騎士の贖罪

#14 何度欺かれたなら

『絵を描きたい』という衝動が、どこから来るのか分からない。
 楽しいとか幸せだとか面白いだとか、そういう気持ち以前だった。描いている間に何を考えているだろう。ただひたすらに、故郷の景色を、人々を、植物を、生き物達を思い起こし、時には目の前の中庭の、名もなき小さな雑草も紙の上に残したくもなる。その間に感情はあるだろうか。言葉には到底できない。
 きっと楽しくて嬉しくて、幸せなのだ。描いている間はそれすらも感じられないくらい夢中なだけで、きっと身体の中には様々な感情が生まれ巡り、消えて、そしてまた生まれている。
 それは浅ましいくらいの欲望だった。描かずにいられなかった。絵を描く事は、リュシオンにとって、呼吸をする事と同じだ。
 今も絨毯の上に座り込んで、画板を抱えて夢中で書いていた。あまりに夢中になりすぎて、汗で銀筆が滑って落ちて転がるまで、グレイアスの存在を忘れていた。
 夜更けにやって来たグレイアスは、いつもの年配の女中に酒肴を少し用意させ、壁際に積まれた描きかけの絵を眺めていた。絵だけを眺めているわけではなかった。座り込んで夢中で絵を描いているリュシオンも見つめていたが、リュシオンは全く気付かないくらい、絵に夢中だった。
 転がった銀筆は、テーブルの脚に触れ、冷たい金属音を立てた。
 途端に現実に引き戻される。
 グレイアスの座る椅子近くまで転がった銀筆に手を伸ばすと、その手を素早く掴まれた。
「絵の途中で済まないが、時間がなくなる」
 絨毯の上に引き倒されながら、リュシオン今夜は『使われ』るのか、と半ばなげやりな気持ちでは天井を見上げる。
 心も体も、思うより弱くはなかった。
 初めてグレイアスに犯された時、あれほど屈辱だと感じていたのに、今はもう諦めがついていた。身体は浅ましいほどに快楽を覚えた。この男の手で作り替えられてしまったとしても、もうそれさえどうでもいいと思えていた。
 身体なんか、幾らでもくれてやる。こんなものに何の意味も価値もない。今はそんなつまらないプライドよりも、やり遂げなければならない事がある。そう考えればどんな辱めを受けても耐えられると思えていた。身体をこの男に滅ぼされても、心までは踏み込ませない。
 グレイアスは掴んだリュシオンの右手に唇を寄せる。絵の具や木炭の汚れが染みついた指先に口付け、甘く噛み付く。
 以前もこんな風に指に触れられた事があった。この男は『逆らうなら二度と絵筆を握れないように、指をへし折る』とも言っていた。
 リュシオンの浅ましい欲望を、よく知っている。
 絵を描きたいという貪欲な渇望を、本能を、この男は見抜いていた。
 リュシオンにとってこの指が、絵を描く事が何にも代えがたいものだと知っていたからこそ、あの時、指を折ると言えたのだ。
 不思議だった。この男と話した時間なんて、ごく僅かだ。たったあれだけで、グレイアスはリュシオンの貪欲な絵への欲望に気付いていた。
 分からないのはグレイアスだけではない。ユリエルもだ。
 リュシオンの指先を包み、口付けるグレイアスの伏せた狼の瞳を見下ろしながら、リュシオンはユリエルの来訪を思い返す。
 ユリエルが現れたあの日、グレイアスは暫くの間リュシオンを抱きしめ離さなかったが、ただ抱きしめるだけで、それ以上は何もせず、何か話す事もなく、帰って行った。
 あれから何度かグレイアスはリュシオンの部屋にやって来たが、リュシオンが最も心配していた事を詰問される事はなかった。
 錆びた鉄の扉の事だ。
 ユリエルが気付かなかったはずがない。庭でリュシオンが何をしていたのか、不審に思わなかったとはとても思えない。
 ユリエルは知っていながら見て見ぬふりをした、とリュシオンは思っている。
