騎士の贖罪

#28 伝えられない、分かり合えない

 今までどれだけ身体を繋げただろうか。
 言葉なんか数えるほどしか交わしていない。身体だけが幾度も深く繋がっただけで、なにひとつ、お互いを知る事はなかった。どんなに身体を重ねても、理解し合う事なく、近付く事もなかった。
 ポーチに置いた画架の前に座り、絵筆を握ったままぼんやりと空を見上げ、リュシオンは思い返す。
 リュシオンが目を覚ましたのはまだ夜も明けきらない薄闇の時間だったが、グレイアスはもう身支度を調え、立ち去ろうとしているところだった。
「……すまなかった。もう二度とこんな真似はしない」
 重く口調でそう言ったグレイアスは、振り返る事なく部屋を出て行ってしまった。
 リュシオンは立ち去るグレイアスにかける言葉が浮かばなかった。何をどう言えばいいのか、それどころか、自分がどうしたいのか、グレイアスをどう思っているのか、言葉にする事さえできなかった。
 今まではずっと一方的な行為だった。強いられて行われていた事だ。けれど夕べは違った。リュシオンが自分から望んだ事だった。決して今までのような、『愛玩物の仕事』ではなかった。それはグレイアスにも伝わっていたと思いたかった。
 身体だけではなにひとつ伝えられない。分かり合えない。そう分かっていても、語る言葉が浮かばなかった。
 全てを忘れるなんてできるはずがない。
 おそらくは一生、グレイアスを心から許す事はできないだろう。それでも、もう何も知らなかった頃には戻れない。
 クレティアを裏切る事だと分かっていながら、それでももう憎み続ける事はできない。これがどんな感情なのか、考えたくなかった。認めてしまう事が怖かった。
 この気持ちが憐憫なのか同情なのか、それすらももう分からない。そんな言葉で片付けられたなら、まだ割り切れたのではとさえ、思えた。
「大変な騒ぎだったようだね。この屋敷の兵士は手練ればかりだというのに、バジリカ人は恐ろしいな」
 不意に声をかけられ、慌ててリュシオンは辺りを見渡す。いつも気配すら感じさせないカルナスの王子は、やはりいつものように優美な笑顔を見せながら、石壁のアーチをくぐり抜け、中庭に足を踏み入れたところだった。
「アンネットはひどく弱っているね……。今、見舞ってきたが、疲れさせたくないからすぐに引き上げてきたよ。幼い子供には負担が大きすぎた。我々の失策だと言わざるを得ない」
 ユリエルのこのまったく読めない言動も、ある意味慣れてきてしまった。こういう男だと分かっていれば、必要以上に恐れずにすむ。
「ジーナもひどい怪我を負っているが………君がいなければ、アンネットもジーナも、どうなっていたか。私からも礼を言うよ」
 相変わらず、酷薄なのか優しいのか分からない。けれどこれは本心から言っているだろう。そこまでこの男が冷酷だとは思っていない。クラーツと同じように、アンネットやジーナに向ける目は、慈愛に満ちている。
「君も不自由な足を痛めたと聞いているが、まだ腫れたままかな」
「……ああ、暫くは杖がなければ歩けそうにないです」
 左足の腫れはなかなか引かなかった。普段なら引き摺りながら杖なしで歩けたが、今は杖がなければ歩けない。思えば、この足でよくあの時走れたものだ。
「腫れはそのうちひくだろうけれど……足は不自由なままか。……クラーツも、これ以上は治しようがないと言っていたな」
 画架の傍にあるティーテーブルの椅子に腰掛け、ユリエルは描きかけの絵を覗き込む。
「それもまた我が国の責任だ。それも詫びなければならないな。……父上も私も、占領地での略奪や暴行を厳しく禁じているが、なかなか守られない。厳しい罰則を持ってしても、破る者はどうしても出てくる」
「……略奪を禁じる?」
 どこの国も、勝てば略奪や暴行を行うものだと思っていた。特にカルナスはいい噂を聞かなかったが、全て伝聞だ。ユリエルの言う、時々現れる軍紀を守らぬ者の行いが伝わっているだけだとでも言うのだろうか。
 リュシオンの不審そうな顔に気付いたのか、ユリエルは小さく笑う。
「そうだよ。我が国では、占領地での蛮行に厳しい罰を与えている。場合によっては打ち首に処する事もある。……だいたい、そんな事をしていたら余計に反感を買うだろう? 占領地をうまく治めるには治安維持だよ。まずは我々が略奪者ではない事を示さなければね」
 それならば、あのクレティア陥落の夜にリュシオンに暴行を働いた者達はどうなったのか。ユリエルはそれにも気付いたのか、話を続けた。
