騎士の贖罪

#06 愛玩物の仕事・後

 相変わらず、何を考えているのか分からない。
 リュシオンは寝台に座ったまま、目の前で服を脱ぎ始めた男を見上げる。クラーツは傍にいるようだが、寝台を囲む天蓋に遮られ、姿は見えなかった。
 グレイアスの火傷痕は、予想以上に大きかった。左頬、顎、首筋、肩から背中にかけて広がる生々しい傷跡だ。火事で、と言っていたが、燃え落ちた梁か何かの下敷きになったのかもしれない。
 焼き討ちはよくある事だ。焼き討ちを行うのも、受けるのも、どちらもよくある。現にクレティアの城下町も火を放たれている。
 大きく無骨な手が、リュシオンの細い顎に触れた。荒れた手だ。剣を握る者の、節くれ立った手だ。まだ成長途中のリュシオンから見れば、グレイアスは大男で、この手も恐ろしく大きく感じられた。
「男を抱くのは初めてだ。……大人しくしていれば痛い目には遭わせないつもりだが、勝手が違いそうだ」
 リュシオンにとってはどうでもいい事だ。何が起ころうと今夜を越えて明日があるなんて、思っていない。
「女とそう変わりません。薬も道具も用意してありますから、将軍はどうぞお好きなように。傷を負わせても手当は幾らでも。その為に私がおります」
 天蓋越しだが間近でクラーツの声と、薬瓶か何かがふれ合う高い音が響いた。
 グレイアスの手がリュシオンのシャツのボタンにかかったが、リュシオンはされるがままだ。草むらに潜む獣のように、機会を狙っている。この男が隙を見せるその瞬間を、待っている。
 はだけたシャツの胸元に、グレイアスのざらつき荒れた手が触れた。不思議なくらいに、リュシオンは心が凪いでいた。怒りも嫌悪も感じない。ただその瞬間を待ち、息を潜める。
「ずいぶん落ち着いているな。抵抗せずにいてもらえれば助かるが」
 はっきりとリュシオンに向いてグレイアスが語りかけたのはこれが初めてだ。リュシオンはそれには答えずに、顔を背けた。
 はだけた胸元にグレイアスの唇が触れたのを確かめながら、リュシオンは隠し持っていた銀筆を袖口から滑り落とし、握りしめ、シーツの中に滑り込ませる。
 ポーチで絵を描いていた時に持っていたものは、ジーナにやんわりと取り上げたが、準備で気を取られていた彼女は、他の銀筆の数を確かめなかった。おかげで気付かれずに隠し持つ事ができた。
 リュシオンの下腹の辺りを撫でていた手が滑り落ち、ズボンのボタンに触れる。グレイアスが胸元から顔をあげた瞬間に、リュシオンは握りしめた銀筆を振り上げた。
 右目を抉り、突き刺そうと狙い振り下ろしたリュシオンの手、をグレイアスは素早く掴み、顔を背けた。鋭く研がれた銀の尖端は、右目ではなく、鎖骨の辺りを切り裂いただけだった。
「くっ……!」
 銀筆を握る右手を骨が折れそうなくらいに、強く握り締め上られる。痺れる右手に素早く左手を伸ばし、リュシオンは銀筆を握り替えた。
「お前の物になるくらいなら、死んだ方がましだ! 薄汚い卑怯者!」
「レクセンテール将軍!」
 天蓋をはねのけ、クラーツが飛び込んでくる。
「来るな! 下がれ、クラーツ! 何もない!」
 グレイアスは簡単に馬乗りに押さえ込み、あがくリュシオンの両手を捕らえた。身体の何カ所かを押さえつけられただけで、身動きひとつできなかった。力を込め振りほどこうとしても、びくともしない。背筋に冷たい汗が伝い落ちた。この男は力を入れずとも、こうして簡単に押さえ込む知識と技術がある。実戦経験も浅く未熟なリュシオンが敵うような相手ではなかったのかもしれない。
「……大人しくしていれば痛い目には遭わせない、とは言っておいたな」
 グレイアスは銀筆をリュシオンの右手の指と指の間に挟み、その手を片手で覆うように握りしめた。不自然に挟まれよじれた指の痛みに、リュシオンは思わず小さく悲鳴を洩らしてしまう。
「く、離せ! 誰がお前のいいなりになんか!」
 ぐき、と嫌な音が響いた。骨の軋む音だ。銀筆を挟んだ指を、グレイアスの手が締め上げている。
「逆らうなら、指を折る。二度と絵筆が持てないくらいに粉々に砕かれたいか?」
「うるさい! うるさい、うるさい、うるさい……! どうせ僕は殺されるんだろう! 構わない! どうせ死ぬなら、指なんか……!」
 握られた関節が嫌な音を立てた。本当に折られるかもしれない、と思った瞬間に、視界が一瞬で歪み、滲んだ。
 死ぬ覚悟はできていたはずだった。それなのに、絵筆が持てなくなるかもしれないと思うと、止めようがないくらいに涙が溢れてきた。
 それはどうしようもない喪失感と、敗北感だった。
 自分が犯した罪を償う方法はこれしかないと思っていたはずだ。祖国を滅ぼした罪を償う為に、この男を殺し、死ぬつもりだったはずだ。
 それなのに今、どうしようもなく、怖かった。
 二度と絵筆が持てなくなる。二度と絵が描けなくなる。そう考えただけで、身体の力が抜けるようだった。逆らう意思さえ消えてなくなるほどの、絶望感だった。



