てのひらにひとひらの花

#14 言いかけた言葉

 娘の身なりはかなりいい方だ。ミカから見たら奴隷だとは思えないが、花屋の店主はサクロナ人ゆえに、他民族はすぐ分かるようだった。
「ロンメル中佐の奴隷です。身元はちゃんとしてます」
 娘は袖を捲り上げ、左腕を突き出した。手首にはミカと同じように、革のバングルがはめられている。
「どうしても売って欲しければ、主人を連れてくるんだね。そんな身分証、信用できるもんか」
 絹織物の店主は老齢の女性だ。ミカはこの店で買い物をした事がないが、バルテルと一緒に来た事があった。ふたりの険悪な空気に、ミカは慌てて割って入る。
「待って下さい! ちょっと、あの、こっちに」
 ミカは娘の手を取り、無理やり露店から引き離す。
「誰なの、あなた!」
 娘は大人しそうな見た目と裏腹に、気が強そうだ。顔を真っ赤にして怒っている。
「あ、あの、君、最近エリンに来たのかな」
「そうよ! 今まで首都にいたの。エリンの人がこんなに意地悪だなんて、知らなかった……!」
 金色の巻き毛の、美しい娘だ。言葉遣いも丁寧かつ発音も綺麗で、先ほど『ロンメル中佐の奴隷』だと言っていたが、きちんとした教育を受けている奴隷なのは一目瞭然だ。
「あの、ぼくも奴隷なんだ。この街では、主人かサクロナ人の従者に身元を証明してもらってからでないと、露店でも買い物ができないんだ。エリンは昔からの街で、閉鎖的だから」
 ミカも昔、そうして露店主たちに冷たくあしらわれ、悲しい思いをした。これ以上、彼女にも同じ思いをさせたくはなかった。
「そんな、ちゃんとお金だって持ってるのに、おかしいじゃない……」
 娘は少し落ち着いてきたようだった。荒かった語気は和らいでいた。
「たまには、売ってくれる人もいるかもしれないけど……。でも、残念だけど、そういう人は稀なんだ」
 そんな人に会った事はないが、いるかもしれない、とミカは思いたかった。娘は俯いたまま、ぽつりと呟く。
「どこに行っても、奴隷は奴隷なのね……。それどころか、首都を離れたら、もっと蔑まれるのね……」
 ミカはエリンしか知らないが、首都はもう少し扱いがマシだとは聞いていた。エリンよりは扱いがいいだけで、差別されないわけではないのだろう。娘は悔しそうに唇を噛みしめていた。
「あの、何が欲しいのかな。よければ、ぼくが買うよ。一応この辺りの露店全部に挨拶をしてあるし、あのお店でも以前……ああ、でもあのおばあさん、ぼくの事覚えてるかな」
 ミカが一歩踏みだすと、娘は押しとどめるように手を伸ばした。
「もう、いいわ……」
 娘の声は、すっかりしおれきっていた。
「あんなに素敵に見えたのに、今はもう色褪せて見えるの……。素敵なものが素敵でなくなってしまったわ」
 顔を真っ赤にして怒っていた勝ち気さは消え去り、今、ミカの目の前にいるのは、傷付いて悲しむ娘だった。娘は眦を拭いながら、ミカを見上げた。
「ありがとう。あなた、とてもいい人ね。見ず知らずの私を助けてくれるなんて。……私、エレナっていうの。あなたは?」
「ミカだよ」
「ミカ。……変わった名前ね。またどこかで会えたらいいわね。もう一度、言っておくわ。ありがとう、ミカ。また、どこかで」
 エレナは踵を返し、人混みの中にあっという間に消えていってしまった。
 大人しいのか勝ち気なのか、よく分からない女の子だった。
 ミカは彼女が言っていた事を思い返す。
『あんなに素敵に見えたのに、今はもう色褪せて見えるの……』
 ミカもそうだった。綺麗で華やかで、楽しい場所だったガルニエ通りが、そうではなくなった瞬間を覚えている。
 今は顔見知りになった露店もある。花屋の店主のように、ミカを見かけると話し掛けてくれる店主もいる。あの頃ほどは、居心地が悪くなくなっていた。
 あの子にも露店主たちが優しくしてくれたらいいのに、とミカは考え、思い出した。
『ロンメル中佐の奴隷』だとあの娘は言っていた。



