騎士の贖罪

#19 机上の戦争

 心臓がばくばくと早鐘を打つ。リュシオンは冷静になろうと必死だった。
 恐れていては何も始まらない。この王子が何を考えて、何を企んでいるか全く分からないが、臆したところでどうにかなるものでもない。
「そういえば、この屋敷に来てから君の声も聞いていないような。……返事を聞いた事がない。まあ君にとって私もグレイアスも許せない存在だろうけど、今はいがみ合っても仕方ないし、お茶くらいは一緒に飲んでもいいじゃないか」
 ユリエルは機嫌も良さそうに、まるで当たり前のように、普通にお茶を楽しむかのような雰囲気だ。リュシオンもこの男にむやみに逆らおうと思っているわけではない。何を話せばいいのか、何を言えばいいのか、全く思いつかないだけだ。
「そうそう、肝心のこの間の話の続き。グレイアスの火傷の話をしようと言っていたね」
 本気か冗談か、からかっているのかすら、分からないような条件を出されたのを、リュシオンは思い出していた。グレイアスだけでなく、敵国の王子にまで身体や心を貪られるのだけは、耐えられない。
「その話なら」
「裸を見せろっていうのは冗談だから、本気にしないで欲しいな。そんな事をしたらグレイアスが暴れ出すんじゃないかな。うん、そっちの方が見てみたいような気もするけどね」
 ユリエルは手慣れた仕草で、二杯目のお茶をリュシオンのカップにも継ぎ足した。もう空になっている事にもリュシオンは気付かなかった。
「数年前のバジリカの戦役、あれの指揮を執ったのはグレイアスだったんだ。バジリカは複数の少数民族から成る国だけれど、山岳民族の強さが有名だね。小柄だが、高山の厳しい暮らしで鍛えられた身体は機敏で屈強だ。制圧までなかなかに苦労した」
 バジリカはクレティアから遠く離れた国だ。どんな暮らしぶりなのか、興味を持たずにいられなかった。この王子は人の気を引く話術に長けている。思わず聞き入ってしまう。
「クレティアのような君主制ではなく、各部族の部族長が集まってひとつの国になっている。バジリカ、と呼んでいるけれど、いうなればバジリカ連合国かな。なかなかにややこしい国なんだ。だから簡単に制圧したと言い切れなかった」
 この大陸は広い。クレティアなぞ一地方の小さな国だ。リュシオンはまだ見ぬ他国に興味を持たずにはいられなかった。
 どんな建物や人々、動物や植物が、どんな自然の中で暮らしているのか考えると、こんな時でもときめかずにいられない。
「まだ燻っているような状態で、グレイアスはバジリカの治安維持に勤しんでいた。何しろ連合国家だからね。各部族長によって地方の姿勢が全く違う。だからグレイアスは家族と一緒にバジリカに移り住み地方を巡っていたが、家族はバジリカの首都ヘリンに置き去りだった」
 グレイアスが今でも屋敷にあまり帰ってこない事を考えれば、バジリカでの暮らしぶりも容易に想像できる。アンネットとその母親は、ふたりで暮らしているようなものだったのかもしれない。そもそもこんな戦争ばかりしかける国の将軍ならば、遠征続きだ。
「首都ヘリンには帝国軍の駐留部隊もいたが、ある日、隙を突かれて屋敷と駐屯地を奇襲された。……君みたいなのがいたんだよ。バジリカを取り戻せなくとも、家族の敵を討ちたい一団がね」
 リュシオンはユリエルに、そんな血で血を洗う復讐が何を生み出すかと、問われているような気がしていた。アンネットに抱いた仄暗い気持ちを見透かされているのではないかとも思える。
「グレイアスが首都に帰り着いた時には、既に屋敷は業火に包まれていた。兵士達が止めるのも聞かずに飛び込んだグレイアスは、柱に下半身を押し潰された娘と、その娘に覆い被さり全身に大火傷を負った妻を見つけた。で、助け出そうとあがいているうちに、燃え落ちてきた梁から重傷の娘と妻を庇おうとして、あんな大火傷を負ったわけだ」
 国を滅ぼされ、家族を殺された者は、略奪者の家族を殺して復讐を遂げた。
 それは復讐と報復の終わらない連鎖になるだけかもしれない。終わりのない殺し合いを続けるだけかもしれない。それでも家族を殺された者や、故郷を焼き尽くされた者は、怒りを、憎しみを、悲しみを抱いたまま、どこにも行けない。前に進めない。
「そうなるとカルナスも報復、制裁をするしかないよね。まあ、仕方ないといえば仕方ない。誰もがそれぞれ、信じる正義があって、信念がある。だから戦争になるわけだしね」
「……あなたたちが攻め入らなければ起きなかった事だ」
 思わず口走ってしまう。そうだ。カルナスさえ攻め込んでこなければ、クレティアも、バジリカも、カルナスに侵された全ての国々も幸せに平和に暮らせたはずだ。
 そう吐き捨てられても、ユリエルは気分を害した様子はなかった。穏やかな表情のままだ。
「そう、それもまた、それぞれに信じる正義と信念だ」
「他国を滅ぼす正義なんてあるはずがない! 略奪する為の方便だ!」
 思わず椅子を蹴り倒して立ち上がり、そう叫ぶ。ユリエルはそれでも怒り出さなかった。
「カルナスの信じる道については、また別の日にでも。……さあ、座って。今日は約束通り、グレイアスの話をしよう」
 リュシオンはユリエルの掌で踊らされているような気がしてならなかった。
 確かにリュシオンはユリエルに比べれば、まだまだ未熟な若輩者だ。この狡猾な男に、いいようにあしらわれているのも分かっている。
 怒りや憎しみを忘れたつもりはないが、この男の話に興味を引かれずにいられないのもまた、事実だった。
「グレイアスの妻は、私の父……ロデリック王が選んだ女性だったんだ。家柄も血筋もいい、生粋のお姫様で、しかも代々優秀な将軍や騎士を輩出した名家の出身。将軍のふさわしい妻になるべく、厳しく育てられた、それはそれは美しい人だったよ。グレイアスにとっては理想の妻だったんじゃないかな」
 今ここで、グレイアスの妻の話をリュシオンに聞かせて、どうするというのか。
 グレイアスの妻に負い目を感じろとでも言いたいのか。望まないこの状態を、詫びろとでも言うのか。ユリエルへの恐れを忘れるくらいに、リュシオンは苛立っていた。
「家に寄りつきもせず、遠征ばかりで戦いに明け暮れる夫に文句も言わず、黙々と子供を育て、家を守り、最期は子供を守って死ぬような、将軍の妻として理想の女だ。……グレイアスは」
 ユリエルは壁に立てかけられたリュシオンの絵に視線を移す。言いかけたまま、暫くその、まだ未完成のクレティアの森をじっと見つめていた。
「顧みもしなかった妻の死を、どう思っているのかな……」
 重い沈黙の中、突然、ぱたぱたと廊下を駆ける軽い足音が響いた。足音の主は酷く慌てながら、鍵を開けて部屋に飛び込んできた。
「やっぱり、ユリエル様! 勝手に入っては、だめです! 私が怒られちゃいます!」
 学校に行く時の服装のままの、ジーナだった。まだ片手には通学用のバスケットを下げていて、ぜいぜいと荒い息をついている。
「おかえり、ジーナ。ねえ、バジリカチャイを淹れて欲しいな。リュシオン王子はまだあのおいしさを味わった事がないようだし、この林檎のクッキーにはやっぱりバジリカチャイがなきゃ」
 ユリエルは親しげに笑顔でジーナに話しかける。ジーナはユリエルによく慣れているのか、少しも臆する事なく文句を言う。
「私がグレイアス様に叱られちゃいます! もう、今度から、私が帰ってくるまで絶対、待ってて下さいね、絶対ですよ!」
 何をグレイアスと約束しているのかよく分からないが、とにかくジーナを待たなかった事に大変怒っているようだ。
「ごめんごめん。何も悪い事してないのに、グレイアスもジーナも酷いな。……帰ってきたばかりのところで申し訳ないけど、チャイを頼むよ。今度からジーナの言う事ちゃんと聞くから」
「絶対ですよ! いつもユリエル様は、ちーっとも約束を守って下さらないんだから!」
 そこでやっとジーナはリュシオンに挨拶をしていない事を思い出したようだった。はっとしたような顔をして、慌ててリュシオンに向き直る。
「リュシオン様、挨拶もせずにごめんなさい。ただいま戻りました。……ええと、バリジカチャイですよね。お任せ下さい! すぐに作って参りますね!」



