王子様とぼく

異聞録:祈りもなく、言葉もなく -1-
#21~22の間、セニが十四歳から十五歳の間の話です

 なんとかそれなりに、まともな行儀が身についた気がする。
 ノイマール王宮の自分の執務室の机に積まれた報告書を読みながら、アレクシスはセニを眺める。
 セニはアレクシスの視線も全く気にせずに、言いつけられた通りに報告書を分類しまとめ、棚に収めている。
 あの拉致未遂事件の後、ルーヴから正式にセニを騎士見習いとして預けられ、自宅にセニを住まわせながら教育しているが、セニはなかなか、手強い。
 この、無頓着そうな感情表現の乏しい顔に騙されると、痛い目に遭う。
 一見おとなしそうにも見えるが、その実、気性は激しい。普段それが表面に出ていないだけだ。
 いつもの冷静沈着な言動からは考えられないような無謀な暴挙をしでかす事があるのは、あの霧のバル峠の一件で、アレクシスもよく分かっている。
「……ラーンがエシルの王子を手に入れて、何をしようとしているのかは考えるまでもない」
 セニはアレクシスの話を聞きながら、手を止めずに整理を続ける。
「エシルの王子の即位式をラーンの首都で行い、エヴァン湿原一帯を含む旧エシル王国領を取り戻す宣戦布告をするためだ。……ラーンは以前から旧エシル一帯を狙っていた。ノイマールに攻め入るなら、北の国境と東のあの旧エシル王国領があればそれは攻めやすいな。ノイマールに戦争を仕掛けるいい口実にもなる上に、エシル王国を属国にして足場にも出来る。ラーンにとってエシルの王子は喉から手が出るほど欲しい切り札だな」
「エシルの王子にしてみれば、いい迷惑だ。……ただのお飾りで、操り人形じゃないか」
 自分がそのエシルの王子かもしれないという事を、セニはあまり考えているように思えない。
 どこか遠くから突き放した目で見ているように、アレクシスには感じられていた。
「だからお前達三人、全員が欲しいのだろうな。……王子を意のままに操るなら、兄弟を人質に取るのが一番、確実で有効だ」
 それに対するノイマールにとって有効的な手段が、ない事もない。
 ないが、ミステル・レトナに関する複雑な因縁や思惑がそれを許さないだろう。
「お前達兄弟のどちらがエシルの王子なのかはっきり分かれば、ノイマールでエシル王家復興を宣言し、王子に領地として旧エシル領を与え、それなりの処遇をするという手もあるが」
 セニは書類を棚に押し込みながら、初めてアレクシスを振り返った。
「……それでもどうせ、ラーンに付け狙われる事には変わりがない。結局、エシルの王子はいいように使われる駒でしかないんだ。……王子を手に入れた方が、旧エシル領の支配権を持つ。それだけの道具だ」
 セニにしては珍しい。はっきりと苛立っていると分かる声音だった。
 こんな風にはっきりと感情を見せるのは、セニが親しみを感じる相手だけだと、アレクシスもセニを預かったこの数ヶ月で気付いた。
 リュカルドとセニ、どちらがエシルの王子だとしても。先の見えない、出口のない迷路のような日々を解決する方法すら見当たらない今のこの閉塞感に、苛立ちもするだろう。
 たった十四歳でこんな謀略渦巻く国と国の駆け引きに巻き込まれ、それでもはっきりと冷静に自分の意見を言えるのだから、確かにルーヴが目を掛けるだけの才知はある。
「ラーンが密偵を放っているように、我々もラーンで情報収集はしている。せめてお前達のどちらがエシルの王子か、突き止める事が出来ればな。……なにより、ラーンは何か物証を隠し持っているはずだ」
 拉致を実行したのは、恐らくどちらが王子か確定し、かつ、王子の身の証を立てられるだけの、王子だと証明できるだけの物証を手に入れたからだ。
 そうでなければ、ラーンで即位式を行えない。近隣諸国を納得させるだけの身の証を手に入れているはずだ。
