人外×メイド♂

#04 蜘蛛とメイド

 目覚めてすぐに視界に映ったのは、見覚えのない天井だった。
 棺桶の中で眠っている間にどれくらいの時間が流れたのかさっぱり分からないが、何日だろうと何年だろうと、何も変わらない。ただ仕える主人が替わるだけだ。
 棺桶が開かれたという事は、新しい主人に買われたということだろう。
 身体を起こそうと棺桶の縁に手をかけて、気付いた。
 てのひら大の蜘蛛が、まるで覗き込むように棺桶の縁に座っていた。
 大きな黒い目がふたつと、その両脇に一回り小さな目。ふさふさとした触肢と脚を持つ蜘蛛はぽってり丸い姿をしていて、なんだか可愛らしい姿だ。
 ハエトリグモに酷似しているが、これが新しい主人なのだろうか。
 だとしたら、随分小さなご主人様だ。小さい魔物も存在するので不思議ではないが、あまり小さいと、誤って踏みつけてしまいそうだ。
「……新しいご主人様ですか?」
 身体を起こしてそう蜘蛛に問うと、蜘蛛はまるで首を傾げるかのような仕草を見せた。
 この蜘蛛が新しい主人なのか、それとも主人の使い魔だろうか。判断が難しい。
 蜘蛛はメイドが起き上がったのを確認すると、ぴょんっと床へ飛び降り、振り返った。まるで『こっちに来て』とでも言うかのようだ。
 逆らう理由はない。メイドは棺桶から出て、蜘蛛の後についていく。
 蜘蛛は普通のハエトリグモより少々大きめで人語を解しているように見える以外は、喋ったりするわけでもなく普通の蜘蛛のように思える。バンパイアの使い魔はコウモリが定番だが、彼らも人の言葉を理解していたが人語は話さなかった。
 蜘蛛はときどき脚を止め振り返り、メイドがついてきているか確認しながら、古びた廊下を歩いて行く。
 メイドは蜘蛛の案内に従いながら、辺りを見回す。
 古いが傷んではいない屋敷だ。掃除は行き届いているとは言えない。埃だらけなのに意外にも蜘蛛の巣は全くない。普通のハエトリグモも巣を作らないが、この道案内をしている蜘蛛も同じように巣を張らないのかもしれない。
 蜘蛛が案内してくれたのは、厨房だった。
 調理用のストーブや鍋類、食器棚と揃ってはいるが、やはりここも埃っぽい。使われている形跡はほとんどなかった。
 蜘蛛は器用にテーブルの脚を駆け上がり、それから戸棚の取っ手に飛びついた。
 これは多分、戸棚を開けろと言っている。
 メイドは素直に蜘蛛の要求に従い、戸棚の扉を開いた。
 中にはミルクの詰まった瓶、籠に入ったパンと何種類かの果物と、ナッツ類が詰まった瓶などの食品類が収められていた。
 蜘蛛はぴょん、と戸棚の取っ手から棚へ飛び移りると、パンの籠と果物の間から触肢と脚で紙切れを掴んで引っ張りだし、メイドの目の前に引き摺ってきた。
 紙切れには文字が書かれている。幸いにも、メイドにも読める言語だ。この文字と文章を見るに、眠ってから目覚めるまでに数百年の月日が流れていた、ということはなさそうだ。眠りにつく前に親しんだ文法と違いがないように見える。
 メモには『屋敷にある食べ物は自由に食べろ。食べたら掃除を頼む』と簡潔に書かれていた。
 このメモを書いた者が新しい主人なのだろうが、署名も何もない。
 ただ、文字はとても綺麗だ。気品と高い知性を感じる。
 この蜘蛛が書いたのだろうか。この姿は仮の姿で、バンパイアがコウモリや狼に姿を変えるように、蜘蛛に姿を変えているだけだろうか。
 昼間は蜘蛛、夜はもう少し大きい魔物へと姿を変える。そんな可能性もある。はっきりしないうちは主人として丁重に仕える事する。
 蜘蛛はパンの籠に長い脚をかけ、ぽんぽんと叩くような仕草を見せた。
『早く食べろ』と言っているのかもしれない。
 この埃の積もり具合を考えると、この食品は食べられる鮮度なのか少々気になったが、前の主人の家にもこれに似た棚があった。
『この棚にしまうとどんな食べ物も腐らない』という便利な食品棚は、ダーダネルス百貨店の人気商品で、どこの魔物の屋敷にもあるものだと聞く。
 ミルクの瓶を手に取り匂いを嗅いでみるが、なんの問題もなさそうだ。ほんのり甘い香りがしている。
 長い眠りにつく前は、食べ物が尽きて何日も空腹だった。森にある少しの木の実と水を口するだけだった。まずはミルクとパンで柔らかく薄いパン粥を作って食べよう。
 その前に、埃っぽい調理器具をなんとかしなければ。
 厨房をざっと見渡す。埃っぽいが、前の主人の屋敷にあったような調理器具などはだいたい揃っているようだった。
 水もお湯も沸き出す不思議な水瓶、薪を入れずとも萌え続けるキッチンストーブなどは、使い方も分かる。
 まずはパン粥を作るのに必要な食器と調理器具を洗って準備をしなければ。
 蜘蛛は心配なのか、メイドの周りをちょろちょろ歩き回っているが、踏みつけそうで怖い。メイドはしゃがみ込んで蜘蛛の目の前に掌を差しだした。
「申し訳ございません。踏んでしまうかもしれないので、こちらに」
 蜘蛛は長い脚をちょん、とメイドの人差し指に乗せて、見上げている。まるで『乗っていいの?』と遠慮をしているように見えた。
「どうぞ」
 そう伝えると、蜘蛛はささっとメイドの掌に乗った。
 メイドは自分の肩にそっと蜘蛛を載せ、食事の準備を始める。



