てのひらにひとひらの花

#02 それでも、せめて最後は

 エルネストに奴隷を買う事を勧めたのは、父親だった。
 サクロナ王国の首都最大の海洋貿易商『ルベール商会』を営むこの父親は、とても人の良さそうな顔をしているが、良くも悪くも、商人だった。無駄な物に金を使わない男だ。
 エルネストは既にサクロナ首都の実家を離れ、地方都市エリンに住んでいた。これは父親の提案だった。静かで景色の良い地方都市での静養を勧めたのだ。
 子供の頃からエルネストに仕え、転居先のエリンでも仕えてくれたバルテルが高齢の為、隠居する事になり、それで新しい従者を雇わなければならなかった。
 そこで父親が提案したのは『奴隷を購入する』事だった。
 多忙な父親がわざわざエリンまで来る事はない。この件も、月に数回送られてくる仕送りの荷物と一緒に手紙が送られてきた。
『家事のできる若い女の奴隷を何人か買って、身の回りの事をさせた方が、今後何かと役にたち、都合がいいだろう』
 父親からの手紙にはそう書かれていた。
 健康だった頃のエルネストを知る実家の従者たちに、今の姿を見られたくなかった。その従者たちに憐れみや同情の目で見られるくらいなら、見ず知らずの奴隷を使う方が、まだましではあった。
 父もエルネストの心情を考えての提案だったのかもしれないが、エルネストは『もうお前は結婚なぞできない身体だ。妻を娶る代わりに、奴隷を持て。お前を相手にするような女はいない』そう言われているような気がしてならなかった。
 その通りだ。金で買った女にしか相手にされないくらい、今の自分はみじめな存在だと、エルネストは悲観せずにいられなかった。

 父親譲りの黒髪と青い瞳は、母親譲りの端正な美貌を更に魅力的に引き立てた。エルネストは優美な容姿だけではなく、才知にも恵まれていた。
 家業を継ぐ事は、エルネストの夢でもあった。巨大な商船隊を操り、様々な国を巡る。苦難も勿論ある。死の危険もある。それでも見た事もない国や人、美術品や特産品、遺跡や自然に出会えるこの仕事は、エルネストの憧れだった。
 いつか世界を相手に商う為に、勉学も人並み以上に努力し、十五歳にして三カ国語を話す事ができた。両親にも周りの人々にも愛され、自信に満ちあふれた人生だった。
 将来はルベール商会を継ぎ、良家の美しい妻を娶り、世界を股にかける首都の大商人として生きていくのだと疑いもせず、信じていた。そうなる未来しか考えられなかった。そんな華やかな未来が当然やってくるはずだった。
 十五歳の時に落馬事故に遭うまでは、疑いもせず信じていた。
 突然起きた不運な事故で、エルネストは一命を取り留めたものの、右足に重い麻痺が残った。
 あれから五年が経ち、今年二十歳になろうとしているのに、麻痺した足は元に戻る気配がまるでなかった。杖がなければ歩くことさえできず、変わらずに不自由なままだった。
 エルネストは跡継ぎから外された。
 跡継ぎなら他にも優秀な弟たちがいる。杖がなければ歩けないようなエルネストを、あえて跡継ぎにする理由はなかった。
 海洋貿易を主体にしているのに、船にも乗れず買い付けの旅にも出られないエルネストに継がせなければならない理由なぞ、ない。
 地方都市エリンへの転居は父の提案だったが、エルネストは厄介払いされたと思っていた。だが、父親はこれで本当に、エルネストの将来を考えてくれたのかもしれない。
 首都に住み続けながら、華やかに活躍する弟たちの姿を見せつけられるのは、跡継ぎとして育てられたエルネストにとって、耐えがたい事だったのではないだろうか。



