すのはとても珍しい事だった。
その無愛想な返事を聞いても、ルーヴは別段怒り出す雰囲気もない。
「そうか」
短く返事をして、白い花弁を弄んでいる。
「随分機嫌が悪いな」
相変わらずルーヴは視線を合わせない。
「……この部屋は、空気が悪い」
素っ気無く返す。
また気まずい沈黙が訪れる。
暫くの沈黙の後、ルーヴは花瓶の花束から、一本だけ、白い花を抜き出してセニの目の前に突きつける。
「これを今、お前に渡したら、お前はどうする」
白い花。
例の下世話な花言葉の、あの白い花だ。
セニはえらく冷めた目でその花を見つめる。
「……王子様の命令なら、従うしかない」
その返事を聞いて、ルーヴはセニの目の前にその花を投げ出す。
「そうか。そう答えるだろうと思っていた」
セニはかつてないほどの苛立ちを見せている。
その様子に気付いているのかいないのか、再びルーヴは花瓶の白い花を弄び始めた。
「それならさっさと済ませてしまえばいい。……命令なら、従う」
セニは変わらずに素っ気無い。
「……けれど」
あからさまにセニは眉根を寄せる。
「この部屋だけは嫌だ。……嫌な匂いがする」
「嫌な匂い?」
ルーヴは関心なさ気に花弁を毟り取る。
「……きつい香水の匂いがする。鈴蘭の香水。ルーヴのじゃないでしょう」
「嫌いか、鈴蘭の香りは」
「嫌いだよ。……腹が立つ」
ルーヴは曖昧に笑う。
「何をそんなに苛立っている?」
「ルーヴこそ」
セニはきゅっと眉を顰めたままだ。
「この花を贈る相手が違うんじゃないの。……鈴蘭の女に渡せばいいじゃないか」
ルーヴはくすくすと笑い出す。
あまり感じのいい笑い方ではない。
投げやりな笑い方だった。
「……街娼だ」
「街娼でもなんでも。ぼくには関係ない」
突然立ち上がったルーヴは、乱暴にセニを引き寄せ、抱き上げる。
昨日の夜と同じように、乱暴に肩に担ぎ上げると、ルーヴは寝台に向かって歩き出す。
「……! この部屋は嫌だと言った!」
逃れようと暴れ出すが、ルーヴはびくともしない。
「お前は『王子様の命令なら、従う』と言ったな・」
その言葉に、セニは唇を噛む。
「ならば、従え」
寝台に乱暴にセニを投げ出す。
セニは唇を噛んだまま、責めるようにルーヴを見上げる。
悔しいのか、セニは口を噤んだままだった。
ルーヴは寝台にセニを放り出すと、またテーブルに戻り、花瓶に手を伸ばす、
両手で花瓶から白い花を束ごと引き摺り出すと、寝台のセニの上にばら撒いた。
「……命令のつもり?」
撒かれた白い花に埋もれるセニは、冷たく言い放つ。
「逆だな」
ルーヴは寝台の端に座って、セニを振り返る。
「お前から契りの許しを貰うのを、待っている」
「……許しなんか、必要ないでしょう。あなたはぼくに命令すればいい。それだけの事だ」
ルーヴは突然、笑い出す。
おかしくて仕方がないとでもいうように、体を折って声をあげて笑っている。
「……何がおかしいの」
セニの怒りは今が頂点だろう。それとは正反対に、ルーヴは笑い続けている。
「……鈴蘭の女は、夕べお前に会う前にこの部屋で会った」
やっと笑うのを止めて、セニに向き直る。
「鈴蘭の女を抱こうとして、お前を思い出した」
話の脈絡が分からない。
「何故か分かるか? ……鈴蘭の女は、俺がジェイラスに希望の容姿を伝えて、用意させた。……どんな女だと思う?」
「どんな女でも、ぼくには関係ない」
「大有りだ」
ルーヴはおかしくて仕方ない、とでも言うように、また忍び笑いを漏らす。
「栗毛の若い娘だ。小柄で華奢で、胸も腰もないような、歳若い娘。……誰かに似ていないか、その特徴は」
セニは答えない。
「……お前だ」
ルーヴは背を向けて、まだ笑っている。
「お前に似た女を手配させていた。……おかしいだろう? 喘ぐその女の顔が、お前の顔に見えたんだ」
ルーヴは笑い続ける。
「おかしいだろう。笑え。良く似た若い娘を突き放してお前の元に走るくらい、……お前を抱きたいんだ。男のお前を、だ」
笑い続けるルーヴの背に、何かが触れた。
セニは両手を伸ばして、背中からルーヴを抱きしめる。
その右手には、白い花が一輪、握られている。
「……いいよ」
白い花を、ルーヴに手渡す。
「命令に従ったんじゃないよ。……ほら、しきたり通りに、花をあげる。……契りの許しをあげるよ」
セニは裸のまま、シーツに包まって猫のように伸びをする。
ルーヴはまだ眠ったままだった。
眠っているのを確認して、セニはシーツから身を乗り出す。
二人分の体液で、体もシーツのべたべたと湿っている。
散らばったままだった白い花に手を伸ばして拾いながら、セニは思い返す。
……これがいわゆる『大人の愛の営み』なんだろうか。
何かがおかしい気がする。
セニは拾い集めた花の花弁に噛み付きながら、静かに考える。
幸か不幸か、セニはこれが間違いなく初めての性体験だ。
同性とはいえ、間違いなく初めてだ。
だから、正しい知識は全くない。
『大人の愛の営み』は知っている。
ただ、大まかな概要だけで、残念ながら詳細は、過干渉な兄リュカルドの検閲によって削除されている状態で、知らなかった。
気持ちのいいものだという事は、知っている。
知っているし、実際気持ち良かった。
だが、何かがおかしい気がする。
残念ながら、その『何か』の『何』がおかしいのまで、セニにはわからなかった。
わからないながらも、漠然とおかしい事だけはわかる。
同性同士だから、子供は出来ないけれど、これを異性としたとして、子供が出来るだろうか。
疑問は膨らむばかりだ。
これで子供が出来てしまうなら、世の中子供だらけになりかねないような気がする。
セニは寝台から降りて、何か拭うものを探そうと、シーツを巻きつけたまま歩き出す。
足取りは軽かった。
そう、リュカルドは『何かあったらあんな激しく動けない』と言っていた。
セニは立ち止まって、ゆるく首を傾げる。
……一体何が足りないというのだろう?