てのひらにひとひらの花

#11 何があっても、どんな事が起きても

 気持ちのいい青空の下、石張りの通りを歩いていると、聞き慣れた声がミカを呼び止めた。
「あら、ミカじゃない。今日はひとりなの?」
 いつか菩提樹の鉢植えを買った、花屋の露店主だった。あれから時々、バルテルと一緒にこの店に花を買いに来ていた。花は屋敷のあちこちを彩り、飾られる。
「こんにちは、花屋のお姉さん。今日はエルネスト様……旦那様と一緒だけれど、ひとりで買い物に行ってもいいって」
「そうかあ」
 店主はミカを眺めながら少し考え込むような素振りを見せ、それから口を開いた。
「ミカ、あのね。初めてのお店や露店は、あんたに物を売ってくれないかもしれない。……その、言いにくいんだけれど、奴隷は信用ならないって人は結構いるんだ。ごめんね。エリンの人がそんな意地悪な人ばっかりだってわけじゃないんだけど」
 楽しかった気持ちが、ほんの少ししおれたが、ミカはそういう事もあるだろうと前向きだった。
 そもそも、ロサ族もそういう差別を受けていた。
 定住せず大陸中を旅するロサ族を信用してくれる人もいるが、嫌う人もいた。立ち寄った街の市場で物を買おうとしても、追い返される事もあった。そういう市場は正直に言えば、少なくなかった。
 何も悪い事をしていないのに、流れ者は得体が知れないと毛嫌いする人々は少なからずいる。ロサ族でさえそうなのだ。奴隷には物を売れないと蔑まれても、仕方ないと思えた。
「本当にごめんね。そういう意地悪な人もいるから、その時は我慢してやってね。ごめんね。あんたがとってもいい子なのは、私はよく知ってるのに、ごめんね」
 そんなに謝られると、申し訳なくなってしまう。花屋の店主には何の罪もない。彼女のせいではない。
「露店なら、いい人もいるから。商品を見たい時は、挨拶して、そのエリンの紋章の入ったバングルを見せて、買い物できるか聞いてみて。……買い物させてくれる店もあるから。ただ、商店はだめだよ。ご主人や雇われた従者と一緒に行って、身元を保証してもらわないと……」
 花屋の店主は言いにくそうにもごもごと説明をしてくれた。きっと、店主は心を痛めながら、ミカの立場を説明してくれている。ミカは却って申し訳ない気持ちになっていた。
 店主はミカが悲しい思いをする前に、とても言いにくい現実を教えてくれたのだ。感謝しかなかった。
「教えて下さって、ありがとうございます。知らなかったら、お店に入っちゃうところでした。助かりました!」
 努めて笑顔で店主に礼をいい、花屋の露店を後にした。
 今まで明るくて綺麗で、楽しい場所だと思っていた商店街が、ほんの少し暗く、重く感じられるようになったけれど、ミカは前向きだ。
 誰かはきっと、売ってくれる。皆が拒否するわけじゃない。
 そう思えば少し気が楽になるし、何より、露店に並ぶ色々な商品は、変わらず綺麗で、面白くて、色々なものがあって、見ているだけで楽しかった。
 花や果物、菓子だけではなかった。陶器の食器や置物、色々な模様の生地や敷物、服や靴、革製の小物まで扱っている店もある。鍋や掃除道具などの日用品も、珍しい鉱石のようなものを売っているところまである。
 ミカは青い天幕に白いリボンを飾った、華やかな陶器類の露店の前で足を止めた。
 綺麗でおしゃれな食器の他に、陶器の置物があった。うさぎや犬猫、鳥の置物で、それがとても可愛らしかった。ミカが買えるくらいの値段の物も、多数ある。
 店主は熊のような大男だ。ミカは少々臆しながら、思い切って店主に挨拶をした。
「こ、こんにちは! 商品を見せてもらいたいです」
 ミカは左手のバングルがよく見えるように袖を引っ張り上げながら、店主に差し出した。
 店主はバングルに刻まれた文字を一瞥し、すぐに口を開いた。
「うちは奴隷には売らない事にしてるんだ。前に詐欺にあったんでな。すまねぇが坊主、よその店に行ってくれ」
 いざとなると、やはり傷付く。ミカはしょんぼりと俯き、小さな声で、すみませんでした、と謝り、再び歩き出した。
 エルネストはこんな状況を知らなかったに違いない。知らないから、ミカを送り出してくれたのだろう。
