王子様とぼく

ノイマール異聞録:融け落ちる夢

「……せっかくなので、ルーヴ様、使って下さい」
 ジェイラスは心なしか、どんより沈んでいるように見えた。
 なんとも陰気な風情で、木の葉型の深皿に白磁の蓮が乗った、繊細で優美な香炉に香を置いて、火を付ける。
「お前は女に何か掴まされるたびに、俺の部屋に持ってくるな」
 今度は香か。調香師の女とでも付き合っているのか。
 そういえばルシルの別荘を、あの例の花言葉の花で埋め尽くしたのもジェイラスだった。
 そんな懐かしい事をルーヴは思い返していた。
「いやこれは女に買わされたんじゃないんですよ」
 ジェイラスは陶器の壺に入った香を見せる。
「すごくクールな女で、口数も少ないし大人しいんですよ。あんまり甘えないし、ちょっと頑固だし、猫みたいに気まぐれなんです」
 どこかで聞いたような特徴だ。
 ルーヴはジェイラスの焚いた香の細い煙を眺めながら、話を聞いている。
「ちょっと甘えて欲しかったんです。出来ればこう、ちょっと色っぽく。……出来心だったんです」
「それとこの香に何の関係がある」
「騙されました。催淫効果がある香だって言われて、大枚突っ込んで買っちまいました」
 そして効果が全くない、ただ値段が高いだけの香だったという訳か。
 気持ちは分からないでもないが、そんな露骨に怪しいものを買う方も買う方だろう、とルーヴは冷めた目でジェイラスを見ていた。
「そんな訳で見るのも腹立たしいんですがめちゃくちゃ高かったし、香りは悪くないんでルーヴ様、どうぞお使い下さい」
 押し付けられた感があるが、ジェイラスらしいといえばとてもジェイラスらしい。
 確かに香りは悪くない。異国の風情が漂う甘さのある香りだが、しつこくもくどくもない。爽やかささえ、ある。
 香に興味なんか全くなかったが、そんな興味のないルーヴも悪くないと思えるような、質のいい香だった。
 そして確かに、そんな効果はなかった。
 ジェイラスもルーヴも、平常通り。何一つ変わりが無い。まさに平常心そのもの。
「お前も騎士ならそんな詐欺に引っかかるな」
「まあそうですよね。取り締まる側ですよね……。それでも夢を見たかったんですよ……」
 普段甘えないような人間がちょっと淫靡に甘えるようになる、魔法のような香。
 気持ちは理解できるが、そんな都合のいいものがあるはずがないと何故分からないのか。
「そういう訳でその香は献上致します。……それじゃ俺は詰め所に戻ります」
 心なしかジェイラスは足取りも重い。この全く効果がなかった香に幾らつぎ込んだのか、あの足取りからすると相当か。
 ルーヴはどんより沈んだジェイラスの背中を見送りながら、小さくため息を漏らす。