「これはこれは、ルベール様の坊ちゃま。お待ちしておりました」
 にこやかな表情で現れた恰幅のいい男は、大変な歓迎ぶりだった。サクロナ王国最大の貿易商の息子だ。いい買い物をしてくれるだろうと、期待に満ち溢れている。
「ルベール様から承っております。本日は坊ちゃまにふさわしい、見目麗しい娘を取り揃えておりますよ」
 坊ちゃま、という呼ばれ方にたまらなく嫌悪感を持つが、二度とこんな奴隷商の店なぞ立ち入る事はない。好きに呼ばせておけばいいとエルネストは思った。
「こちらの椅子にどうぞ」
 店主に促されるまま、杖を頼りに重い右足を引き摺りながら歩き、椅子に座る。
 この店への道すがら、奴隷市場の中を馬車で通り抜けてきたが、イメージしていた『奴隷市場』よりは数段衛生的で、汚らしい場所ではなかった。並んでいるものが違えば、街の市場とそう代わりはない。
 市場に並ぶ店の前には堂々と巨大な檻が置かれ、中には子供も大人も詰め込まれていた。木造の乱雑な造りの檻も、鉄製の頑丈な檻もある。
 まるで商店の商品のように、値札らしきものがつけられているものもあった。いや、確かに商店だ。扱っている商品が牛や豚、野菜や果物などではなく、人間なだけだ。
 首都の屋敷にも奴隷はいたが、身近な存在ではなかった。皆、下働きの下級使用人のような扱いで、傍に仕えるようなものではなかった。遠い存在だった。
 市場に並ぶ閉じ込められた奴隷たちは、皆一様に虚ろな目をし、力なくうなだれ、薄汚れたボロを纏い、まるで亡者のようだった。奴隷を見慣れていない者にとって、あまり気分のいい光景ではない。
 父親が懇意にしていると言っていたこの店は、市場の雑多な店に比べ、数段小綺麗な店構えだった。もしかしたらそういった性的な要望に応えられる『品揃え』を主体にしている店なのかもしれない。内装も高級感があり、香まで焚きしめていた。
「選りすぐりの商品を取りそろえておりますよ」
 店主は満面の笑みで饒舌に話し続けるが、少しも興味が持てなかった。エルネストは投げやりな気持ちで店主の話を聞き流し、早くこの場から立ち去りたいとそればかり考えていた。
 ぼんやりと聞き流していたエルネストの前に、鎖で繋がれた十数人の娘たちが引き出される。
 小綺麗な装いに薄化粧を施された娘たちは揃って不安そうな表情のまま、目の前に並ぶ。甘い香りを漂わせる娘たちは皆、暗く押し黙ったままだ。
 そんな重く沈んだ娘たちとは対照的に、店主は自慢げに『商品説明』を始めた。
「お勧めは、こちらのルルシャ人の娘です。まだ十六歳で、正真正銘、生娘です。美貌なだけではなく、大変大人しい気性で、それに文字の読み書きもできます。どうやらルルシャの貴族の娘だったようで、立ち居振る舞いにもとても気品がございますよ。……それから、こちらの黒髪の。こちらは流民狩りで先日集められたばかりですが、歌と踊りが非常にうまく……」
 ルルシャ王国は何年か前に敗戦し滅んで以来、こうして奴隷として国民が売りさばかれている。奴隷はそういった敗戦国の民か、流民か、もしくは奴隷が産んだ子供か、どれかだった。自ら買った事がなくとも、それくらいはエルネストも知っている。
 全く興味が持てないエルネストは奴隷商の商品説明に適当な相づちを打ちながら、店の中を見渡していた。
 欲しくもない女奴隷を適当に買って帰れば、それで用事は済む。
 見た目はどうでもいい。老齢のバルテルの代わりに働けて、そこそこ気立てのいい娘がいるなら、それを買って帰ればいい。
 そんな事を考えながら、もう二度と立ち入る事がないであろう奴隷商の店内を眺めていた。鑑賞に耐えるような、華美な装飾品はさほどない。豊かな貿易商の家に生まれたエルネストにとってはさほど珍しくもない異国の家具や美術品が少々と、空の檻がふたつほどあるくらいで、他の『商品』は店の奥にでもしまわれているのかもしれない。奥へと通じる廊下があった。
 店内に、エルネストが興味が持てるものは何もなさそうだった。
『商品』を熱心に説明する奴隷商に、もう説明はいい、と声をかけようとして、エルネストは気付いた。
 店の隅、重いカーテンの影に、みすぼらしい木造の檻が見えた。ささくれだった木と枝で組まれた、乱雑な檻だ。
 エルネストの座っている場所からは、檻の一部分しか見えない。
 その檻の中に、みすぼらしく痩せた、細い足が見えた。薄汚れ垢じみた、小さな足だった。どう見ても、子供の足だ。
 思わずエルネストは椅子から立ち上がり、杖を取りよろよろと足を引き摺りながら踏みだした。重いベルベットのカーテンをめくると、そこには小さな檻があった。家畜を取り引きする檻くらいの大きさだ。
 檻の中には、痩せ細った小さな子供がぼろ布に包まり、横たわっていた。猫のように背を丸め、目を閉じ、がたがたと震えている。汚れた青白い手足とは裏腹に、頬は真っ赤だった。
 エルネストは言葉に詰まる。豊かな家庭で育った彼にとって、衝撃的な光景だった。
 こんな痩せこけた病気の子供を見たのは、初めてだった。ぼろ布に包みきれない手足には、変色した殴打の痕がある。今まさに、命の火が消えようとしていた。