「……薬を使います。まず大人しくするはずがないと思っていました」
 クラーツはそう言いながら、白く細い煙を立ち上らせた香炉を寝台の隅に置いた。
 両手を革紐で縛り上げられ天蓋の支柱に繋がれたリュシオンは、こみ上げる嗚咽を堪える。
「後宮で使われている薬を、この一ヶ月の間、投与しておきました。……飲ませただけでは特に何の影響もありませんが、この香に強く反応するようになります。それこそ従順にペットらしく、主人に媚びて鳴くようになりますよ」
 骨の軋む音を立てていた指は、まだひどく痛んでいた。折れてはいないようだったが、指を砕かれる恐怖はリュシオンの心を折るに十分だった。
 クラーツは掌に載せた小瓶をグレイアスに差し出す。
「女と違い、濡れません。こちらをお使い下さい。香とこれの両方を使えば、もう逆らう気なぞ失せるでしょう」
 もうリュシオンの心はとっくに砕け散っている。
 絵を描く事を捨てられなかった。
 自分の過ちで滅ぼした祖国への償いよりも、絵を描く事を選んでしまった。この期に及んでも、自分の望みを捨てられなかった。
 卑怯で醜いのは、自分自身だ。
 リュシオンはされるがままに両足を開く。堪えきれない嗚咽が零れ落ちた。
 グレイアスの濡れた指先が、両足の奥の固く閉じた場所に触れ、くすぐるように探る。
 びくん、とリュシオンのつま先が跳ねる。ほんの少し触れただけで、ざわざわと何かが背筋を這い上がるような、不思議な感覚が湧き上がった。
 薬でぬめる指先が、更に執拗に、そこに触れる。
「あ、あ……! や、やめ、いやだ、やめろ……!」
 自分の声だと思えないくらいに、甘く震えた声だった。
 クラーツはリュシオンの膝頭を押さえつけながら、その両足の間を覗き込む。
「すぐに開いてまるで女のように、簡単に指や男根を飲み込みますよ。……香もそろそろ効き始めるでしょう」
 そう言い残し、寝台を降りてクラーツは天蓋の外に出て行ったが、リュシオンはもうそれにも気付かない。
「やめ、あ、あっ……いやだ、こんなの、おかし……く、あ……!」
 何の抵抗もないかのように、グレイアスの指がリュシオンの中に入り込んだ。その指が、たまらなく甘く、気持ちよく感じられた。ほんの少し中の肉を撫でられただけで、身体が震えてしまう。
「これは身体に害はないのか?」
 リュシオンの華奢な腰を片手で押さえつけたまま、グレイアスは天蓋の外のクラーツに尋ねる。
「頻度が低ければ。ずっと使い続けるのはお勧めできませんが、好んで使い続ける方もいらっしゃいます。飼い慣らせないならそれも仕方ないでしょうね」
 そんなやりとりも、リュシオンの耳にはおぼろげにしか聞こえない。意識を保てないくらいに頭の中まで甘美な何かに浸蝕されていくようだった。
 中を幾度か擦られただけで、リュシオンのそこは粘った水音を立て始めていた。粘膜の擦れる、淫らな音が静かな部屋に嫌に大きく響いていた。
「こ、こんな、あ、あっ……、嘘だ、こんなはず、な、ふあっ、あっ……!」
 グレイアスの指を咥え込んだそこから、何か得体の知れない甘く痺れるようなものが肉に、骨に、皮膚に、伝播していく。