「……なんだか変わった匂いがする。……香なんか焚くんだね」
 セニは部屋に入ってすぐ気付いたのか、煙の出所である木の葉型の香炉を覗き込んでいる。
 王宮でも別荘でも、ルーヴの居室で香が焚かれているのなんて初めての事だ。
「ジェイラスが置いていった」
「……今度はお香作る女の人と付き合ってるのかな」
 ルーヴと同じ事を考えている。やはり誰もがそう思うか。
「これ、アレクシスさんから。頼まれてた調査が終わったって」
 セニは寝椅子に座るルーヴの隣に腰掛け、書類を差し出す。
 受け取った書類をめくるルーヴを眺めながら、セニは大人しく隣に座っているが、なんだか眠そうだ。
「……なんだ、そんな眠そうな顔をして」
「なんだか急に眠く……。ここに来るまで眠気なんか無かったのに」
 ルーヴに寄りかかりながら、うつらうつらしている。
 こうして眠たげに目を伏せているセニは、大人なのか子供なのか分からない。幼げにも見えるし、大人びても見える。
「無理せず寝ておけ」
「うん……」
 ルーヴに寄りかかり、片手で抱かれながら大人しく目を閉じる。
 ジェイラスが期待した魔法のような効果は無かったが、普通の香のようにリラックスさせる効果はあったようだ。
 セニは気持ち良さそうにうとうと微睡んでいる。
 大枚はたいて安眠効果だけか。思わずルーヴは小さく笑ってしまう。
 その、眠たげなセニの髪を抱いていた手で軽く撫でると、ひくん、と小さく肩が跳ねた。
「…………?」
 セニは一瞬、閉じていた目を開いたが、眠気に勝てなかったのか、再び目を閉じる。
 ルーヴはセニが眠りにつくまで、いつもこめかみや額、頬や眦、唇の端に軽く口付けを繰り返す。
 それは一緒に眠る時にだいたい必ず行っている事だ。
 だから今も、特に他意は無かった。いつも通り、唇を寄せ軽く啄み始める。
 幾度か軽く口付けたところで、セニが小さなため息をついた。ため息、というより、吐息か。
 その吐息は、妙に甘い。
「……ルーヴ……ちょっと……」
 眠たげだったセニが薄く目を開いて、小さく首を振る。
「どうした?」
 目を通し終えた書類を投げ出し、セニを両手で抱きかかえて再び唇を寄せる。その緩く開いた唇に触れると、セニの唇から唐突に甘く震えた声が零れ落ちた。
「ふあ……あ……!」
 自分でも驚いたのか、セニは慌てて自分の口を片手で塞ぐ。
 ルーヴも驚いている。少しキスしたくらいで、セニからこんな声が零れ落ちた事はなかった。
 瞬時にセニの頬が真っ赤に染まる。
「目が覚めたか」
「覚めたけど……」
 その言葉すら、甘さが含まれている。
 いつもセニはあまり声を漏らさない。普段から言葉少ないように、そんな時もあまり声をあげない。そのセニの理性を蝕むくらいに責め苛んで、初めてこんな甘い声を上げ始める。
 なんだか様子がおかしいのは、ルーヴにも伝わっていた。
 かつて見たことも無いほど、セニは動揺していた。戸惑っているのがこんなによく分かる事なんて、なかった。
「……ごめん。今日は部屋に戻る……」
 ルーヴの腕を解いて寝椅子から立ち上がろうとしたセニは、そのままぐにゃり、と床にへたり込んだ。
 本人も驚いているかもしれないが、ルーヴも驚いている。
 これはどうみても、完全に腰が抜けている状態だ。
「セニ、どうした。……具合が悪いのか?」
 両手で抱き寄せると、セニはふるっと身震いする。
「ルーヴ……触ったら、だめだ……。もう、ぼく……」
 そう言いながら、両手でルーヴの首を抱いてしがみつく。
 耳朶に触れるセニの吐息は、熱い。
 まさか。
 ルーヴは細い煙を上げる、木の葉型の香炉を振り返る。
 まさか、セニにはこの香が効いているのか?



 そういえば、猫が酔ったようになるというキャットニップが全く効かない猫もいるし、ものすごくよく効く猫もいる、という話を昔、妹のナディエがしていたような気がする。
 それと同じように、この香も、『効く人』と『効かない人』がいるのか。
 寝椅子に半裸で横たわっているセニは、融け落ちそうに身体を熱く桜色に染めて、考えられないような甘い声を上げ、ねだり続けている。
「ルーヴ、あ、あっ! も、んぅ、くぅ……!」
 自分の中に沈められた指に、焦れたように震える手を伸ばし、ルーヴの右手を掴む。
「も……あぅ、く……、もっと、奥、に…っ…あ、ああっ……!」
 耐え切れないのか、ルーヴの手に腰を押し付けるようにして、その指をもっと奥まで咥え込もうとする。
 こんな赤裸々にセニがねだった事なんて、今まで無かった。
「あー…あ、んぅ、くは、あっ…」
 中に沈められた指を、蕩けた自分の肉の襞に擦り付け、恍惚と目を伏せる。いつものセニとはまるで別人のようだった。こんな蕩けきった顔を見た事があっただろうか。
 火照った頬に空いた手を伸ばし、セニの赤く染まった唇を指先でなぞると、セニの舌先が触れる。
 唇を辿る指に舌を絡め、甘く吸い付く。そのなめらかな舌を指先で撫で、擦ると、セニの細い咽喉が震え、のけ反った。
「あ、あ……! んんぅ……っ!」
 舌を撫で擦られただけで感じるのか、柔らかく熱く融けた中に沈められたルーヴの指を、きつく締め付ける。
「セニ……」
 名前を呼び促すと、セニは唇に含んでいたルーヴの指を解放する。
 そのまま唇を寄せると、セニはすぐにそのルーヴの唇に舌先を滑り込ませ、絡め、甘く吸い付く。
 飲み下しきれない体液が、セニの唇の端から溢れ、零れ落ちた。
 細い顎を辿り滑り落ちた雫すら、刺激になるのか、セニの細い咽喉が震える。
 セニの蕩けた内壁を責め苛んでいた指を抜き去ると、セニは泣きそうな声で懇願する。
「……ルーヴ……はや、く、もう……っ……!」
 足を絡め、淫らに腰を擦り寄せながら、羞恥も忘れてそんな言葉を口走る。
「こ、こんなの……あ、あ……っ!」
 ルーヴの熱く硬くなったものが腿の内側に触れただけで、セニの爪先が大きく跳ね上がる。
「ルー……も、はや、くっ、が、まんできな……っ!」
 自分からその滾ったルーヴのそれに腰を押し付け、揺すり、あられも無く叫ぶ。
 この香は本当に、効く人には効き過ぎる。
 慎ましくプライドの高いセニが、何もかもかなぐり捨てて愛欲に溺れて、ルーヴを求めている。
「セニ、落ち着け。ちゃんと息をしろ」
 軽く頬を叩いても、セニは熱に浮かされたように蕩けたままだ。
 散々に弄られ融けた両足の奥の蕾に、高ぶった自身を押し当てる。ゆっくりと傷付けないように挿入しようとするが、焦れたセニは自分から腰を押し付け、飲み込もうと腰を揺らす。
「はや、く……あ、んんぅ、くぅ……!」
 蕩けきった甘い声をあげ、淫らに腰を揺らし、押し付け、誘う。
「……セニ…っ…!」
 狂ったように融け落ちたセニの中は、思わず喘ぐ声が零れ落ちそうなくらいに、熱く淫らに蕩け、締め付ける。
 あまりの熱さときつさに、ルーヴの唇から切なげな吐息が零れ落ちた。
「ルー……あ、あっ! ……も、うご、いて、も、くぅ、あ……!」
 セニの華奢な腰を掴み引き寄せる。ぐっと腰を押し付け、奥深くを抉ると、それだけでセニは声にならない声を上げて、爪先まで痙攣させて達した。
 そのセニの激しく収縮する柔らかな内壁に、ルーヴは息を詰まらせる。あまりの激しさに、声が出ない。
 荒く乱れた息をつきながら、セニはルーヴの唇に唇を寄せ、囁く。
「……ルーヴ……もっと、だよ……。……もっと。……身体が融けて落ちてなくなってしまうくらい、抱いていて」



