王子様とぼく

#13 レンドハルトからの来訪者

「今日は、家の雨漏りも直したし、ちょっとお金に余裕があるので、贅沢して『魔法のケーキ』を作りまーす!」
 ニノンにはちょっと大きい養母ジェラルディンの形見のエプロンを身に着けて、笑顔で宣言する。
「なので、セニも手伝ってね!」
『魔法のケーキ』はジェラルディンの故郷のお菓子で、セニたち三兄弟と養父の大好物でもあった。
 玉子、牛乳、小麦粉、砂糖、バター、バニラビーンズとシンプルな材料だけで作る。
 その名の通りに不思議なケーキは、一番上はスフレ、真ん中はカスタード、一番下はフランと、三層に別れて焼き上がり、三種類の味と食感が楽しめる。
 子供の頃は本当にジェラルディンが魔法をかけているのだと信じていた。
「私は計量するので、力仕事をセニに押し付けちゃいます!」
 セニに泡だて器と卵白の入ったボウルを渡して、ニノンは嬉しそうに計量を始める。
「ニノン、張り切ってるね」
「リュカルドも今夜帰ってくるし、三人で食べたいのー! 失敗してもおいしく出来るけど、ちゃんと今日は三層に分かれて欲しいなあ。セニも一緒に魔法をかけてね」
 ジェラルディンも同じ事を言っていた。
『さあ、みんなで一緒に魔法をかけてね』
 ジェラルディンが亡くなった時、セニは小さすぎてあまり色々な事は覚えていない。
 その思い出の中で、一番記憶に残っているのは、この魔法のケーキだった。
 家族全員が揃っていた頃の、懐かしい、大切な思い出だ。