 セニはきゅっと唇をかみ締める。
 心当たりはあった。
 あの、ノイシュに連れられて初めてエヴァン湿原に行った日だ。
 あの日、丸一日セニはノイシュとエヴァン湿原にいた。
 二人がエヴァン湿原に向かった後に、ティーオがノイシュを探してレトナ家にやって来たが、ニノンは一緒に昼寝してしまったと言っていた。
 あれは、最初から仕組まれていた事だ。
 もし、養父母が何か残していたとしたら、あの日、それを探し出す時間があったはずだ。
 ティーオは仮病だ。セニを引き離し、ニノンに一服盛って眠らせて、家捜しをする時間を作る為に最初から仕組まれていた事だ。
 あの時、セニたち兄弟は疑う事すら知らなかった。シアン兄弟を古くからの友達のようにすら、感じていた。親しみさえ持っていた。
 そして今、あれが全て仕組まれた事だったと分かっても、彼らを憎む事が出来なかった。
 全てが嘘だった。それが悲しくつらい事なのには変わりが無い。
 それでも、楽しかった。
 ノイシュやティーオとと過ごした日々は、セニたち兄弟にとって、こんな事があっても、楽しかった思い出の一部だった。
 何もかも全て、憎めたら。
 こんなに悲しくも苦しくもなかったと、セニは思う。



 見習い騎士が王子様の部屋に入り込むのは、いかがなものかとセニも思っている。
 まして、セニの養父は元将軍とは言え、爵位を剥奪され王都追放処分を受けている。その養子のセニを王子が特別に目を掛けているというのは、色々と憶測を呼ぶのではないか。
 更に、エシルの王子かもしれないという極秘機密事項付きだ。
 あまりにいわくがありすぎて、セニもあまり王宮で目立つのは芳しくないと感じている。
 ただでさえ、ルーヴは実父のベルラン王と仲が悪い。
 そのベルラン王が追放処分にしたかつての寵臣の養子を取り立てる。あまり聞こえのいい話ではない。
「何も怖い物がなさそうなお前でも、そんな些細な事を気にするのか」
 ルーヴは寝台に寝転がったまま、面白そうにセニの話を聞いている。
 セニをあまり子供扱いをする事はないが、こういう時に少しからかうのは、ルーヴの悪い癖かもしれない。
「ぼくは何を言われても構わないけれど……ルーヴは王子様なんだから、少しは周りの目を気にしたらいい」
 全く気にしないからこそ、この振る舞いなのだろう。
 セニは『第四軍軍団長のブランドール卿の手伝い』で王城にあがっている『騎士見習い』だ。
 ルーヴが目を掛け、アレクシスに預けて育てているのだから、こうして呼びつけるのは不自然ではない。そうルーヴは言い切っている。
 セニの出自に目をつぶれば、の話だが。
「言いたい奴には言わせておけ。……言えなくなるくらいの実力を見せてやればいいだけの話だ」
 そうして周りを黙らせてきたからこそ、この自信なんだろう。
 セニもそれは分かっている。
「どうせお前は俺と親父の事を考えているんだろう。……親父にどう思われようが構う事か」
 ベルラン王を話題に出せば、ルーヴは途端に機嫌を悪くする。だからこそ遠回しに話していたが、結局こうして気付かれる。
「俺が親父に逆らうのは今に始まった事じゃない。……俺が重用する者は俺が選ぶ。誰の指図も受けん」
 寝台の端に座っていたセニの腰を片手で抱いて引きずり込むと、悪びれもせず、そのままのし掛かる。
「アレクシスさんが待ってるから。……帰らないと」
 これは言い訳ではない。今の騎士見習いのセニはアレクシスの従騎士のようなものだ。ルーヴに召し抱えられていても、直属の上司はアレクシスだ。
「アレクシスならとっくに帰った。……あれで気を遣っているようだな」
 やっぱりそうか、とセニは内心で呟く。
 ルーヴが帰城したなら、アレクシスは平気でセニを置いて帰るだろう。セニの為ではない。ルーヴの為に、だ。
 アレクシスはルーヴの為にしか動かない。それはセニも察している。
