騎士の贖罪

#09 罰

「……踝は元には戻らないかもしれないね」
 リュシオンの踝を幾度か曲げ伸ばして確かめてから、クラーツはいつものようにメモを取る。
 リュシオンもそんな気がしていた。あれから二ヶ月が経過し、骨も繋がり痛みも消えた。が、歩こうとすると強張った踝はうまく動かない上に、無理をすると痛みが走った。今でも足を引き摺って歩いていて、もう二度と走れないかもしれないと、暗く考えていた。
「根気よくマッサージと柔軟を続けて諦めなければ、歩くのには支障がない程度には治るんじゃないかな」
 相変わらずクラーツは他人事のように無感情だ。いつもの乏しい表情のまま、薬の準備を始める。
「ああ、薬を飲まないで捨てているだろう。君が恐れている薬は、君に分かるように処方していない。気付かれずに摂取させる方法は幾らでもあるからね。分かるように出している薬は必要なものだけだ」
 見抜かれている。図星のあまり、リュシオンは言葉が出てこない。リュシオンに興味はなくとも職務には恐ろしく忠実なこの男は、リュシオンの一挙一動を監視している。
「私は飲んだ方が君の身体の為にもいいと思うけれどね。心身共に行為に慣れるまでは薬で負担を減らした方がいい」
 寝台の上に投げ出したままの踝を見つめながら、リュシオンは唇を噛み締める。
 憎い男に犯されて喘ぐのは、耐えがたい屈辱だ。薬のせいだと割り切れない。快楽は逆らう意思も簡単に消し飛ばす。たった一回の行為であの薬の恐ろしさが身にしみていた。
「君が大人しく従うなら、香は控えめに焚くだけで済む。少し焚くだけならこの間のように意識が飛ぶほどには感じないだろう」
 クラーツの声が遠く感じられていた。身体が震えて仕方がなかった。得体の知れない薬を飲まされるのも、自分の身体を肉欲のはけ口に使われるのも、恐れずにいられない。
「将軍に閨で傷を負わせて許されているんだ。二度はない。どうせ抗ったところで犬死にするだけだと分かるくらいの知恵はあるだろう。まあ分かっていても従えない気持ちは分かるけどね」
 銀筆一本であの男を殺そうだなんて、愚かで浅はかな幻想だった。経験の浅い見習い騎士程度のリュシオンが、武器もなしで歴戦の騎士に敵うはずがなかった。あの男は労せずリュシオンの身体を簡単に押さえ込める。片手でリュシオンの首を締め上げる事すら可能だろう。それくらいに、経験も実力も体格も、差がありすぎた。
 惨めなくらいにリュシオンには、力が足りなかった。認めざるを得なかった。
「レクセンテール将軍も、あまり薬を好まないようだけれど。まあ君を『長く使いたい』なら私も強くは勧められない。……要するに、諦めて従うのが一番だという事だよ。私だって面倒がない」
 いつものように今日の分の薬を用意し終えると、クラーツはテーブルの呼び鈴を手に取り、鳴らす。診察の間、控えの間に下がっていたジーナが、ティーワゴンを押しながら部屋に入ってきた。
「クラーツ様、こちらでお茶をどうぞ。今ご用意します」
「ああ、この後も仕事で時間がない。私は結構だよ」
「そういえば今日は診察の日でしたね。よろしくお願いいたします」
 他にもクラーツは仕事をしていると、今更リュシオンは気付いた。考えてみれば、クラーツは毎朝リュシオンを診るだけで、その後は時間が空いてしまう。
 街へ出るのか、王宮へ戻るのかは知らないが、クラーツは普段、日中は屋敷にいないのかもしれない。
 クラーツを見送ってジーナはお茶の支度を始めるが、リュシオンは足の経過と薬の事で、気が晴れず無口なままだった。
 その重く沈んだリュシオンの顔色を窺うような仕草を見せながら、ジーナはおずおずと口を開いた。
「夕べグレイアス様がお帰りになりました。今夜はこちらで過ごされます。夕方にお支度をお手伝いさせて頂きます」