「……何故、奴隷に商店主が物を売らないかだって?」
 帰りの馬車の中でそうエルネストに尋ねると、少し考え込んでいるようだった。
 単なる差別にしては厳しすぎる。それにきちんと金を払うなら、店主も売り上げに繋がるのだから、そう悪くはないはずだ。稀に詐欺に巻き込まれるくらいで、ここまで毛嫌いするだろうか。
 ミカはずっと『奴隷が蔑まれているからだ』と思っていたが、何かがおかしい気がしていた。
 エルネストは窓の外を眺めたまま、口を開いた。
「逃亡奴隷に物を売ったら問題になるからだ」
 予想外の答えだった。
「以前メリルがそう話していた。身分証を持っていても、逃亡してきた奴隷なのか、これから逃げる準備をしている奴隷なのか、分からないからな。特に保存のきく食料品や旅道具の店主は、主人が身元を保証した奴隷にも売りたくないだろう。……万が一、その奴隷が逃げたら、幇助したと罪に問われるかもしれない」
 ミカは思わず言葉をなくしてしまった。考えた事もなかった理由だった。
「まあ、差別をしている店主もいるだろうが……。サクロナ人以外、特にルルシャ人なんかの奴隷は人ではないという考えの奴もいる」
 まだミカが小さかったので、今までエルネストはぼかして語り、本当の話をしなかったのかもしれない。納得のいく説明だが、あまりに厳しい内容だ。
「ミカ、はっきり言っておくが、エリンは古い都市なせいか、市民にも古くさく頭の固い連中が多い。ルルシャ人だけでなく、ロサ族の奴隷も人だと思わない奴もいる。ガルニエ通りがあるあの区画や屋敷の周りは比較的裕福な人間が多いから、そう治安は悪くないが、貧しい者の中には、はけ口に奴隷を攻撃する者もいる。……気をつけろ」
「はい、エルネスト様……」
 エルネストが外出を嫌う為、ミカも市街地を出た事がない。人目を嫌うエルネストが旅行に行くはずもなく、そうなると用事は商店街ですんでしまう。特にガルニエ通りは貴族や商人、軍人などの富裕層向けで、治安はかなりよかった。
 エルネストも言っていた。ここ数年の不作で、治安が悪化していると。ガルニエ通りでさえ、最早安全ではないかもしれない。そんな不安定な時世では、人の心も荒む。
 ミカもいつかは厳しい現実に直面するかもしれない事を、覚悟しておかなければならないのかもしれない。
「何故、急にそんな話を? 何かあったのか」
 確かに唐突だった。ミカは慌てて説明する。
「今日、露店で買い物しようとした女の子の奴隷に会いました」
「珍しいな。ガルニエ通りで買い物する奴隷なんか、ミカくらいだと思っていた」
 エリンでこんな普通の従者のように扱われている奴隷なんて、確かにミカくらいかもしれない。過去、あの通りで奴隷に会ったのは、主人が荷物持ちとして連れ歩く奴隷くらいだった。その奴隷は、まるで家畜のように繋がれていた。
「やっぱり露店主はあの人に売ってくれなかったけれど……ロンメル中佐の奴隷だって言ってました」
「ロンメル。ああ、隣の佐官か」
「はっきり聞いたわけではないですけど、同じ名前の中佐がエリンにたくさんいるとは思えないので、そうじゃないかと思います。今まで見掛けた事がない人だったので、きっと首都から帰ってきた息子さんの奴隷じゃないかなって」
 あの娘が風のように走り去ってしまったので、ミカは自分が隣のルベール家の奴隷だと伝える隙がなかった。それに、隣の佐官の奴隷なら、また近いうちに会えるだろう。
 エルネストはまた口を噤み、ほんの少し考え込んでいるように見えた。変わらず目を合わせないまま、エルネストは小さく頷く仕草を見せた。
「今まで友達さえ作ってやれなかったな。首都出身の中佐なら、奴隷に多少の自由は与えてくれるだろう。世間話できるくらいになれるといいな」
「あ、ありがとうございます……」
 言いかけた「でも」という言葉を、ミカは黙って飲み下す。
 エルネスト様がいれば、友達なんかいらないんです。
 自分が奴隷にあるまじき感情を抱いていると、ミカもよく分かっている。
 エルネストは、死にかけた憐れなミカに同情し、救ってくれただけだ。勘違いや思い違いをしてはいけない。
 ミカがやらなければいけない事は、エルネストに仕え、守り、尽くす事だけだ。



2021/02/25 up

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