 薄めで柔らかく煮たパン粥で久しぶりの食事を済ませると、皿の傍にちょこんと座って待っていた蜘蛛を再び肩に載せて、メイドはメモに書かれていた指示通り、掃除をはじめる事にした。
「このお屋敷には何人くらい住んでいますか?」
 肩の蜘蛛に尋ねてみたが、蜘蛛は首を傾げてメイドを見上げるばかりだ。
 やはりこの蜘蛛は主人ではなく、使い魔なのだろうか。
 まずは煮炊きをするのに不衛生では困る厨房から掃除をはじめたが、これは時間がかかりそうだ。
 食器にも調理器具にもうっすら埃が積もっているのを鑑みるに、主は人間のような食事をとらないようだ。とらないならなぜ、こんなに調理器具が揃っているのか。
 分からない事だらけだがメイドは深く考えず、与えられた仕事を黙々とこなしていく。
 掃除道具などの場所は、肩の上に乗っている蜘蛛が教えてくれた。
 蜘蛛は人の言葉が分かっているようだったが、質問に答えられる言葉は持っていなかった。それでもこうして色々教えてくれるのは心強い。
 厨房の掃除を終え、食器を洗い直して磨くだけで夕暮れになってしまった。ランプがしまわれた場所は蜘蛛が教えてくれたが、メイドの部屋はどこになるのか。
 蜘蛛は日が沈んでも蜘蛛のままだった。何か他の姿に変わる気配もなく、大人しくメイドの肩で寛いでいる。
 ということは、主人は不在なのではないか。ならばいつ帰って来るのか。夜遅くになっても誰も屋敷に現れなかった。
 疑問は多々あるが、まず今夜の寝床の問題だ。寝るだけなら今まで眠っていた棺桶があるが、着替えや身支度を整えるのに少々困る。
 それに主人に挨拶もせずに屋敷を歩き回り、働くのもどうか。かといって、主のいない屋敷を家捜しするような真似は行儀がいいとは言えない。
 だが明日の朝になっても主人が現れないなら、蜘蛛と一緒に屋敷の中を探索するしかない。これから先掃除をするにしても、間取りの把握は必要だ。
 再び棺桶が置かれてた部屋に戻り、寝支度を整える。整えるといっても着替えはない。靴と靴下、エプロンだけ外して棺桶に横たわると、棺桶の縁にいたはずの蜘蛛は、どこかに姿を消していた。
 目覚めたばかりだが、夜になれば眠くなる。飢えて弱っていた身体ではなおさらだ。