「オーブンにいれて、魔法をかけて…おいしく出来ますようにー!」
 オーブンの前に並んで、ニノンとセニは一緒にお祈りする。
「焼きあがるの楽しみだねー! 火加減は私が見ておくから、セニは勉強の続きをしてて。大丈夫、うっかりしないように、オーブンの側で縫い物してるから!」
 ちょうどそんな事を言っている時に、誰かがやってきたようだ。
 玄関の呼び鈴が鳴り響く。
「……今日は勉強の日?」
「いや……予定はないけど。……王家から誰か来たのかな」
 養父が生きていた頃は剣術指南所をやっていた。
 主な顧客は、同じ遥か東方の国出身で、こちらで結婚し子供を持った人たち。
 たいていの人が傭兵としてやって来ている。
 ある程度は自分で教えているようだが、やはり正しい技術を身につけるには師範代に学ぶのが一番だ。
 繁盛、とは言わないまでもそれなりに学びに来る人々がいた。
 養父が亡くなった事が伝わりきったここ一年ちょっとですっかり寂れ、セニがルーヴに召し抱えられるまでは、訪れる人もいない寂しい状態だった。
 玄関の扉を開けると、二人の少年が立っていた。
 二人は並んでぺこり、と頭を下げる。遥か東方の国の作法だ。
「ミステル・レトナ師範代のお宅か。俺はノイシュ・シアン、こっちは弟のティーオ。レンドハルト騎士団国から来た」
 すらりと背が高い。まだ二十歳前くらいだろうか。印象的な青い瞳をした彼は、隣にいる弟の頭をぽん、と軽く叩く。
「見て分かるかもしれないけど、弟は腹違いで、母親が遥か東方の国出身の傭兵だったんだ。少し手ほどきはされてるけど、早くに母親が亡くなってしまって」
 確かにあまり顔立ちが似ていない兄弟だ。
 兄の方はブルネットに青い瞳、弟はブルネットに黒の瞳。遥か東方の国の人間は、大抵こういう黒々とした瞳をしている。
「師範代が亡くなった事は知っているが、なんとか弟に稽古をつけてもらえないかと……。周りに同じ使い手がいなくて、無理を承知でお願いしたい」
 確かにこのあたりにいる師範代はミステルだけだった。
 他に師範代がいるという話を聞いた事はない。
 大抵の者が母国に引き上げてしまうし、結婚して残る者もそれほどはいない。
 今まではミステルだけで事足りていた。
 ニノンとセニは顔を見合わせる。
「一応、兄が師範代だけれど……」
 リュカルドだけが師範代を持っている。
 ただ、病弱で指南所を継いで教えるほどの体力がない。
 なのでリュカルドは元々興味を持っていた建築設計の学校へ、そして将来的にニノンとセニが師範代をとって指南所を継ぐ予定だった。
「後を継いだ人がいるとは、助かった。弟にとって母親の思い出はとても大事なものなんだ。特に形見のこの剣は、弟の宝物で……。師範代に取り次いでもらえないだろうか」
「ええと…兄は今いないの。師範代を持っているけど、後を継ぐわけじゃなくて。……今日帰ってくるけど、いつもは隣街にいるの」
 ニノンは申し訳なさそうに答える。
「……お願いします、お母さんの思い出なんです!」
 それまで黙ってノイシュの後ろに隠れるように立っていたティーオが、初めて口を開いた。
「ぼくも、お母さんのようになりたい。……ぼくがお母さんの事を忘れないで大事にしてあげないと!」
 涙目で訴える。
 歳はセニより少し下くらいか、その内気そうな子が必死にお願いする姿に、ニノンは目が潤んでしまっている。
 ニノンもセニも、こういう事にとても弱い。
 特に家族を失って、その思い出を大切にしているとか、ひとごとに思えない。
「……ティーオ……」
 ノイシュもティーオの頭を撫で、それからセニたちに向き直る。
「金銭的なことなら、出来る限りそちらの希望に添う。なんとか師範代にお願いしたい」
 こんな真摯に頼み込まれたら、断れない。
「……夕方には、リュカルド……師範代はリュカルドっていうんだけど、帰ってくるから。そしたら、私たちからも頼んであげる。だから、泣かないで」
 ニノンはすっかり涙声だ。ティーオの手を取って、優しく握る。
「……ぼくたちからリュカルドに話しておくから、とりあえずは少し待ってもらってもいいかな? ……連絡先はどこにしたらいいだろう」
 ノイシュは用意しておいたのか、宿泊先をメモした紙をポケットから取り出し、渡される。
「南通りの『銀の森の野うさぎ亭』に泊まっているので、連絡はここに」
 メモを受け取りながら、セニはじっとノイシュの指を見つめる。
「……今夜は無理でも、明朝にでも。必ず返事をするから」
 レンドハルト騎士団国から来た二人の兄弟は、丁寧にお礼を何度も述べて、帰っていった。
「可愛い子だったねえ、ティーオくんて。……あんまり健気だから、なんだかほろっときちゃったよ……」
 ニノンは涙の滲んだ眦を指先で軽く押さえる。
 セニは何か考え込んでいるようだった。
「……セニ?」
「……ん、……なんでもないよ。……ただ、ちょっと……ニノン、ケーキ!」
「ああああああああ!!! 忘れてたあああああああ! オーブンの温度見てなかった、どうしようー!」



