だが軍人として生きていくなら、きれい事では済まされない。これは避けて通れない現実だ。
「……賊の一件が解決していないが、私もマデリア国境の警戒がある。明後日辺りには東部地方に戻らなければならん」
アレクシスは王城内での仕事があらかた片付いてきたらしい。
「賊の狙いはお前だとは思うが、王城に置いておくべきか、私の本邸に置いておくべきか、マデリア国境の領主館まで連れて行くべきか、悩ましいところだ」
アレクシスの言いたい事は分かる。
『どれが一番効果的か』と言いたい訳だ。
セニをおびき寄せるエサにしたいのだろう。この手段を選ばない姿勢と容赦のなさは、かえって清々しい。
セニにとってはアレクシスの残酷なくらいの合理主義さは好ましいくらいだ。考え方が合いすぎる。
「ルーヴ様が王城に滞在なさっている間はお前をここに置いておくのが最も合理的だが、お前がおとなしくしているとは到底思えないのがな」
よく分かっている。
ルーヴはセニを大らかに奔放に育てようとしているが、それと無謀を許すのは同じではない。
まして、アレクシスはルーヴに信頼を寄せられているからこそセニを預けられている。監督責任がある。
「無謀な事はしないし、深追いもしないつもりだけれど。……自分の事だからこそ気になる。探るなと言われてもちょっと守れそうにない」
今回の賊の件にしても、アレクシスはあまり重要な情報をセニに話していないと思われる。
まだセニは見習い騎士で、成人もしていない。
あくまでブランドール卿の元で勉強をする身だ。騎士扱いはされない。一人前扱いもされない。それはセニも分かっている。
セニにしてみれば、賊の狙いが自分ならば、降りかかる火の粉を自分で払い、突き止めたいわけだが、それはアレクシスの言うとおり、蛮勇だ。
まだそこまでの実力すら、ない。
無謀を慎もうとは思っているが、知りたいという欲求は強くある。
セニはアレクシスの執務室から、中庭を見おろす。
ちょうどルーヴ付きの近衛騎士たちが、手合わせをしているところだった。
若手ばかりだ。暇をもてあまして訓練がてらに手合わせしているようだ。
その中から、謹慎明けのユアンの姿を見つける。
黒髪の大柄な騎士と手合わせをしているが、セニが考えていた通り、あの穏やかで優しげな見た目からは想像出来ない獰猛な攻め方だ。
見た目が穏やかだからこそ、この激しさが恐ろしくも見える。
本気のリュカルドもあんな感じだ。この人はすごくリュカルドに似ているな、とセニは思わず見入ってしまう。
リュカルドはあまり身体が丈夫ではない。
もしもリュカルドが健康に恵まれていたなら、こんな凄腕の騎士になったに違いない。
リュカルドは天才的な才能があった。わずか十五歳で師範代にまでなったが、病がちな身体はどうにもならなかった。
それは養父もリュカルド本人も、とても惜しんでいた。
「……私はこれからベルラン王に拝謁してくるが……くれぐれも、無謀は慎め。くどいようだが、よく言っておく」
アレクシスは書類の束を抱えて、足早に執務室を出て行く。
どれだけ言い含めようが、セニが言われた通りにここで書類整理をしているような大人しいタイプではない事は、アレクシスもよく分かっている。
「……これは随分可愛い客だな。……ユアン、可愛いのが尋ねてきてるぞ」
ユアンに会いに中庭に降りてきたセニは、先ほどユアンと手合わせをしていた黒髪の騎士に取り次ぎを願ったのだが、なんだか勘違いされているようだ。
「女遊びもしないと思ったら……こういうのが好きだったのか。なるほどなあ」
無遠慮にじろじろとセニを眺める」
ああこの黒髪の騎士、すごくジェイラスさんぽい。同じような勘違いしてる。セニは違うところで感心していた。