 ジーナのおかげで、すっかり毒気を抜かれてしまった。
 結局、あの後話の続きはなかった。ジーナが淹れてくれたバジリカチャイを三人で飲む事になって、そのまま何事もなかったかのように、ユリエルは帰って行った。帰ったわけではなさそうだ。おそらくはアンネットの見舞いに向かったのだろう。
「いかがでしたか、バジリカチャイのお味は。バジリカでは、チャイを上手に淹れられるようになったら、一人前だって言われるくらい、大事なお茶なんですよ」
 ジーナはにこにこ笑顔でティーテーブルの後片付けをしている。
 占領地であるバジリカの文化や話題を、ユリエルは決して否定しなかった。それどころか、褒めてさえ、いた。大国の驕りを見せつけるわけでもなく、重んじているかのような口調だった。
「香辛料がたっぷり効いたミルクティなんて初めてだったけれど、とてもおいしかったよ。甘いお菓子によく合うね」
「そうでしょう! このお茶は、ユリエル様もグレイアス様も褒めて下さるんですよ。とってもおいしいって!」
 ジーナは褒められてとても嬉しそうだ。今なら、聞きたかった事を自然に聞けるチャンスだ。リュシオンは穏やかにジーナに尋ねる。
「ジーナはバジリカの出身なのかい?」
「そうです。バジリカの、山岳地方です。サファ族っていう少数部族の出身です。……すごく険しい山だけれど、とってもとっても綺麗なところなんですよ」
 バジリカの山岳地方。ユリエルの言っていた『小柄だが屈強な戦士』と言われていた部族だろうか。そこまで踏み込んでもいいのか、リュシオンは逡巡する。
「私、このお屋敷で一生懸命働いて、お金を貯めて、いつか故郷に帰るのです。もうバジリカという国はなくなってしまったけれど、故郷の山も森も、まだ残っているから」
 ジーナの声には、怒りも憎しみもない。ただ静かな悲しみと、故郷への深い愛情だけが感じられた。
 リュシオンはそれが不思議でならなかった。
 ジーナの故郷を滅ぼしたのはカルナスで、その戦の指揮を執ったのはグレイアスだ。そのグレイアスを何故憎まずに、こんなにも敬愛し、尽くすのか。
 ジーナは決して愚かな娘ではない。豊かな暮らしに恵まれても贅沢に染まる事なく、故郷の山に帰る日を夢見ている。それなら、何故。
「……ジーナ。教えて欲しいんだ。どうして君は……」


2018/06/03 up

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