王子様とぼく

#27 それが嘘だとしても

 まだ子供だという事を忘れそうなほどの冷静さと、かつて将軍だった養父仕込みの武術の腕はかなりのものだ。
 確かに軍人としては類い稀な才能がある。
 幼い顔立ちは年相応で、可愛い顔をしているとは思うが、美形というほどでもない。
 強いて言えばその目は不思議な魅力があるかもしれないし、この顔でこの性格は、アンバランスな意外性があるかもしれない。
 下世話な事だが、セニのどこにそういう魅力があるのか、さっぱり分からない。
 あの時、霧の中で出会ったセニは、まるで霧の妖魔のような、生きた人間とは思えない、妖しい生き物のように思えたが、別に平時に見ればただの子供だ。
 ルーヴ様のご趣味なのだからとやかくは言えないが、さっぱりわからない。
 そんな事を考えながら、アレクシスは控えの間で報告書の束をめくっている。
 少し離れた部屋から、陶器を叩き割る派手な音と侍女達の悲鳴が聞こえるが、アレクシスにはどうしようもない事だ。
「……ルーヴ様の機嫌は随分悪そうですね」
 同じように報告書を持って謁見待ちをしているバートラムは、ざわめく執務室の方角を振り返って小さく唸る。
「ご機嫌が宜しくないならば、我々は必要な事だけをお伝えしてさっさと引き上げるだけだ。……報告はよくまとめておけ」
 ルーヴの機嫌が悪い理由の見当はついている。
 だがそれも仕方がない事なので、アレクシスはそれも諦めている。
 荒れていても以前に比べたら格段にマシだ。単に機嫌が悪いという範囲で済んでいる。
 再び、陶器を叩き付ける派手な音が響き、思わずアレクシスとバートラムは顔を見合わせ、ため息を洩らした。



 どうにも苛々が収まらない。
 バートラムとアレクシスが帰った後、、ルーヴは残りの仕事を片付けると称して、執務室に閉じ篭もっているが、これだけ苛立っていると、仕事もさっぱり捗らない。
 腹立ち紛れに詰まれた書類を床にぶちまけている丁度その時、誰かがドアの影から様子を窺っている事に、ルーヴは気付いた。
「誰もこの部屋に近付くなと言いつけてあっただろう!」
 そう怒鳴ると、ドアの影で様子を窺っていた誰かは、観念したのか扉を開ける。
「……お兄様がそう荒れ狂っていらっしゃるから、誰もこの部屋には近寄りません。……私はお茶をお持ちしただけ」
 妹のナディエだった。
 この、母親に良く似た面差しの美しい妹は、手負いの狼のような状態のルーヴに近付ける、数少ない人物のうちの一人だ。
 ナディエは茶器を載せた小さなティーワゴンを押しながら、すました顔で部屋に入ってくる。
「お前も例外ではない、さっさと出て行け」
「まあ、怖い」
 怖い、とか言いながら、全くナディエは臆していない。涼しい顔でティーテーブルにお茶の用意を始める。
「少しお休みになって、ご一緒にお茶でも頂きましょう。……お仕事をなさるなら、休息をきちんとお取りになった方が、捗ります」
 牙を剥いてみせても、このおっとりした妹には全く効果がない。ルーヴは諦めてナディエに促されるまま、席につく。
「今日、お母様と一緒にお昼を頂きましたの。……今日のお母様はとても顔色もよくて、楽しそうでしたわ」
 ルーヴの母親はもう何年も西の離宮に閉じ篭もっている。
 閉じ篭っているというのはあまり正しくないが、他に言いようがなかった。
「お兄様も時々いらしていると伺いました。……今度、お兄様の都合がよろしい時に、ご一緒しましょう。お母様もきっと喜びますわ」
 ルーヴは黙ってナディエのおしゃべりを聞きながらお茶を飲むだけだが、ナディエは一向に気にせず、にこにこしている。
 この妹の、空気を読まないのか空気を読めないのか分からない、不思議なマイペースさは、ある意味セニに通じるところがあるな、とルーヴは内心思っている。
「そういえば、お兄様が寵愛なさっている方がいらっしゃるとか」
 この美しい妹は、直球以外の質問方法を知らない。あまりの直球に、思わずルーヴは軽くむせた。
「お兄様の氷のお心を掴んだ方なんて……。想像がつきませんわ。お歳は私と変わらないくらいだと、この間、ジャコーとお茶を飲んだ時にお聞きしましたわ。可愛らしい、幼い感じの方だと」
 ジェイラスの奴、ナディエの茶会に出入りしているのか。おまけに余計な事を茶請け話にして。
 内心でジェイラスを罵っているルーヴにに、ナディエはにこにこと笑顔を見せる。
「いつご紹介頂けるのでしょうか。……とてもお歳は離れているけれど、仲睦まじくてとてもお兄様が幸せそうだ、とジャコーが言っていましたよ」
 女は詮索が好きな生き物だ。
 更に色恋が絡めば、その詮索は執拗になる。
「そうそうこの間、私より少し下くらいの若い騎士が仕官したと、お父様が言ってましたわ。その方もお兄様が目をかけて育ててらしたと」
 誰も彼もが妹に余計な事を吹き込む。
 ルーヴはむっつりと黙り込むしかなかった。
「お父様が用意なさった純白のサーコートがとてもよく似合っていた、とアレクシスが言ってましたわ。……その方、今、アレクシスのところでお勉強なさっているんですってね。……お会いしてみたいわ。純白のサーコートが似合うだなんて、おとぎ話の王子様みたいで、ちょっとドキドキしますわね」
 兄がむっつりと黙り込んでいるのが目に入らないのか、ナディエは全く気にせずお茶のおかわりを注ぐ。
「その方も、近々ご紹介してくださいませ、お兄様」
 こののんびりした妹の常識では、『兄の歳の離れた恋人=兄が目をかけて育てた若い騎士』だとは思いもよらないだろう。
 隠すほどではないが、いちいち説明もしにくい。
「……お歳の離れた恋人といい、新しい若い騎士といい……お兄様によい巡り会わせが続いて、私も嬉しいです。……覚えていらっしゃいますか。以前、私がねだって占い師を呼んで頂いた時の事」
 お茶のおかわりを継ぎ足しながら、ナディエは穏やかな微笑を見せる。
「あの占い師の言っていた通りですね。宝に出会えると。……私、分かって参りましたのよ。……アレクシスが、お兄様がとても変わられた、言ってましたの」
 継ぎ足したお茶をルーヴの前に差し出す。
 以前よりは格段に無茶な振る舞いが減ったのは事実だ。
 ルーヴは気付いていないようだったが、確かに以前の血に飢えたような荒れ方をしなくなっていた。
 何か思いついたのか、ナディエはティーワゴンの上の、小さな瓶から乾燥させた菩提樹の花を取り出し、茶に浮かべる。
「きっと……やすらぎを得られましたのね。……人は、それを得たいと思ってもなかなか得られないものです。……お兄様にやすらぎを齎せる運命の人に出会えたのですね……」
 その微笑みを浮かべた頬は、在りし日の母、王妃を思い出させた。
 よくこんな微笑みを浮かべ王に寄り添っていた在りし日の母親を、ルーヴは思い返す。



