騎士の贖罪

#08 見えない未来に

 揃いすぎているくらいに、揃っている。
 リュシオンは溢れるほど画材の詰まった木箱の前にしゃがみ込んで必要な道具を選ぶ。今必要なものだけを選び取って、左足を引き摺りながらテーブルに向かおうとすると、部屋の掃除をしていたジーナが大慌てて飛んできた。リュシオンが両手いっぱいに抱えた画材を受け取ろうと手を伸ばす。
「私が運びますよ! リュシオン様は病み上がりだし、まだ足が治ってらっしゃないです。無理はよくないです」
 ジーナは受け取った画材をテーブルに丁寧に並べる。
 本当に、ジーナの献身の理由がリュシオンは全く理解できない。
 幾ら彼女がカルナスの植民地出身で身分が低いとしても、将軍の慰み者にすぎないリュシオンを立て、尽くす理由がない。
 いや、むしろこれはリュシオンへの献身というより、グレイアスへの忠義なのかもしれない。ジーナは時折グレイアスを話題に出すが、言葉の端々に彼への尊敬の念が溢れている。
 彼女はもう自分の国はなくなってしまった、と言っていた。カルナスに滅ぼされたのは間違いないはずだ。その上でこれほどグレイアスを慕っている。
「そうでした、先日仰ってた、木枠に亜麻布や帆布をはったものですが、画材商さんが明日辺り持ってきてくれるそうです。レクセンテール将軍のご注文なら、大急ぎで用意しますって」
 ジーナはいつものように笑顔で、リュシオンの為にポーチに椅子とテーブルを用意し始める。今まで無気力に過ごしていたリュシオンが、積極的に絵を描き始めたのが嬉しくて仕方ないようだ。
「いつもありがとう、ジーナ。……そんなに頑張らないでいいんだよ。僕の世話のせいで、学校にも行けないんだろう?」
 ジーナが以前言っていたが、彼女は時々学校に通っている。それもグレイアスの計らいだと言う。思えば、リュシオンの処遇だけではない。ジーナは言うなれば奴隷の身分である敗戦国の国民だ。それがこうして学校まで通わせてもらえているというのは、考えられない厚遇ではないだろうか。
「え? あ、学校なら、また暇な時期に行けます。今はリュシオン様がお元気になられて、この国で暮らす事に慣れて頂けるのが一番大事な事なので、いいのです」
 ジーナは少し恥ずかしそうにはにかんだ笑みを見せる。
 大国の将軍家だからだろうか。ジーナが着ている使用人用のエプロンと服は、とても品質のいいものだ。純白のエプロンは常にしみ一つなく、ぴんと糊がきいている。着ている服も、紺地や焦げ茶と地味な色合いが多いが、服飾に詳しくないリュシオンからみても、しっかりした上等な生地と仕立てだ。
「グレイアス様から、リュシオン様も私と同じように、国がなくなってしまったって聞きました。私もグレイアス様に連れられてこの国に来たばかりの頃は、とても心細かったから……あ、あの、何か、お力になれたらいいなって……」
 最後の方は小声になっていた。リュシオンが傍流とはいえ王族に連なる身分なのは、クラーツも隠していない。庶民のジーナから見れば高貴な身分のリュシオンに対して、差し出がましいと思っているのかもしれない。
 現実は、女中として働くジーナよりも遙かに卑しい身だ。仇である敵国の将軍に身体を売って生き長らえている。それでもジーナは、リュシオンを決して蔑まない。
「君は自分の国を滅ぼされたのに、恨んでいないのか? 憎いと思わないのか?」
 思わず怒鳴りつけるように言ってしまった。ジーナの気持ちが理解できなかった。何故、敵であるはずのグレイアスをそんなに慕えるのか。尽くそうと思えるのか。
「あ……そ、それは」
 ジーナは両手でエプロンを握りしめたまま、口ごもる。
「うまく言えないです。……故郷がなくなってしまったのも、家族を殺されてしまったのも、悲しいけれど……で、でも、私を助けて下さったのは、グレイアス様なんです。手当してくれて、住む場所も、食べ物も、仕事も、グレイアス様が与えてくれたんです……」