「クレティアで君を襲った首謀者は打ち首に、君の足の骨を砕いた者達は流罪になったよ。仮にも『盾の一族』の王子に暴行を働いた愚か者どもだからね。見せしめに厳しく処したが、それでもまた出るのだろうなあ。……人は簡単に驕ってしまうものだからね」
 カルナス帝国が巨大な植民地支配を維持できているのは、極力反乱を抑える為にこういった厳しい軍紀を設けているからか。
 それは納得できた。統治する上でどれだけ反乱を押さえ込めるかは重要だ。この大陸に何十年も君臨し続ける為に、律して来なければならなかっだろう。
 クレティアを攻め落とした時も、ユリエルは言っていた。これが一番、民間人の犠牲が少ない方法だと。犠牲を最小限にして制圧する。略奪行為を許さない事も、犠牲を押さえる作戦も、憎しみを増やさない為の戦略だ。悔しいが、カルナスはこの大陸に君臨し続けるだけの戦略を持っている。
「略奪者ではないというなら、カルナスの目的は一体何だと?」
 今は怒りや憎しみよりも、純粋な興味が勝った。カルナスが何を目的にこの大陸の制覇を目指しているのか。略奪が目的ではないなら、何だというのか。
「ああ、いつかその話をしようと言って、すっかり忘れていたね。……昔話になるけれど、カルナスは豊かな国で、周りの国から支援を頼まれる事が多かった。中には食い詰めた国もあるからね。カルナスは広い国土のおかげで、干ばつや自然災害に見舞われても、どこかの地方は無事だという事がよくあった」
 古くからカルナスは大国だったのはリュシオンも知っている。ロデリック王の前、先代のカルナス王の代から他国への侵略が強化されていった。ではそのきっかけは何だったのか。
「カルナスを頼る貧しい国は増えていく。そうなると、カルナスだけなら回っていた経済も食料も、陰りが見え始める。ならば他国にも協力を求めよう、と要請するが、手を貸すのを拒む国もあった。他国なぞどうなろうが知った事ではない、という国は多い。それが悪いとは、私も思わないよ。考え方が違う、どちらにも正義がある。……ならば最後は力で解決だ。自分の主張を通す為にね」
 それが正しいのか正しくないのか、それはもう無関係だ。勝者が正義になる。あまたの歴史がそれを証明している。
「まあ、そんな綺麗事を言っても、君のように戦利品や戦土産としてやりとりされる人間や、こっそり取引される美術品や財宝もあるから、カルナスが絶対の正義だなんて私も言わないよ。多少は汚い面もある」
 その戦土産としてやりとりされ、性処理の為の愛玩物として生かされているリュシオンを、この大国の王子は決して蔑まない。こうしてまるで対等であるかのように扱い、話す。
「最終的にカルナスの目的はこの大陸の統一だね。勿論、崇高な理想だけで動いてるとも言わないよ。そんな綺麗事、君も信じないだろう?」
 目の前で、美しい顔が笑みを作る。リュシオンはそのユリエルの笑みを見つめながら、思う。
 軽薄そうに見えて、この男は少しも隙がない。何を考え、何を企んでいるのか、まるで予測が付かない。
「欲しいものを手に入れる為に、国も人も動く。欲望こそが人を強くするんだよ。……さて。そろそろ行こうか」
 どこへ、という疑問は、浮かばなかった。この男はいつでも口にした言葉を実行してきた。
 ユリエルはティーテーブルの上にあった銀色の呼び鈴を取り上げ、高らかに鳴らす。すぐに控えの間の扉が開き、重い革靴の音が複数、部屋の中に響き渡った。
「……部下の愛人を寝取るような真似はしない、と言っていた」
 震える声でそう問うと、ユリエルは穏やかな笑みを浮かべたまま、責められたとは思わないようだった。
「もっとスマートな方法もあるからね。……約束しただろう、次回に、って」
 画架の前に座り込んだままのリュシオンを、騎士らしい男達が掴み、引き立てる。
 何故、という疑問は浮かばなかった。
 予告した通りに、ユリエルは実行するだけだ。
「君を取り上げたら、グレイアスはどうするだろうね。……とても楽しみだよ」
 逆らったところで逃げる場所もすべもない。そしてそんな囚われ人を誰が助けてくれるというのか。この男はカルナス帝国の第一王子で、カルナスの次の王だ。リュシオンに為す術はない。呆然と見上げるリュシオンに、ユリエルはいつものように、優美な笑みを見せる。



2018/07/11 up

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