 それをグレイアスに知らされていないか不安だったが、今日まで一度も触れられていない。ユリエルがグレイアスに話さなかったとしか思えない。
 何故、グレイアスに知らせなかったのか。ユリエルはグレイアスと親密な様子だった。それなら何故、黙っておくのか。
 分からない事ばかりだ。ユリエルが一体何を企んでいるのか、まるで見当が付かなかった。
 リュシオンの胸元のボタンを外しながら、グレイアスはこめかみや額に唇を押しつけてくる。露わになった素肌に触れてくる手は、変わらず荒れてざらついた無骨な手だが、壊れ物に触れるかのように、優しい。
 なめらかな素肌を撫でていた手が這い上がり、まだ柔らかな胸の突起を摘まみ上げた。
「……っ……!」
 息を殺しながら、リュシオンはその感触に耐える。
 まだ柔らかな実を指先で摘まみ、ゆっくりと擦られて、リュシオンは零れ落ちそうな吐息を必死で押しとどめる。逆らうリュシオンとは裏腹に、この男の愛撫に慣れたそれは、すぐに硬く張り詰めてしまう。ふっくりと立ち上がった実を指で押し潰すように捏ねられて、リュシオンは耐えきれずに乱れた吐息を洩らしてしまった。
「い、いやだ、そんなに、触るな……」
 声が震えてしまう。胸を弄るグレイアスの手を掴んで引き剥がそうとするが、敏感になった突起を強く摘ままれて、リュシオンは耐えきれずに甘い悲鳴を上げてしまう。
 さっさと犯して終わりにしてくれ、と言いたかった。
 こんな風に時間をかけて愛撫されるのは、苦痛でしかなかった。性処理用のペットらしく、さっさと中に押し入って、精液を吐き出して、解放して欲しかった。
 まるで恋人同士が愛し合うように、長い時間をかけて愛撫されたくなかった。幾ら諦めていても、この男との性行為に感じている自分を思い知らされたくはなかった。
 グレイアスがリュシオンの拒否をどう感じているかは分からない。いつもならリュシオンがそう拒否をすれば、一応は止めてくれていたが、今日はそのまま続けていた。
「痛むのか?」
 男の唇が、耳元で囁いた。
「い、痛い」
 そう返した途端、硬くなった胸をきゅっと摘まみ上げられた。それは痛みではなかった。胸から背筋、頭にまで響くような、甘い痺れだった。
「あ、あっ……!」
 思わず甘く高い声をあげてしまう。慌ててリュシオンは自分の唇を片手で塞いだが、グレイアスの指は更に追い詰めるかのように、摘まみ上げた赤い実を指で擦り続ける。
「触るな、いやなんだ、胸なんか、あ、あっ、もう、やめ…っ……!」
 拒もうとしても、声が蕩けている。自分の声だと思えないくらいに、甘く媚びて響いた。まるで女のように胸を弄られて感じていると思うと、自分の身体が憎らしく思えた。
「声が震えているな」
 硬く膨れあがった小さな実に、グレイアスの舌先が触れた。
「やめ、あ……!」
 赤く色づき硬くなった先端をやんわりと舌先で舐め、それから口に含まれて、リュシオンのつま先がびくん、と震える。
 舌先で捏ねられ、甘く吸い上げられる。今までそんな風に唇でされた事はなかった。不意打ちの快楽に、リュシオンは背筋まで震わせて感じていた。
「ふあ、あぁあ……! いやだ、もう、お、ねが……」
 こんな風に扱われるのは、苦痛でしかない。道具のように、まるで義務かのように犯される方が、耐えられた。身体も心も弱くはない。けれど浅ましく愚かで、簡単に戸惑い、混乱し、錯覚する。
 硬く張り詰めた胸を甘く啜られて、耐えられなかった。泣きそうなくらいに感じて、震えずにいられなかった。
 グレイアスは小さな突起を舐りながら、片手を滑らせ、リュシオンの下着の中に差し入れる。胸をさんざんに弄られて感じていたせいで、下着はもう触られる前からじっとりと濡れていた。