 何故、こんな死にかけた子供を買ってしまったのか、自分でも分からない。
 エルネストが病気の奴隷を連れ帰ると、出迎えたバルテルは心底驚き、呆れたようだった。
「何もこんな、死にかけた奴隷を買わなくとも……」
「できる限りでいい。手当してやってくれ」
 バルテルに言われるまでもなく、自分でも何をやっているんだ、とエルネストも思っていた。
 子供はひどい高熱で痩せ細っている以外に、怪我も負っていた。見えていた手足だけではなく、背中や腹にまで、痣や擦り傷があった。汚れた身体を拭いてやり、傷の手当てをしベッドに寝かせるまで、エルネストはできる限りバルテルを手伝った。
 最初呆れていたバルテルも、落馬事故以来、閉じこもり無気力だったエルネストが自分から行動しているのに気付き、何も言わずに子供の手当をしてくれた。
 後先をまるで考えない行動を取ってしまったが、手当が済んで一段落つくと、エルネストもやっと冷静に考えられるようになっていた。
 この子供が、生きて明日の朝を迎えられるかは分からない。
 今、してやれる事は、高熱の身体を冷やしてやり、水分を取らせ、よく眠らせるくらいか。今更手を尽くしても、もうこの子はそう長くは生きられないだろう。
 もう助からなくとも、冷たい檻の中で、誰にも顧みられずに息を引き取るよりも、清潔なベッドで安らかに、人として息を引き取る方がいいだろう。
 エルネストは自分から進んでバルテルに手当の仕方を教わり、子供に付き添っていた。
 今までこんな、誰かの世話をしたことなぞなかった。かしずかれるのが当然の生活だった。
 こまめに子供の汗を拭い、冷たい水で絞った布を額に乗せ、冷やしてやる。乾いた唇に水を含ませた布を押し付けてやっても、子供はあまり水を飲み下せないようだった。
 何故、こんな死にかけた奴隷を買ってしまったのか。
 奴隷商が言っていた。この子は流民で、一度は売れたもののすぐに病気になり、店に返された不良品だと。
 エルネストが望んで不自由な身体になったわけではないように、この子も望んで病になったわけではない。
 善人のつもりはない。自分が優しい人間だとも思っていない。善行をするつもりもなかった。
 それでも、せめて最後は、あんな檻の中ではなく、明るく清潔な場所で眠りにつかせてやりたいと思ったのだ。


2020/12/17 up

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