 ルーヴは楽しげに笑いながら、セニの服のボタンを片手で器用に外す。止めようと手を伸ばすが、逆にその手を掴まれ、押さえ込まれた。
「……王子様が、騎士見習いにこういう事していいの?」
 こうしてからかわれたりしているのだから、セニもたまにはルーヴに意地悪を言ってみたい。軽く責めるように見上げると、ルーヴはまだおかしそうに笑っていた。
「ベッドの上でまで、王子と騎士見習いなのか?」
 あの無骨で大きな手が頬を包む。親指で軽く唇をなぞられて、思わずセニは吐息を漏らした。



 確かに、ベッドの上ではただのルーヴとセニだ。
 王子様の膝の上に乗る騎士見習いなんて、ちょっとない。
 オイルランプの仄明かりに照らされた寝台の上で、ルーヴの膝の上に抱きかかえられながら、セニは自分の胸元を探るルーヴの大きな手を見つめる。
 この荒々しい無骨な手からは想像出来ないくらい、ルーヴは優しく触れる。
 はだけたシャツの胸元から、セニの硬くなり始めた小さな胸の突起を撫で、柔らかく摘む指先が見える。
 捏ねるように撫で、時折きゅっと摘まみ上げる。
「ルーヴ、痛い……」
 そう責める声が、甘く震えているのをルーヴは聞き逃さない。
 セニの柔らかな耳朶に噛み付き、舌先でなぞりながら小さく笑う。
「……声が甘くなってるぞ、セニ」
 余計にその突起を責め苛む手が執拗になる。
「ルーヴ、も……あ、あっ……!」
 堪えようとしても、堪えきれない。こんな風に弄られ続けると、身体が溶け出しそうなくらいに熱くなっていく。
 ルーヴのその大きな手がセニのなめらかな素肌を這う。セニが甘く蕩けた声を漏らす間に、器用にはだけていたシャツを剥いでいく。
 セニはもどかしげに身を捩り、ルーヴの首に両手を回し、しがみつく。
 あの、白い花の花言葉の通りにルーヴと初めて契ってから、数回の夜を一緒に過ごした。一夜を超えるたびに、身体に刻まれる快楽はより強くなっていっているような気がする。
 セニのなめらかな下腹を撫でていたその手は、緩く立ち上がり始めていたセニのそれに触れる。
 この無骨な手からは想像も出来ないくらいに、優しい。まるで壊れ物でも扱うかのように繊細に触れる。
「……は、……あ、ルーヴ……んんっ……」
 とろり、と体液を滲ませ始めた先端の割れ目を柔らかく撫でられて、セニは思わず身震いする。
 優しく触れながらも、執拗だ。その、蜜を滴らせる小さな割れ目を、指の腹で執拗に撫で、つつき、擦りあげる。
「ルーヴ、も、く、んんぅ……!」
 しがみつくセニの唇に、ルーヴの唇が触れる。セニは夢中になってその唇に甘く吸い付き、舌先をねだる。
 セニの赤くなめらかな舌先を捉え、甘く食み、吸い上げると、ルーヴの掌で脈打っていたセニの張り詰めたそれが、弾けた。
「あ、あっ……!」
 弛緩したセニの身体を抱いて、ルーヴはセニの息が整うのを待つ。
 セニはルーヴの胸元にもたれたまま、深く息をつき、呼吸を整えようとする。息が整い始めて、セニははっと顔を上げる。
 ルーヴも気付いているようだった。
 セニの唇に、軽く指先が押し当てられる。
 セニは無言のまま小さく頷き、枕元に投げ出していた自分の短剣に手を伸ばす。
 ルーヴは素早く寝台から降り、寝台の脇に立てかけてあった自分の大剣を取り、鞘から解き放つ。
「……俺の寝所まで忍び込んで来た奴は初めてだな」
 足音もなく薄闇の寝室の扉へ向かう。
 殺気立った気配はもう消えていた。もう逃げ出した後かもしれない。
 セニは床に脱ぎ散らかしていたシャツを手早く羽織り、身支度を整える。
「……警備兵のところに行ってくる。王子の寝所にまで入り込むとか、尋常じゃない。……ラーンかな」
「イルトガかもしれんな。……あれだけラーンが派手に動いたんだ、お前達兄弟の事も、イルトガにもう伝わっているだろう」