 > セニは王都までニノンを連れて戻り、ブランドール公の屋敷で待ち構えていたリュカルドに預け、再び東のマデリア国境そばの領主館に戻った。
 考える時間が欲しかった。誰にも会いたくなかった。
 ニノンやリュカルドの顔を見ていられなかった。
 夕暮れのバラ園の東屋に、ぼんやりと座り込む。
 季節ごとにアレクシスの母親がこの領主館を訪れ、手入れを続けているおかげで、このバラ園は四季を通じて壮麗な美しさを見せている。
 その美しさも、今は心に響かなかった。
 東屋のベンチに腰掛けて、夕暮れの空を見上げる。
 ノイシュを信じられるかというと、難しい。
 ノイシュの話は常に、ところどころに嘘が混ざっている。
 例えば、髪色。
 地毛が金髪だというのも嘘だ。
 あの深い夜の海のような瞳は、黒い睫に縁取られている事をセニは良く知っている。
 身分こそ王位継承権第七位の傍流の王子だが、仕事は諜報だ。
 真実に嘘を、嘘に真実を混ぜて話すのは、密偵の戦略の一つで、ノイシュの話をどこまで信じていいのか、わからなかった。
『取り引きに応じれば、エシル王家のしるしを返すし、兄弟にも二度と手を出さない』というのは、信用出来るのか。
 ノイシュが欲しいものは、本当にエヴァン湿原と、セニだけなのか。
 エヴァン湿原は、エシルの王子がいなくとも、ラーンの国力ならば攻め落とし奪う事が可能かもしれない。
 ただ、犠牲は大きい。
 旧エシル王国領は、ラーン側からでは攻めにくい立地だ。
 犠牲を厭わず、かつ、隣国の批難や制裁さえ無視出来るなら、出来なくもない。
 本当にセニを手に入れたいだけならば、ノイシュの取り引きは意味があるが、セニがエシルの王子だった場合、よくない想像しか出来ない。
『条件は、セニ。君が俺とラーンに行く事だ』
 ノイシュの言葉を思い返す。
『ラーンで俺と暮らす、と約束するなら、君の兄弟にはもう二度と手を出さない。……これは、ラーンというより、俺個人との取り引きだけどね』
 そんな大きな判断を、ノイシュの一存で出来るのか、と問うと、ノイシュは小さく笑った。
『あんまり手のうちを明かしたくないけど、王子としての証拠の品。これを発見して俺が持っている。……という事を、報告してないんだよね。……王子である証拠は掴んだけど、奪えなかった事になってる』
 なぜそんな事をしたのか、セニにはわからなかった。
 ノイシュはあの湿原を渇望している。
 あれを自分のものにするために、この仕事をしている、といっても過言ではないと思われる。
 エヴァン湿原を最も簡単に手に入れる方法を捨てて、セニを選ぶという事はありえるのか。
 正直を言えば、セニにはわからなかった。
 ノイシュの発言は嘘と真実が常に混在している。
 本当に、セニが欲しいと思っているのか。
 セニがエシルの王子だから、欲しいと思っているのではないか。
 手のうちを明かしたくないノイシュは、リュカルドとセニ、どちらが王子なのか、絶対に明かさないだろう。
 それは彼の切り札でもあるのだ。
 そもそも、エシルの王子のしるし、という証拠が本当にあるのか。
 どれが真実で、どれが嘘だとしても。
 今、選べる道はひとつだけだと、セニは良くわかっていた。



2016/01/22 up

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