 夕べ遅くにアトリーン保護領から帰還し、一ヶ月ぶりに見たグレイアスは少しやつれたように見えた。
 リュシオンはあの日と同じように寝台に座り、大人しくされるがままに身を任せしかなかった。悔しいが、そうするしかない。どうせ抵抗したところで、軽々と押さえ込まれる上に、薬を使われるだけだ。
 数多の戦場を生き抜いてきたこの男に、素手で敵うはずがない。自分の技量不足は情けないくらいによく分かっている。クラーツに言われるまでもなく、無策で抗っても無駄死にするだけだ。
 この男を仕留められる武器を手に入れるまでは、従うしかなかった。
 諦めていても身体の震えは止められなかった。簡単に押さえ込まれ身動き一つ取れなかった事も、身体の中にこの男が押し入った事も、覚えている。忘れられるはずがなかった。
 寡黙なグレイアスが何を考えているのかは、相変わらず分からない。この男は何を思ってリュシオンを抱くのか。大きく無骨な手に背中から抱き寄せられながら、リュシオンは思わず息を詰める。
「絵を描き始めたそうだな」
 荒れた手に右手を取られ、リュシオンの背中がびくん、と震える。指を折る、と言われたあの夜の事をまざまざと思い出すと、竦まずにいられなかった。
 グレイアスはリュシオンの怯えに気付かないふりをしているようだった。もう二ヶ月剣を握らず、絵の道具しか握っていないリュシオンの手は、白磁のようになめらかだ。
 リュシオンは竦んだまま答えられなかった。その微かに震える、木炭や絵の具の汚れが染みついた指先に、グレイアスの唇が触れた。
 そんな事をされると思わなかったリュシオンは、思わず小さな声を上げてしまう。指先を柔らかく握られて丁寧に口付けられて、リュシオンは戸惑わずにいられなかった。
 まるで恋人にでもするような仕草だ。リュシオンの指先に口付けを繰り返しながらシーツの上にうつ伏せに押し倒されても、リュシオンは困惑したままだ。
 そんな風にされると思ってもいなかった。指先に触れていた唇は、伏せたリュシオンの項に触れ始めた。
 気がつくと、あの夜と同じ香の匂いがしていた。クラーツは変わらずに天蓋の向こう側に控えて『監視』をしている。逆らわずとも香は必ず使われるのだと、リュシオンは半ば諦めたように考える。
 リュシオンの華奢な腰の辺りにあったグレイアスの手は、いつの間にか纏っていた絹のシャツの中に滑り込んでいた。
 不思議なほど、嫌悪感を感じなかった。これも香の効果なのかと、ぼんやり濁り始めた頭の片隅で思う。
 素肌を撫でていた手は、胸元にまで這い上がってきた。小さな胸の突起に触れたその手は、大きな手に見合わないくらい、優しく触れてくる。やんわりと撫でられて、思わず吐息が零れ落ち、リュシオンは慌てて唇を噛みしめる。
 柔らかに撫で、摘まれるうちに、息が上がり始める。あれほどこの男を恐れていたのに、今、震えはなくなっていた。
『薬は負担を減らす』とクラーツが言っていた事を思い出す。麻薬のようなものなのかもしれない。意識は霞がかかったようにぼんやりとしている上に、嫌悪を感じない。この男の指を、唇を、心地いいとさえ感じている。
 思考と身体を麻痺させて、慣れさせる為のものだと身をもって知る。拒否しようと思えないくらいに、頭も身体も甘く痺れ始めていた。
 天蓋の衣擦れの音と、クラーツの小さな声が聞こえる。いつの間にか脱がされていた下腹に、何かに濡れた指先が触れた。
 濁った頭の中に、はっきりとあの夜の恐怖が蘇る。
 足を開かされ、無理矢理押し入ってきた生々しい、肉の楔。焼けた杭を身体に打ち込まれたようだった。
 とっさに逃れようとあがくが、うつ伏せに押さえつけられ、足の間に膝を入れられてこじ開けられた。
「やめ……っ!」
 濡れた指先があの時と同じように、両足の奥に触れる。無骨な指に柔らかく撫でられて、思わず息を飲む。
「暴れると傷付ける。……我慢してくれ」
 逃れようと身体をよじろうとしても、まるで力が入らなかった。両足の奥の閉じた場所に触れていた指が、半ば強引に押し入った。
 信じられないくらい、気持ちがよかった。硬く太い指がじっくりと中の襞を撫で、沈められていく。
「あ……あ、やめ、いやだ、こんな……」
 零れ落ちた自分の声が、驚くほど甘く蕩けていた。慌てて唇を噛むが、沈められた指が動くたびに、甘くなった吐息が漏れてしまう。
 すぐにグレイアスの指を飲み込んだ場所から、粘った水音が響き始める。粘膜の擦れる淫らな濡れた音がはっきりと、リュシオンの耳を打つ。
「く、う……」
 声を殺そうとしても、無駄だった。止めようがないくらいに、甘く乱れた吐息が零れてしまう。不意にリュシオンの性器に、濡れた手が触れた。
 きゅっと握られて、はっきりと、それが硬く膨れ上がっていると思い知らされる。グレイアスの指を入れられて、感じている。女のように中を擦られて感じている。
 恥辱だ、と思っているのに、身体はもう溶け落ちそうなくらいに熱かった。指で弄られていた下腹の奥は、熱く痺れあの時と同じように、蕩けていた。
 いつの間にか指は抜き去られ、代わりに熱く硬いものが押しつけられていた。
 覆い被さる男の吐息が耳朶に触れていた。その荒く乱れた息を感じて、更に下腹が熱くなる。
「……力を抜いておけ」
 あの夜と同じように、そう囁いて、身体の中に押し入ってくる。
「く、あっ……! あ、あ……」
 声を殺そうとしても、堪えられなかった。
 たまらない快楽だった。熱く硬い雄に狭い場所を押し広げられ、柔らかに溶けた粘膜をゆっくりと擦り上げながら奥まで貫かれたその瞬間に、硬く張り詰めていたリュシオンのそれが弾けた。
「あぁぁあ……っ……!」
 頭も身体も麻痺させるような快楽に喘ぎながら、ゆっくりと目を閉じる。
 これも罰だ。
 自分を欺き祖国を滅ぼした男に犯されて感じて、浅ましく喘ぐ。どれだけ拒んでも、身体はこの男に犯されて喜んでいる。女のように足を開き、男を迎え入れ、甘く喘いでいる。
 だからこそ、忘れずにいられる。
 どんな事をしてでも、この手でこの男を殺さなければ許されないと、忘れずにいられる。


2018/05/05 up

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