「キール、変な誤解するな。この子はほら、ブランドール卿のところの見習い騎士だよ」
慌てて飛んできたユアンはセニとキールの間に割って入った。
「ああ、ルーヴ様から預かって育ててるっていう子か。……もっといかついの想像してたわ。こんな可愛いのとか驚きだな。……こんな細くて小さいとか。まだ子供だとは聞いてたけどさ」
ジェイラスくらいあけすけで陽気で遠慮が無い。
ユアンのような気品高く礼儀正しいタイプもいれば、こんな大らかな騎士もいる。
近衛騎士を選ぶ基準の振れ幅が広すぎて、思わずセニは小さく笑ってしまった。本当にルーヴは実力主義なんだとよく分かる。
「あんまり失礼な事言うな。まだこれから成長期なんだから、多少小柄でも仕方ないだろう」
セニに向き直ってキールの非礼を詫びる。
「ごめんね。悪い奴じゃないんだけれど……キールは大らかすぎて。ああ……そうだ、キールがあの日一緒に宿直していた相手だよ。……彼が賊を発見したんだ」
ユアンは焦るあまりか、すっかり敬語が抜けていて親しみやすい口調になっている。
遙かに年下のセニにとっては、この方が話しやすいし親しみやすい。
「その時の話を聞かせて頂けたら助かります。ぼくはまだ見習いなので、あまり色々な話を教えてもらえていません。後学のために自分で調査しているんです」
キールもユアンも感心しているようだった。
「へー。こんな小さいのに大したもんだな。俺がこれくらいの時なんか何も考えずに修練場で剣振り回してるだけだったな」
小さい小さい連呼されるのもなんだが、こんな精鋭の、立派な体躯の近衛騎士からみたらそれは小さく思えるだろう。
このくらいの年齢なら多分標準的な体格だと思うけれど、とセニはほんの少し、気にしている。
「私も彼くらいの年齢の時は小さかったよ。今じゃこんな伸びたけれど、このくらいの頃は悩んだものだよ」
ユアンは上手にフォローする。こんなところもリュカルドを思い起こさせる。
「キール、あの時の話を……」
「ああ。んー……でも本当に大した情報がないんだよな。夜中はオイルランプの明かりだけだから、顔なんか当然分からんし、マントとショール羽織った人影くらいしか……ただめちゃめちゃ足が速かったな。えらい俊足だった」
やっぱり、セニの後を付けていたあの人影と、寝所にまで踏み込もうとした賊は同じだ。
セニは緩く頷く。
「男なのは間違いないと思う。体格からしてあれで女って事はない。……近衛騎士や警備兵の目を眩ましてあそこまで侵入出来るとか、正直気味悪いな。ルーヴ様の身近な側仕えを疑うしかなくなる」
「密偵か、それとも誰かが手引きをしたか……。どっちにしろ、気分のいい話じゃないね」
セニが黙って聞いているだけでも、ああだこうだと二人が話し合ってくれるおかげで、色々な情報が入る。
二人の話を聞きながら、今後も何か情報が欲しい時に近衛騎士と繋がりがあると色々と話が早いし、何とかこれで繋がりを持ちたいとか、そんな事を考える。
ジェイラスやバートラムはルーヴに近すぎて、何か探りを入れるとすぐにルーヴの耳に入る可能性がある。
「……ん。そろそろ時間か。今夜また俺は宿直なんだよ。引き継ぎの時間だから行ってくる」
「お忙しいところ本当にありがとうございます。キール様」
「キールでいいよ。様ってガラでも身分でもねぇなあ。じゃあまたな、セニ」
本当に大らかでジェイラスみたいで、セニは親近感を覚える。
去って行くキールを見送って、セニもそろそろアレクシスの執務室に戻る事にする。
今回はアレクシスの執務室から見下ろせる場所にいるし、そう詮索される事もないだろう。
「ユアン様も、ありがとうございます。何度もお邪魔してしまって申し訳ないです」
ユアンはまた、人懐こい笑顔を見せる。