「十分おいしいよ、ニノン。そんなに気にしないで」
 リュカルドが必死に励ましているが、ニノンはしょんぼりしたままだ。
 夕食後のデザートに、パウダーシュガーで可愛らしくデコレーションされて出された魔法のケーキは、ニノンの願いもむなしく、スフレ、カスタード、フランの三層にはならなかった。
 残念ながら失敗よりの、スフレとフランの二層。
「温度調節が大事なのに、目を離しちゃったから……おいしいけど、やっぱり魔法のケーキは三層でなきゃ」
「でもほら、指南希望の来客だったんだろう? それじゃあ仕方ないよ。……で、その話の続きは……」
「……レンドハルト騎士団国から来たって言っていた。身なりもいいし、宿も『銀の森の野うさぎ亭』だし、いい家柄の人だと思う……」
 そこまで話してから、セニは少し考えてから続ける。
「兄の方……、革の手袋をしていたから、はっきりとはわからないけど……。掌の、指の付け根が随分固くなっていた。騎士団の人じゃないのかな……」
「レンドハルトでいい家柄と言ったら、騎士団に入ってるのは割りと良くある事なんじゃないかな。商家でも職人でも農家でも、入団試験に受かれば入れるっていうから」
 何かが引っかかるような気がしないでもない。
 特に何かおかしい、という訳ではないが、セニは何か引っかかっている。
 ずっとあの兄の方、ノイシュに見られているような気がしていた。
 あの視線がなんだか気になるんだろうか。
 見つめる、というよりは、見られている。そんな感じだった。
「学校もあるし仕事もあるし、リュカルドも大変なの分かってるけど……私たちも手伝うし、週末少し見てくれるだけでもいいの。ティーオくんに教えてあげてくれないかな。ね、だってあの子の気持ち、私わかるの……」
「勿論だよ。……その人たち、どれくらい滞在する予定なんだろう? 学校も仕事もあるから、週末だけなら稽古をつけられるけど、レンドハルトから毎週通うのは大変そうだ」
 この三人、こういう話にとても弱い。
 特にニノンは弱い。もうティーオのためならなんでもする、というくらい母性愛に目覚めてしまっているだろう。
「……レンドハルトのどの辺りに住んでいるんだろうね。ノイマールとの国境側なら、馬があればそんなにはしんどくはない距離かな……」
 セニはバートラムに貰った、この辺りの一帯の地図を取り出して広げる。
 少しリュカルドの体力が心配ではあったが、ニノンもセニも協力は惜しまない。
 出来れば養父の同郷の人々を手助けしたい。出来る事は手伝いたいのだ。
 幸い、王家からの教師は、余程の事が無い限り、あまり週末にはやって来ない。
 リュカルドがうざ……家族の団欒を邪魔しないという理由のようだ。
「……明日、ぼくが『銀の森の野うさぎ亭』まで迎えに行って来るよ。……そういえば」
 セニは思い出した。
 街で流れる自分の噂話を。
「……あの人たち、宿屋に泊まっていたら、ぼくの噂が耳に入るかもしれないよね……」
 三人、揃って無言になる。
「ほ、本当の事じゃないし……! ちゃんと否定すれば問題ないようん!」
 リュカルドが必死なのは、生徒を逃さないためじゃない、自分の精神安定のためなのはニノンにもセニにも伝わっている。
「……その辺りも、ちゃんと説明してくるから大丈夫だよ。……どの道避けて通れない話だしね。大丈夫、明日はぼくに任せておいて」