 思えば、エルネストはほとんど外には出ない。そして奴隷を買うのは、ミカが初めてだった。
 せっかくエルネストが送り出してくれたのに、何も買わずに帰ったら、心配をかけてしまうだろうか。
 その時は、欲しいものがなかったと言えばいい。
 次にミカが立ち寄ったのは、織物の露店だった。店主は老婆だったが、やはりミカは断られてしまった。
 いくつかの露店に断られ、前向きだったミカも、さすがに気持ちが沈んでしまった。
 また断られたら、どうしよう。
 ミカはとぼとぼと石畳を歩く。
 通りに並ぶ露店全部に声をかければ、一軒くらいは売ってくれるところがあるだろうか。売ってくれる露店で買えばいいだろうか。
 それとも、エルネストに一緒に来てもらうか。
 だめだ。
 エルネストは人目に触れることをとても嫌がっているし、足が不自由だ。こんな人がたくさんいる通りを歩かせるわけにはいかない。
 ミカは悲しくなっていた。
 お金もある。悪いこともしていない。ただバルテルへのプレゼントを買いたいだけなのに、お店は商品さえ見せてくれない。
「坊主、どこの露店でも買えなかったか」
 突然背後から声をかけられ、ミカは驚いて振り返る。
 ミカに声をかけたのは、人の良さそうな中年の男だった。男は顎に手を当て、小さく唸る。
「すまねぇなあ。エリン市民はどうにもよそ者を嫌う傾向があってな。ぼうやがサクロナ人にゃ見えないのも悪かったな」
 サクロナ人とロサ族は、確かに少し顔立ちが違う。まだ小さいミカは、何がどう違うのかよく分からないが、何かが違うというのは感じていた。
「大丈夫です。気にしてないです」
 ミカはどう返事をしたらいいのか分からず、もじもじしていた。なんとか言葉を絞り出し、俯く。
「特にこの通りは、金持ち相手の商売が多いからな。少し向こうの通りなら、庶民向けの露店があるんだ。そっちなら、奴隷でも外国人でも、もう少し気安く物を売ってくれるさ」
「ほ、本当ですか? あの、向こうの通りって、どこですか?」
「そこの路地から入って、三本目の通りだよ。よかったら俺が案内してやろうか」
「いいんですか? ありがとうございます」
 冷たくあしらわれ続けたミカのしおれた心に、男の優しさが染み入るように感じられた。意地悪な人ばかりじゃない。こうして親切にしてくれる人もいるんだと思うと、また前向きになれそうな気がしていた。
「こっちだよ。少し歩くが、そう遠くない」
 男はミカの手を取り、歩き出した。
 思えば、ミカはこの通りと、この一本向こうの通りしか知らなかった。このふたつの通りの店や露店でしか、バルテルが買い物していなかったからだ。そこで買い物が済むので、他に行く必要がなかった。
 確かに男の言う通り、この通りは身綺麗で上品な人が多く、店に並ぶ商品も高価だったし、露店はどこもきちんと整えられ、店主もきちんとした身なりの人が多かった。そして、奴隷をひとりも見かけなかった。いや、いたとしても、ミカのように普通な、雇われた従者のような格好をしていて、なかなか気付かないだけかもしれない。
 初めて入る路地裏は、なんだか薄暗く、狭苦しく、埃っぽい。ミカは少々咳き込みながら、男と手を繋ぎ後ろを歩く。
 一本目の通りを抜け、また路地裏を通り抜けようとした時に、ミカはなんだか嫌な予感がし始めていた。
 男はひとことも喋らない。
「あの、どこまで行くんですか? もうすぐですか?」
 返事はなかった。ない代わりに、手首をぎゅっと掴まれた。
「いいから来るんだ!」
 乱暴に腕を引っ張られ、ミカは肩が抜けそうな痛みに小さな悲鳴をあげた。
「くそ、騒ぐなよ!」
 男はミカを引き寄せ、片手で口を塞ごうと手を伸ばす。ミカは男の手を振りほどこうとあがくが、あっけなく口を塞がれた。
「命が惜しいなら騒ぐんじゃねえぞ」
 ミカはすぐに思い出した。ロサ族が襲われ、ミカを庇った両親が無慈悲に殺されて、捕らえられた時も、同じだった。こうして乱暴に口を塞がれ、担ぎ上げられ、連れて行かれた。
 全身から血の気が引き、震えが止まらなかった。