 ルーヴは大剣を鞘に戻し、乱れた着衣を整える。
「……たまに城に戻って、ゆっくりお前を抱けるかと思えば、いいところで邪魔が入ったな」
 思わずかあっとセニの顔が赤くなる。
 面と向かってそんな事を言われて、どういう顔をしたらいいか、分からなかった。
「……そんな事言ってる場合じゃないよ。……まずは逃げた賊を」
 言いかけたところで、寝所のドアを遠慮がちに叩く音が響いた。
「お休みのところ申し訳ございません、ルーヴ様……。近衛騎士見習いのユアン・ゲンズブールです」
 セニは袖口のボタンを止めながら素早くドアへ向かう。ほんの少しだけ扉を開けると、背の高い、金髪の青年が蒼白な顔で立っていた。
「……ルーヴ様はご無事です。……賊はどうなりましたか」
 アレクシスが苦労して躾けただけあった。近衛騎士見習いに不審に思われない程度にはまともな言葉遣いになっている。
「申し訳ございません。取り逃がしました。……引き続き賊を追います。何かありましたら、詰め所にまでお願い致します」
「ルーヴ様にお伝えしておきます」
「お願い致します」
 サーコートの裾を翻して、ユアンは足早に去って行く。その後ろ姿を見送って、セニは扉を閉める。
「……逃げられちゃったみたいだよ。ルーヴ」
「まあ、親父を殺すより俺を殺した方が、ラーンもイルトガも都合がいいだろうしな。親父を殺したところで、俺に喜ばれるだけだ」
 ルーヴは緊張感なくまた寝台に戻って寝転がっている。
「ぼくも行ってこよう。アレクシスさんが登城するまで、アレクシスさんの執務室にい……」
 また、言い終わる前にルーヴに腕を掴まれ、寝台に引き倒され、そのまま腰を抱いて引き寄せられる。
「……ルーヴ。聞いてるの?」
 淫らに下腹に触れてくる手を掴んで止めようとあがきながら、セニは軽く責める。
「イルトガにしろラーンにしろ、狙いが分からんな。……俺の命か、それともお前か」
 エシルの王子を探っているなら、狙いがセニである可能性は高い。
 この騒ぎを聞きつけたイルトガ王国が、ルーヴが手元においている方がエシルの王子だと目星を付けて探りを入れている可能性は否定出来ない。
 本当に、亡国の王子かもしれないという疑惑は、出口のない迷宮みたいなものだ。どうにもならない。
 思わずセニは唇を噛んで押し黙る。
「お前の兄弟には護衛も見張りをつけている。安心しろ」
「……ルーヴ」
 セニは少し迷って、それから重い口を開いた。
「……ぼくとリュカルドを殺してしまった方がいいと思わないの?」
 エシルの王子がいる限り、ラーンはエシル王国再建を諦めない。
 嗅ぎ付けたイルトガも、エシルの王子を利用出来るならしようとするだろう。
 だからこそ、いますぐ災いの芽であるエシルの王子を始末してしまえば、エシル建国を完全に潰す事が出来る。
 ルーヴは寝台に寝転がり頬杖をついたまま、鼻先で笑う。
「お前は指が痛かったら、腕ごと切り落とすのか? ……何の解決にもならんだろう」
 抱いていたセニの腰をようやく解放する。
「……エシルの王子を始末したところで、何も変わらん。どうせラーンとは争う未来しかない」
 その通りだ。
 エシルの王子は有利に進める駒でしかない。争う未来が変わる訳じゃない。
 養父母はこんな未来を予見していたからこそ、セニたち兄弟に何も知らせずにこの世を去ったのだろう。
「……さて、俺も賊を探しに出るか」
 明らかにルーヴは機嫌が悪い。これはまた荒れるんじゃないかな、とセニは小さなため息をつく。
 あの近衛騎士見習い……ユアンと言っていた。彼に重い処罰が下らないといいけれど。
 セニはそんな事を考えながら、部屋を後にした。


2016/07/03 up

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