人外×メイド♂

#03 人でも魔物でもないもの

 母親はおそらく、どこかの国の騎士だったと思われる。
 彼女が遺した武具のいくつかに、騎士団のエンブレムらしき物が刻まれていた。
 そんな騎士団にいたような騎士が、なぜ魔物の子を産み落としたのか。魔物の討伐に失敗し孕んだのか、それとも魔物と心を通わせたのか、その辺りの事情は彼女が亡くなってしまった今となっては、知りようがなかった。
 母国にいた頃に彼を産み落とし追われて逃げてきたのか、それとも山奥の廃屋に辿り着いてから彼を産んだのか、その辺りさえ分からない。
 そして母は、正気ではなかったと思う。
 自分が産んだ異形の子を、まるで人間の子供のように育てていた。だから彼も、自分は人間なのだとずっと信じていた。
 だが日増しに成長していく自分の姿が母とはまるで違う姿だと気付くまで、そう時間はかからなかった。
 鏡に映る姿は、美しい母とは比べようがないくらいに、醜かった。明らかに人ではない。そして、魔物でもない。だが母は、そんなおぞましい異形の我が子を慈しみ、愛し、守り育てていた。
『私のぼうや』と口にするとき、彼女はいつも幸せいっぱいの笑顔をみせていた。
 彼女がどこから正気を失っていたのかは分からない。魔物と交わった時からか、魔物の子を孕んだと知った時か、人でも魔物でもない子を産み落とした時か。
 時折、隠れ住む廃屋へ『獲物』や『エサ』を求めてやってくる魔物や『賞金稼ぎ』と思われるハンターらしき人間が現れたが、母は当然のように武具を纏い、母子の暮らしを脅かす全てのものを返り討ちにしていた。
 人間たちの目当ては『魔物の討伐』だが、魔物の目当ては人間である母だけではなかった。『人でも魔物でもない、半人半魔の子供』もエサであり、敵だった。
 人間にも魔物にもなれない自分は、人間の世界にも魔物の世界にも拒まれていると、思い知らされていた。
 今振り返ってみれば、母は騎士としてなかなかの腕を持っていた。一度たりとも魔物にも人間にも負けたことがなかった。生半可な魔物やハンターでは、彼女に髪の一筋も傷を負わせる事ができなかった。
 だが強さも美しさも、いつかは枯れるものだ。
 母が衰えはじめるのと入れ替わりに、彼は大人へと成長していく。ある程度成長してからは、母の代わりに彼が自ら母と棲み処を守った。
 日増しに彼が成長していくごとに、母は老い、弱り、小さくなっていった。まるで大輪に咲き誇る花がしぼむように、枯れていった。
 母は彼に名前をつけなかった。死ぬまで『私のぼうや』と呼び続けていた。彼女の中で彼は最後まで、庇護すべき小さな赤子のままだった。
 もしも彼女が正気だったなら、どんな名前をつけてくれただろう。
 名無しの半人半魔は、時々、与えられなかった名前を想像してみる。



 置き去りにされた棺桶を眺めながら、彼は思い悩んでいた。
 撫子は『棺桶の蓋を開けて数日放っておくと、目覚めます。ただ餓死寸前で眠らせたので、起きたら食べ物を与えてください。即日お役に立ちますと言いましたが、健康状態次第ですね。若いので数日食事を与えればすぐピチピチ元気に働いてくれますよ。そうでした、クーリングオフの期間は、この子が目覚めてから開始にいたしますよ』
 ダーダネルス百貨店は何かと誇大広告が多いんじゃないか?
 即日使用可は嘘だったし、メイドだけど男だし、なんだかうやむやのうちに買わされたし。
 だが、考えてみれば覚悟を決める猶予になったかもしれない。
 撫子が『目覚めてからの食事ですが、このように大変お腹に優しく消化もよろしいパン粥セット、ミルク粥セットがございます! 人間用の食事は人間を飼うお客様からのニーズがあるので、各種取りそろえております!』と言って売りつけていったセットがあるので、棺桶を置いた部屋にメモでもつけて置いておけば、勝手に食べるだろう。
 餓死寸前から目覚めるなりおぞましい化け物と対面するのは、いくらなんでもこのメイドが憐れだと思えた。
 撫子は『バンパイアに飼われていたので、魔物には慣れています』と言っていたが、獲物を魅了するような見目麗しい容貌を持つバンパイアと自分では、あまりに差が激しい。自分のおぞましさは自分がよく知っている。
 姿を見た途端に悲鳴を上げられて、嬉しいはずがない。半分人間で半分魔物は、厄介だ。人間のように傷つく心を持ってしまった。
 なりゆきでこのメイドを買ってしまったが、どうやって付き合えばいいのか。どうやってこの醜い姿に馴染んでもらえばいいのか。
 改めて、棺桶を覗き込む。
 目を閉じたままでも、この黒髪のメイドが美しい容貌を持っているのはよく分かる。美しいが、まだどこか幼さを面影に残していた。以前の主だったバンパイアが人間のまま飼い続けたのは、成長してから眷属に加える為だったのだろうか。
 いや、それよりもなぜ、少年をメイドとして育てていたのか?
 よく分からないがバンパイアは非常に美意識が高く独自の価値観を持っているというので、常識では考えられない独自の退廃的な美意識からだろうか。その辺りの価値観は全く分からないしデカダン趣味にも理解が及ばないが、美貌の少年にメイド服という倒錯的な意図は分からないでもなかった。残念ながら平凡な価値観と低い美意識しか持ち合わせていないので、分かったような分からないような、程度の理解だが。
 そういう美意識で育てられたこのメイドとうまくやれるような容貌ではない自分に、ますます絶望感を持たずにいられなかった。
 ただ事実、屋敷の切り盛りには困っていた。
 この大きすぎる体格ではあまり家事がうまくいかない。できないこともないが、うまくいかない方が多い。
 妖魔だろうが人間だろうがどんなメイドが来ても、この半人半魔のおぞましい姿に好感を持たれることはないのだから、この際このメイドでもいいのかもしれない。
 姿を見せなければいいのだ。
 このメイドに仕事をさせている間は、バンパイアのように日差しが苦手だとかなんとか言い訳をつけて、寝室に閉じこもっていればいい。
 メイドが寝付いてから活動しはじめても、別に問題はない。
 メイドが人恋しがるなら撫子でも呼びつけて適当に買い物させたついでに世間話をさせればいいだけだ。
 そうだ。
 屋敷の切り盛りをしてもらうだけでいいんだ。親しくなろうなんて思っていない。
 人にも魔物にもなれない中途半端な自分が、誰かと関わりを持とうなんて、身の程知らずにもほどがある。
 ふと、撫子の言葉を思い出す。
『幸せになれない子かもしれませんが、それでも幸せになれる可能性があるお屋敷にお譲りしたかったんです』
 なぜ、自分のような半人半魔に売り渡して、このメイドが幸せになれるかもしれないと思ったのだろう。
 ただ単に同情をかって売りつける為に言った、いい加減で適当な方便だったのだろうか。
 普段、一切私情を見せないダーダネルス百貨店の外商があんな顔を一瞬でも見せたのがあまりに意外で、つい信じてしまったような気がする。
 こんな大して強くもなく、醜いだけの半人半魔に売り渡すより、もっとマシな飼い主がいただろうに。
 そう思うとこのメイドが不憫に思えてしまうのに、なぜかすぐに返品しようとは思えなかった。
 彼も分かっていたのだ。
 ひとりぼっちで生きていけるような、そんな強さを持っていないことを。


2023/05/08 up

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