 夕べ何をしたか、セニはしっかりと覚えているようだ。
 覚えているからこそ気まずいのか、セニはむっつりと黙り込んで、素肌にシーツを巻き付けただけで足を投げ出して座っている。
「……いい加減、風呂に入って着替えたらどうだ?」
 そのどういう態度を取っていいのか分からず混乱しているセニも可愛いものだ、と、ルーヴはのんきにベッドに寝そべって観察していた。
「……足が震えて立てないんだよ……」
 耳まで赤く染めて、ぼそぼそと口ごもる。
 夕べのように積極的で快楽に素直で激しく求めてくるセニも悪くないが、やっぱりこんな風に、恥ずかしそうに口ごもるいつもセニの方がいい、とルーヴも思う。
「まあ、あんなにしたら腰も立たないだろうな」
 あれから明け方まで、セニにねだられるままに抱き合い続けた。香が燃え尽きても匂いが充満していたせいで、寝所にセニを運ぶまで、セニは蕩けたまま、貪欲にルーヴを求め続けていた。
「あ、あんなの……ぼくじゃない……。あんなこと、なんでしたのかわからない……」
 セニも何かおかしいとは思っているのだろう。それはそうだ、何もなく、急にあんな発情しきった状態になるはずがない。
「……あの香? ジェイラスさんが持ってきたっていってたやつ。あれが何かおかしいんじゃ……」
 その通りだが、残念ながらあれがこんなによく効いたのはセニだけだ。
 ルーヴも、ジェイラスも、ジェイラスの女にも、全く効かない。
「俺はいつも通りだったが?」
 確かにおかしくなっていたのはセニだけだ。セニは言葉に詰まって押し黙る。
「……とにかく、あんなのはぼくじゃない。……ルーヴ、忘れてよ。……忘れてくれないなら、もうこの部屋に来ないよ」
 珍しく、子供のようにメチャクチャな事を言っている。いつも冷静なセニが、こんなにはっきりと動揺しているのはなかなか面白い。
 珍しいセニの姿を見られたし、悪くなかった。
「あれだけ求められたら、悪い気はしないな。……普段からあれくらい甘えてみたらどうだ?」
「……あ、甘えていないわけじゃないよ……」
 やっぱりこんな風に、恥ずかしそうな困ったようなセニが一番だとは思うが、なかなか悪くない趣向だった。
 性の匂いをあまり感じさせないセニのそういう姿は、強烈に、いやらしい。
 ジェイラスにはあの香の代金分くらいの付け届けでもしてやるか。そんな事を考えながら、ルーヴはセニをシーツごと、抱き寄せる。


2016/07/12 up

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