 朝を迎えると蜘蛛はまた昨日と同じように棺桶の縁に乗って、メイドが目覚めるのを待っていた。
 やはり朝になっても主人らしき魔物は現れない。
 屋敷に他の生き物の気配はないが、もしかしたら屋敷のどこかで眠っているのだろうか。夜行性かもしれない。
 蜘蛛はメイドの肩を定位置にしたようで、道案内をする以外は肩で過ごしていた。その方がメイドも助かる。足元にいると、いつか踏んでしまうだろう。
「今朝はまず、屋敷の中を歩いて間取りを覚えようと思っています」
 そう蜘蛛に話しているところで、呼び鈴が鳴り響いた。とうとう主人が帰宅したのか、と思ったが、主なら呼び鈴は鳴らさない。
 現れたのはいつものように大きな黒いトランクを下げた撫子だった。
「おはようございます。ご注文のお品を届けにまいりました。……どうですか、新しいお屋敷でのお勤めはいかがですか」
 いつものように撫子は笑顔だが、この問いには困った。
「順調です、と言いたいのですが、まだ新しいご主人様にご挨拶できておりません」
 正直にそう答えると、撫子は笑顔のまま一瞬黙ったが、少しの間を置いて、改めて口を開いた。
「左様でございますか。……そうですね。思えば私も最初の頃はお顔を拝見できませんでした」
 撫子はトランクから商品を取り出し、並べながら注文書と照らし合わせる。
「それではどうやって注文を?」
「最初の頃はお母様が応対してくださっていました。そのうち私にもお顔を見せてくださるようになりましたが、それまではずっとお母様でしたね。……今はそのお母様も亡くなられて、それで屋敷の切り盛りができる人を探していらしたのです」
 撫子は新品のメイド服と下着類などを数枚取り出し、メイドの前に並べた。
「これはあなたをお譲りした時にサービスでおつけする事になっていた衣類です。着替えは必要ですからね。男性のご主人様ですとなかなか細かいところまでお気付きになられない事が多いので、こちらはサービスでおつけしておきました」
「ありがとうございます」
 素直に受け取りながら頷く。主人が男性だというのだけは、確定した。
「新しいご主人様にお会いできていないのです」
 撫子は納品書を確認する手を止め、メイドににっこりと笑顔を見せた。
「大変恥ずかしがり屋な方です。お母様が亡くなられてからは蜘蛛さんたちと暮らしていて、人慣れしていないのですよ。なので、お顔を見せていただけずとも心配はいりません。多分、屋敷のどこかにいらっしゃいますよ」
 やはりこの蜘蛛は使い魔で、主人ではなかった。
「まだ他にも蜘蛛はいるのですか?」
 もしかして、今肩に乗っている蜘蛛は昨日の蜘蛛ではないのか? 一瞬そう考えたが、撫子はその疑問を打ち消してくれた。
「お屋敷の中にいるのはその子だけですね。今まで取り次いでくれたのはその蜘蛛さんでした。他の蜘蛛さんたちは、屋敷の外で見回りをしています」
 バンパイアの使い魔であるコウモリたちと、ほぼ同じ仕事をしている。どこでも魔物は使い魔を持っているのだとメイドは納得して頷く。
「そのうちお顔見せてくださるでしょうから、今はそっとしておくのがいいでしょう。……それに仕事は山ほどありますよ。手入れが行き届かず随分汚れていますから、掃除のしがいがありますよ」



 撫子が置いていった品物は、大半メイドのものだった。
 衣類や生活雑貨、食料品などだ。主人は人間のような食事をとらないと撫子が言っていた。
『お母様がお元気でいらした頃は一緒にお食事もなさっていたそうですが、主食は獣肉だとおっしゃっていましたね。ああ、人間は口に合わないから食べないそうなのでご安心ください』
 新しい主人が魔物なのは間違いないが、どんな魔物なのか見当がつかなかった。撫子も『そうですねえ、ひとことで説明しにくいというか。同じ種族の方はお見かけしたことがないです』と言っていた。
 とても変わった種族だというのは分かった。
 バンパイアのように昼間は眠っている可能性もある。物音を立てないように家事を遂行するのは慣れているので問題ない。
 主人が人見知りなら、無理に会おうとは思わない。
 自分はメイドだ。それも買われたメイドだ。支払った代金以上の働きをしなければならない。
 それに会わずにすむなら、その方が気が楽だ。
 無理に『人間らしく』振る舞わずに済む。
 もう今はいない前の主人が言っていた言葉をメイドは思い返す。
『笑いたくなければ、笑わなくていい。悲しくないなら、涙をみせる必要もない。誰かの真似をしても、"心"を得られるわけではないのだから』
 


2023/06/04 up

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