騎士の贖罪

#20 サファの裏切り者

 いつでも屈託なく明るく笑えるジーナが不思議でならなかった。
「カルナスが憎くないのか? 故郷を滅ぼしたのはレクセンテール将軍だろう? ……すまない。責めるつもりではないんだ。君に、バジリカに、何があったのか教えて欲しいんだ」
 ジーナは片付けの手を止めて俯き、考え込んでいるようだった。少しの沈黙の後、口を開く。
「……何からお話したらいいのか、とても難しいです。……私の故郷は山岳地方なので、直接カルナスに攻められる事がなくて、戦争が終わるまで、あまり影響がなかったんです」
 昔、地図で見たバジリカの地形を思い返す。カルナスから攻め入ると、ジーナの言う山岳地方は奥地だ。そこまで攻めずとも首都は落とせる。
「戦が終わった後に、首都にあったカルナスの駐屯地や偉い人達のお屋敷を、バジリカの兵士達が襲いました。皆、敵を討ちたかったんです。……故郷を滅ぼされて、家族を殺されて、皆、悲しみや怒りを、耐えきれなかったんだと思います……」
 その気持ちはリュシオンも痛いほど、分かる。そんな事をしても亡くなった人々は帰ってこない。それが分かっていても、怒りや悲しみの行き場は他にどこにもない。
「カルナスはすぐに報復に出ました。……私の部族……サファ族の兵士が実行部隊の幹部だったので、山岳のサファ地方も制裁に焼き払われました」
 ジーナは淡々と語り続ける。いつも明るさはなりを潜め、ジーナを別人のように見せる。いつもの少女のジーナではなく、一人の女性であるジーナだ。
「逃げ遅れた私は、崩れた家の残骸に足を挟まれて、死にかけていました。すぐそこまで炎が来ていて、でも下敷きになった足はどうしても引き抜けなくて。……叫んでも、誰も助けに来てくれませんでした。遠くで逃げ遅れた人を助けようとする人達の声は、聞こえるんです。けれど誰も私に気付かなくて……。ううん。気付いていても、助けなきゃいけない人がたくさんいて、きっと手が足りなかったんだと思います」
 その時のジーナの絶望を考えると、言葉がない。
 軽い気持ちで彼女の過去を聞き出そうというつもりはなかった。それでも想像以上に重い過去を語らせてしまった事に、リュシオンは罪悪感を感じずにいられなかった。
「炎は私を押しつぶしていた残骸に燃え移っていました。熱くて痛くて、煙と熱で目がとても痛くて、開けていられなくて。もう逃げられない。このまま、生きたまま、焼け死んでしまうんだって、そんな時に、声がしたんです。目を開けられないけれど、すぐ近くで、声が」



「ここに、ここにいます! 足を挟まれてて、動けないの!」
 ジーナは必死で声を絞り出し、叫んだ。
「あなたは、味方の兵士さんですか? もう逃げられないので、どうか、とどめを刺して下さい。……痛くて、熱くて、このまま死ぬのは、怖いです。どうか、とどめを刺して下さい」
 生きたまま焼け死ぬより、今すぐ殺して欲しかった。苦しみ抜いて死ぬよりは、ひと思いに刺し殺して欲しかった。
 だが男は剣を抜く事なく、すぐにジーナの身体を埋める瓦礫を除け始めた。
「……味方だ。味方だから、安心するんだ。今、助けてやる」
 力強い声だった。ジーナは安堵のあまり、すぐには声がでなかった。もうこのまま死んでしまうのだと諦めていたのに、助けが来た。煙で痛む目からは、止めようがないくらいに涙が溢れ出していた。
「ごめんなさい。……ごめんなさい。熱いでしょう、早く逃げなきゃ、あなたまで危ないのに」
「心配はいらない。大丈夫だ。だから落ち着いて、煙を吸わないようにするんだ。目を開けてはだめだ。煙と炎で痛めてしまう」
 男はなんとかジーナの身体を残骸から引き出し、自分の纏っていたマントで彼女を包んで、炎の中、村の外へと駆け出した。降りかかる火の粉を払いながら、男はジーナを守るように抱きかかえて走り続ける。
 ジーナは火傷の痛みと安堵で薄れゆく意識の中で、気付き始めていた。
 この人はバジリカの人ではない。カルナスの人間だ。
 バジリカの言葉であったが、ほんの少し、ぎこちなく、訛りがあった。今身体に触れているこのマントの生地も、バジリカのものではない。カルナスの織物ではないのか。