「……私の事もユアンと呼んで欲しい。キールが羨ましいな。きみにあんな風に親しげに出来るなんて」
少し遠慮がちに、セニの右手を取る。
「また良かったら、こうして話をしてくれると嬉しい。……近衛騎士の中では私は最年少だし、同じく見習いだしね。友達が欲しかったんだ」
セニは珍しく、作り物ではない本物の笑顔を見せる。この人懐こいユアンに、つい釣られてしまう。
「……ありがとうございます、ユアン。……またお邪魔します。ぼくも、近衛騎士の話とか、すごく興味があるので嬉しいです」
これは打算だけではない。本心からそう感じている。
ユアンのこの、穏やかな雰囲気と気遣いに好意を持たずにいられない。
それでも、この笑顔を疑わずにはいられない。ユアンはセニに怪しまれていると気付いているのかいないのか。
このユアンの好意すら、戦略かもしれないと疑わずにいられない。
ふと、あの朝の事を思い出す。
疑わなければならないなら、最初から愛さない方が、いい。
悲しいけれどそれは真理かもしれない。
それでもノイシュやティーオに好意を持たずにいられなかったように、ユアンにも好意を持たずにはいられなかった。
アレクシスの執務室に戻ると、ちょうどアレクシスは帰り支度をしているところだった。
「あまり嗅ぎ回るな、と言っておいたはずだが」
あまり機嫌は良くなさそうだ。セニは素直に謝る。
「ごめんなさい。……ルーヴの近衛騎士くらい覚えておこうかと思って」
見え透いた嘘だが、とりあえずは話が長引かない方向に持って行きたい。
この部屋から中庭はよく見渡せる。
ユアンやキールと話し込んでいるところを見られていたのだろう。
「……一理あるな。お前は何かと話題になっているから、顔を見知っているものも多いだろうが、お前から誰が誰だか分からないのは色々不都合があるか」
「ルーヴの部屋に出入りしてるのに周りの人の顔くらい分かってないと、誰か紛れ込んでも気付かない。、覚えておかないと」
アレクシスはクロークを羽織りながら頷く。
「私は本邸に帰るが、お前はどうする」
ルーヴが王城にいる間は当然のようにおいて行かれるのが常だが、珍しく今日は聞かれた。
最近嗅ぎ回っている事をアレクシスは当然把握しているだろう。行き過ぎていると思われているのは間違いない。
あまり勝手をしていると、別邸で謹慎させられるかもしれない。
「ぼくも今日は帰ろうかな。……読みたい本もあるし」
セニも自分のクロークを取り、羽織る。
どうせあの賊の目的はセニの身上調査だ。セニがアレクシスの本邸に戻っている間はおとなしくしているだろう。
それに、ルーヴもたまには独り寝をしたらいい。
セニは小さく頬を膨らませながら考える。
王城に帰ってからほぼ毎晩で、ろくに寝ていないじゃないか。
ぼくだってそろそろゆっくり眠りたい。ルーヴは気を遣ってくれているけれど、それでもやっぱり時々無茶をするし。
こんな無茶を毎晩されていたら、また朝、足が震えて立てなくなるかもしれない。
いつでもぼくが言う事を聞くと思ったら、大間違いだ。たまには独り寝をして、落ち着いたらいい。
ふと、アレクシスの視線に気付く。
「……お前は無意識でやっているのか? それとも、分かっていてやっているのか?」
不意にそんな事をアレクシスに言われて、セニは緩く首を傾げる。
何の事かさっぱり分からない。
「ああ。……気付かずにやっているのか。なんでもない。……帰るぞ」
アレクシスが何の事を聞いているのか、セニは全く見当がつかなかった。
ルーヴの事か、それとも近衛騎士たちに会いに行った事か、それとも、嗅ぎ回っている事か。
なんにせよ、アレクシスはセニが考えている以上に色々セニを探っているし監視もしている。それだけは、よく分かった。