 もう硬く張り詰め、蜜を滲ませるそれを柔らかく握られ擦り上げられ、リュシオンは溢れ、零れ落ちる甘い声を止められなかった。
「く、んんっ……!」
 リュシオンの薄く開いた唇に、グレイアスの荒れた唇が触れる。拒もうとあがいても、舌先は簡単に滑り込む。
 心も身体も、愚かで、浅ましい。簡単にこうして欺かれ、騙され、溺れる。
 力の抜けそうな右手を伸ばし、絨毯を掴んだ時、何かに触れた。先ほど手を滑らせて落とし、拾い損ねた銀筆だ。夢中でそれを掴み、振り上げる。
 もう何も考えられなかった。今すぐこの男の手から逃れなければ、身体だけでなく心まで蝕まれ、食い尽くされてしまうと思えた。
 振り上げた銀筆の尖った先端は、リュシオンを組み敷くグレイアスの左肩を切り裂いた。リュシオンは夢中で右手の銀筆を振りかざすが、すぐにグレイアスの手に掴まれ、絨毯に押しつけられた。
「離せ! ……離せ…っ…!」
 右手首をひねり上げられ、銀筆を握っていられなかった。指先から転がり落ちた銀筆を必死に追うが、押さえつけられた身体も右手も、全く動かせない。
「いやだ……! いやなんだ。もう、こんな事……!」
 もう限界だった。武器も手に入れられず、こんな銀筆一本でこの男に敵うはずがない。無謀で愚かな行動だと分かっていても、耐えられなかった。この男の前だというのに、嗚咽を堪えきれなかった。
「こんなもので人を殺せるはずがないだろう」
 リュシオンの愚行を嘲笑するわけでもなく、なげやりな言い方だった。絨毯を掻くリュシオンの右手から遠ざけるように、銀筆を拾い上げ、投げ捨てる。
「黙ってお前の思い通りになんか、なれるはずがない! 僕に触るな! 触るな!」
 必死に嗚咽を堪えながら叫ぶ。身体なんかどうなってもいいと思っていた。これもまた祖国を滅ぼした罰で、耐えなければならないものだと思っていた。
 グレイアスは深いため息をついて、身体を起こす。
「許してもらおうとも、許しを請おうとも思っていない。……それから、今は死ぬわけにはいかないんだ」
 グレイアスはリュシオンを押さえつけたまま、テーブルの錫の酒器を取り、口をつける。そのまままだ嗚咽を堪えながらあがくリュシオンに、唇を寄せた。
 流し込まれた液体に、リュシオンは小さく噎せる。グレイアスはリュシオンの顎を押さえつけ、再び酒を含み、リュシオンの唇に流し込む。
「やめ……っ……!」
 舌でこじ開けられ無理矢理流し込まれ、リュシオンの口角から葡萄色の雫が零れ落ちる。飲みつけない酒は興奮して高ぶったリュシオンを、簡単に酔わせた。
「今はな。……時が来たら、お前の望むように、私を殺せばいい」
 今は死ぬわけにはいかない。
 今は? という疑問をリュシオンが口にする前に、再びグレイアスの唇が触れ、酒を流し込まれた。
 咽頭が焼けるようだった。すぐに酒はリュシオンの意識を奪いにかかる。疑問は言葉にできなかった。
 再びグレイアスの唇が触れた。
 柔らかく口付け、甘く噛みつかれて、リュシオンはかすむ意識の中で、思う。
 何故、道具でいさせてくれないのか。
 物のように、道具のように扱って欲しかった。
 無理矢理身体を開かれて、押し入られて、揺すり上げられた方がいい。口付けも愛撫もいらない。ただ欲望を吐き出す道具でいたかった。
 愚かな身体も心も、簡単に欺かれる。ありもしない事を考えてしまう。
 身体なら幾らでも奪えばいい。心だけは触れられたくなかった。あんな愛撫もいらない。優しさもいらない。
 この男に、何度欺かれたなら許されるというのか。



2018/05/13 up

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