 触れられてもいない性器は、硬く膨れ上がり、たらたらと雫を零していた。中に沈められた指が動く度に、先端の割れ目から雫が滲み、溢れ伝い落ちた。
 壊れそうな心とは裏腹に、身体は歓びの声をあげる。リュシオンの身体は、浅ましいほどに、この男の指を喜んで迎え入れ、締め付ける。沈められた指に蕩けた粘膜が絡みつき、出し入れされる度に、にちゅにちゅと粘った水音を立てていた。
 声を殺そうとしても、甘く蕩けた声が止めどなく溢れ出た。耐えられなかった。心の痛みさえ消し去るような、何もかも忘れ去ってしまいそうな快楽だった。
「いやだ、いやだ……! ふ、あ……あ、こ、こんな、おかしい、こんな、あ、あぅ、んんっ……!」
 幾ら拒もうとしても、身体も声も逆らえなかった。拒絶の声は甘く蕩け、誘うようにすら聞こえるかもしれない。
 もうリュシオンが言葉も出てこないほど、甘く乱れた声を上げるようになった頃、再び天蓋の外からクラーツが声をかけた。
「もう大丈夫でしょう。指ごときでは王に報告できません。……私も、将軍に二心があるとは思っておりませんが、きちんとペットに務めを果たさせて下さい。ペットに誰が飼い主か、教えていかなければなりません」
 クラーツの声は無機質だ。まるで感情がないかのように、淡々と己の仕事を全うするのみに聞こえる。
 柔らかな中を蹂躙していた指が抜き去られ、リュシオンはうつろな目を開く。今まで指で弄られていたところが、たまらなく熱く、疼いていた。下腹が蕩けてしまいそうな、今まで感じた事がない感覚だった。
 朦朧としたリュシオンの耳に、グレイアスの小さなため息が聞こえたような気がしていた。
「力を抜いておけ。……すまないな。他に方法がなかった」
 一瞬我に返り、何を、と言い返そうとした瞬間に、蕩け、甘く疼いていたそこに、熱く硬いものが押し込まれた。
 まるで焼けた鉄の杭のようだった。激しい異物感と痛みに、リュシオンの細い咽頭から、抑えきれない悲鳴が漏れた。
「あ、あぁああ……! いやだ、いやだいやだいやだ……! やめ、あ、あっ……!」
 痛みと圧迫感が確かにあった。その異物感を、考えられないくらいの快楽が一瞬で拭い去った。
 ゆっくりとリュシオンを犯し、中の柔らかな粘膜を擦り上げるそれに、つま先まで震えが走った。
「う、動かな、いで、いやだ、いやだ……! な、中、擦らな、あ、あっ……!」
 気が狂いそうだった。自分を騙し、祖国を滅ぼした男に犯されているのに、たまらなく感じていた。魂も心も頭も拒絶していながら、この快楽に逆らえなかった。身体の奥深くを抉られ、背筋が震える。もっと、と声をあげてしまいそうだった。
 死ぬ事もできない。
 祖国を滅ぼした男に犯され、こんな浅ましい声をあげ、喜んでいる。
 何故生き延びてしまったのか。
 絵を描く事を諦められない。この男を殺す事もできなかった。
 浅ましく、醜く、愚かで、惨めだった。何故生き延びてしまったのかと、あの夜に死んでしまえばよかったと、思わずにいられなかった。


2018/04/25 up

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