 俯いたままのジーナの表情は分からない。いつも明るい声が少し震えていて、涙声に聞こえていた。エプロンを握りしめていた片手を解いて、眦を擦っている。
 その頼りなげなジーナに、胸が痛くなる。ジーナに何の罪もない。彼女がどんな経緯でこの国に、この屋敷に来たのか知らないリュシオンに、彼女を責める資格はない。
「すまない……。責めるつもりじゃなかったんだ。ジーナ。傷付けてごめん……」
 ジーナは俯いたまま、緩く首を振る。
「い、いえ、ごめんなさい。……も、もうすぐお茶の時間ですね。準備しに行ってきますね。す、すぐ戻りますから」
 ジーナは眦を擦りながら、足早に部屋を出て行ってしまった。
 リュシオンの気持ちも、重く沈んでいた。後味の悪さと罪悪感で、胸が痛んでいた。
 あまりよくならない左足を引き摺りながら、リュシオンはポーチに用意された椅子に座り高い石の塀を覆い尽くすように茂る蔦を眺めながら考える。
 グレイアス・レクセンテールの噂は、クレティアの騎士団内でもしばしば話題になっていた。
 カルナス帝国の将軍達の武勇や蛮行は、クレティアにも届いていた。グレイアスもそのうちの一人だ。敵ながら武芸に秀で知略にも長けると褒め称える者もいるが、容赦のない、血も涙もないと思えるような戦略に眉をひそめる者もいた。リュシオンも、噂通りの野蛮で残酷な男だと思っていた。
 何故、リュシオンを、ジーナを、見捨てなかったのだろう。
 外の世界を拒むような高い塀を見上げながら、思う。
 敵国の取るに足らない者の命を戯れに救い上げる理由が、知りたかった。
 ただリュシオンを貶め、苦しめようというのではない。肉欲の為に飼うのでもない。一体、グレイアスが何を考えているのか。
『君が愛して描いた世界を、人を、生き物たちを、もっと見ていたいと思ったんだ』
 ふとこの言葉を思い出す。熱に浮かされたおぼろげな記憶だ。これが現実か夢なのかさえ、曖昧だ。これは本当に、グレイアスが語った言葉だったのかも分からない。
 だが、どんな理由だとしてもリュシオンの目的は変わらない。
 この手で、自分を欺き、祖国を滅ぼした男を殺す。
 少し風が強くなり始めていた。まだ完治にはほど遠い左足を冷やさないように、リュシオンは席を立つ。早く身体を治さなければ、あの男に立ち向かう事さえできない。
 その時に気付いた。庭の三方を取り囲む高い塀のうち、左手の一カ所に、何か石造りとは違うものが見える。
 足を引き摺りながら草むらをかき分け、歩み寄る。一面埋め尽くすような蔦を払うと、小さな金属の輪が見えた。
 真っ赤に錆び付いて固まっているが、これは扉の引き手だ。屈み込んで両手で塀を這う蔦をかき分け、確かめる。小さな扉があった。石の塀に埋め込まれた、金属の扉だ。
 この屋敷の外へ繋がっているかもしれない。
 どくん、と心臓が跳ね上がる。
 逃げ出すつもりはなかった。あの男を生かしておいて、おめおめと逃げおおせるはずがない。それでも、外の世界へ繋がっているかもしれないと思うと、希望を持たずにいられなかった。
「……リュシオン様? あれ、お庭かな……。リュシオン様、風が冷たくなってきました、お部屋に戻った方が……」
 ジーナの声に慌ててリュシオンはかき分けた蔦を戻す。踏み荒らした草むらを整え、再び錆びた扉を覆い隠す。
「庭にいるよ。花を見ていたんだ。すぐに戻るよ」
 騎士とはいえまだまだ経験の浅いリュシオンが、歴戦の将軍に正面から挑んで勝てるはずがない。まず、身体を治す。最低限、健康な身体が必要だ。それから、武器だ。
 外へ通じる扉なら、武器を手に入れる機会があるかもしれない。手に入れた武器を隠す事もできる。
 錆び付き固く閉ざされたこの扉を、誰にも悟られずに開く事ができれば。何も見えない未来に、光が差したように思えていた。


2018/05/01 up

-- 電子書籍版配信中です --
騎士の贖罪(本編29話+番外編)※各電子書籍ストア
騎士の贖罪 異聞 恋着(後日譚)※Kindleのみ

clap.gif clapres.gif