 男はポケットから取り出した布切れでミカの口を乱暴に塞ぎ、肩に担ぎ上げた。そんなもので口を塞がれなくとも、ミカはもう声さえあげられないくらいに、怯えていた。
 ミカを担ぎ上げ、数歩男が歩いた時だった。
「その子を返せ。返さないなら撃つ」
 はっきりとそう聞こえた。こんなところにいるはずがない、エルネストの声だった。
 カチッと撃鉄をあげる音が響いた。
「今すぐ返せ。返せば見逃してやる」
 男は舌打ちするとミカを盾にするように投げ出し、素早く駆け出した。
「バカか! 知らない人間についていくな!」
 エルネストは男の後ろ姿に銃口を向けたまま、ミカを怒鳴りつけた。
 ミカは路地裏に蹲ったままなんとか猿轡をほどき、よろよろと立ち上がろうとした。けれど足に力が入らない。
「ご、ごめんなさい」
 安堵した途端に、ミカの榛色の瞳から涙が溢れ出た。
「ごめんなさい。ごめんなさい……!」
 エルネストは男の姿が消えたのを確認すると銃を下ろし、懐にしまう。杖をつきながらゆっくりとミカに歩み寄り、今銃を握っていた手をミカに差し出した。
「エルネスト様、ごめんなさい」
 ミカはたまらずに、大声で泣き出した。
 怖かった。何が起きたのか分からないまま、どこかに連れて行かれる恐怖でいっぱいだった。
「いつまで経っても戻ってこないから、探しに来た。お前が男に連れられて路地裏に入るのを、そこの露店の親父が見ていなかったら、ここまで来られなかった」
 ミカはエルネストの手に両手でしがみついたまま、立ち上がる事ができず、わぁわぁと声を上げて泣いていた。
 自分が悪いのはよく分かっている。知らない人間についていっては行けないとは、両親もよく言っていた。
 それなのに、親切にしてもらえたのが嬉しくて、信じてしまった。
「……もう怒っていないから、泣くな」
 エルネストに促され、ミカはぼろぼろ涙を零しながら立ち上がる。
「無事でよかった」
 そう言ってくれたエルネストの声は、とても優しかった。まがいものなんかではない。ミカの傷付いた心を穏やかに包み込むような、優しい響きだった。
「帰るぞ。お前のせいでここまで歩いてきたんだ。馬車まで手を貸せ」
 ミカは片手で涙を拭いながら頷き、エルネストの傍らに寄り添い、支える。薄暗い路地裏を出ると、やはり、空は青く気持ちよく澄んでいた。
「あの、エルネスト様、馬車はどこに」
「メリルの店だ。こんなところまでお前がうろついているとは思わなかった」
 エルネストは不機嫌に黙り込んでしまったが、ミカはやっと気付いた。
 人目に晒されるのが嫌いな、そして足の不自由なエルネストが、帰ってこないミカを心配して、ここまで探しに来てくれた。
 こんなに人通りの多い雑踏を歩いて、探して、エルネストはミカを助けに来てくれた。
 やっと涙が止まったのに、また溢れ出してしまう。
 こらえようとしてもだめだった。涙は次々に溢れ、ミカの丸い頬を滑り落ちた。
「こんな人混みで泣くな。俺がいじめているように見えるだろう」
「ごめんなさい。エルネスト様、ごめんなさい。ごめんなさい」
「もう怒ってないと言った。いいから謝るな」
 ミカは黙り込んで、少し考え、それからまた、口を開く。
「エルネスト様、大好きです。大好きです。大好きです……」
「………………」
 エルネストも押し黙ってしまった。ふたり黙り込んで、しばらく通りを歩く。華やかで明るい雑踏の喧噪が、ひどく遠いように思えた。
「ミカが無事で、よかった」
 もう一度そう呟くエルネストの声に、ミカはこくこくと頷く。
 エルネストを支える両手に、温もりが伝わる。思わずミカはきゅっとしがみつくように両手に力を込める。
 エルネストは何度もミカを救ってくれた。奴隷商の許から助け出し、そして今、人さらいからも助けてくれた。

 エルネスト様がぼくを助けてくれたように、ぼくもいつか、エルネスト様を助けるんだ。
 何があっても、どんな事が起きても、絶対に、エルネスト様を守り抜くんだ。

 ミカの小さな胸の中に、はっきりとそう刻み込まれていた。


2021/01/24 up

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