 翌朝、約束通りにセニは南通りの『銀の森の野うさぎ亭』に向かった。
 南通りは宿屋街で、国境を行き来する商人がよく利用している。
 その中でもこの宿ははサービス、料理、値段、設備、全てにおいてトップクラスだ。
 シアン兄弟が『いい家柄のお坊ちゃま』だと判断して差し支えない。
 そのルシルの街一番の宿屋『銀の森の野うさぎ亭』に入ろうとした時、不意に背後から声をかけられた。
「おはよう、セニ」
 突然声をかけられて振り返ると、林檎の入った籠を持ったノイシュが笑顔で立っていた。
「ちょうど買い物行ってきたところだ。ルシルの市場は安くて新鮮でいいね」
「おはよう……。名前、知ってるんだね」
「そりゃあ、調べたからね。大事な弟を預けるんだ、調査くらいは入れるさ」
 ノイシュは手招いて、宿の中に誘う。
 朝の宿屋は商人や旅人でごった返している。その人並みを抜けて、部屋へ向かう。
「さあ、入って。……まだティーオが寝ているから、静かにね」
 鍵をあけて招き入れる。
 セニは初めて『銀の森の野うさぎ亭』に入ったが、これは豪華だ。
 多分この宿で一番いい部屋ではないだろうか。
 ヘタをしたらセニの家より広い間取りでは。それくらい部屋数もあるし広々としている。
「……で、どうだろう。あ、その辺に適当に座って」
 ノイシュは背中を向けて買って来たものの整理をしている。
 セニは手近の椅子に座り、その背中を観察する。
 品のよい絹のシャツに包まれた背筋はぴんとして、歩いても頭が揺れない。歩き方もつま先から歩くし、なによりこの背中は鍛えている背中だ。
「その前に……ぼくに関する噂で」
「ああ。その話ね。調べたから知ってるよ。ルヴトー王子の恋人なんだろ」
 まさか直球で言われるとは予想だにしなかった。
 セニも一瞬言葉に詰まる。
「……街の噂ではそういう事になっているけど、実際は召し抱えられただけなんだ。誤解されているかもしれないと思って」
 荷物の整理を終えたノイシュは、テーブルを挟んだ差し向かいに座る。ゆっくりと足を組みながら、笑みを浮かべる。
「……そうなんだ」
 ノイシュの調査はどこまで精度が高いのか。
 知っているよ、と言われているような気がしてくる。
「君が王子様の恋人だろうと騎士だろうと、それほど問題じゃないよ。俺はティーオの願いをかなえてやりたいだけだからね。……君と恋に落ちたなら話は別だけどな」
 なんだか背筋にいやな汗をかき始めている。
 嫌いではないけれど、試されているような探られているような、そんなノイシュの視線にセニは珍しく落ち着かない気分になっている。
「……で、どうなんだろう。指南してもらえるんだろうか」
「週末でよければ。調査済みだろうけれど、リュカルドはあまり丈夫ではないし、平日はルーベルクで学校に行ったり仕事をしていたりしている。……時々休ませてもらうか、代わりにぼくかニノンが手合わせをする、という事でどうだろう」
「助かった! ……ティーオも喜ぶよ、本当にありがとう。宜しく頼むよ」
「二、三打ち合わせをしよう。……レンドハルトから通うなら、結構大変だと思うし」
「うちは国境そばの街にあるし、金なら親父に出させる。その辺りは大丈夫」
 予想通りのお坊ちゃまか。セニは納得しながらメモを取り出し、説明を始める。



「……了解、じゃあ来週から通うから、よろしく頼むよ。師範代はお疲れだって話だから、今日のところは挨拶は言伝だけで、来週きちんとさせてもらおう」
 打ち合わせや細かい説明、授業料の話を終わらせると、ノイシュは立ち上がって、セニに握手を求める。
「こちらこそ。じゃあ来週から」
 セニも椅子から立ち上がり、素直に手を差し出す。
 ノイシュは革の手袋のまま、セニの手を取り、ちゅっ、と音を立てて手の甲に口付ける。
 驚きのあまりセニは固まる。ノイシュは上目遣いにセニの顔を見つめて、クスッと笑うと、顔を寄せる。
 セニの柔らかな頬にも、ちゅっと音を立てて口付ける。
 家族でもこういう習慣はない。セニはぽかん、と棒立ちのままだ。
「……レンドハルト式の挨拶?」
「そうだよ。……また来週会おう、セニ」
 今度は逆の頬に音を立てて口付けられる。
 なんだか不思議そうな顔をして帰っていくセニの後ろ姿を、宿の二階の窓から見送って、ノイシュは隣の部屋に声をかける。
「もう帰ったから出て来いよ」
 寝室のドアが音も無く開き、ティーオがそっと出てくる。勿論寝ていたわけではない。
「……手出す気まんまんだから寝たふりさせた訳? 本当に男も女も見境いなしだよね」
「別にそういう訳じゃないけどさ」
 窓枠に背中を預けて、遠ざかるセニを見送る。
「あのルヴトーと寝てるなんて、どんなませて斜に構えたガキかと思ったら、案外可愛いじゃないか? ちょっとからかってみたくなって」
「あー。……正直あの女の子もセニも、いい人だよね。ちょっと良心が痛むよね」
 ティーオはチェストの上に置かれていた、買って来たばかりの林檎を取り上げる。
「……いっそ生意気なクソガキだったら良かった」
 ティーオが放り投げた林檎を受け取り、掌で転がしながら、小さく呟いた。


2016/01/08 up

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