 ジーナを助けたのが誰なのか、聞くまでもない。
 瓦礫に押しつぶされた瀕死の異民族の少女が、自分の娘と重なって見えたのか。だからジーナが妻子の仇の一族の人間だと分かっていても、捨て置けなかったのか。
「……どうしてグレイアス様が、敵の、自分のお屋敷を襲った部族の娘である私を助けてくれたのか、あの時、私には分かりませんでした」
 ジーナはリュシオンの目の前に立つと、自分のスカートをたくし上げる。膝上まで晒された華奢な両足から、リュシオンは慌てて目を逸らそうとして、気付いた。
 短めの革のブーツから晒された脛から膝頭まで、両足を焼け爛れた痕が覆っていた。アンネットのあの大きな傷跡よりは小さい。それでも決して軽い火傷でも、小さな火傷でもない。
 思わずリュシオンは小さく息を飲む。
「……グレイアス様には、小さなお嬢様がいらっしゃるんです。バジリカのお屋敷を襲われた時に、奥様は亡くなって、お嬢様は私と同じように、倒れた家財で逃げられずに、両足に大怪我をしました。……まだお小さいのに、もう二度と歩けない身体になってしまいました」
 ジーナはたくし上げていたスカートを下ろし、乱れたエプロンとスカートを整える。
「カルナスは制裁の為にサファ地方を襲いました。グレイアス様はカルナスの将軍で、バジリカ支配の責任者で、勿論その襲撃もグレイアス様が指揮なさっています。カルナスが襲ってこなければ、私がこんな風に怪我をする事も、両親と兄が戦死する事も、村が焼き払われる事もなかったと、私も思っています」
 その通りではある。だが、それだけでは片付けられないと、リュシオンも分かっていた。
「グレイアス様のお屋敷だけでなく、他の軍の偉い人達のお屋敷も、駐屯地も、焼き討ちされました。……バリジカの人達がカルナスの人達を許せなかったように、カルナスの人達もサファ族を許せなかったはずです。グレイアス様の奥様を殺して、お嬢様に大怪我を負わせたのはサファ族です。……でも、助けてくれました。グレイアス様は、憎いサファの娘である私を、自分の身の危険も顧みずに、助けて下さったんです……」
 それまで気丈に淡々と語っていたジーナの声が、微かに震え始めていた。
「あの時、グレイアス様は『味方だ』って言って下さったんです。……私、難しい事は分からないです。何が正しくて、何が悪い事か、もう、分からないです……。でも」
 スカートをきゅっと両の拳で握りしめ、ジーナはしっかりと語る。
「私は、グレイアス様を信じる事にしました。……私の事を、帝国に媚を売るサファの裏切り者だと言う人もいるかもしれません。……カルナスを信じるなんて言えないけど、憎くないなんて言えないけど、私はグレイアス様を信じます。あの火の海の中で『味方』だと言ってくれたんです。だから、私も、グレイアス様の『味方』なんです」
 ジーナは決して愚かな娘ではなかった。明るく陽気で、いつでも一生懸命な、優しい娘だ。
 リュシオンは想像以上のジーナの過去に、どんな言葉をかけていいのか分からなかった。それどころか、今の話をどう受け入れたらいいのか、混乱していた。
 あまりに重く辛く、難しく、何が正しいのか、何が悪いのか、ジーナだけでもなく、リュシオンも混乱せずにいられなかった。



 どんな言葉をかけて、ジーナを下がらせたのか思い出せなかった。
 リュシオンは再び一人になり、中庭へのポーチに座り込んで、ぼんやりと膝を抱えていた。
 どうしようもなく胸が重く塞ぎ、考え込まずにいられなかった。
 ジーナは『何が正しくて、何が悪い事なのか、分からない』と言っていたが、リュシオンも見失ってしまいそうだった。
 家族を顧みもせずに将軍として務めを果たし、妻を失い、幼い娘に消えない深い傷を負わせて、グレイアスは何を思ったのだろう。
『顧みもしなかった妻の死を、どう思っているのかな……』そう言っていたユリエルの声を思い返す。
 あれはグレイアスを責めているのでも、嘆いているでもなかった。今振り返ってみれば、やるせなさを感じさせるような気もしていた。
 バジリカ人はカルナスを許さなかった。行き場のない怒りを、悲しみを、憎しみを、カルナス人への報復で返した。
 そして家族を失い、傷付けられたカルナスは、バジリカ人へ同じように、報復する。怒りを、悲しみを、憎しみを、バジリカへと返す。
 ジーナはその憎悪と報復の連鎖を断ち切って、グレイアスを信じるというが、それを裏切りだと誹る気にはなれなかった。
『何が正しくて、何が悪い事か、もう、分からないです……』
 ジーナの震える声が頭から離れなかった。



2018/06/06 up

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